表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第四章 軍神の使者
67/113

皇子の逃避行

 袖の都の表通りは、今日も賑わいを見せていた。


 食べ物を売りに呼び子をする者。露店に煌びやかな髪留めや首飾りを並べている者。足を止めては笑顔で様々な売り物を物色する客たち。


 その様子を鴕鳥の上から見下ろしながら、歴燈(れきとう)は通りの中央を歩いていた。


「どうもこの賑やかさには馴染めません、父上」

「そう言うな、(めい)。この華やかさこそ、袖が繁栄している証だ。馴染めずとも、これを守っていく気概があればいい」

「妹たちなど、よく市へ出かけておりますが。私には理解が及びません」


 息子の歴明は戦好きでそこそこ戦上手でもあるのだが、どうも思考に固さがあるのが難点だった。それは戦にも出ており、型にはまった軍学通りの戦から脱却できないでいる。


 そこが、よく戦について学びにきていた紐燐紗(ちゅうりんしゃ)との差だった。彼女はしばしば戦の中で独創性を見せ、歴明を翻弄することがある。上手く良いところを歴明が学び取ってくれれば良い、と思っていたのだが……。


春章(しゅんしょう)様のお呼び出しですが、やはり例の件でしょうか」

「十中八九、そうだろうな」

「そうですか。正直、私はあまり気が向きませんが……。本当に、あの紐燐紗様が出奔なされたのでしょうか。それに、紐寧和(ちゅうねいか)様も」


 袖の皇子である紐寧和、紐燐紗が突然姿を消し、二人に反逆の容疑がかけられたのが二日前だった。特に紐燐紗は何度も戦について教えを請いに歴燈の下を訪れており、不遜ながら娘に近い感情を抱いていた。


「言葉が過ぎるぞ、明。我らは武の道に生きる者。命じられたことを粛々とこなすのみだ」


 自分に言い聞かせるように、歴燈は息子に言った。


 春家は歴家と昔から付き合いがある。付き合いといっても、古くから袖で連綿と続く春家と、外様に近い歴家では、上下関係と言っていいものだった。以前も春家の要請で、春家の長男の春楼の軍功を上げるために出陣したことがあった。ただし、結果は惨敗だった。


 豪壮な春家の邸宅の前で、歴燈は馬を降りた。来訪を侍従に告げると、すぐに中に通される。


「よく来た、歴燈。そちらにいるのは息子か」


 客間に迎えられた歴燈は、違和感を覚えた。春家の当主、春章がいつも座っている上座にいない。歴燈と同じ高さに座っている。上座には御簾(みす)がかけられており、中の様子を覗くことができない。


「ええ。長子の明と申します。そろそろ顔を覚えていただいておこうと思いまして、伴いました」


 春章は歴明に目を向けた。


「ふむ、歴家と春家のつながりは今後も重要となる。両家の繁栄のため、力を尽くすこと、心せよ」

「はい、ありがたきお言葉です」


 よく見ると、春章は少し緊張しているようだった。歴明の返答にもほとんど関心を示さず、そわそわとしている。


「ここからは当主同士の話になる」

「わかりました。明、顔見せも済んだことだ。席を外せ」

「はい、父上」


 歴明が客間から退き、別室に移った。


「さて、内密な話ということでございましょうか」

「その前に、まず挨拶からだ」


 春章の合図とともに御簾が上げられ、上座に座った人物が姿を現した。


「これは、紐間(ちゅうかん)様」


 歴燈は慌てて居住まいを正し、平伏した。春章が上座を譲っているのも納得の話で、紐間は袖の第四皇子だ。春家とは密接な関係を築いており、間接的に歴家とも関連する皇子である。もっとも、直接会うのは歴燈もこれが初めてだった。


「顔を上げよ、歴燈。そのままでは話しにくかろう」

「はっ、それでは、ありがたく」


 歴燈は平伏を止め、正座するに留めた。


「聞いているだろうとは思うが、姉の紐寧和が姿を消した」

「はい。何でも反逆を試みたとか」

「太子の話ではそうらしい。まあ、その真偽についてはどうでもよいのだ。紐寧和は民の声望が高く、生まれの席次も私より上だ。ここで消せれば、私が皇座を狙うのもより容易くなる」


 現袖皇が太子の決定に疑問を投げかけてからというもの、席次の高い皇子の間では次期の皇の座をかけた暗闘が活発化していた。特に現太子の紐圏は何度も暗殺の危機に晒され、逆に紐圏も刺客を他の皇子に送っているようだ。まだ死者が出ていないのが、奇跡的とも言えるような状況だった。


 紐寧和は第三皇子であり、第四皇子の紐間よりも皇座に近いと言えた。その紐寧和の大きな隙。この機を逃さず、紐寧和を始末してしまおうというのは、当然予想できる成り行きだった。


「ふむ。私が呼ばれたということは」

「そうだ。歴燈、汝に紐寧和の討伐を命じる。そこな春章は軍事には疎いゆえな」

「承りました。この歴燈、謹んで拝命いたします」


 一礼したところで、春章が口を挟んできた。


「紐寧和様とともに紐燐紗様も逃亡しているようだが、本当に大丈夫なのだろうな。紐燐紗様は、よくお前のところに来られていたというではないか」


 紐燐紗に対する複雑な感情を押し殺しながら、歴燈は答えた。


「春章殿、私は武の道で身を立てると決めております。命じられたことを忠実にこなすのが武人の在り方。たとえ昨日の友であれ、命じられれば討ち果たします。ましてや、反逆者ともなれば」

「ふむ。そうであったな。犬の忠実さを疑う必要はないというものだ」


 春章の暴言を、歴燈は涼しい顔で流した。ただ、内心には無意識の領域に(さざなみ)が立った。


「それを聞いて安心したぞ、歴燈。まあ、紐燐紗は席次もかなり下だ。生かすも殺すも、どちらでも構わん。既に罪人となっていることだし、女として扱うのもよかろう。だが必ずや、紐寧和の首は上げてくるのだ」


 紐間の言葉に再び恭しく礼をして、内心のざわめきを静めながら、歴燈は春章の屋敷を後にした。


                    ※


 街道から、戦鴕の走り去る音が響いてくる。


 それを聞きしめながら、紐寧和は山中の間道を歩いていた。


 暑い。汗が滴る。それに、まぶたが重い。しかし、音を上げてはいられない。自分は日に三時間寝ているが、家内の者は見張りのためその半分しか寝ていないのだ。荷も、侍従たちが分担して持ってくれている。


「姉様、大丈夫ですか」

「気遣いありがとう、燐紗。まだ、歩ける」


 妹の紐燐紗が、前から声をかけてきた。栗色の髪から汗が滴っているが、その表情にはまだ余裕がある。紐燐紗は幼いころから武芸に興味を示し、(よわい)十五にして並みの兵士では全く及ばないほどの武勇を誇っている。小柄で可憐な見た目に反し、軍指揮も人並み以上にこなす戦場の華だ。天性のものがあるのだろう。とにかく、自分などよりよほど体力があった。


 逃亡を始めてから、既に十日が経っていた。最初の二日は昼夜兼行で逃げ続けたが、自分含め侍従たちの何人かが持たなかった。それで、一日の内の三時間だけは眠ることにしたのだ。


「これで追い越していったのは三部隊目か。ある程度捕捉されている、と考えるべきだろうな」

「道案内の者から漏れたのでしょうか。全く……」

「邪推は止めよ、燐紗。七十もの人数が動いているのだ。完全に痕跡を消すことは不可能だろう」


 街道を堂々と逃げるわけにもいかず、紐寧和の一行は山中を縫うように歩いて鷺へと向かっていた。道は行く先々で案内を雇って進んでいる。口止め料も含めてかなり多めに銭を渡してあるが、機能しているかどうかはわからない。


 亡命先を鷺へと決めたのには、いくつか理由があった。今、袖と国境を接しているのは鷺と白蘭の二国だが、白蘭は神の子と称する者を頂点とした新興宗教による国家であり、内情が不透明だった。鷺は敵国だが、皇は神々の末裔と言われている点で同じであり、受け入れてもらえる余地はありそうだ。垓や璧は、候補に入れるには遠すぎる。


 また、白蘭に比べて鷺は都から距離があり、捜索の手の裏をかく意味でも鷺の方が都合が良かった。十日かかってようやくおおまかな捕捉に留まっているということは、ある程度の意味はあったのだろう。


「案内人によれば、この先に村があるそうです。案内できるのはそこまでとのことで」

「わかった。また、頼む」

「かしこまりました」


 侍従が数名、先行して村へと向かった。安全の確認と、道案内の確保を行うためだ。


 その間は足を止めて休憩できる。紐寧和がその場に座り込もうとすると、従者が素早く(むしろ)を取り出し、敷物として敷いてくれた。


「水を」

「はい、寧和様」


 渡された水を口に含むと、潤いが臓腑に染み渡るような心地がした。


 それから従者は、塩を一つまみ差し出してきた。これも受け取って舌で受けるようにして口にする。たった一つまみの塩だが、これがなければ動けなくなる。それも、この旅で侍従たちに教わったことだった。


 勉学に励んできたつもりだが、知らないことはまだまだある。身に覚えもなく反乱の嫌疑をかけられているのは心苦しいが、学べることは学んでいこう、と紐寧和は思っていた。


 座ると、全身が疲労を訴えかけてきていた。その場に沈み込むような感覚に陥る。それでも一度動き出せば、体は前に進んでいく。それが不思議なことだとすら思えた。


 村で食料を補給し、山中の道案内も見つけて、また歩き出した。


 歩きながら、紐寧和は、逃亡を選択するに至った経緯を思い返していた。


 事の始まりは、皇太子の紐圏の侍従の一人が、紐寧和の屋敷に駆け込んできたことだった。


 曰く、紐寧和が反乱を企てているとして、捕縛する動きがあるという。


 にわかに信じられる話ではなかった。自分に反乱を起こす気などさらさらないし、考えたこともない。ただ、治める街の民に重税を課す紐圏としばしば口論になったこともあり、不吉な気配を感じた。


 確認のため紐圏の屋敷に探りに行かせると、ちょうど紐圏が兵を集めて(げき)を飛ばしていた。それだけでも物騒だが、内容を聞いて紐寧和は戦慄した。


 逆賊、紐寧和。


 ありもしない罪を並べたてながら、自分のことをそう呼んでいたらしい。


 もはや一刻の猶予もないと、取るものも取りあえず支度をして逃げ出した。遊びに来ていた紐燐紗は本人の屋敷に返そうとしたが、強硬に反発され、彼女の家人までも巻き込んでの逃避行になってしまった。今頃は、自分と同じく逆賊の汚名を負ってしまっているだろう。


 自分でついてきたとはいえ、目の前を歩く妹やその家人たちには、険しい道を選ばせてしまった。


「許せ」


 ぽつりとつぶやいた言葉は、小さすぎて誰にも聞こえなかった。


 日が落ちても、松明の灯りを頼りに歩を進めた。慎重に前の人間の背を追って歩くので、どうしても夜は進みが遅くなる。それでも、少しでも早く国境を越えたかった。


 ちょうど野営に良さそうな、開けた場所に出た。布で屋根を付けただけの簡素な幕舎を設営し、筵の上に横になる。黒髪がばさりと広がった。


 隣には紐燐紗の幕舎もあり、二人を取り囲むように家人の幕舎が設えられている。といっても半数は見張りとして立っており、一時間半経つともう半数と交代することになる。


「鷺まであと数日だそうですね。もう少しの辛抱です、姉様」


 横たわった瞬間眠気が襲ってきたが、紐燐紗が話しかけてきた。


「数日か。その間、逃げ切れればの話だがな」

「弱気はいけません、姉様。姉様は必ず、私がお守りしてみせます」


 武に秀でた彼女らしい発言だった。


「頼もしいな」


 ふふ、と笑って、紐寧和はまぶたを閉じた。実際には、軍に捕捉されれば一巻の終わりで、あっという間に捕らえられてしまうだろう。彼女がいくら強いといっても、しょせんは個の力だ。集団の力には決して及ばない。


 それでも紐燐紗の言葉は、紐寧和の心をいくらか軽くした。


 そのまま紐寧和は、眠気の重さに身をゆだねるようにして、短い眠りについた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ