袖の動乱
「全く、無敗のまま君たちを送り出すつもりだったんだけどねえ」
天守閣にあるアルバストの執務室には、部屋の主のむすっとした顔があった。
対面する二人は、得意満面といった様子で、機嫌がいいことこの上ない。
「いやー何度思い出してもナイス突撃だったな。さすが俺」
「開夜も頑張ってくれたし考えてた策も的中したし、完璧な戦だったな」
見事に良い位置を奪い返されたことについて、士会は脇に置いておいた。
「そう、あの開夜だ。遠目に妙な戦鴕に乗ってるなとは思ったけど、近くで見ると凄い威圧感だね。羽色が白でないのが誠に惜しい」
「使いどころに迷いましたけどね。何度歩兵の争いに介入しようと思ったかわかりません」
「まあ、脈絡もなく介入するだけならどうとでも対処したね。我慢して騎鴕隊を抑えに行った判断は、悔しいけど正しい」
机に突っ伏して不満そうにアルバストは言った。
普通に突撃しただけならば、士会の麾下ではアルバスト軍の騎鴕隊を止めることはできなかっただろう。速度が大してついていなかったため、側面を突いても弾き飛ばされたはずだ。そうならなかったのは、開夜の迫力に敵兵と戦鴕がたじろいだのが大きい。
「ちなみにあのまま膠着してたらどうするつもりでした?」
「君たちに中央だけ押される形で下がって、鶴翼に変形。半包囲の形を作るかな」
「俺、それこの前純陽相手にやりましたよ。そう簡単には乗りません」
「どうかな。君お得意の麾下で突撃をどこかでやってたんじゃないかな。あれは自陣にほころびを作るからね。押す過程でそれをやったら、即座にその隙を突いてたよ」
うっと士会は言葉に詰まった。押し気味の状況で、開夜の威力を使う誘惑に耐えられた自信はない。
「麾下を小さな騎鴕隊として使うのは良いけど、乱用は控えた方がいいだろうね。今はともかく、長く戦をしていくと、君の突撃癖を知って狙ってくる敵が出てもおかしくない」
「突撃癖って、バリアレスじゃないんですから」
「おい、俺を何だと思ってるんだ」
「また言わせたいのか?」
「はいはい、喧嘩はよそでやってくれたまえ。ここは神聖なる僕の居室だよ。それにしても、これはそろそろ、君たちを都へ帰す時期かもねえ」
都と聞いて士会の胸中に浮かんだのは、もやもやとした心境だった。フィナの待つ場所へ帰りたいという思いと、気の抜けない国境付近の地で戦塵にまみれていたいという思いが複雑に入り混じっている。
士会の微妙な表情を見て取ったのか、アルバストが言葉を続けた。
「君はこの僕と同じ将軍の位が約束されているのだろう? 将軍になるなら軍功が欲しいところだけど、そんな戦はしばらく望めない。軍功目的の馬鹿げた戦は、君もこりごりだろう」
「それは……はい」
苦い経験が、士会の中で蘇った。一年近く前のこと、士会を将軍へと上げるために鷺は袖に向かって戦を仕掛け大敗し、多くの兵を失った。自分一人の都合で三千人もの犠牲が出たことを、士会は忘れていない。
「となると、軍の中で地道に成り上がるしかない。ウィングロー殿のところにでも置いてもらって、みっちり鍛えてもらえばいいさ」
「軍の編成のことはよくわからないんですが……置いてもらえますかね?」
「ウィングロー殿は元帥だよ。軍の編成は彼の仕事だから、頼めば大丈夫。何か余計な横槍が入りそうなら、その時こそ君の『神の使者』という地位の出番だろう。押し通してしまえばいい。それでも心配なら、僕から推薦状でも書いておくよ」
「そうですね……それじゃ、お願いします。その肩書、あんまり好きじゃないんですよね。そうほいほい使うのは避けたいというか」
元々神の使者として敬われるのがむずがゆかった士会だが、ハクロ軍の中で一人の将校として暮らす内に、余計にその思いは強くなっていた。神の使者よりも、精兵を率いる指揮官として見てもらいたいのだ。
このハクロという閉じた環境下ではそれが実現しているものの、都に帰ればそうはいかないだろう。士会にもそのくらいの想像はついた。
「まあ、その気持ちはわからないでもないかな。けど、要は使いようだよ。前も言ったけど、君のその肩書は便利だと思うよ。良い意味でも、悪い意味でも」
確かに、フィナに面と向かって物を言えるのは、士会の特権があるゆえだ。そう考えると、使い道というのも見えてくる気がした。
「何にせよ、中央で将軍になる者が率いる兵は一万を軽く超えるからね。地方で訓練を積むには限度があるんだ」
「今率いている一千と比べると、相当指揮しづらそうですね」
「だからこそ、ウィングロー殿のところで少しずつ数を増やして調練を積み重ねればいいのさ。ウィングロー殿も、君に期待をかけていたからね。そのくらいの便宜は図ってくれるはずだよ」
アルバストに続き、ウィングローにも大きく世話になりそうな様子だった。
「俺は、アルバスト殿からも、まだ学ぶことが残っている気がするのですが」
「僕もそう思うよ。伝えたいことはいくらでもあるし、優秀な将校たちを手元から失うのは惜しくもある」
「俺はまだ、未熟ですよ」
そう言いながらも、不意に優秀と言われ、士会は照れていた。隣のバリアレスは喜びを隠すこともなく笑っている。
未熟というのは、士会の本心だった。今日こそ上手く奇襲が当たって勝てたものの、まだまだアルバストには及ばない。実戦の機会に欠くことのないこの地で、さらなる研鑽を積んでおきたいとも思う。
「未熟なのが分かっているのならいいさ。実を言うと、この国の先行きを考えたら、君には早めに都に戻っていてほしくもあるんだ」
この国の先行き、というとフィナのことだろう。
「フィナ……殿下とは、定期的に連絡を取ってますよ」
「知ってるよ。だけど直接会って話すのとはまた別だろう。大丈夫。ウィングロー殿を失望させない程度には、君はちゃんと成長している」
そう言われ、士会の気持ちは暖かいもので包まれたようになった。自分でも成長していた実感は持っていたものの、育ててくれた恩人に直接言われるのはやはり違う。
「俺は親父のところに戻るのは気が重いな……」
ウィングローの名を聞いてか、バリアレスは肩を落としてそう言った。
「別に悪い人ではないだろ? 何をそんなに気にしてるんだ」
「悪くはない……というかむしろ不正には厳しい側だけどな。とにかく堅苦しいんだよ。息が詰まるったらないぜ」
「僕も少ししか話したことはないけど、良くも悪くもお堅い人って印象だったね。性格がそんな感じなのに変幻自在の戦をするらしいから、人ってのはわからないねえ。少なくとも、僕のように気さくで声をかけやすいって雰囲気ではないな」
アルバストは面倒くさいという意味で話しかけづらいのだが、士会は口をつぐんでいた。
「堅いけど、少しユーモアもわかるって感じだったな、俺が会った時は」
「はあ? 親父が?」
「ちょっといいかい」
ウィングローの話で盛り上がっているところに、レゼルが部屋へ入ってきた。「汚れ確認!」とアルバストが指摘し、「やったやった」とレゼルが返す。もう何度もやり慣れた問答のようだ。
「士会にバリアレスか。なら聞かせても問題ないな。袖の情勢について急報が入った」
「ふむ。皇太子関連かい?」
「ああ」
皇太子がその座を脅かされるのではないかと疑心暗鬼になり、袖の上層部が混乱しているという話は以前に聞いていた。どうやらその話の続きらしい。
「皇子寧和に反逆の嫌疑がかけられ、捕縛のためと称して兵が向けられた」
「皇子寧和が反逆? 評判を聞く限りだと、そんな人物とは思えないねえ」
「多分、太子圏あたりの謀略の結果だろうな」
士会は早くも話に置いて行かれかけていた。
「皇子寧和、皇子寧和……確か、評判の良い人でしたっけ」
「民こそ国の礎と常々言って回り、実践してる皇子だね。治めている街の管区では、税を極力少なくして運営してるそうだ。本人の生活も、かなり質素にしてるらしい」
「だから、皇子の中では民衆からの指示を圧倒的に集めている。それが太子圏は気に食わないらしい。民衆の力を盾に、太子の座を狙っていると考えているんだろう」
ならば自分も民に優しく、とはならないあたり、太子圏の器の小ささが感じられた。
「話はこれで終わりじゃないんだ。兵が差し向けられたが、皇子寧和の屋敷はもぬけの殻だった」
「ほう、先手を打って逃げだしたのか。どこかから情報が漏れたんだろうね。人徳のなせる技かな?」
「それはわからない。しかし逃げ出したことこそ反乱を企てた証拠として、捕縛のため軍が動いている」
「ふむ……皇子寧和が逃げ切るには、国外への亡命が必要かな」
「それか、山中の潜伏か。彼女の人気を考えると、匿ってもらえる可能性もある」
そんな立派な人物なら、逃げ延びてほしいと思うのが人情だ。しかし軍が動いているとなると、そう容易く逃げおおせはできないだろう。
「ちなみに、どの程度の規模が動いてるんです?」
バリアレスの質問の答えは、衝撃的なものだった。
「それが……二万ほど」
「二万!?」
士会、バリアレスだけでなく、アルバストまで声を上げていた。二万といえば、国を挙げての大戦で出すような数の軍だ。
「地方軍を除いての数だからな。実際はもっと多いだろう」
「無茶苦茶だな。なんでそんなことになってるんだい」
「身内の反乱は許すべきではない、ということで皇子たちがこぞって兵を出してるからだな」
「それ……建前ですよね」
「だよなあ」
士会が聞くと、バリアレスも相槌を打った。
レゼルはそれに肩をすくめて答えた。
「ああ。実際のところは、次の皇への有力な競争相手をこの機に減らしておきたいのだろう」
「民を慈しむ皇子が命を落とすなら、次代の袖にとっては不幸だねえ」
「敵国の不幸は我が国の幸いだが……喜べはしないな」
二万の軍に加えて地方軍も動かしているとなると、総勢は三、四万に達するだろう。それだけの敵に狙われて逃げおおせることができるとは考えにくい。
士会たちもこの時点では、誰一人として皇子寧和の生存を予期してはいなかった。