表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第三部 鍛錬の日々
62/113

閑話 士会と女の味1

 ハクロ軍の調練は厳しい。野駆け、棒振り、武術の稽古、組織的な行動の訓練、再び野駆け。丸一日かけてこれらを行う。指揮官も例外ではない。兵とともに走り、調練用の棒を幾度も振り続け、武術師範に稽古をつけてもらい、再び長い距離を走り続ける。これを毎日繰り返している。出動がかかれば即座に準備し、盗賊の討伐や国境の小競り合いへと向かう。時折、模擬戦を行うこともある。士会がハクロに残ってすぐの頃は、ついていくのがやっとだったが、今はかなり余裕ができるようになった。元々、基礎的な身体能力はこちらの世界の人間よりもかなり上なのだから、当然とも言えよう。そのため、バリアレスとの立ち合いをやるなど、追加で自身の訓練を加えている。


 騎兵は騎兵で、歩兵と同じ構成の日もあれば、昼食も含め一日中戦鴕に乗り続けていることもある。戦鴕に乗っているのは楽そうに見えて、長く乗っていると意外に体力を使うし、不慣れな者は尻が痛くなる。


 こうした数々の調練を経て、ハクロの軍はその精強さを保っていた。交代制で休みはあるものの、ほぼ毎日このような内容を繰り返している。


 しかし、月に一度、例外の日があった。朝に軽く走った後、指揮官も兵も入り混じって食事をし、その後翌日の昼まで解散する、宴の日があるのだ。あまりに厳しい調練は体を壊しかねないのと、適度に気を休める時がなければ士気が落ちるというアルバストの判断だった。羽目を外しても構わない、ということで酒も振る舞われる。


「士会様ー! おかわり入れて参りました!」

「ありがと、シュシュ」


 今日は豚を丸焼きにして、塩と香草で味付けをしたものだ。とにかく大量に作るのだが、余ることはない。食べ盛りの年頃の兵も多く、あっさりと平らげてしまう。


 士会はシュシュに渡されて即、飯をかきこんだ。適度に肉の味が染みていて実に美味しい。その様子を、いつもの可愛らしい従者服に身を包んだシュシュが嬉しそうに見ている。彼女は既に、自分の分は食べてしまっていた。いつかの唐揚げの時も思ったが、やはりシュシュは見た目通りの小食らしい。


「士会殿の従者は、その方一人だけなのですか?」


 近くで飯を食っていた兵が話しかけてきた。始めは神の使者と話すなど畏れ多いとばかりに遠巻きにされていたが、一緒に調練で走ったり、指揮の訓練でとちったりしている内に慣れてくれたらしい。今では普通に会話するようになったし、士会も自分が指揮している兵かどうかくらいの区別はつくようになった。バリアレスは率いている兵の顔と名前を全部覚えているらしいが、それは単純に士会よりも長く兵を率いているのと、歩兵より騎兵の方がかなり人数が少ないからであって、決して士会の記憶力がバリアレスに劣っているわけではない、と思う。


 特に麾下の兵については、士会もそれぞれの人となりを詳しく知るようになっていた。一口に兵と言っても、元農家、猟師、漁民など、様々だ。それに目を向けることは、悪いことではないと士会は思っていた。


「ああ。というか従者って、そんなたくさん持つものなのか?」

「高貴な身分の方ですと、十や二十では収まらない数を持つと聞いたのですが」

「実際どうかは知らんが、俺はシュシュ一人で十分だな。基本、できることは自分でやる主義だし」


 お着替え手伝います、お背中お流しします、お口に食事を運ばせていただきます、などと日常生活のありとあらゆることに手を出そうとしてきた始めの頃のシュシュを思い出した。そうやって何でもかんでも従者にやらせていると、一人では手が足りないのかもしれない。


 今ではシュシュも、こうやっておかわりを持ってきてくれたり、筋肉をほぐしてくれたりと、自分でできることで士会が嫌がらない一線を見つけつつあるようだ。日常のちょっとしたことを手伝ってもらえるのは、士会としてもありがたい。


「従者と言っても、家によりその在り方は様々です。大勢の料理を料理人の指導の下、従者が仕込む場合もあるので、そういった大きな家では従者の数は大きく増えます。その場合、従者とは言わず、侍従と呼ぶことが多いですね」


 兵の質問には、シュシュが代わりに答えていた。彼女は昼間、軍の営舎で仕事をしていて兵に出す食事なども作っている。結果的には名家の従者と似た仕事をすることになっているのかもしれない。


 軍の食事と言えば、最近改善されて美味しくなった。元々腕利きの料理人だったピオレスタが我慢できなくなったらしく、ある時厨房に口を出しに行ったのだ。結果的に手順も楽になり味も良くなったと、シュシュがありがたがっていた。


 今日の食事も、味付けはピオレスタが行っている。


「そういえば士会殿は、今日これからどうされるのですか?」

「ハクロの街を回ろうと思ってる。せっかく来たのに、まだあまり街を歩けてないからな」


 きつい調練の中、たまにある休日。寝て過ごすしかないじゃないかと、早々に部屋に引っ込むことが多かった。しかし余裕が生まれてきた今、自らを育ててくれている街の姿を、一度じっくりと眺めてみるのもいいのではないかと思う。


 しかし兵たちはそうは取らなかったようだ。


「となると……夜はやっぱりこれ、ですか?」

「それとも昼間から?」


 小指だけ立てた仕草を見て士会が首を傾げていると、シュシュが恥ずかしそうに耳打ちしてくれた。


「その、女、です」


 どうやらこちらの世界と大差ない仕草らしい。


「いや。特にそういう予定はない。というかそういう店にいくつもりはないなあ」


 心に決めた相手もいるし、という言葉は気恥ずかしく、胸の内にしまっておいた。


「えええ! 街に出て女を抱かないなんてもったいないですよ!」

「ハクロは良い店も揃っていますし、ここにいる間に一度は経験しておいた方がよいかと思いますよ」


 ハクロ以外のところに行ったことあるのかと聞くと、旅人の評判がいいんですと兵は答えた。おいしい酒を出す酒場があり、そういった場所には旅人も集う。どこで抱いた女は良かったとか、そういう下世話な話もするらしい。


「士会殿、もしその気になられましたら、案内は我々にお任せください!」

「馬鹿、お前の手持ちで行けるようなところに士会殿をお連れするつもりか。もっと良い店に行っていただかないと」


 威勢よく言った兵を少し年上の兵がたしなめていた。それもそうっすね、と年少の兵がうなずく。


 街に繰り出してきますと言って離れた二人の背中に、士会はほどほどにしとけよーとだけ投げかけた。


                   ※


「相変わらず硬いなー士会は。もっと適当にやればいいのに」


 士会と兵との会話を聞いていたバリアレスは、頭の後ろで腕を組みながら言った。


「前も良い店紹介してやるぜって誘ったんだが、頑なに断られたんだよな」

「神の使者という彼の立場上、身の清廉さを保つ必要があるのかもしれませんね」


 一緒に話していたピオレスタが言った。隣の白約もうんうんとうなずいている。


「それならそう言うと思うんだがなあ。あいつの返事、どうにも煮え切らないんだよな」

「殿下との仲が噂されてますし、殿下に遠慮しているんじゃないですかね」

「ほう、神の末裔たる蓮月家の一人娘と、神の使者との間にそんな噂があるのですか」


 ピオレスタはまだハクロの軍に加わって日が浅く、士会に関する噂は知らなかったようだった。バリアレスにとって、落ち着いた物腰のピオレスタは少し苦手だったのだが、ついつい料理に口を出してしまうところなど見ていると、その感覚も薄れてきていた。


「その噂、ほぼ確定らしい」

「バリアレス殿、何かご存知なのですか」

「父上から聞いた話だがな。殿下からの信任も厚く、抱き着いたりと過剰なまでの触れ合いもあったと聞く。士会がフェロンにいた期間は短かったから、まだ男と女にはなっていないだろうけどな」


 ウィングロー軍で士会と亮に最低限の戦の技術を教え込んでいたため、よく覚えている。とにかく時間がないと連日体が動かなくなるまで訓練を積んでいたため、夜に運動する余裕はなかっただろう。


「ふむ……おそらく、士会殿は女性経験がありませんよね?」

「俺は聞いたことない」

「ない、と見ていいだろうな」


 ピオレスタの確認に、白約とバリアレスは肯定で返した。


「つまりこのまま事が進めば、士会殿の初体験は殿下ということになるわけですね?」

「そうなるな……ん、待てよそれはまずい」

「え、何か問題ありますか? 色んな女を味わわないまま結婚するのはもったいないなーとは、思いますけど」


 白約はまだわかっていないようだった。彼は軍の中で成り上がった口なので、歴史には疎いのだろう。バリアレスも詳しいわけではないが、父親の方針で無理やり勉強させられた。


「いいですか、白約殿。この国では久しく起きていませんが、他国ではお家騒動というものが度々起きています。皇位の継承をめぐって、兄弟姉妹が争うわけですね」

「でも、今の鷺は殿下ただ一人だろ? 争う相手がいないじゃんか」


 それはそれで、皇太子が病死したりするととんでもない政争が起きるため、健全な状態ではない。ただ、ありがたいことに今の皇太子フィリムレーナは健康そのものだ。


「今代はな。次代は違う。殿下がお産みなさった子たちの中から、皇太子が選ばれるわけだ」

「さて、全員親が同じならまだいいのですが、皇位継承権を持つ者の中に異なる親を持つ者がいると、話がややこしくなります」

「いや、でも、殿下って女性じゃないですか。一人としか結婚しないんじゃ」


 身分の高い男性なら多くの女性を囲っても問題ないのだが、女性は一人としか結婚できない、というのが常識だ。女性が複数人と結婚した場合、生まれた子の父親が誰なのかわかりづらいという欠点があるためである。親の不確かな子供というのは、その子の人格に関わらず、忌み嫌われることが多い。


「道義的にはそうなんだが、歴史的に見るとそうじゃないんだ」

「過去、女性の皇による不倫は複数例があります。そして例外なく、後に禍根を残しています」

「皇父になれば莫大な権力が手に入るからな。子の親がわかっていればまだいい方で、父親のわからない子が皇位を継いでしまい、皇父の座をめぐって熾烈な争いが繰り広げられたこともある」

「それが士会殿とどんな関係が……あ」


 どうやら白約も気づいたようだった。確認を取るようにおずおずと聞いてくる。


「士会殿の性技が下手だと……殿下を満足させられず、不倫の可能性が高まる?」

「ああ。将来の鷺の国を揺るがす大問題になりかねない」


 バリアレスの断言に、白約もピオレスタも黙り込んだ。


「由々しき問題ですね」

「なるほど、何とかしないと」


 正直なところバリアレスは、危機感を煽っておきながら大したこととは思っていなかった。白約も、ちょっと顔がにやけている辺り、まともには受け取っていないらしい。対照的なのはピオレスタで、真剣極まりない表情をしている。


 これは面白いことになるかもしれない。


「ここは一つ、俺たちで女の良さってやつを士会にわからせてやらないか?」

「女の良さ……ですか?」


 ピオレスタが、真顔を崩さないまま言った。


「ああ。そうすりゃ自然と妓楼に足も向かうだろう。善は急げだ、今日、ちゃっちゃとやってしまおうぜ」

「そういうことなら、僭越(せんえつ)ながら私から行きましょう」


 ピオレスタの行動は、驚くほどに速かった。そう言った次の瞬間には、士会の元へと歩き出していた。


                     ※


「士会殿。少しいいですか」


 片付けを手伝おうとして兵たちに断られていたところ、ピオレスタに話しかけられた。


「どうした?」


 振り返ってみると、なにやら真剣な表情をしている。何か差し迫った様子が伺えた。士会も改まって、聞く体勢を整えた。


 ピオレスタはすっと息を吸い、一気にまくしたてた。


「女体というのは良いものです。肌は男のように荒々しくはなく絹のような触り心地で、しかも柔らかい。胸や尻だけではありません。全身が丸く、柔らかくできているのです。それに彼女たちの長い髪からは、心をそそられる良い匂いがします。また、女性には女性の慈しみ方というものがございます。それは女性と交わらなければ身についていかないものです。士会殿、是非一度は、経験しておくべきだと具申します」

「………………」


 まず始めに、何を言い出したのかわからなかった。少し考えて理解したが、なぜ唐突にそんなことを言い出したのかわからなかった。


「まずは一度、妓楼へ行きましょう。初めてでも心配はいりません。私も付いて行って、心得た女を探します」

「……はあ」


 どうやら女を抱くことを勧めている――ようだが、士会の中の真面目なピオレスタ像とどうしても交わらない。


 そんな士会が出した答えは。


「大丈夫か? ピオレスタ。今日は暖かくしてゆっくり休め」


 今日のピオレスタはどこかがおかしい。今は季節の変わり目で、体調を崩しやすい。熱にでも浮かされているのかもしれない。そんなところだった。


                      ※


「なぜ心配されてしまったのでしょうか」


 危ない。吹き出すところだった。


 士会とピオレスタのやり取りを見ていた時点で既に笑いをこらえていたのだが、戻ってきたピオレスタの第一声でとどめを刺されかけた。


「いや、むしろあれで上手くいく方が驚きだろ」


 なんとか自身の中に残る笑いの衝動を抑えながら、バリアレスは答えた。右手で強く腹を握り続けていないと、すぐに決壊しそうだ。


「酒と女には頑なな士会殿が、今更説得でどうこうできるわけがないぜ、ピオレスタ」

「そうは言いますがね、白約。士会殿は道理の通ったことには物分かりの良い方です。理を持って接すれば、わかっていただけると思ったのですが……」

「通ってたとしても突然すぎて意味不明だろ」

「士会殿、目を白黒させてましたからねえ……」


 納得がいかないとまだしかめ面をしているピオレスタをよそに、バリアレスは白約に水を向けた。


「それで、白約。ボロクソ言ったからには、何か策があるんだろうな」

「任せてください。そもそもピオレスタのやり方は無理があるんですよ。女の良さなんて、見て触ってなんぼのもんじゃないですか。言葉で伝えるには限度があります」

「一理あるな」

「これから士会殿は街歩きに繰り出すと言ってましたよね? とりあえず俺は、仕込みに行ってきます」


 駆け出す白約の後姿を見ながら、バリアレスは何を見せてくれるのだろうと楽しみにしていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ