終章
「損害は歩兵が八十、騎鴕が十騎。敵の戦鴕を鹵獲しましたが、質が悪いですね」
淡々と、士会はアルバストに言った。後ろにはバリアレスも控えている。
「うんうん。そこまではわかるよ。さすが寡兵で戦い続けた反乱軍、少ない犠牲では済ましてくれなかったね。歩兵に大きな被害が出ているし、聞けば紙一重の戦だったんだって? 大げさになりすぎるから僕は出るに出られなかったんだけど、無理にでもお忍びで指揮を執ってもよかったかもしれない。ああでも、僕が出たら燦然と輝きすぎてみんな気づくか」
「そりゃあの白備えで行ったら、一発でバレると思いますよ」
士会とバリアレスは、ビュートライド遠征を終え、ハクロに帰還していた。風呂でしっかりと汚れを落とし、現在、アルバストの執務室で報告を行っている。
本当に際どい戦だった。騎鴕戦が上手く運んだから勝ったものの、歩兵の戦いはほぼ押し負けていた。
「で、それだけ損害を出しておいて、なんで増えて帰ってくるんだい?」
「事前に報告したじゃないですか。ただ討伐するだけじゃビュートライドを治めるのに問題が起きかねないから、帰順させました、と」
「帰順させる前の報告が欲しかったんだけど……まあ、状況が許さなかったということにしておこうか。戦場のことは、その場にいないとわからないし」
そういえば、反乱軍を帰順させる可能性があることくらいは、アルバストに知らせておいてもよかったかもしれない。自分もバリアレスも、そこまで頭が回っていなかった。
「それで、失った兵の補充も兼ねて、帰順させた者は俺らの隊に組み込んでいいですよね。指揮官も含めて」
バリアレスが少し食い気味に言った。彼は今回の戦でほとんど兵を失っていない。つまりそのまま事が運べば、騎鴕隊を大きく増強してさらにそれを指揮する指揮官も得られるのだ。
「まあ、構わないよ。ただし今度の徴兵での増強はなしだからね」
「ういっす」
新兵と違い、かなり訓練された兵が入ってくることになるのだ。バリアレスからしてみれば、痛くも痒くもないのだろう。
「全く。今度の徴兵の人数、調整し直しじゃないか。レゼルに文句を言われたら、全部君たちに愚痴るからね」
ハクロでの徴兵は、地区ごとに何人という風に枠をあてがい、実際に徴兵される者はその地区での合議で選ぶという形になっている。そのため、多くは百姓の家の三男四男であり、家に仕送りをしていることがほとんどだ。稼ぐために兵になりに来たという志願者が多いのである。結果として、適当な家に徴兵令を出して兵にしてしまう他の街よりも、士気も高い傾向にあるらしい。
結局、こちらの呼びかけに応じてくれた兵は三百ほどになった。これはピオレスタとベルゼルが、誠意を持って説得してくれたことが大きい。ただ、生き残った反乱軍の第三位、ペリアスは頑なに帰順には応じず、負傷した腕をかばいながら、残った兵を率いて西へ向かったそうだ。
ピオレスタは士会の下に付き、ベルゼルはバリアレスのもとで騎鴕隊の指揮をする。特にベルゼルはバリアレスとはかなり異なった戦術を用いる将なので、上手くいけば戦い方に幅ができるようになる。
フロウレンは、ちょうど士会がビュートライドを去る頃、取り巻きとともに処刑されていた。士会が鏡宵に命じて、彼らが行ってきた不正の数々の証拠を集めさせ、それをフェロンにいる亮に送ったのだ。亮は既にフェロンでフィナの相談役のような形に収まっている。この一件はフィナの逆鱗に触れ、誰も異議を唱えられず処刑が決まったようだ。
「それにしても、反乱軍をまとめて帰順とはねえ。よくぞまあ、実現したもんだ。一体どんな手を使ったのやら」
「単純な話です、アルバスト殿。俺たちは、この国を変えると、そう伝えました」
士会がそう言うと、アルバストは少しだけ驚いた表情を見せた。
「期待はしていたけど、こんなに早いとは思っていなかったよ」
「期待、ですか?」
アルバストにもこの話をすることは、バリアレスと事前に打ち合わせていた。どう話したものかやはり迷っていたが、ちょうどいい話題になったので、士会としては意を決して打ち明けたつもりだったのだ。しかし、アルバストにはどうも読まれていたらしい。
「僕もそうだけど、何よりウィングロー殿が、おそらくね。武官である僕たちは、武力を握っているとはいえ、国としての仕組みの上では政治に口は出せない。それをすれば、国の秩序を乱すという意味で今回の反乱軍と変わらない。だけど士会、君は違う。将来将軍になるとしても、同時に神の使者という側面も持っていて、殿下に極めて強い影響力を持つ特異点だ。しかも、君、今のところ賄賂を受け取ったりはしていないのだろう? 見返りに便宜を図ったこともあるまい」
「ええ、まあ。便宜なんて図る機会もないですし」
こちらの世界に来てすぐの頃、それが賄賂とも知らず受け取りかけたことを士会は思い出しながら答えた。止めてくれた亮には、改めて感謝しておかねばならない。
「それはどうかな? 君の権威は、言い方は悪いが利用価値があると思うよ。けれど、それでも君は、増長することもなくこの国の闇に染まっていない。だからこそ、期待しているのさ。君や亮殿が、殿下を良き方向に導いてくれることをね」
この国に殿下と呼ばれる人物はフィナ一人しかいない。その父である皇は病に倒れて久しく、先は長くないと言われているそうだ。実際、今も形式上はフィナが政務を取り仕切っている。その実態はほぼ丸投げで言いなりと言っても良い状態だが、それを憂慮している人物はやはり鷺の中にもいるのだ。
「導く……」
士会とて、今のフィナの状況が良いとは全く思っていない。ただ、あれでフィナは頑固なところもあるのだ。フィナが自分の意志で政務を行うようになるのは、そう簡単ではないように思う。しかし、確かに、この国を変えるためには、まずフィナの意識を変えることから始めるべきかもしれない。
それは元々、士会と亮がこの世界を去る前にやっておこうと考えていたことでもある。亮がフロウレンの処分にフィナを関わらせたのも、亮本人に実権がないからフィナを通したというだけではなく、この国の闇をフィナに認識させたかったのだろう。ただ、その結果、数十人が一気に処断されるという苛烈な事態になっていた。
「僕自身、君にその役目を果たしてもらおうと望んでいたんだけどね。どう伝えたものか、迷っていたところだったんだよ。いやはや、自力でたどり着いてくれて、本当に助かる」
「たどり着くというか、俺は元からそのつもりでしたよ」
もっとも、国の腐敗がこれほど酷いとは思っていなかった。フィナの意識を少しずつ変えていって、この国の在り方にも変革をもたらし、さらに帰る方法も探し出す。
いつになったら帰ることができるようになるかわかったもんじゃないなと、士会は思った。
「危険な話題だからね。言われなければわからないさ。それで、ピオレスタにベルゼルといったかな。また今度、彼らも連れて来てくれ。一緒に酒でも飲みながら、この国の行く末についてゆっくりと語り合ってみたい。何、その時くらいは、僕のおごりさ」
「いいですね。ただ俺は、いつも通りのんびりお冷でも飲んでますからね」
固いこと言うなよ、とバリアレスに後ろから叩かれ、士会は顔をしかめた。