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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第三部 鍛錬の日々
60/113

器量

 目を覚ました時、ピオレスタは顔の側面に草の感触を覚えた。周囲を見回すと、不安そうな表情の兵が、後ろ手に縛られ、思い思いの場所に座り込んでいる。皆、顔見知りの者ばかりだ。確かめてみると、自分の手も縛られていた。


 記憶を手繰る。


 ああ、そうだ。負けたのだ。


 あと一歩。そう言えるところまで、追い詰めた。しかし、最後のわずかな距離が遠く、届かなかった。


「ピオレスタ殿。目を覚まされたのですね」

「ベルゼル。無事でしたか」


 すぐ側に、ベルゼルが寝転がっていた。後ろで組んだ手が邪魔なのか、横向きに寝ている。


「あと一押し。それで崩れる。そう思った時には必ず前に出て、自身も剣を振りながら味方に活を与え、踏みとどまらせていました。何度も。何度も。粘り強いことこの上ありませんでした」

「俺が相対した騎鴕隊は、やはり激烈な速さと鋭さでした。ペリアスはしばしば崩されかけていましたし、歩兵と組んだ我々の布陣が崩壊するのも時間の問題だったのでしょうな」

「神の使者という話が事実なら、遣わしたのは間違いなく軍神でしょう。押し切れなかったのは、私が彼を討ち取れなかったからです」

「何も言いますまい。全ては、終わったことです」


 終わった。ベルゼルが放ったその言葉は、ピオレスタの心に複雑な波紋を打ち立てた。


「そうですね。負けて、これは……捕虜、ということですか」

「その通りですが、扱いは妙にいいですよ。あちらの兵と同じものを、わざわざ食べさせてくれています」

「確かに妙ですね。我々のやったことを考えると、餓死する者が出るくらい放置されてもおかしくはないでしょうに」


 その後、ベルゼルからピオレスタが気絶した後の話を聞いた。


 指揮官を失った歩兵は、ピオレスタの次にと指名されていた指揮官へと速やかに指揮権を委譲したものの、士会軍の反攻と内に入り込んだ敵の騎鴕隊に抗しきれず、結局壊滅した。最後はベルゼルの騎鴕隊もろともに包囲されたところで、投降を呼びかけられ、応じて今に至る。


 リロウは戦死したが、ペリアスはなんとかあの場を脱出できたようだ。


 ピオレスタは、静かにリロウの死を悼んだ。


「素直に投降したのですか。大きな賭けですね」


 ピオレスタたちは一応賊徒と名乗っていたものの、実質は反乱で、敵もそのくらいは把握しているだろう。投降したからと言って、命の保証をしてもらえるとは限らない。見せしめに殺されることも十分あり得るのだ。


「最後の一人になるまで抵抗するか、迷いました。しかし、それではしょせん自己満足に過ぎません。負けが決まっていた以上、一兵でも多く生き残らせるのが俺の役割だと思ったのです。それに、投降を呼びかけてきた士会という敵の指揮官、彼の言葉が印象的でした」

「ほう、なんと?」

「このまま捕らわれてくれ、頼む。話がしたい、とのことです」

「話、ですか……賊徒を装っていた我々の手法に、興味でもあるのでしょうか」

「そこまでは、まだ。ただ、真摯なものを感じました。だからこそ、呼びかけに応じたのです」

「真摯……」


 ピオレスタは何度も至近距離で見た士会の顔を思い出した。最初は、純粋で、まっすぐな目だった。目標に向かって突き進む目だ。最後には、その意志だけが射抜くような眼光とともに先行し、それに引きずられる形で戦っているようにも見えた。


 後ろから足音が聞こえてきた。体ごと振り返って見てみると、戦場で幾度も干戈を交えた武人が、静かに歩み寄ってきていた。


「士会殿」

「ピオレスタ殿。まずは、腹ごしらえでも。食べさせる形になって申し訳ないが」


 現れたのは三人を連れ立ってきた士会だった。一人は歩兵の指揮官だったため、顔は覚えている。


「バリアレス殿、かな」

「ああ、ベルゼル殿。こっちはうちで隊長をやってるブラムストリアだ」


 士会と並び立っているのがバリアレスらしい。士会と同様、背が高い。少し粗野な印象を覚える人物だ。


「白約。頼む」


 士会が名を呼ぶと、歩兵の指揮官と思しき人物が手に持っていた飯を食べさせてくれた。干し飯を戻した粥と梅干しという質素なものだが、空きっ腹にはありがたい。質素といっても、戦場では常用されている食事だ。素直に食べさせてもらうことにした。


 白約がかがんだ姿勢で、匙で一すくいずつピオレスタの口に粥を運ぶ。沈黙に耐え切れず、ピオレスタは先手を打って尋ねた。


「それで、士会殿。話がしたい、とは」

「……どう聞くべきか、迷っていたけど。ピオレスタ殿は、なぜ反乱を起こしたんだ?」

「決まっています。腐りきったこの国を、一度打ち壊し、新たな国を作るためです」


 一応は賊徒で通していたのだが、士会は明確に反乱という語を使った。もっともピオレスタも、今更ごまかすつもりはない。


 わかりきったことを聞きたかったのか。ピオレスタは内心訝しんだ。しかしベルゼルが言っていたように、その瞳には誠実な光が宿っている。


「腐り切っているとは、具体的にはどんなところが」

「そんなことは、あなた方のほうがよくご存じでしょう。ことあるごとに賄賂を要求し、断れば罪を擦り付ける。官職を利用して私腹を肥やす。自身の悪事が露見しかければ、下の者に責任を押し付けて首を斬らせる。国の根幹を成す役人が腐敗しきっています」

「確かにそれは否定できない……。けど、そうでない者もいるはずだ。現にハクロでは、そういった汚職を厳しく取り締まっている」


 だからこそ、彼らのような精強な軍を養うこともできているのだろう。兵の質も指揮官の質も、ビュートライドとは雲泥の差だった。


「少なすぎるんですよ、そういう者が。いや、そういう場所がと言うべきかもしれませんが。罪人として故郷を追われた者、伴侶を奪われ生活も立ち行かなくなった者、家も土地も財産すべてを根こそぎ奪われた者、そういった者たちを幾度となく見てきました。あまりの重税に餓死者を幾人も出した街もあります。今の国を倒さない限り、彼らの無念は晴らせませんし、次に続く者たちを引き留めることもできないでしょう。どうやら私はここまでのようですが、同じことを考えているのは私だけではありません。柱の腐った家が潰れるように、じきにこの国は倒れます。その時をこの目で見られないのが、残念です」


 反乱軍の首魁を生かしておく理由はない。牢に入れられるまでもなく、処刑だろう。民の支持は得ていたから、見せしめで晒し者になることはないかもしれないが、死は免れまい。あとはなんとか、他の者たちの助命だけでも願えないだろうか。


 そう頼もうと思っていた矢先、士会から意外な言葉を聞かされた。


「待ってくれ。俺たちはあんたらを殺したいわけじゃないんだ」

「反乱軍の首魁を殺さず牢に入れると? 忠告しておきますが、ペリアスは必ず救出に来ますよ」

「違うんだ。話を聞いてくれ。俺も、ここにいるバリアレスも、今のこの国のままでいいなんて思っちゃいない。変革が必要だ」

「変革……」


 自分の思っていた方向性と話が違うことに、ピオレスタは今更ながら気づいた。


「それは、内から変えるということですか?」

「ああ。先ほど腐っていると言ったが、俺は芯まで朽ちているとは思っていない。強引な方法になるかもしれないし、どれくらいかかるかもわからないが、まだ間に合うと思う」

「夢物語ですね。あなた方も会ったのではありませんか? ビュートライドの街宰に」


 ピオレスタは一方的に断じた。今のこの国では、汚職が汚職を生む構図が出来ている。一つ潰せば終わりというような単純なものではない。


 士会はビュートライドの街宰と聞いて、にやりとした笑みを浮かべて言った。


「フロウレンか。確かに酷かったな。けど、あいつは失脚するぞ」


 寝耳に水だった。フロウレンは悪い噂こそたっていたものの、上手く立ち回ってあの地位まで上り詰めたのだ。早々容易く失脚する玉ではない。


「手の者に調べさせたら、色々と悪事が出てきたからな。都の方に働きかけたんだ。近々、沙汰が下るはずだ」

「それを賄賂で止めるのが、今の鷺という国ですよ」

「止めようのない奴が中央で、上手に足場を築き上げててな。あいつのことだ、上手くやるはずだ」


 ピオレスタは黙った。どうやら、信頼できる仲間が都にいるようだ。


「俺は神の使者なんて肩書きにこだわるつもりはないけど、こうして中央に影響力を持ってる。バリアレスも汚職とは無縁のウィングロー軍の一員だ。力を合わせれば、この国を良い方向に導いていけると思う。だけどまだ、その力が足りない」


 そこで士会は一度言葉を切り、こちらを見つめてきた。信念を灯す、強い光が目の中に宿っている。


「ピオレスタ殿。俺たちとともに来てくれないか」

「それは……帰順せよ、ということですか」

「ああ。俺たちは、やり方は違えど向いている方向は同じだ。争って摩耗する必要はない。もちろん、ベルゼル殿も頼む。それに、率いていた兵たちも望むものは引き受けるし、望まない者は放免する」

「俺からも頼む。この国を変えるのに、力を貸してくれ」


 ずっと後ろで控えていたバリアレスも一歩前に出て、士会に続いた。


 破格の申し出だった。あまりにも都合が良すぎて疑いたくなるほどだ。しかし、こちらを見据える士会の目はひたすらに真っ直ぐだ。騙そうというような卑劣なものは感じない。


 言っていることは若く、青臭いところもあるが、それでも賭けてみたくなるものをピオレスタは士会から感じ取っていた。


「ピオレスタ殿。俺はこの話、乗ってもいいと思いましたよ」


 ベルゼルも後押ししてくる。しかし、ピオレスタの葛藤は深かった。これまでついてきた兵たちは、皆いずれ鷺を倒すのだという志を抱いている。そういう夢を、自分が見せてきた。その自分が真っ先に帰順するというのは、彼らに対する裏切りになりはしないか。


 士会の器量を少し試したい。ピオレスタはまだ慎重だった。


「ちなみに、断ればどうなるのです?」


 普通に考えれば反乱の首魁は死罪だろう。しかしそう答えてしまうと、ピオレスタにとって死か帰順かの二択を迫っていることになる。死ぬ覚悟はできているが、どういう答えを持っているかは聞いておきたい。


「兵から指揮官に至るまで、全員牢獄で労役についてもらう。ただし、ハクロのな。そうすりゃ、説得する時間も十分もらえるし」

「あくまで殺す気はないと?」

「人気者を処刑すると民衆から反発を買うしな。それにさっきも言ったが、俺たちは向いている方向が同じだと思ってる。殺す意味もない。それだけじゃ、ないけどな」

「残党狩りの手間が省ける、ということですね」


 ピオレスタがそう聞くと士会はこくりとうなずいた。


 生かして捕らえておけば、残党たちが救出に動く可能性がある。ピオレスタ自身が先にそうなると言及した。しかし収監されるのは、警備が手薄なビュートライドではなくハクロだ。集まってきた残党を一網打尽にすることも可能だろう。


 ピオレスタはしばし黙考し、その後重々しく口を開いた。


「一つだけ、条件が。今ここにいる私の部下たち、それから離脱した私の部下の残りを、説得する機会をいただきたいです」

「ピオレスタ殿、それは」


 厳しすぎる条件だと、ベルゼルは止めようとしたのかもしれない。要するに、縄を解いて自らが率いていた軍の元へ戻せと言っているのだ。捕らえた敵の指揮官を、ただで放流することになりかねない。


「つまり、受けてくれるんだな?」

「ええ。条件さえ飲んでいただければ」

「決まりだな」


 士会は剣を抜き、ピオレスタとベルゼルの縄を解いた。逡巡することすらしなかった。


「まずは、捕虜になっている兵たちから頼む。俺から言うより、収まりがいいだろうし」


 次の瞬間には、捕らえられている他の兵の縄も解くように指示を出している。


 完敗したような思いだった。考えていた以上に、士会の懐は深いようだ。


 これからの上官となる若い武者を見ながら、ピオレスタは清々しい気持ちを感じていた。


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