仕儀山の叛徒
砦の中に入って、ようやく息を休めることができた。
部下が自分に気づき、何人も駆け寄ってくる。
「防御を固めてください。それから外に偵察を。万が一、奴らが全速力で追ってきたとき、門を閉めるだけの時を稼げなければなりません」
まだ敗兵の回収が終わっていないので、門を閉じてこもることはし難い。それをすれば、追撃を逃れてきた兵を締め出し、見殺しにすることになりかねないからだ。
もっともその場合、この砦や周辺の地形をそのまま味方に戦うことができる。初撃で奇襲を受け門の内側に入られない限り、撃退は十分可能だろう。向こうも、分の悪い賭けはしてこないはずだ。
ピオレスタの全身は汗にまみれ、絶え間なく大きな息をついていた。兜を脱ぐと、紅の髪がばさりと広がった。具足も装束も泥を被っており、無残な姿だ。整った面持ちは、歯をきつく食いしばっているために歪んでいる。それでも、不思議と風雅な趣を感じさせた。
「頭領。お怪我は」
「ないですね。とりあえず、堂に戻るとしましょうか」
兵の一人に声をかけられ、ピオレスタは息を整えながらうなずいた。
浅傷はいくつかあったものの、どれも治療の必要なものではない。そもそも、刃傷ですらなく、林の中を命からがら逃げている時、転んだりいばらに引っかかったりしてついたものだ。
この砦は、叛徒として旗を揚げるに当たり、仲間たちと一から造り上げたものだった。こっそりと建てても官からも民からも見つかりづらく、なおかつ守りやすい地形を探した。そこに少しずつ武器や兵糧、建材を運び込み、実に計画から五年の歳月を経て完成させた。深く切り込んだ谷の奥、斜面の中腹に位置しており、谷底以外からは容易く近づけない。このまま登っていくと仕儀山という山に着くので、人からは仕儀山の賊徒と呼ばれるようになった。
堂は最初に砦を造った時、会議を行ったり隊長たちが起居するために建てたものだ。頭領であるピオレスタの部屋もそこにあるが、他の隊長たちとほとんど変わらない造り具合であり、実に質素なものだった。
堂の自室に戻ったあと、兵が干し飯を水で戻したものを持ってきた。ありがとう、と言ってから口にほおばる。味気なさが口の中に広がる。大敗を喫してからも人心が離れていないことに、内心ほっとしていた。
結局、砦そのものへの攻撃はなかった。谷の入口まで来たことは、谷の脇の尾根の監視台からの連絡でわかっている。その時は砦の中に緊張が走ったものの、周辺に兵を放ち、調査して帰っていっただけだった。どうやら、地形や罠の存在を調べられたらしい。
やはり、そのまま勢いに任せて突っ込んでくるような愚か者ではなかった。隣街のアルバストは名将と名高いが、さすがにその部下だけのことはある。
夜になり、砦の門を閉じた後、ピオレスタは主だった者を集め、会議を開いた。会議所は木張りの床の上に、背の低い机が輪になるよう並んでいる。
「まずは一言。すみません。奴らとまともにぶつかり合うというのは、私の失策でした」
ピオレスタは頭を下げた。
「確かに、単純に我々の実力が足りていなかったな。判断が甘かっただろう。敵接近の報を受けて、頭領の命令すべきことは撤退だった」
副頭領のベルゼルが、すかさず口を開いた。厳しい言葉をピオレスタは目を閉じて聞き入る。
連戦連勝という噂と、民を襲わず官の倉を狙い、むしろ民には還元しているという評判が広まり始めたらしく、新たに入山を希望する者が急増していた。このまま行くと、今の砦だけでは受け入れきれないくらいだ。増加した兵力も調練を積まない限り、軍として扱うのは難しい。そこで、元からいた者たちとともに訓練していたところ、ビュートライドの街に援軍が到着し、間もなく出撃したという知らせが入ったのだった。
即座にピオレスタは、新兵を全て隊長の一人に任せ伏兵とし、残りで陣を組んでハクロ軍を待った。弱兵のビュートライド軍だけでなく、実力が隣街にも聞こえているハクロ軍を同数で打ち破ることで、兵に自信をつけさせたかったのだ。ビュートライド軍との戦いは罠に嵌めて勝つことが多く、兵たちが野戦における自信を持てていないように感じていた。
ベルゼルの言はなおも続く。
「だが、それは我らも同じことではなかったか? 数倍の敵を追い返すまで力を蓄えた今なら勝てると、誰もが思ったはずだ。甘かったのは、頭領だけではない。むしろ、あの場で全軍で逃げ帰るなどと言っていれば、後に禍根を残すような不満や反感が巻き起こっていただろう」
そこで言葉を切ったベルゼルは、居並ぶ隊長たちの顔を見回した。ピオレスタも目で確認したが、どうやら異存はないようだ。
「この敗戦は、起こるべくして起こったことだ。戦場に散った者たちを忘れず、次に生かすことが、最も必要なはず。違うか? 諸君」
同意する声が周囲から上がった。ピオレスタは一息ついた。非難の一つや二つ、直接ぶつけられても仕方のない状態だったが、あったとしても胸の内に収めてくれているようだ。ベルゼルに目をやると、一つこくりとうなずいた。彼が前もって不満の受け皿になってくれていたのかもしれない。
ベルゼルは面倒見の良い兄のような人物で、兵からもとても慕われている。この砦の精神的な支柱と言っていいかもしれない。
「よし。なら、とりあえずはハクロ軍の対処から考えましょう」
その場にいた隊長たちそれぞれに感じたことを言わせていき、次に戦う時の方針を決めていった。今回は大敗だったとはいえ、壊滅するような痛手は受けなかった。ならば、旗揚げ以来の大敗北を最大限生かすべきだ。
兵が驕り始める前に一度負けられてよかったかもしれないとすら、ピオレスタは思っていた。それに、今回負けはしたが、現実的な範囲での負けだった。超常的な神威といったものは感じないし、それは兵卒に至るまで同じだったようだ。兵たちには、神の使者を敵に回すことに一定の躊躇があったものの、紛い物であると納得させられそうだ。
会議を終え、ピオレスタは砦の各所を回りに行った。門の番に立っている者に声をかける。武術の訓練に精を出す一団を見守る。その次に厨房へと足を向けた。そっとのぞくと、まさに夕食の調理中だった。
しかし、ピオレスタの目から見るとどうにも手際が悪かった。もっと手間を省いた上で、美味しく作れるはずだ。我慢しきれなくなって、口を出してしまう。
兵たちに挨拶されたが、取り合わずピオレスタは指示を出した。こちらとこちらは順序が違う。これは煮すぎるな。こちらは二ついっぺんに焼いたほうが美味しい。
味見をした兵が歓喜の声を上げた。続いて、口々にうまい、という声が漏れる。書き留めるために一人が竹片を取りに行くのを見届け、ピオレスタはそっとその場を去った。
ピオレスタは元々、三十人ほどをまとめて用心棒で生計を立てていた。商人の運ぶ荷や、盗賊の蔓延る土地を行く旅人の護衛など、仕事は多かった。そういった客からは様々な土地の話を聞くことができる。それゆえ、ピオレスタは情報通でもあった。どこで戦があったとか、どこに新たに盗賊が出たとかそういう情報は、いい商品になる。簡単な情報屋という側面も持っていた。役人の不正や横領、あまりにも不公平な裁定など、いろいろな噂も聞いたものだ。
ピオレスタの配下には、元々流れ者が多かった。そのままだと行き倒れるか、山賊になるかという瀬戸際で、ピオレスタが拾い上げたのだ。さらに元をたどれば、粗雑な治水の結果洪水で農地を失い途方に暮れていた農民だった者、上司の不正が露見した時に罪を被せられ逃げていた元地方官吏など、ほとんどが国や街の失策によって生まれた地を離れていた。ピオレスタ自身、最初は料理人として地方の街の行政府に出入りしていたものの、腕を妬んだ別の料理人に讒言され、危うく腕を斬り落とされるところでなんとか逃げ出したのだ。
集まった者たちの経緯からして、この集団が国家に対して反抗的な思想を持つのに時間はかからなかった。その後は年月をかけて同志を集め、この砦や物資を用意し、今に至る。ただ、大手を振って反乱の旗を掲げると必要以上に国を刺激するので、ひとまずは賊徒ということにしている。名前だけだが、民の安寧を揺るがす賊徒と国を覆そうとする反乱軍とでは、官の反応はかなり違ってくるのだ。そのこと自体、憤りたくなるが、今は最大限利用していた。
とはいえ、さすがに噂が広まるとともに、そのごまかしも効かなくなってきた。何度もこちらの数倍の討伐軍を送り込んできたし、数で押せないと見るや、今回は精兵を当ててきている。
「ベルゼル。こんなところにいたのですか」
谷の入口を見下ろす見張り台で、ピオレスタはベルゼルの姿を見つけた。
「ピオレスタ殿。いくらか護衛を付けるようにと言っているのに」
「暗殺を警戒しなければいけないほど、大きくなれればよいのですがね」
言っても仕方がない、と諦めたらしく、ベルゼルはやや芝居がかったため息をついた。
「まあ、いいです。それで、何か御用でしたか」
「いいや。見張り台の様子を見に来ただけですよ」
「ピオレスタ殿もですか。間髪を入れず夜襲、なんてこともなくはないですからね。気を抜かないよう、釘を刺しておかないと」
「程々にしてあげてください。兵たちも、そこまで能天気ではないでしょう。それにいきなり夜襲というのも、考えづらいですしね」
「どうだかな……それこそ能天気すぎると思いますがね。締めるとこ締めとかないと、空中分解しかねませんよ」
「その辺りは、副頭領の仕事ということで任せておきましょう」
ピオレスタがそう言うと、ベルゼルはわかっていますよ、とうなずいた。互いに言葉を交わすまでもなく、そういった役割分担は自然と行われていた。ベルゼルは用心棒時代からピオレスタの補佐をしており、こちらの意図をよく汲んで動いてくれる。
ピオレスタの手元の灯火が、風に吹かれて揺れた。
「それで、ピオレスタ殿。会議じゃああ言っていましたが……正直、勝てますか」
ベルゼルが不意に口にしたのは、もちろんハクロ軍のことだ。色々足りない部分が露呈したが、中でも騎鴕隊の戦力差が激しく、機動力で大きく水を開けられている。次に野戦でぶつかるとしたらその対策は必須だが、結局会議では正面突破は難しいので、状況を見て搦手、つまり罠にかけるなどして対処するという方向でまとまった。
「……あまり、自信はありませんね」
兵の前でこんな弱気は決して見せられないが、目の前にいるのはずっと支えてくれた副頭領だ。自分の本音を吐露してもいい数少ない相手だった。
「実際に手合わせして思いましたが、実に鼻がいい。野戦の最中でも埋伏を受けるような位置取りは避けていましたし、負けを装って下がるような余裕もこちらに与えませんでした。偵騎がこちらの裏側まで放たれた様子はなかったのですが、それでも察知したのでしょう。あれを罠にかけるのは、簡単ではありません。ただ」
「ただ?」
「彼らの管轄はあくまでハクロです。いつまでもここにいるわけではありません。おそらく数ヶ月も耐えれば、ここを去るでしょう。リロウも同じ意見でした」
「つまりここに篭っていれば、やることがなくて帰っていくってことですか」
「ええ。消極的ですが、確実ではあります。とはいえ、全く何もしないわけがないので、ここを攻めてくるでしょうが」
「罠だらけで地形も知り尽くしたここでなら、いくらでも手の取りようがあるってことですか。なるほど、わかりました」
ベルゼルが手を打って喜んだ。初めての完敗に、内心は彼もかなり動揺していたのだろう。
「さすがに、反撃できる余裕があるかはわかりませんけどね。まあ、野戦を避けられるだけでも上々でしょう。もっとも、その間も小さな武器庫などを襲うつもりではありますが」
「それは危険じゃないですか? 待ち伏せされていると、兵を無駄にしかねないですぜ」
「危険は承知ですが、ここで襲撃を止めるのもまずいです。一回の負けが致命的であったと、噂が流れかねません。せっかく良い評判が風に乗り始めたのですから、ここは細々とでも活動するべきでしょう。前から作らせていた間道を使い、少人数で遠くの小さな倉を狙うつもりです。指揮は、ペリアス辺りに任せようかな、と」
今は入山希望者が相次いでいる大事な時期だ。もちろんあまりに増えすぎるのもまずいが、軌道に乗りかけたところで勢いを殺されるのはもっとまずい。規模を大きくし、拠点をいくつも作って、ビュートライドの街を占領するくらい成長するには、まだまだ兵力が足りていなかった。
「そういえば、アルディアの方はどうなったんでしょうね」
ベルゼルが口に出したのは、以前訪ねてきた反乱軍の首魁のことだった。
「続報は入って来ないですね。まあ、慎重な方でしたし、水面下で根を回しているのでしょう」
アルディアは鷺の西方にある街で、その近くで反乱の勢力を少しずつ集めているとのことだった。情報網もある程度持っているらしく、距離のあるこの賊徒のことも性質をしっかり把握した上で接触してきていた。要件は、反乱まで上手く漕ぎ着けた暁には、連合して鷺を倒そうという提案だった。
悩んだが了承したのは、結局その人柄を見てのことだった。しっかりと地盤を固める慎重さもあれば、遠方まで足を伸ばして直接会いに来る大胆さもある。人の上に立つ魅力も持ち合わせており、信ずるに足ると思わせるものがあった。
一晩酒を酌み交わして語り合い、翌朝颯爽と帰っていった背中が印象的だった。
「あちらこちらで煙が上がり始めていますね」
「盛大に燃え上がる日も、近いかもしれませんな」
まだ見張り台を監督するつもりのベルゼルに早く寝るように言い、ピオレスタは静かに砦への夜道を戻った。