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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第三部 鍛錬の日々
51/113

亮の便り

 出陣となると、にわかに慌ただしくなる。話を聞いてから二日後に出発となったので、士会は急ぎ準備を整えた。とはいえ、有事の際には即座に出撃できてこその軍である。平時からある程度の用意はしているので、混乱するようなことはない。夜にはかなりの余裕を持って、士会は兵舎に戻った。後ろからシュシュもついてきている。



 扉を開けると、士会の部屋の中に、不審人物が一人立っていた。



 疲れて休みかけていた脳が瞬時に回転を速める。後ろに飛びすさり、士会は両の腰の剣に手をかけた。


「士会様!?」

「誰だ」


 驚きの声を上げるシュシュに構わず、士会は不審者に問いかけた。全身、少したるんだねずみ色の装束に身を包んでおり、体の輪郭はわかりづらい。


「ったく、使者様の部屋ってのも大したことねえなあ。いや、だから俺に話が回ってきたのか」


 何やら独り言をぶつぶつと言っている。思いのほか高い声。第一印象が怪しすぎたが、女だったのか。覆面で顔つきが見えず、歳の頃はわからない。


「答えないのなら――」

「一丁やるか? そういうのは嫌いじゃねえが、こんなところだと俺に分があるぜ」


 不審者が両袖から一瞬で取り出したのは、短剣だった。士会の持つ、晴嵐剣よりもずっと刃が短い。この狭い屋内だと、取り回しの効きやすいあちらの武器の方が有利だろう。


「目的はなんだ」

「そうだな、値踏みってとこか?」


 なおも警戒を解かないでいると、不審者はそう言って不意に斬りかかってきた。


「シュシュ、下がってろ!」


 叫びながら、右の剣を抜きざまに攻撃を受ける。武器を持たないシュシュの方に行かないよう弾くと、不審者は部屋の中に戻る形になった。


「士会様!」

「人を呼んでこい! それくらいは持つ!」

「おおっと、それはまずいな」


 不審者は口をすぼめ、何かひゅるひゅるとした音を出した。一瞬気が他へと向いた隙を逃さず、士会は踏み込んで剣を槍のように突き出す。下がりながらかわされたため、士会も部屋の中に足を入れた。


「きゃあっ」

「シュシュ!」


 後ろから悲鳴が上がる。一人ではなかったのか。


「うろたえるなよ、何もしねえって。邪魔が入らねえならな」


 多少なりとも広さのある部屋の中に入ってしまいたかったが、シュシュが心配で士会は数歩下がった。横目で確認すると、シュシュはもう一人の不審者に押さえつけられ、口を塞がれている。必死で抵抗しているが、小柄な彼女の体では虚しく終わりそうだ。


 人質などと言われる前に、速攻で終わらせるしかない。


 向き合った敵が短剣を突き出してくる。かわして士会は、構えた剣の柄で相手を殴りつけた。相手の腕に防がれる。硬い手応え、何か服の中に仕込んでいるのかもしれない。二人分の間が出来たところで、士会は左手の嵐天剣を相手に向かって投げつけた。


「うおっ」


 敵はそれを弾いたが、意表を突かれたのか部屋の中へ後退した。すかさず距離を詰め、士会は右の晴天剣を両手で構えた。


 士会がいるのはちょうど部屋の入口で、狭くなっていて剣は振れない。それがわかっているからか、敵はあざ笑うように口元を曲げた。


 ――かかった。


 そのまま士会は思い切り、剣で斬り上げた。剣の行先にある木の壁を断ち斬り、速度を殺さずそのまま敵を捉える。さすがの名剣、毛ほどの抵抗も感じない。


「何!?」


 かろうじて短剣で防いできたが、体勢もできていない状態で受けきれる剣撃ではない。短剣を両方弾き飛ばし、本人も壁に叩きつけた。低い呻きが敵の口から漏れる。


 とはいえ、敵は半ば自分で後ろに飛んでいた。少しでも踏み止まろうとしていれば、斜めに両断していただろう。シュシュが敵の手に落ちている以上、士会も手を緩める気はなかった。


「うおっ。おい、ちょっと待て」


 不審者の首に剣を当て、動きを封じる。ごちゃごちゃと言おうとしたのはひとまず無視した。同時に手を伸ばし、床に転がっていた嵐天剣を拾っておく。


「おい、聞こえてるだろ! 人質交換だ!」


 そう叫ぶと、背後から気配が現れた。口を塞がれたままのシュシュが、もう一人の不審者に連れてこられたのだ。


 剣で押さえ込んでいる敵は、まだ目を鋭く光らせている。油断ができず、士会は振り向けない。


「失礼しました。一つ、話を聞いていただけないでしょうか」

「この状態でか?」


 やけに丁寧な声に向かって、士会は問いかけた。注意は七割がた目の前に向けており、話しづらいことこの上ない。


 声からすると、こちらは男のようだ。女性的な音の高さはない。


「これは、失礼しました。話の後まで外の者を呼ばないでいただけるなら、こちらの従者はお返しいたします」

「俺は剣を外すつもりはないが」

「それで、構いません」


 話さえ聞けばシュシュは解放し、こちらは剣を突きつけている不審者をそのまま手中に収める。一方的にこちらに有利な条件だ。


「いいだろう。聞こう」

「ありがとうございます」


 意外なくらいすんなりと、シュシュは自由の身となった。放たれた瞬間に士会に走り寄り、その背中にぴたりと張り付く。


「士会様。すみません……」

「いや。仕方ない」


 今度こそ主を守ろうということか、シュシュは背中合わせの体勢を維持した。下がっていてほしいが、今の士会は目となる者を必要としている。やむなく、何も言わなかった。


 直後、木の床に重いものが落ちる音が響いた。


「シュシュ?」

「剣を……捨てた? 捨てました」

「ええ。円滑に話を進めるには不要ですので」

「拾いますね」


 どうやら、隠し持っていた剣を出し、床に放り投げたらしい。後ろに目を向けられない士会に代わり、シュシュが状況を教えた。背後から伝わる気配で、シュシュがおそるおそる剣を拾い上げたのがわかった。


「私、鏡朔(きょうさく)と申します。そちらの負け犬は姉の鏡宵(きょうしょう)。まずは、話の前にこちらを」


 鏡宵という名の不審者が悪態をついたが、弟はもとより、士会も気にしなかった。


 衣擦れの音が士会の背後から聞こえてきている。どうやら、何か懐から取り出しているらしい。


「本来ならば士会様にお見せするべきであるのですが。シュシュ様にお見せした方が速い、とのことですので」

「竹簡です……って、え!? これは……」


 後ろで竹簡をじっくり見ているようだ。何か驚くようなことがあったらしい。


「間違いありません。フィリムレーナ様の印璽(いんじ)です」

「フィナのだと?」


 竹簡を巻いたあと、端を綴じ紐ごと粘土で封するのだが、公的な文書にはその証として粘土に判子が押される。この判子によって、差出人の証明とするのだ。シュシュが時間をかけて確認していたのは、本物のフィナの印璽なのか確認していたのだろう。元々フィナの遊び相手兼従者として仕えていただけに、その識別眼は信頼できる。


「ええ、確かに殿下より預かりました。もっとも、中身は亮殿からの親書とのことですが」

「あいつの仕業か……。シュシュ、読み上げてくれ」


 士会はこちらの文字を全く習得していない。そもそも覚える気もない。六年かかって教わった英語があの体たらくなのだから、会話に支障がない今勉強する気にはならないのだ。失われた技術(ロストテクノロジー)である翻訳機におんぶにだっことなっている。


 亮のことだから、既にこちらの読み書きも自分のものにしているのかもしれない。そこらの飲み込みに関して、亮は異様なくらいの要領の良さを見せる。


「ええと……『士会様、愛しています。だ、抱いてくだ……さ……』」

「はぁあ?」


 途中からシュシュが照れたせいで、尻すぼみになって最後の方は聞こえなかった。それでも文意はわかる。わかるが、理解はできない。意味不明な告白に脳が止まった。


「あ。『どうせ、シュシュに読ませているんだろう? 従者に言い寄られた気分はどうだい?』だそうです」

「……気にするなシュシュ。先に進んでくれ」

「おい、気をつけてくれよ」


 まずい、手が震えていた。うっかり鏡宵の頚動脈を斬りかねない。


 常ならこの程度のからかいが飛んでくるくらいは予想できていたはずだが、数ヶ月の空白が油断を生んでいたらしい。手紙で伝えてくるなど一体何の要件かと考えていたのもあり、完全に不意打ちだった。


「『ジャブはこのくらいにしておこう。僕が官職に就いた話は聞いたかな? ゆえあってフェロンに留まるつもりではあるんだけど、宙ぶらりんだとかえって警戒されるんで、フィナに頼んで作ってもらったんだよね』」


 その話は既に聞いている。ただ、警戒されるとは、少々穏便ではない言い回しだ。


「『さて、本題。士会、日常的に護衛はつけているかい? つけてないよね、そうだよねえ』」

「つけてないけどそれはお前もだろ……」

「士会様、手紙に返事されてもなんて言えばいいか困ります」

「あ、すまん」


 士会の記憶の中では、亮も護衛などというものは仰々しいと嫌がっていたはずだ。それが、どうした了見だろう。


「『実のところ、僕らをとりまく状況は思った以上に悪い。僕なりにこっちで探った限り、いつ刺客が差し向けられてもおかしくないくらいだ。利用できるかどうかまだ測りかねているからこそ行動に移されていないけど、逸る者が出てくるのも時間の問題だろう。自衛するには限界があるから、どうしても警護は必要になる』」

「むう……」


 亮がそう言うくらいなら、事態は相当に差し迫っているのだろう。それでも、護衛というのはなかなか気が重い話だ。


「『そうは言っても、君はおいそれと聞きはしないだろう。僕も正直仰々しいのはうんざりだ。こっちに残ってからというもの、やれ賄賂だの食事だの美人の召使いだの神使降臨三ヶ月記念祭だのと……いや失敬、話がそれた』」

「そう考えると、こっちはちゃんと締めつけてくれてるんだなあ」


 こちらでそうやって取り込もうとしてきた者は少ない。アルバストやレゼルがこちらの知らない内に制止をかけているのか、それとも二人の作り出す街の気風が阿るような気を起こさせないのか、どちらにせよありがたいことだ。他の街から誼を通じようとこっそり使者を送ってきた者もいたが、それは士会が会うこともなく断っている。


「『さて、これは推薦状を兼ねている。そこの二人とその配下を、護衛に雇うといい。というか雇った。金は既に出してある』」

「我々姉弟は忍びを生業としておりまして。暗殺や諜報等、裏仕事なら大体なんでもこなせます。士会様に気取られることなく、護衛の任を務めることもできますよ」

「忍び……か。腕は大丈夫なのか?」


 士会は眼下の鏡宵を見ながら言った。士会本人に負けるようで、護衛が務まるのだろうか。


「ふん。俺たちは暗闘が本領だからな。奇襲も何もなく真正面から挑んだんだ、仕方ないだろ」

「だったらそもそもかかってくるなよ。状況次第じゃ、躊躇いなく首を飛ばしてたぞ」

「仕える相手の力量くらい、見ておきたいからな」

「そちらのアホ姉のことは置いておいてください。護衛の件ですが、暗殺の手口などは我々の方が精通しております。何も力で首を取ろうとするだけが、暗殺ではありませんし。それに、暗闇で武器を取らせていただければ、そう遅れをとることもございません」


 こんな不審者が見咎められることなく、兵営の中にある士会の部屋まで入り込んでいる辺り、忍びとしての腕は確かなのだろう。多くはないにせよ見張りもいるし、兵もかなりの数が周囲にいたはずなのだ。それに、亮も理由なく人を勧めてきたりはしない。それなりに信用できると考えられる。自分自身、もしも何も知らずにこの二人に狙われていたなら、寝込みでも襲われてあっさり命を取られたはずだ。


「よし、わかった。これからよろしく頼む」


 士会は突きつけていた剣を下ろし、そのまま腰の鞘に戻した。立ち上がった鏡宵に手を差し出すと、思いのほか素直に握られた。


「ええ。こちらこそ」


 急におしとやかな声になった鏡宵に驚くと、鏡宵はすぐににやりとした笑みを浮かべた。


「ま、忍びだからな。それじゃあ、護衛の任は引き受けた。用があるなら、これで合図をくれ」


 紐のついた小さな木片のようなものを渡された士会は、それをしげしげと見つめた。荒削りながら、中央に穴があいている。


「これ……笛、か」

「ええ。姿は見えずとも、近くに控えている者が必ずおりますから。それを思い切り吹いていただければ、誰かが駆けつけます」

「なるほど」


 鏡朔の説明に納得した士会は、笛を懐に入れた。シュシュが拾い上げていた剣を鏡朔に返している。


「では、我らはこれで」


 扉から出て行った二人を追うと、既に廊下に姿はなかった。一瞬で天井裏にでも登ったのだろうか。兵に見つかって厄介なことにならないようついていこうとしたのだが、余計なお世話だったらしい。


「はあ、なんかどっと疲れたな」

「緊張しましたあ……」


 予想外に気を張りっぱなしだったため、随分と神経を磨り減らしていたらしい。結局、人を呼ばれて面倒なことになるのを嫌がっただけだったのだろうが、シュシュが人質のような形になったのは精神的に痛かった。身近な人に命の危機が迫るというのは、やはり気持ちの上で辛いものがある。


 そのシュシュの表情は曇り模様だった。おそらく、自分が主人の足を引っ張ってしまったと自分自身で責めているのだろう。


「シュシュ、あまり気に病むな」

「いえ、でも……」

「確かに、心配で気が気じゃなかったけどな。でも、いつもはお前がいてくれるおかげで、いろいろ助かってるんだ。世話もしてくれるし、きつい一日の中で癒しももらえるしな」

「士会様ぁ……」


 そう言って、シュシュの頭に手を置くと、シュシュは涙ぐんで抱きついてきた。


「士会様、私やっぱり調練に出たいです」

「いや、それは」

「今回みたいに、士会様のお役に立てないばかりか、重荷になってしまうのは嫌です。だから、せめて戦う力だけでも、身につけたいです」


 そう訴えるシュシュの瞳は、真摯そのものだった。


 前々から、戦に出るための訓練をしたいとは聞いていた。それだけはやめてくれと断固としてはねのけていたのだが、ここが折れ時かもしれない。力不足を痛感しているというのに、それを補う努力を許さないというのは、あまりに狭量すぎると思う。


「そうだな。戦に出るのはまずいが、武術の調練を積んでおくことは悪くないか。討伐から帰ってきたら、お前も新兵の調練に入れるよう言ってみるよ」

「ほんとですか! わかりました、精一杯精進しましゅっ……す」


 大事なところで噛むところがまた癒される。そう思いながら、士会はシュシュの頭を撫でた。


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