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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第三部 鍛錬の日々
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姫との対話

 都にたどり着いた亮は、ひとまず自らに与えられていた屋敷へ戻った。


 もともと広大な屋敷であり、士会と二人で使うことになっていたが、片割れはここにいない。主が一人になると思うと、さらに広く、そして少し虚しく感じる。


 玄関で靴を脱ぎ、靴下で廊下に立った。こちらにも靴と靴下という文化はあるようで、齟齬(そご)がなく助かっている。


「とりあえず、お食事にいたしましょうか」

「あ、もう出来てるの?」

「ええ、大方の到着予定時間は分かっていたので。先に手配しておきました」

「さすがだねえ。ありがとう」

「いえ、これも仕事です」


 毎度豪華な食事を済ませ、侍従たちに礼を言い、次いで亮は風呂で心を休めていた。最近はお背中流します、などと言われることもなくなり、気兼ねなくゆっくり出来る。


 シャワーや石鹸という便利なものはない。石鹸はあるにはあるが、布についた汚れを落とすためのものだ。


 そのため、湯船から湯を汲んで体にかけ、布で拭いて洗うというのが一般的なようだった。亮もそれにならっている。


 一通り洗い終えて、亮はゆっくり木製の湯船に浸かっていた。湯の熱がじんわりと体に染み入ってくる。一日の内で最も安らぐ瞬間だ。


 当たり前のように入っているお風呂だが、非常に手間がかかっているものだった。別の部屋で沸かした湯を、わざわざこちらに注ぐというややこしいことをしている。上流階級はここまでしてでも風情ある風呂を楽しむらしい。せっかくなので、亮が入ったあとに侍従たちも入ってもらうことにしていた。普通はわざわざ別の部屋で水浴びするらしいが、沸かした湯があるのに一人入っただけで捨ててしまうのはもったいない。


「ああ、いい湯だった」

「ありがとうございます」


 待ってくれていたミルメルを連れて、亮は少し涼みに縁側へ出た。火照った体に、夜風が心地良い。


「そういえばさ」

「はい」


 後ろに控えて直立するミルメルに、座るように促してから、亮は話を振った。


「明日エルシディアに会いに行こうかと思うけど、アポイントとか取った方がいい?」

「あー……申し訳ありません、私にはわかりかねます」

「そっか。うーん……いきなり顔出したら失礼かなあ」


 以前はフィナの身の回りの世話をしていたのだし、役所の作法など知らないのが普通だろう。ここのところミルメルに頼りすぎだな、と亮は心中で反省した。


「とりあえず明日は、フィナのところに顔出してみるかなー。そこでエルシディアにも取り次いでもらおう」

「普通はそちらの方が失礼になるのでしょうけどね……」


 確かに。でもまあ、フィナだし。


 火照りも収まったので、きりのいいところで会話を切り上げ、亮は立ち上がった。


「さて、それじゃ……」

「いかがいたしますか?」

「寝るよ。今日も疲れたし」


 さっさと亮は自室に戻り、布団の中で寝息を立てた。




 こちらの世界の起床時間は早い。日の出の後しばらくしたら、活動が始まる。侍従たちは主より先に支度をしなければならないため、さらに輪をかけて早い。


 多分、夜更しがないからだ。火を使えば夜も明るいには明るいが、家中昼のように明るく出来るわけではない。燃料も使うだろうし、さっさと寝て日のある時間帯に行動したほうが効率的なのだろう。


 亮は起きるなり着替え、手水場に行き、顔を洗った。


 目がはっきりと覚める。これをしないと、一日が始まった気がしない。


 特にやることもないため、一旦部屋に戻った。行き帰りに侍従たちに挨拶されたので、亮はその都度おはようを返す。


 ……暇だ。


 何が辛いって、暇つぶしが何もないのだ。ゲームや漫画は当然ない。この部屋の滞在時間は累計でも十日に満たず、本を持ち込んだりもしていない。あったとしても、こちらの文字はわからない。誰かがいるなら会話もできるが、かといってあくせく働いている侍従たちの邪魔もしたくない。


 そういえば、こっちにトランプのようなゲームはあるのだろうか。でも、製紙技術や裁断技術からして、インチキの出来ないほど精巧に似た、五十四枚のカードは作れないか。というかそもそも、紙自体貴重品なんだった。


 掛け布団の上に寝転がり、つらつらとそんなことを考えていると、部屋のふすまが小さく開いた。


「亮様、おはようございます」

「おはよう」


 顔をのぞかせたのはミルメルだった。


「もう起きておられたのですね」

「昨日、寝たの早かったしね」

「朝食のご用意が出来ておりますが」

「お、さすが手早いね。すぐにいただくよ」

「わかりました。どうぞこちらへ」


 朝食も美味しいが、いかんせん量が多かった。多分、好きなものだけ食べ、後は残す前提で作っているのだろう。


 朝は少なめで、と亮は頼み、すぐに外出の支度を済ませた。


「ミルメル、随行よろしく」

「言われずとも、ついて行きます」


 皇族の住居は、天守閣の上階と宮殿の二つある。今回は、宮殿の方を訪れた。


 そういえば、まだこの国の皇には一度も会っていない。話によれば、もう長いこと病で()せっていて起き上がれないらしい。そのため、実権も皇太子であるフィナがかなり掌握しつつあるとのこと。ただ、政治への無関心さを見ると、おそらく本人の意思でそうなっているわけではないだろう。他に皇子がいないから、自然と集まってしまっただけだ。


 そんなことを考えながら、フィナの居室の敷居をまたいだ。鏡越しに映るフィナの顔の背景として、ほんの少し垣間見えていた空間が、ここなのかもしれない。


「ああ、亮。帰ってきてたんだっけ」

「ご挨拶だなー。そりゃ、士会連れて帰ってこなかったのは悪かったけどさ」


 特に驚きもせず、フィナが迎えてくれた。天守閣に入る時に要件は伝えたので、先にフィナに知らせが行っていたのだろう。湯飲みに入ったお茶を勧めてくれる。


「ううん、それはいいの。私も納得してるし、私のために会君が頑張ってくれてるのは嬉しいし」

「でも、もしかしたらシュシュと急接近してるかもよ? フェロンに来たその日に、寝床に忍び込んだくらいだし」

「それは従者の務めで、でしょ? そのくらい気にしないよ」

「こっちの文化だと、そんなもんか」

「うん。それに、会君は私が一番って言ってくれてるし」

「そっか。お熱いことで」


 茶をすすりながらそう言うと、皮肉も通じず、フィナは嬉しそうにうなずいた。


 まあ、友人たちの仲が睦まじいのはいいことだ。


 そう思っていると、フィナの顔に少し茶目っ気が浮かんだ。


「亮の方こそ、少し寂しかったりはしないの? ずっと一緒だったんでしょ?」

「うーん、少し違和感はあるかな。でも今生の別れってわけでもないし、寂しいとはちょっと違う気がするけど」


 帰路の間に大分慣れたものの、士会が近くにいないというのは亮にとってもほとんどない経験だった。なんとなく、自分の傍らを風が通り抜けていくような気分になる。


「士会は元気そうだった?」

「うん。昨日話したけど楽しそうだったよ。大変だけど、充実してるって」


 その士会はハクロで修行中だ。アルバストから将としての戦い方を、一からじっくり学んでいる。いずれ実戦に出ることも考えられる以上、二度と会うことのない可能性もあるわけだが――、亮はそこまで心配してはいなかった。


 なんだかんだ自分たちは超重要人物として扱われている。士会の意思にかかわらず、周囲の人間が命を賭してでも守ろうとするだろう。それに、近くで見ていて痛感したが、彼は完全に戦に向いた資質を持っていた。容易く命を落とすことはあるまい。


 ちなみに、バリアレスも一緒に残っていた。彼自身が望んだことでもあるし、士会と同年代のバリアレスがいた方が、互いに良い刺激になるだろう、という配慮でもある。


「そういえば、ありがとうね、亮」

「ん、何が?」

「ほら、私のこと諭してくれたじゃない。あれがなかったら、会君との仲直りもだいぶ遅くなってただろうし。まだお礼、言ってなかったから」


 それを聞いて、亮はああ、と気が付いた。しばらく前のことを持ち出してきたな。忘れていたというのに、少し気恥ずかしい。


 僕らに対しては、こうやって礼も言えるのになあ。そういう姿勢で民衆にも接してくれると助かるのだけど。


「あの時は、士会が荒れ狂ってて鬱陶しかったしね。僕としても、さっさと立ち直ってもらわないと困ったんだよ」

「んー、まあそういうことにしといてあげるね」


 椅子の背もたれに顔をのせ、フィナはにこにこと笑っていた。別に他意はないのだけどな。それはまあ、友人同士のわだかまりを解消してやりたいっていうのも多少はあったけど。


「でも、亮の言う通りなら、ちょっと怖くなっちゃうなあ」

「怖い?」

「うん。そっちの基準ってことは、私がお姫様だってことも役に立たないんでしょ?」

「だね」


 そういう属性を重視する人も、僕らの世界にはいるかもしれないけど。趣味は人それぞれだ。今までの生活を見た感じ、多分士会は違うだろう。姫という身分や高圧的な性格に、嗜好が偏っている様子は見られない。


「だったら、私はこんなだし……」


 フィナは椅子から降りて、自分の体のそこかしこに手を当てていった。


 もともとフィナは、自身が小柄で童顔なことを気にしていたのだ。フィナはせいぜい、士会の肩に少し届かない程度にしか、高さがない。並ぶと、兄妹に見える。


 加えてどうやら、あまり胸がないのも気掛かりなご様子だ。今の仕草でよくわかった。別に普通の大きさだと思うが、彼女にとっては懸念になるらしい。


「……杞憂だと思うけどなあ……。士会の方もベタ惚れだろうし」

「そうかなあ」

「そうだよ、間違いなく。一番って言ってるんでしょ? 結局心配してるんじゃないか。それより、早く本題に入らせてよ」

「それも……そうだよね。なんかちょっと胸騒ぎがしてて。それで、本題なんてあったんだ。何のご用?」


 どうやら、フィナは雑談しに来たと思っていたようだ。皇の一人娘というのに、そんな気軽に会いに来ていいものなのか。


「ちょっとエルシディアに用があるんだよね。今時間あるか確認取ってもらってもいい?」

「エルシディア……エルシディア……え? あれ? まだ都にいたの?」


 フィナは頭を手で押さえる仕草をしてから、言った。


「え? もういないの?」


 確かに亮は、しばらくは都にいるとしか聞いていない。既に出立した後の可能性も十分あり得る。


「んー、わかんないな。ちょっと聞いてみる」


 しかし、フィナが部屋の外の従者を呼びつけ、さらに側近を連れてきて聞いてみると、まだ都にいる、との返事が出てきた。


「え、まだいたんだ……とっくの昔に島に行ったものだと思ってた。もう追加の人員も送っちゃったし……。えっと、エルシディアをここに呼んできてくれる? 今すぐに」

「違う違う違う違う」


 手慣れた様子で軽妙に従者へと指示を出すフィナを、亮は反射的に押しとどめた。ええー、とフィナからは不満の声が上がる。


「今忙しくないか、時間取れるか、どこに行けば会えるか。それだけ聞ければ十分だよ」

「うーん、ここに呼んだ方が早いと思うけどなあ……」

「まあそうだけど。でも、呼びつけて仕事の邪魔しちゃ悪いしさ。僕の方は暇だし」


 確かに一度従者に聞きに行ってもらって、その後改めて自分で伺うというのは、二度手間な感が否めない。電話って便利だなあとつくづく思う。


 ただ、フィナに言ったように邪魔するのは申し訳ないというのと、加えて仕事場を実際に見に行ってみたい、という思いがあった。


 フィナは渋々といった体で、言われた通りに指示を出す。亮はほっと息を吐いた。


 自分も努力はしようとは思うけれど、フィナの方針転換に士会は必要不可欠だろう。彼がどうするかは彼自身が決めることだが、将来の嫁の教育は自分でやってほしいな。


「ところで亮、一体何の御用なの? 帰る帰らない関係の話?」

「そうだね。僕は士会みたく、颯爽(さっそう)と戦場を駆けることは出来ないから、帰る方法の探索でも手伝おうかと思って」

「あー、なるほどね。確かに亮は、そっちのほうが向いてそうな感じある」


 フィナの言葉は、亮の心に残る淡いしこりを、かすかに撫でた。


 ハクロで士会と決別してから、早半月。今だに割り切れない思いは、確かにある。


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