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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第三部 鍛錬の日々
43/113

同じ月の下2

 バリアレスは、一人ハクロの街を歩いていた。


 空には、白く輝く半分の月。夜の帳が降りた町並みには、人々の笑い声や怒鳴り声が響いている。


 少し立ち止まったバリアレスは、しかし振り返ることなく、歓楽街に背を向けて歩き出した。


 ひたすらに、気が晴れない。別のことを考えようとしても、気づけば同じ場所に戻っている。


 女でも抱けば気も紛れるかと、歓楽街までやってきたが、何かが違う気がして、結局素通りしてしまった。


「……くそっ」


 路傍の小石を蹴り飛ばす。二、三回繰り返すと、明後日の方向に飛んでいき、街角にいた男に当たった。


「……ああ? てめえ、何しやがる」


 謝ろうという気は、すぐに失せた。がらの悪い、ならず者だとわかったからだ。後ろから二人、新たに男が出てきて、バリアレスを囲むように立つ。


 揃いも揃って、下卑た笑みを浮かべていた。


「おい、人に石ころを当てといてぇ? 何もなしか? ああ?」


 バリアレスが何も言わずうつむいていると、不意に男はバリアレスの胸ぐらをつかんだ。


「おい! なんか言えよ! ごめんなさいも教わらなかったのか!?」

「……ちっ」


 舌打ちしてから、バリアレスは思い切り男を殴り飛ばした。不意を突いて放たれた拳は男の側頭部を綺麗に捉え、一撃で昏倒させた。


「てめえ!」

「よくも!」


 残りの二人が殴りかかってくる。避けるのも、面倒だった。


 頭を殴られながらも、一人を殴り返す。この程度、大したことはない。すぐに振り返り、最後の一人の腹を蹴り上げた。くぐもった音を上げながら、あっさりと沈む。


 気づけば、三人とも道路に倒れ伏していた。喧嘩だ喧嘩だと、野次馬が遠巻きに見ている。


 やはり、気は晴れなかった。むしろ、陰鬱にすらなっている。一昨日、脇に受けた傷が、ずきりと痛んだ。


 俺は何をやっているのだ。雑魚を相手に力を振るって、いい気にでもなるつもりだったのか。


 投げやりな気分になりながら、また同じ方向へ歩き出す。人垣が割れる。兄ちゃん強えな、やるじゃねえか、などとかけられる声に、一々相槌を返すのも、どこか虚しい。


「バリアレス」

「……アルバスト、殿」


 気づけば、すぐそばにハクロの守将、アルバストが立っていた。


「酷い顔だねえ」

「まあ、そうでしょうね」

「……ふむ」


 重症だな、と呟いてから、しばらくアルバストは黙る。早く歩き出したかったが、アルバストの方が上官に当たる。大人しく待つ他ない。


「まあ、常套(じょうとう)の一手がいいか。よし、バリアレス! 今からちょっと飲みに行こうじゃないか。僕がおごってあげよう」

「え、いや」

「ほら、行くぞ行くぞ」


 おごり酒など普段なら一も二もなく飛びつくところだが、今日はあいにく気分が乗らない。しかし、強引に引っ張っていくアルバストに、なす術もなく店に連れ込まれてしまう。


 入ったのは、調度もしっかりとした格式の高そうな店だった。壁は透き通るような空色に塗りこんであり、所々に置かれている白磁の壺や象牙が映える。


 慣れた様子のアルバストは、すぐに案内させて店の奥の席に座った。その時に注文も済ませてしまう。


「ここの店は雰囲気が好きでね。よく街宰(がいさい)のレゼルと一緒に来るんだ。軍人の連中は、あまりこういうところに来たがらなくてねえ」


 確かに、騒ぎながら酒を飲むような空気ではない。


 酒は、すぐに運ばれてきた。互いの杯に注ぐ。ご苦労、とアルバストが言い、早速酒をすすっていた。


「傷の具合はどうだい?」

「肉を少し斬られただけですよ。大したことないです」


 散々な状態で逃げ帰った後、バリアレスは脇腹に受けた傷の手当を受けていた。少し縫っただけで血も止まっている。一月とかからず治るだろう。


「それで、俺は」

「まあ、なんとなく察することはできるけどね。僕もまあ、経験がないわけではなし。とはいえ、こういうのは本人が話すものだろう、とも思うわけだ。というわけで、とっとと吐き出したまえ」


 何をですか、と返しそうになって、バリアレスはぐっとその言葉を飲み込んだ。そんなことは、自分が一番知っている。


 自分の中にあるものを言葉にしようとこねくり回し、結局一言で済むことに気づいた。


「負けました」

「………………」

「完膚無きまでに、負けました。大兵を率いて、大して年も違わない、若い将に下されました。弁解のしようもありません。俺の敗走が、全軍の敗走に直結しました。士会(しかい)、殿と(りょう)殿が生きていたのが幸いですが、死んでおられてもおかしくありません」

「そうだねえ。騎鴕隊が潰走して、右翼が前後から押されて壊滅したからね。今回の負けの発端は、確かに君を始めとした騎鴕隊の敗北だろう。僕が埋伏してなかったら、どうなっていたかわからない」


 そうだった。今目の前にいるこの人が、敵将に肉薄された士会、亮、ロードライトを救った。人から聞いていたものの、呆然としていて頭に残っていなかった。


「……はい。ありがとう、ございます」

「歯切れ悪いなあ。負けるのは初めてかい?」

「そう、ですね。調練で負けたのは一度や二度ではありませんが、実戦では初めてです」


 口に出して、そういえばそうだったと、自分でも思った。


「ほう、そりゃ大したものじゃないか。出陣したのも、一度や二度じゃないんだろう?」

「それは、そうですけど」

「負けの一つや二つ、あるものだと思うけどね、僕は。この僕でさえ、人生が真っ白とはいかない。認めたくないけど、黒い染みもあったよ」


 確かに、その通りだ。負けない人間などなかなかいない。自分の親、ウィングローですら、長い戦歴の中で敗北を味わったことがある、と聞いている。他でもない、本人からだ。


 アルバストが杯を空け、すぐに次を自分で注いでいた。


「負け方がまずかった、というのは一つあるか。どうすれば、良かったと思う?」

「俺と味方の軍の速度差を敵につけこまれました。混成軍でなく――」

「バリアレス」


 言われるがままに胸の内を吐露していると、不意にアルバストの一段低い声に遮られた。


「軍人は、与えられた場で最大限の力を発揮するのが仕事だ。上に決められた軍の編成に口を出すのは、逃げだろう」

「……はい」


 自分は、何を言っているんだろう。そんなことは、言われるまでもなくわかっている。何度もウィングローから教えられてきたことだった。


 違うのか。わかっていると思い込んでいただけなのか。今まで、軍の動きに決定的な差がある、という状況に陥ったことはなかった。


 おや、とバリアレスは思った。何か引っかかった。しかし、アルバストがまた話し出す。


「速度差か。まあ、それはあるかな。敵の反撃は、君が味方に上手くぶつけられたのが起点だった。僕も見ていたよ」

「それがなければ、あのまま押し勝てていたと思います」

「ふむ。なければ、とは?」

「それは……そのことを頭に入れた上で、動けば」


 言いながら、思う。仮にそれを念頭に置いていたとして、自分は慎重に軍を動かすことができただろうか。結局力押ししようとして、同じことを引き起こしていたのではないだろうか。


 アルバストはじっとバリアレスを見ていたが、また口を開いた。


「まあ、それはいいだろう。他には?」

「相手をもっと早い段階で崩せていれば」

「それ、今の君に出来たと思うかい?」

「…………いえ」


 あの時の自分は、やれるだけのことはやれていたと思う。二つに分かれた敵の片方を崩している時、救援に来たもう片方を優先した。そこは、なんとか崩し切ってしまった方が良かったかもしれない。ただ、崩し切れずに中途半端なところで敵の攻撃を受けることにもなりかねなかった。


「どうしても、引っかかるんです。一度だけ、姫を連れて(しゅう)領を脱する時、一瞬の勝負時を確かに見極めることができた。あれを、あの感じを取り戻すことができれば」


 どうしてもつかめないのだ。士会と共鳴するようにして得た、あの感覚。ここしかないという機を決して見逃さず、躊躇(ちゅうちょ)なく応じ、次の瞬間には敵を斬り伏せているような、あの感覚だ。あの時は、敵を捉える決定的な局面だということを、なぜか体で理解していた。


「ほう、そうか。それは面白いねえ。君の戦い方にも合いそうだ」


 それからアルバストは、少し考えをまとめるように押し黙った。バリアレスも沈黙を保ったままなので、無言の時がしばらく過ぎる。


「まあいいや。それも興味深いけど――それとは別、もっと後に、目を向けるべきところがあるだろう。僕は負け方が悪かったと言ったはずだよ」

「後、ですか? だから、どうすれば勝てたかを」

「違うね。負け方が悪かったんだよ。勝つ以外でも、考えるべきところはある」

「勝つ……以外、ですか」

「ああ。そりゃ、勝てれば言うことないけど。実際問題、負けてるわけだしねえ。生涯に渡って、全戦全勝というのも、現実的じゃないし」


 勝つ以外と言われても、どうすればいいかまるで浮かんで来なかった。しばらく黙りこくっていると、アルバストは小さく「ここか」と呟く。


「なるほどね。大体わかったよ」


 何がだろう。


「考えても出てこなさそうだから、言おう。君は潰走(かいそう)した後も、なんとかして軍を立て直すようにすべきだったんだよ。他はともかく、君の率いていた兵は、ああなっても核さえあればまとまれるだけの力を持っていると思う。崩れても、完全に潰走はせず、離れた場所でまた軍としての力を取り戻せばいい」

「立て直す……」


 敵の騎鴕隊に粉々に叩き潰され、敗走し始めた後、自分が考えていたのは、一兵でも多くあの場から逃がすことだった。もう一度兵をまとめるというのは、頭の片隅にもなかった。


「別に全軍が立て直す必要はないさ。君の騎鴕隊の一部だけでも、踏ん張る姿勢があれば、敵はそれを無視できず、歩兵への介入は遅れただろう。小勢と侮って無視されたなら、そのまま兵をまとめればいい。最悪でも、平原際で踏みとどまれば、僕の埋伏の代わりにはなれただろうし、総大将の士会殿に剣を振らせることもなかっただろうね」

「……はい」


 必死で言われたことを頭の中で咀嚼(そしゃく)する。勝ちに行くにはどうすればいいかは何度も考え、頭の中で思い描いたりもしていたが、負けの方法など考えてもいなかった。それは多分、負けたことがなかったからだろう。


 なぜ、負けたことがなかったのか。


「ああ」


 わかった。自分が何に引っかかっていたのか。実戦での敗北でも、負けた後のことを考えていなかったことでもない。


 今回の戦は、父の指揮下を離れての、初めての戦だった。そして、初めて負けた。


 自分は、偉大な父の下にいなければ、何も出来ないのではないか。そんな恐れが、無意識の内に心をかき乱していたのだ。


 不意に、自分の目の前に置かれた杯が視界に入った。そういえば、全く手をつけていない。


 杯をあおり、一気に飲み干した。


「何か、わかったかい」

「はい。父の庇護(ひご)なしに、戦えないのではないかと、俺は恐れているのだと思います」

「ああ、なるほどね。ウィングロー殿の下だものなあ。なかなか負けは経験できないか」


 何事も万事上手くはいかないねえ、とアルバストは続ける。それから少し考えて、アルバストは口を開いた。


「さっきも言ったけど、君の兵は悪くない。僕の目からすると、実力も派手さも物足りなく感じるけど、ある程度仕上がっているとは思う。だから、変わるとすればまず君だ」

「はい」


 顔をあげ、しっかりとアルバストを見て言った。アルバストはそれを見て、満足気にうなずく。


「そこで、一つ提案がある。君、しばらくここにいないかい?」

「ここ……というと、ハクロにですか?」

「他にどこがあるのさ。ウィングロー殿の指揮下を離れて力をつけるのは、君にとって大きいだろう。それに、おそらく君の戦い方には、僕から盗めるところも多いと思う。君が欲しがっているものの答えも、つかむ機会はあるはずだ」


 ありがたい申し出だと、即座に思った。兄は二人とも死んでいて、自分は嫡男(ちゃくなん)だ。いつまでも父の威光に隠れているわけにはいかない。いずれ、ファルセリアの家は自分が継ぐのだ。


 父の下でない場所で修行を積むのは、決して無駄にならないだろう。


「是非、お願いします」


 バリアレスは、素直に頭を下げた。


「ああ、こちらからも頼むよ」

「ありがとうございます」

「いいさいいさ。実を言うとね、士会殿――いや、僕の指揮下だし士会でいいか。彼もここに残ることになってね」

「そうなんですか? もしかして、俺と同じ理由で」

「そうそう。せっかくだし、競う相手がいた方が、お互いにとっていいだろう? 僕としても、都合が良かったよ。それで、ウィングロー殿には」

「俺から竹間(ちくかん)を届けておきます」

「そうか。一応、僕の方からも一筆認めておこうかな。息子を預かるわけだし。さて、そうと決まれば、今日は飲もうじゃないか! 君、まだ全然飲み足りないだろう?」


 確かにバリアレスが飲んだのは、最初に注いだ一杯だけだ。全くと言っていいほど酔っていない。


 気づけば気分も晴れている。景気づけに、がっつりと飲みたいところだ。この店に入った時が嘘のような爽快感だった。


「はい! こうなったら潰れるまで飲みましょう!」

「いや待て、それは」

「何です、吐き出せと言ったのはアルバスト殿でしょう」

「そういう意味じゃないんだけど……いや、こういうのもたまにはいいか」


 バリアレスは自分の杯に酒を注ぎ足し、すぐに空にした。ああ、うまい。


 負けじとアルバストも自分の杯に注いでいる。これは相当飲むことになりそうだ。


 結局、勝ったのはバリアレスだった。危うい足取りながら、アルバストを担いで天守まで歩く。重い。しかし、人を呼ぶ気にはならなかった。


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