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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第三部 鍛錬の日々
42/113

同じ月の下1

 戦勝に酔う兵たちの歓声が、瑚笠こりゅうのもとまで響いてくる。


 寡兵かへいで敵を打ち破ったのだ。喜び勇んで騒ぎ立てるのが当然だろう。瑚笠も文句を言うつもりはない。普段なら、自分も混ざって飲めや歌えやしているところだ。


 実際、快勝ではあった。しかし、完勝と言うには程遠い。


 騎鴕戦は、ともすれば負けていた。途中を見ると、勝ったのが不思議なくらいだ。本隊も、敵の右翼の壊滅がもう少し遅ければ、先に崩れていたかもしれない。事実、結構な数の犠牲は出している。敵の将級の首は、一つも取れていない。


 何より、こちらは一人、指揮官を失っている。


 上官、禅項ぜんこうの死。


 それが瑚笠に、少なからぬ波紋を呼び起こしていた。


 ほの暗い闇に包まれた草地を、一歩一歩、静かに歩く。先程まで兵たちに付き合い一緒に飲んでいたものの、どうにも空気に合わず、兵舎の外れで一人、物思いにふけっていた。


 戦場での死など、あって当然の出来事だ。逐一心を揺らしていたらきりがない。実際、自らの部下の死には何度も直面しているし、勝ったとはいえ今回の戦も犠牲は少なくないのだ。初めて指揮を取って戦場に立った時はともかく、以後ここまで後に引きずったことはなかった。


 ただ、将級の知り合いを亡くしたのは、今回が初めてのことだ。しかも、自分を育ててくれた恩人である。号泣するような悲しさはない。しかし、心にうろが出来たかのような寂寞感(せきばくかん)を覚え、瑚笠は無心に空を見上げていた。


 雲のない空に浮かぶ半月が、煌々と地上を照らしている。


「どうした、瑚笠。こんなところで」


 声のした方に顔を向けると、手に杯を持った林天詞(りんてんし)が佇んでいた。


「兵がお前を探していたぞ。いつの間にか姿が見えんと」

「……それで将軍が探しに来るというのも、妙な話ですね」

「どうせ、こんなことだろうと思ってな」


 林天詞は瑚笠の傍に近づき、同じように柵にもたれかけた。


「いや、俺は……」

「禅項のことだろう?」

「………………」


 図星を言い当てられ、瑚笠は無言を返さざるを得なかった。


「俺も正直反省はしている。民政担当と軍指揮担当は、やはり分けた方がいいな。今までも分けていたつもりだったが、これはいよいよ、民政組は戦に出さないくらいでちょうどいい」

「………………」


 禅項の戦死の原因は、深追いのし過ぎ、の一言で片付いてしまう。敵の総大将を目前に、引くという選択肢は全くなかったのだろう。少数で速度を上げ猛追し、結果として返り討ちにあった。


 そこらの兵の進退が、稚拙(ちせつ)だったということだ。決して、用兵の巧みな人ではなかった。


 自分もまた、一度は総大将に肉薄した。しかし、平原の際に兵を伏せていた、アルバストの隊に防がれた。あの時、もう少しだけでも早く接近し、総大将まで達することが出来ていれば、と思う。


 思ったところで、何が変わるわけでもなかった。


「はっきり言えば、()のやり方が羨ましいよ。文官と武官を分けるっていうのは、発展的な方式だと思う。いろいろ利害が絡んでくるから、そうそう実現は出来ないけどな。それでも、うちの街だけでも、実質的な文武の分離はやるべきだろう。文官が全く戦に出ないってのも、それはそれで怖いものがあるが……」


 天下のほとんどの国において、文官と武官という区別は存在しない。皇の下には貴族にあたる(けい)、そして(こう)と続き、さらにその下に()がいて、彼らが執政と軍事の両方を担っているのだ。柳礫(りゅうれき)で言えば、将軍である林天詞が卿に当たる。瑚笠はこの前、候に上がった。文武の区別がないのだから、当然戦時に戦に出るのとは別に事務的な仕事もある。これが面倒で仕方がない。


 鷺では先々代の皇が大規模な改革を断行し、軍事を行う武官と政治を行う文官に分かれて国の運営がなされていた。なお、以前から柳礫でも似たような方式に移行しつつあり、瑚笠のような明らかに武官寄りの人間、逆に禅項のような文官寄りの人間も増えている。


「……わかんないんですよ」

「ん?」

「軍に入ってもうこれで五年になりました。けれど、たった一人の死をこんなに引きずることなど、初めてです。女々しいとは、思うのですが」

「はは。俺なんてお前の何倍も軍人やってるが、いまだに引きずるぞ」

「え……」


 意外だった。常に飄々(ひょうひょう)としているように見える林天詞は、誰かの死に対しても比較的あっさりと割り切っていると思っていた。事実、今の林天詞に、禅項の死に悩む素振りは全く見えない。


「なんだ。俺のこと、部下が死んでもなんとも思わん冷血漢だとでも思ってたのか?」

「いや、そこまでは……」


 まあ、それに近いことを考えていたのは否定できない。


「正直に言えばな、戦の後ってのはいつも妙な気持ちになる。たとえ勝ったとしても、損害なしで終わる戦なんてほぼないからな。勝てば当然嬉しいし、騒ぐし、誇りに思う反面、死んだ連中のことを考えると胸が(うず)く。無論負ければ気持ちは沈むな」

「……そうなんですか」


 瑚笠は相槌を打つしか出来なかった。気楽に生きているように見せて、この人もいろいろ抱えているんだな、と思う。


 自分たちに、抱えさせないためにも。


「そうなんだよ。だからな、俺はもう戦の後に感傷的になるのはありってことにした。戦の中でいちいち動揺してるわけにはいかないが、終わった後なら別にいいだろ。せめてもの供養だ、適当な思い出でも掘り返しといてやれ」


 せめてもの供養、か。


 忘れないよう生きるというのは、案外大事なことなのかもしれない。だから、墓を作る。()の人がいたという印を残す。そして、たまに思い返す。自分が死んだ後、思い出してくれる人がいるというのは、確かに幸せなことだと思う。


「……なんとなくは、わかりました」

「それで構わんよ。わかったら、さっさと兵のところに戻ればいい。お前があいつを慕っていたように、お前を慕う兵だっているんだ」


 気づいたら、心の空漠は上等な布にくるまれたように和らいでいた。多分、行き場のない思いの方向が、定まったからだろう。


 晴銀歌が自分を呼ぶ声が聞こえた。


 瑚笠は少し、口元をほころばせる。だからどうして、兵でなく指揮官が探しに来るんだ。


「ほら、呼ばれてるぞ」

「はい。将軍、どうも、ありがとうございました」


 一礼して、瑚笠は声のする方向へ駆けていく。


「ったく、まだまだ青いなー」


 聞こえてますよ、将軍。


 しかし瑚笠は、いつものように言い返す気にはならなかった。今はそういう気分ではない。


 きっと普段は、こんな話をすることもないのだろう。柳礫の頂点に立つ人だ。下に心配は掛けまいと、林天詞一人の胸の内にしまいこんでしまう。


 わざわざ自分に話してくれたことには、感謝するしかない。


 けれど自分はまだ、一人で全部抱え込むには弱すぎる。せっかくの宴会だ、禅項の思い出話でも(さかな)に、兵たちと月夜を楽しむかな。


 大きく手を振る晴銀歌に、瑚笠も小さく手を挙げて応じた。


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