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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第二部 戦場への回帰
40/113

決意2

 その夜。


 天守閣の中に与えられた一室で、士会は無意味に立ったり歩いたりを繰り返していた。思い出したように寝床に座っては、また立ち上がって腕組みをして唸る。


「……士会様、その、どうなさったのですか?」


 耐え切れなくなって、部屋の隅の方で控えていたシュシュが口を出した。なお、既に昼間撒いた件についてのお説教は済んだ後だ。小さくてそそっかしいシュシュに注意を受けていると、なんだかおかしくて士会は笑ってしまいそうになる。


「いや……なんでもないよ」


 明らかに何かあるのだが、士会にはそうとしか言えない。怪訝そうな顔をしながらも、シュシュは引き下がった。


 それから士会が部屋の中を四周ほどした時。


 こんこん、と士会の胸から音が響いてきた。正確には、胸の前に位置取る首飾りからだ。


 反射的に士会は首飾りを手に取り、応答する。


「フィ、フィナ!?」

「う、うん……こんばんは。会君、どうしたの?」


 焦りすぎて、士会の声はうわずっていた。フィナまで訝しく思い、士会の様子を訪ねている。


「あーいや、その……ごめんな、この前かけてきた時、出られなくて」


 どう切り出していいのかわからず、士会は結局質問に答えなかった。


「ううん、会君が頑張っているところだったんだもん。仕方ないよ。それで会君、――戦はどうだった?」


 伝令でも、一日で都へは届かないのだろう。フェロンには、まだ敗報は伝わっていない。だから、フィナは何の気なしに聞いてきたのだろう。


 そして彼女は、士会の勝利を疑っていないはずだ。そう思うと、この返答は男として心苦しくもある。


「……負けた」

「え」


 ささやくように士会が言うと、フィナはその表情を硬直させた。


「負けた。戦場で何もできずに突っ立ってるだけで、気付いたら何千人もの人が命を落としてた。あっちでもこっちでも人が死んで、人が死んで……完敗だった。俺の指揮で、俺のために、死んでいったんだ……」


 目を閉じて浮かんでくるのは、後ろから刺し貫かれたり、首をはねられたり、鴕鳥の足にかけられたりして、激しく血を流す兵士たち。今はその死を(いた)むより他、ない。


「あ……えと……その、ごめんね。でも、私は会君が無事で良かったよ」

「ああ……ありがとな」


 少しぎこちない空気が漂う。また、気づかないうちにきつい言葉を放ってしまっていた。気をつけないと。死者を思う気持ちを忘れないことも大切だろうが、今自分が言わなければならないことは、別にある。


 気を確かに持とうと、士会は軽く自分の頬を両側から叩いた。


「それでな、フィナ。俺は今回の戦を経て、思ったんだ」

「……うん」

「このままじゃフィナ、お前のことを守れない。そんな力が今の俺にはない。他人の助けを借りてしか立てない、お飾りのような状態じゃ、姫であるお前に釣り合う人間にはなれないって」

「そんな! 私は別に、そんなこと……」


 フィナは必死に否定してくる。その様子からは、自分のことを真摯に思ってくれていることをありありと感じとれた。


「気にしないって言ってくれるなら、それは嬉しい。でもな、これは俺の――その、プライドの問題なんだ。お前を守ってやれるような、そんな強さを身につけないと、自分で自分を認められないんだ」

「会君……」


 気まずさから顔を背けつつも、士会は言い切った。実に自分らしくないというか、こう、顔から火が出そうな気分だ。


 フィナは神妙そうに士会の名を呼んだ。きっと、こんなことを言い出すとは思っていなかったろうし、どう反応していいかわからないのだろう……と士会は思ったが。


「……ふふ。言ってて恥ずかしくなりそうな台詞だね」


 続いて、おかしそうに笑うフィナを見て、士会はうう、と小さくうめいた。


「うっせーな。他に言いようがなかったんだよ」

「うん、そうだと思ったよ。だから……嬉しいな。会君が、ちゃんと本音で話してくれてるってわかるから」


 微笑むフィナに、士会も釣られて顔がほころんでしまった。いけない、まだ気を抜く場面ではないのだ。それでも、考えていたよりもずっと、フィナが自分の思いを汲んでくれたのは素直に嬉しかった。


「……話が飛んだな。俺はお前を守ってやるって自信を持って言えるようになるまで、強くなろうと決めたんだ。だから……その、言いにくいんだが……」

「うん」


 尻すぼみに語勢が落ちていく士会に、フィナは微笑みながら相槌を打っている。しかしこれから口にする言葉は、彼女の可憐な笑顔を崩してしまいやしないだろうか。


 いや、いちいち悩むなど自分には似合わない。思い切ってしまうべきだ。


「……ええい! 俺はしばらくこっちに残ることにした! この最前線の街で、お前を守れるくらい自分を高めてから都に戻る! そういうことだ!」


 勢いで一息に言ってしまった。ちら、と鏡に映るフィナを見れば、先程は余裕を見せていた彼女も目を丸くしている。


 ――そう、ハクロに残る。それが、士会が下した決断だった。昼間、ロードライトに頼んで取り次いでもらい、ここの将軍であるアルバストに話を通した。結構なことだと、快諾をもらっている。


 中央に戻ってから鍛えてもらうという案もあったが、これは自分の中で切り捨てていた。同じく下らない誇りの話になるが、泥臭い自分の修行姿を、あまりフィナに見られたくなかったのだ。一応ロードライトに確認を取ったところ、実戦経験を積みやすいこちらで磨いた方が良い、と彼からもお墨付きをもらった。アルバストなら教育係としても申し分ない、ということも。


「ええええええ! 士会様、それって……」


 先に大きな声を上げたのはシュシュだった。余程驚いたのだろう。あくまで壁際に控えていた彼女が、士会のもとへ駆け寄ってくる。


「悪かったな、シュシュ。常に一緒にいてくれるお前には、先に言っておくべきだったんだろうけど……なんというか、決意表明みたいなものだったから。ただの気持ちの問題なんだが、最初に言うべきはフィナかなと思って」

「士会様……」


 シュシュの頭を撫でながら、穏やかに士会は語りかけた。続いてフィナに視線を戻し、きっちり目を合わせて言葉を紡ぐ。


「――そういうことだ、フィナ。すまん、どのくらい強くなればって基準も、どのくらいの時間でって期限も定かじゃない。遅いくらいだって言ったお前を、いつまでもいつまでも待たせるかもしれない。それでも、そんな俺でも――お前は、待っていてくれるか?」


 最後の方は、自分の女々しさが出てしまった。やはりまだ、自分が思っている以上に不安なのだ。


 士会の意識しない内に、その心情は表情にも映し出されていた。揺れる士会の瞳が、何も言わないフィナの顔を見つめる。


 どうしよう、フィナに拒絶されたら。そう思うと、深く暗い海溝の底へとひたすらに沈んでいくような気になる。急に雲の高さに放り出されたような、足のつかない気持ちが渦巻いてくる。


 シュシュが不安げに士会とフィナの顔を見比べていた。


 そんな中、フィナは。


「大丈夫。私はちゃんと待ってるよ。会君のことが大好きだから。――だからそんな、捨てられた子犬みたいな目、しないで」


 にっこりと穏やかな笑みを見せて、士会を安心させた。


 胸の内の靄が一気に晴れていく。


「――ああ! ありがとう、フィナ!」


 士会も、今までの不安な顔はどこへやら、満面の笑みで答えた。


「それにしても、酷いよ。私のこと、もうちょっと信じてくれたっていいのに」

「そうは言うけどさ……こっちに残るって俺の中じゃ一大決心だったんだよ。お前にも反対されるかなって思ってたんだ」

「う、それは確かにびっくりしたし、前の私だったら帰ってきてってごねてたかもしれないけど……でも、私も決めたから。少しずつ、頑張ろうって。会君のこと、待とうって」


 そう言って、またフィナは健気に笑った。士会も釣られて口元がほころぶ。


 それにしても、自分は心配性すぎるというか、フィナを甘く見ている節がある気がする。今回だって、もっとこじれると思っていたのだ。この前にフィナと喧嘩して、仲直りしようという時もそうだった。


 なんというか、いつまでも子供な気がしているのだ。自分だってフィナだって、少しずつ成長しているというのに。


 そうフィナに伝え、ごめんと素直に謝ると。


「あー……それは、えっと」


 フィナは少しだけ後ろめたそうに言葉を濁した。


「ん? どうかしたのか?」

「んー……ま、いっか。言わないでって言われたんだけどね?」


 フィナは固めをつむり、内緒話でもするように口元を近づけた。


「あの後、亮が私のところに来てね。私は、こっちの世界に来たら会君もこっちの常識にならってくれるだろうって思ってたんだけど、亮がそうじゃないって教えてくれて」

「亮が?」

「うん。なかなか認識を大きく変えるのは難しいから、ある程度は歩み寄らないと平行線だよ、って。会君の方じゃ、三十くらいでの結婚も、普通なんだもんね。それは、びっくりするよね」


 それで合点がいった。彼女自身成長したのもあったのだろうが、知らない内に亮が手を回していてくれたらしい。


「だからね、私は決めたんだ。会君が歩み寄ってくれるようになるまで、私は待とうって。今しばらくは、会君がこっちにいてくれるんだし、こうやっていつでも話せるんだし、ね」

「……ありがとな、フィナ」


 そう言われて、士会は胸の内がじんわりと温かくなるのを感じた。待つとは言うが、実質的にはこれは彼女なりの大きな譲歩だ。頑なに意見を変えない士会と違い、彼女はきちんとこちらのことを配慮してくれている。


 こうなるとむしろ、こちらも少しは譲らないと申し訳ない気になってくるが……あいにく、そうもいかない。


 少しもやついた気分を払うように、士会は話題を変えた。


「ったく……でもおせっかいとは言えんか。俺としては、助かったしな」

「急に会君がお礼を言ったら、亮もびっくりしそうだよね」

「驚きはしないと思うがな。気持ち悪がるだろうけど」


 うんざりした口調で士会がこぼすと、フィナは「確かに」と返しながらくすりと笑った。


 そのフィナが、ふと口に手をあて、何かに気づいたように声を漏らす。


「ん? どうした、フィナ?」

「あー、その……」


 どうも言うのを躊躇(ちゅうちょ)しているらしい。フィナは頬を赤らめて、顔を少し背けている。


「言いにくいのかもしれないけど、俺だってお前の言うことを受け止めることくらいはできるぞ。その、お前にばかり我慢させるわけにも、いかないし」


 先程の申し訳なさが残っており、士会の気遣いの言葉を吐かせた。しかし士会は、直後に後悔することになる。


 うつむいていたフィナは、士会の言葉を聞いて目を輝かせた。


「じゃあ、言うね。やっぱり不安になるから――その、証が、欲しいな」

「証……?」


 なんだか猛烈に嫌な予感がする単語だ。鏡相手に別段意味を成すわけではないが、無意識に士会は一歩後ずさる。


「うん……証。会君が私のこと、一番に考えてくれってるっていう」

「ああ、それなら……。もちろんフィナ。俺はお前のことが一番大事だぞ。今も、これからも」

「そうじゃなくて。ああ、えっと、そう言ってもらえるのはとっても、とっても嬉しいんだけど。私が言いたいのは、その、せめて形だけでも」


 キス――してほしいな、って。


 フィナにそう言われた瞬間、士会が固まった。


 キス!? キスって何!? 離れてるのにどうやってやるんだ!? 第一俺達まだそんな仲じゃ――いやでも互いに好きって言ってるし、それでいいのか――いやいやいやいや! まだ手もつないだことも――あるな。それどころか添い寝したり抱きしめたりしてるな。荷車の中で。


 混迷を極める士会の脳に、さらに信じがたい追撃が飛び込んできた。


「私達、今一緒にいるわけじゃないから――こう、鏡越しに、ね」

「鏡越し!?」


 素っ頓狂な声が出た。


 色々な段階を斜め上にすっ飛ばしてないかそれ。凄まじく恥ずかしいというか、そういう次元じゃない。危険な香りが強烈にする。


「だめ、かな」


 しかし、続いて耳に入ったフィナの声は、落胆を多分に含んでいた。直前に受け止めるだのなんだのと言っておいてここで拒絶したら、あまりにフィナに申し訳が立たない。自分という人間の沽券に関わる。愛しい人に対してそんな真似は到底出来ない。


 ……これは。


 背水。袋小路。崖っぷち。


 ――仕方ない、よな。


「いや……いいよ。やろう。鏡越しのキス」


 口にしてから思う。


 これ……やっぱダメだろ。


「ほんと! 良かったあ、そんなの嫌だって言われたらどうしようかと……」


 ああ……無理だ。もう引き返せない。


 既にフィナは目を閉じて、こちらに唇を近づけてきている。その柔らかそうな質感さえ、ありありと目に映る。


 最大限に顔を赤くしつつも意を決し、士会も目を閉じた。首飾りを口元に掲げ、そして唇を近づけて――。


 いや待て。どっちも目を閉じているなら、あたかも口づけたかのように振る舞えばバレないんじゃ。


 一瞬そんな邪念が過ぎったが、すぐに士会は心中で頭を振った。いくら真似事とはいえ、そんな不誠実なことはできない。


 そのままゆっくりと士会の唇も鏡面へと近づいて行き。


 やがて冷たい感触が、唇を通して伝わった。軽く、ほんの軽くだけ口づけて、士会はすぐに鏡から唇を離す。


 目を開けると、フィナが恥ずかしそうにうつむいていた。


「……ありがと」


 フィナがそう言い残してから、通信が切れた。


 しばらく士会は首飾りを手に、呆然と(たたず)む。


 ああ、次回いつ話すかまた決め忘れたとか、これって初めての口づけに入るのかとか、取り留めのない思考がとぐろを巻いていた。


 シュシュが心配そうに主人の様子を眺めているが、士会は全く気付かない。


 そして鏡の感触を思い出し――。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 士会はいきなり駆け出し、寝床に突っ伏した。


「士会様!? 士会様ぁー!?」


 シュシュが血相を変えて駆け寄る。


 ああ、なんというか。


 また亮に言えないことが増えたなと、士会は思うのだった。


                     ※


 所変わって、天守閣の最上階にて。


 ロードライトとアルバストが、二人で静かに酒を嗜んでいた。


「埋伏の件、どうもありがとうございました」

「礼には及ばんよ。こうしてより良い結果をつかめたわけだしね。さすがウィングロー軍の二番手、優秀だ」


 アルバストが手にした酒瓶を小さく揺らす。


 暗江原の戦いで、平原際にアルバストが四百騎で埋伏していたのは、ロードライトが独断で要請していたことだった。開戦前の軍議で危機感を覚えた彼が、保険をかけていたのだ。


 使者の二人が死んでもそれはそれで、と考える重臣たちもいるだろう。というか、一部は確実にそれを望んでいる。しかしロードライトは出発前にウィングローから、「彼らはこれからの鷺に必要なるだろう」と言われていた。暗に、決して死なせるな、という指示だろう。その言がある以上、ロードライトにとって、間違っても使者の二人を失うような結果になってはならなかったのだ。


「そんなことは。これだけの数を揃えて負けたのは、ひとえに私の指揮経験の無さから来るものですし」


 杯に注いだ酒をあおり、ロードライトは息を吐く。この戦は不自由なことも多かったが、同時に勉強にもなった。自分の普段の仕事は、元帥の補佐だ。ウィングローが気を配りづらい物事に目を向け、必要があれば進言する。こちらで処理できることなら、ウィングローを煩わせずに終わらせる。


 もちろん、戦の時は自分も一軍を率いる立場になる。しかし自分は、補佐という仕事に慣れ過ぎていたのだろう。あくまでウィングローの指示や動きから細やかに意図を汲み取り、指揮をすることには力を発揮できたが、あらゆる指揮を一手に担ったことはない。だから今回、事実上の総指揮という立場になって、こんな醜態を見せてしまったのだ。士会に偉そうなことを語ったが、指揮官の重圧に負けていたのは自分も同じだ。


「ウィングロー殿自身、使者のお二人だけでなく、貴殿に経験を積んで欲しい、という意図だったのかもしれないな」

「そうでしょうかね……議論の流れで私を出さざるを得なかった、というのもあるでしょうから、そこまではどうだか。とはいえ、確かに得るものは大きかったです」

「ならば重畳――ということで良いではないか」

「ま、そういうことにしておきましょうか」


 アルバストもぐいと白い杯を飲み干し、そのまま互いに酒をつぎ合う。


「こういうゆっくりとした酒は、やはり良いものだな」

「軍人の宴会は、いつだって荒れますからね。今日のような、月を(さかな)に――というわけには、そうそう行きますまい」


 二人がいるのは、天守閣の望楼部分だ。天に昇った半分の月が、白い輝きを放っている。視線を下に向ければ、ハクロの街を行く民草の暮らしぶりを垣間見ることも出来る。


「そういえば、あのお二人は、酒に手を出さないのだな」

「未成年だから、とのことですよ。道中も度々勧められていましたが、全て断っていました。話を聞く限り、どうも神域では、酒に年齢制限を設けているらしいですね」

「なるほど。ちらちらと戦振りを拝見したが、確かにまだまだ半人前だ」

「そういうことじゃないと思うんですけどね……」

「わかっているさ。冗談だ」


 下方から、声にならない叫びが響いて来た。ただ、危機感のある色ではない。一瞬立ち上がりかけたが、ロードライトはすぐに腰を落ち着けた。


「噂をすれば……というやつですかね」

「全くだ。もう少し落ち着きが欲しいところだな」


 アルバストも、上げかけた足を元に戻している。彼の纏う白い衣が、小さくすれた音を出した。


「将軍ご自身に言われれば、士会殿の立つ瀬もありませんな。先程から伺いたかったのですが、酔っておられる方が落ち着いていませんか?」

「ああ、よく言われるよ。どうも酒が入ると、口数が減るらしい。昼日中から部下に酒を勧められたりする」


 アルバストが酒をすすり、ロードライトが小さく吹き出した。


 どうやら、彼の部下も苦労しているようだ。麾下を真っ白に染め上げる人だものなと、同時にロードライトは納得する。口数が減っているというよりは、ひょうきんっぷりが抜けた感じだ。


「ところで、貴殿の身は大丈夫なのか?」

「ん? 何がです?」

「敗戦処理に決まっているだろう」

「ああ。そのことですか」


 今回は一万三千もの軍を率いて、八千に潰走させられたのだ。傍から見れば大兵を寡兵に叩かれた、無様な負け戦であり、実質的な指揮官だったロードライトが敗戦の責を問われても何ら不思議ではない。


「多分、大丈夫だと思いますよ。今、朝廷を牛耳っているのは殿下ですからね」

「……ああ、そういうことか。士会殿に懸想しておられるという話だったな」

「ええ。彼から連絡を取り、こちらに残って研鑽(けんさん)を積む、という話も殿下にするみたいです。その時、責任も自分にあると言わざるを得ないでしょう」


 どういう形で連絡を付けるかは知らないが、自分で殿下に伝える、とは彼から直接聞いたことだ。そしてその話をする以上、自分の力不足が、という話とも切り離せない。


「なるほどな。そしてその当人が首も一つ取っているし、まあ大事にはならんか」

「ですね。私の心配は無用ですよ。そんなことより、士会殿をよろしくお願いします」


 最後の最後で士会が取った首は、柳礫の卿の一人、禅項のものだった。民政には手腕を発揮する男だとアルバストは評していたが、戦場での勘は鈍かったらしい。


 正直なところ、これだけの大敗に、ロードライトは自裁も考えた。しかし、あくまで士会が今回の戦の総指揮であり、補佐の自分が自刃するのは、士会の顔を潰すことになりかねない。


「それは心得ているさ。ただ一つ、この戦を通して見た貴殿の評価だけ、聞いておこうかな」

「素人です」

「ぶった斬るな……」


 だが、事実だった。そして、何より最初に頭に入れておいてもらわねばならないことでもある。


「ええ。ですが、同時に才能の片鱗も見せています。特に、ここぞという時の冴え渡り方は素晴らしかったですね。禅項を迎撃した時の姿は、心震えるものがありましたよ。間違いなく、人を惹きつける力と、戦機を見極める目を持ち合わせています。あれは、将軍として育ててもいい器でしょう。後、武術はほぼからっきしですが、身体能力は高いです」


 ロードライトの声には、少し熱がこもっていた。


「ふうん……それはまた、不均一な伸び方をしているな。ということは、僕がやるべきは基礎の底上げかい?」

「そうですね。ただ、良いところ――戦場での鼻の効き方は、失わないようにしていただきたいところです」


 ロードライトが、既に空に近いアルバストの杯に再び酒を注いだ。なみなみと注がれた酒が、杯の中で波紋を立てる。


「そりゃそうだ。ともかく了解。せいぜい、頑張ってみるとしよう。それと、ウィングロー殿の意図も、できる限り汲むようにするよ」

「お願いします。……ちなみに、亮殿がどうなされるかは、お聞きになっておられますか?」

「いや、むしろこっちが聞きたい。貴殿も聞いていなかったのか」

「もしかするとそちらに話が行っているのではと思いましたが、違うみたいですね」

「まあ、大層仲の良いご様子だったし、こちらに残られるのだろうな」

「それは……どうでしょうね」


 杯を手に取り、一気に飲み干す。今日は酒の辛さが身に染みるなと、ロードライトは酔いを味わいながら思った。


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