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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第一部 異国からの脱出
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流された先1

 良く晴れた朝の陽ざしの下、漣が光を反射し、煌めいていた。遠くには、水平線が見える。

 亮は、砂浜に生えた木の幹に背を預けて座り、文庫本を開いていた。転移する時、とっさにつかんでいたのがこれだったのだ。読みかけだったので、ちょうどいい。


 周囲ではさっきまで人が忙しく立ち回っていたが、今は少し落ち着いていた。おそらくこの場所がある程度安全であることが確認できたのと、人の持ち場が大体確定したからだろう、と亮は思った。

 自身も手伝いを申し出たのだが、畏れ多い、そんなことは決してさせられないと、全力で断られたのを思い出し、少し苦笑した。仕方がないので、読みかけで先が気になっていた本を取り出し、読み進めていたのだった。

 ただ、いつもより進みは遅い。考え事をしていたからだ。


 元々フィナの口振りから、フィナのいる場所が地球かどうかすら怪しいと、少しだけ疑っていた。突拍子もない考えなので、すぐに頭の底に押し込めていたが、片隅に残ってはいたのだ。そして転移の直前、疑いは確信に変わった。

 それでも、転移に一切抵抗しなかったのは、単純に面白そうだったからだ。


 実際に来てみると、思っていたほど奇想天外な世界ではなかった。物は下に落ちるし、日が昇ればやがて沈む。一日の長さも、体感でだが、大きく変わりはしないだろう。水平線が見えるのだから、きっとこの星も丸いのだ。

 生活できないような違いはなさそうで、ほっとした。酸素という物質がない、地球の数十倍の重力とかだと、即死だっただろう。もっとも、人、つまりは生き物の姿形が似ているので、多分大丈夫だとは思っていた。


「……おや」


 士会がむくりと起き上がっていた。打った頭がまだ痛むのか、少し顔をしかめている。船が揺れた時にぶつけた箇所は、軽くなでただけでわかるほど見事にたんこぶになっていた。体を起こした拍子に、水を含ませた布が頭から落ちる。


「おはよう」

「おう。……ここは?」

「目的地よりも、大分南のどっかの海岸らしい。嵐で流されたんだよね。はい、水」


 傍らに置いてあった水入りの革袋を手に、亮は士会のそばまで歩み寄った。

 実は亮たちが船に乗り込んでしばらくしてから、強い嵐に巻き込まれていたらしい。船が大きく揺れていたのはそのためだったようだ。

 その嵐に逆らうことができず、海のなすがままに流され、海岸近くの岩礁に座礁したため、この砂浜に落ち着くことになったのだ。どの船も船底が破損しており、一夜を過ごしてから避難せざるを得なかった。あの喧騒の中でも全く起きなかった士会は、ある意味豪胆だと思う。


 というか正直、羨ましかった。揺れはさらに強くなり、到底亮は対応できず、酔いは悲惨な状況に到達した。戻した数は片手では足りない。これが本当に酔うという感覚か、と亮は止めどない吐き気の中で納得していた。

 今は回復している。地に足がついているというのは、素晴らしいことだ。


「ありがとう。大変なことになってるな……。なんで俺、こんな他人事みたいに感じてるんだろう」


 士会は受け取った水を、一息で飲み干した。よっぽど喉が渇いていたのだろう。


「そりゃ、体験が伴わないからじゃない? ずっと寝てていきなり状況だけ伝えられても、いまいち実感湧かないでしょう。よく見れば、大変そうなのもわかるよ。ほら」


 亮は、少し離れた場所で、兵士たちに囲まれているフィナを指差した。彼女の周りを囲む侍従たちを、さらに取り巻くように居並ぶ彼らの手には、その背丈より長い槍がある。天に向かって真っ直ぐ立てられており、穂先は光を受けて輝いていた。元々自分の周りにもたくさんの兵が付いていたが、物々しすぎて止めてもらった。それでも、少し離れたところに護衛が付いているのはわかる。


 フィナはぐっすりと寝ていた。最初は士会をしきりに心配しておろおろと動き回っていたが、船旅でかなり疲れていたらしい。遠巻きながら愛する人の寝顔を拝み、士会の顔がほころんだ。


「臨戦態勢だな……。さすが一国の姫君」

「ここ敵国だしねえ」

「……えっ?」

「耳を疑いたくなるの、わかる」


 とはいえ、残念ながら事実だった。船が風に流された結果、国境を大きく越えてしまったのだ。加えてここから海岸伝いにフィナの国に戻ろうとすると、岩礁や河口に阻まれ、止めに今いる国の砦の近くも通らなければならない。

 つまりここから脱出するためには、人目を避けつつ陸上を進んでフィナの国までたどり着くか、なんとか連絡を取って増援を呼び護衛してもらいつつ帰国するしかない。ただ、後者は陸路、海路ともに戦闘になるのは必至だ。


「ということは、俺たちは不法入国か……」

「いやいや、もっと悪い。僕らの素性がバレれば即敵認定される」

「おいそりゃマジか。……っていくら敵国とはいえ、それは極端過ぎるだろう」

「ここの国とフィナの国、滅茶苦茶仲が悪いらしいんだよね。そんなところに、姫君が迷い込んでるんだよ? 相手の国の気持ちになって考えると」

「捕まえるよなあ……そりゃ」


 起き上がりかけていた士会だったが、再び草地の上に崩れ落ちた。脱力したらしい。


「国境ではしょっちゅう小規模な戦闘も起きてるらしい。なかなか物騒だね」

「よくそんな時に、俺らを呼ぶ気になったもんだな……」


 士会は少し呆れたように言った。


「それが、この一件は、どうもフィナの暴走が原因っぽいんだよね」


 実は亮も、同じ疑問を抱き、何人かに事情を聞いていた。直接言うのはどうしてもはばかられるようで、誰からも遠まわしな返事しかもらえなかったが、亮は既に得られた情報から大まかなことは察していた。


「暴走?」

「うん。事の始まりは、さっきフィナにキレられてたエルシディア。彼が、僕らをこっちに寄越すことができる『かもしれない』発見をしたことだ」


 ちなみにエルシディアは士会、亮より十以上年上である。しかし、情報収集の際に亮が敬語を使ったところ、慌てて訂正を頼まれたため、既に亮の中では呼び捨てが定着していた。そろそろ、自分が相当敬われざるを得ない立場にいることに慣れ始めた、と言い変えてもいい。何せ、神の使者だ。


「正直なところ、その時はほとんど勘ってくらいの確かさしかなかったらしい。それでも研究の進展に変わりはない。エルシディア率いる研究チームは、その成果をチーム創設の発案者であるフィナに報告した」


 話が長くなると思った亮は、士会の隣に腰を下ろした。空を仰いでいた士会は、亮に一瞥(いちべつ)をくれたが、それだけで起き上がりはしなかった。


「……ん? あそこ、研究が始まったのってそんな最近だったのか」

「聖域みたいな扱いで、島の大部分が皇族以外立ち入り禁止だった、ってのはフィナから聞いたよね。その制限を一部解除して、研究に手を出せるようにしたのも、フィナらしい」

「へえ……あいつあれで、けっこう姫様やってるんだな」


 亮の隣の士会は会話をしつつ、半身で起き上がって何かを探していた。


「それは、わからない。研究を命じた目的はまさしく、崑霊郷から僕らをこっち側の世界に連れてくること。要するに、フィナのわがままだから」


 そして、数年で見事成果を上げたエルシディアは、やはり優秀なのだろう。たとえ、上手くいく見込みが小さかったとしてもだ。


「ありゃりゃ。まあ、そこはいいか。話を続けてくれ」


 促しながら、士会は両手を頭の裏で組み、枕替わりにした。頭の下に敷くものを、探していたらしい。


「報告を聞いたフィナは、それはもう喜んだらしい。僕らを呼び寄せる準備をするよう有無を言わさず命じられ、フィナ本人が翌日にはあの島に向かって出発したとか」

「おい、その発見はほとんど勘だったんだよな。それで、そんな物事が動き出すものなのか?」

「いや、僕も普通はそうはならないと思うんだけど……。でも、これはフィナの悲願だったと聞くね。嵐が来るような時期に船を出さざるを得なかったのも、そのせいみたいだし。今回はこんなことになってしまったけど、僕らの船には腕のいい水師が乗っていたんだ」


 しかし、姫殿下の命には逆らえなかった。いくら腕が良くとも、自然の力には抗いがたかったのだろう。


「とにかく、報告に向かった使者と一緒に島まで来てしまった姫を見て、研究チームは動転した」

「本来はもっと研究を進めて明らかにしていくはずが」

「強制的に即実行に移されることになった、と。そういう事情もあったから、研究チームはもう生きた心地がしなかったらしいよ」

「エルシディアさんが言っていたことも、仕方のないことだったのか。悪いことしたな……」

「とにかく、そういう経緯があって僕らがここにいるってことは、頭に入れておいてくれ。フィナは僕らには優しいけど……」


 亮は、ものものしい兵たちに囲まれて、寝息を立てているフィナに目を向ける。


「他の人には、それなりに厳しいらしいからね」

「……ああ」


 しばらくの間があってから、士会の返答は来た。おそらく、青ざめていたエルシディアのことでも思い出していたのだろう。

 亮はそれなりに、という評は、かなり穏やかにした言い回しだった。実際のところ、フィナは死罪を含む厳罰を科すようなことも少なくないほど、苛烈な面を持っているようだった。それを人に聞くのにも、結構な手間がかかったのだ。もし本人の耳に入ったら、と考えると、神の使者にも本当のことはなかなか言いづらいだろう。そこからは、姫に対し、恐怖を感じていることが見て取れた。


 とはいえ、亮や士会から見たフィナとはあまりに印象が違う。その差がどこから来るのかは、まだわからない。


「それはそうと、これからどうするんだ? 助けを待つのか?」


 士会ががらりと大きく話題を変えた。


「ううん、そうしたいところだろうけど……。海も陸も、ある程度の警備がいると見ていいと思う。特に、国境近くはなおさら。それをこっちの使者がかいくぐれたとしても、援軍はまず見つかるだろうからなあ」

「なるほど。援軍が途中で撃墜されてこっちは待ちぼうけ、とか洒落にならないもんな」

「それどころか、現状バレていない僕らのことが露見する恐れもある。まあ、僕らの決めることでもないから、わかんないけどね。でも僕は、こっそり移動して国内に戻る方法を選ぶんじゃないかと思ってる」


「その心は?」

「さっき言ってた、援軍はあてにできないってのが一つ。援軍を待っていて隠れても、その生活にフィナが耐えられるか怪しいというのも一つ。そして何より、今の僕らの状況を、敵は知らない。こっそり帰ることが出来るなら、それに越したことはない」


 士会が考え込んでいた。何か言いたそうなので、亮は一度言葉を切った。


「もし、見つかったら」

「その時は、戦うことになるんだろう」

「……わかった」


 士会の返答に、やや間があった。それで亮は、自分が戦うと言った意味を、士会も汲んでくれたと判断した。

 兵士が持っている槍や剣は、決して飾りではないだろう。その時が来れば、当然それで、殺し合いを繰り広げることになる。

 亮は、目を閉じた。最悪の場合、自分たちにも戦う機会が回ってくるかもしれない。その時が来て、自分が本当に動けるかは、わからない。今できることは、最大限の覚悟を固めておくことくらいだった。


「それと、もう一つ。僕らはここでは、随分貴重な人間として扱われている。多分、フィナに匹敵するくらいに。だから、周りの人は、僕らを守ろうとして死んで行くかもしれない」

「そこまでか……」


 士会は黙り込んでしまった。考え込んでいるようだ。こんな話を急にされても、受け入れるには時がかかるだろう。


 実を言うと、亮にはさらに懸念があった。

 この集団における最高権力者は、フィナだ。つまり、疲れたとか、しんどいとか、フィナが主張すればそれに従うことになる。一々それに取り合わず、一刻も早く進ませるのも臣下の勤めとは思うが、彼女が皆から恐れられている以上、それに引きずられる可能性もある。


 ただ、それは士会がいさめれば、上手く回る気はした。あまり気を揉んでも仕方がない。

 そんなことより、自分の心配をした方がいいだろう。結構な頻度で運動していて体力もそれなりにあるし、山遊びから悪路にも強いという自負はあるが、それはあくまで向こうの世界での話だ。科学の楽する力を借りずに生きている人の体力には、遠く及ばないだろう。


 せいぜい、弱音を吐かずに懸命に歩こう。幼い見かけの自分たちの従者ですら、既に仕事を持っているのだ。ひょっとすると、彼女たちよりも歩けないかもしれない。

 足を引っ張らないようにしないとな、と亮は自分に言い聞かせた。

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