決意1
「士会様あぁぁぁあ! よくぞ! ご無事でっ! 何よりですうぅぅううう!」
士会が歩いて城門を通り、ハクロの街に一歩足を踏み入れると、泣きはらして目を赤くしたシュシュに飛び込まれた。
「おわっ! お、おう……ありがと、迎えに来てくれて」
なんとかシュシュを抱きとめ、背中から支えてやる。少しぐすぐすと士会に泣きついてから、シュシュは顔を上げた。
その目は、涙ぐみながらも少し厳しい。
「しゅ、シュシュ?」
「うぅ……。士会様は! どうしてそう! ご自身を危険な場所に置かれるのですか!」
「あーいや、そうせざるを得なかったというか……」
言いながら、今回はそこまで必要でもなかったな、と士会は思った。
「知りませんっ! いいですか、心配して待っている人だっているんですよ!」
抱きつかれながら叱られるという状況に、士会は目を白黒させながら、シュシュの頭を撫でてやる。少し全体の表情が和らいだが、まだまだ機嫌を直してくれそうにはない。
それはそうだ。今回は、必死でフィナを説得していれば戦に出ることもなかっただろう。こんな悲惨な結果に終わったのは、自分が戦に出る、指揮を執るということに対しての考えが甘く、ただ状況に流されてしまったからだ。
隣では亮も、ミルメルの静かな説教を受けていた。
「逐一私たち従者が、ご主人様の行われることに口を出すわけには参りません。でも、どうか帰りを待ち望む人がいるということも、頭の中に入れておいてください。もちろん、戦に出る以上命の危険も仕方がないです。ですが、少なくとも私たちは、確実に心配していますし、もしも訃報に接しようものなら、主の命を守ることが出来なかったと自責の念にもかられます。ですから――」
「わかった、わかったからごめんって。ちょっとミルメル怖いよ……?」
「当たり前です!」
ああ、亮も困ってる困ってる。切々とひたすら責めるミルメルにたじたじしてる。こっちを見てにやにやする余裕がなさそうでありがたい。
「ぐずっ……。私だけじゃありません、フィリムレーナ様も士会様の帰還を心待ちにしていらっしゃるんですよ? せめて私たちだけでも今度から連れて」
「全く。いいですか、私たちだけでも次からはお供し」
「それはダメ」
全く同じことを、亮も隣で言っていた。
いくら心配されてしまうといっても、小さな女の子を戦場に連れて行くなど論外だ。
もっとも、二人はこれでも今年で十五らしい。このなりでか、と思わなくもないが、十八でかつこの二人ほどではないにしろ小柄なフィナのことを考えると、身体能力同様、体格も自分たちより一回り小さいのかもしれない。道行く人を眺めていても、平均的な身長であるはずの士会も亮も、自分より大きな人を見かけることはあまりなかった。
「それと、フィナのことなんだけどな。俺がいない間に通信、来たか?」
「あ、来ましたよ。明日の夜、もう一度かけてこられるそうです」
「明日か……。ちょうどいいな。てか、いつもこうやって時間決めとくべきだよなあ」
シュシュは質問に答えながら、懐から首飾りを取り出した。戦の時になくしたりしたら事なので、シュシュに預かってもらっていたのだ。ほのかにシュシュの温かみが残る首飾りを、士会はすぐに首から下げた。
フィナとの連絡は、和解してから不定期的に行っていた。何せフィナからしか繋がらないので、こちらからはいつ話せるかもわからない。今にして思えば、どうして定時連絡というか、せめて次いつ話すかだけでも決めようとしなかったのだろう。
「それと、きちんとあの子の世話もしていましたよ! 今は厩舎の中ですけど」
あの子とは士会が引き取っている巨鳥の雛のことだ。戦についてくると言い張られた時、士会は首飾りの番と雛の世話を押し付けて、置いていく名目にしたのだった。
「おう、ありがとな。助かったよ」
褒めて褒めてと言わんばかりのシュシュの頭を優しく撫でてやると、シュシュは気持ちよさそうに目を細めた。
「……士会様、本当に心配したんですからね。二度とお会いできないかと思うと、胸が苦しくて、苦しくて……。敗戦の報を聞いた時はもう、気が気じゃなかったです。どうか、ご自身のお体を大事にしてください」
「……ごめんな、ありがとう」
再び潤みつつあるシュシュの丸い瞳を見つめながら、士会は優しげな笑みを見せて謝り、再三の礼を言った。
※
翌日。
士会は城壁の上に一人で上がり、広い景色を眺めていた。涼やかな風が心地いい。秋の訪れを感じる。
山々の向こうに、かすかに平野が見えた。あれが暗江原だろうか。
ちなみに、シュシュは厠ついでに撒いた。昨日の今日でこれだ、また怒られるだろう。
だが、一人でゆっくり考える時間が欲しかったのだ。
視線を下に向けると、兵がまた一人、ふらふらと城へ続く道を歩いてくる。潰走して逃げていた兵が、なんとかハクロまでたどり着いたのだ。昨日から夜通し、少しずつ兵の回収が行われている。
ロードライトによれば、朝の内に大体連れてきた軍の七割強が帰ってきているそうだ。最終的には、八割を超える兵が戻ると見通されている。
その内、犠牲が多いのはウィングローが出した隊、つまり士会のいた隊だ。兵が惰弱だったわけではなく、潰走した時に最後まで踏ん張っていたために、打撃も大きく受けた。残って指揮をしていた隊長は、深手を負ったもののなんとか帰り着いている。
合わせると、二千人以上の兵がこの戦で犠牲となった、ということだ。将に損害が出なかったのが唯一の救いといったところだが、被害は甚大である。
士会は一息吐いて、胸壁に預けた腕に顔を埋めた。
「ああ、やはりここでしたか」
急に後ろから声をかけられ、士会は慌てて振り向く。情けない自分を戦の間必死で支え続けてくれた苦労人、ロードライトがそこに立っていた。
「よくここがわかったな……。誰にも言っていなかったのに」
「一人になりたいという気持ちは、私にもわかりますからね。おそらくはここだろうと思ったのですよ」
「……そんなもんか」
ロードライトが士会の隣に立ち、同じように腕を組んで胸壁に体重を預けた。
高く飛んだ蜻蛉が一匹、二人の前を横切っていく。そのまましばらく、二人は風に当たっていた。
「……秋、だな」
「そうですねえ。実りの秋です。もうじき、実った稲穂を刈り取る作業に、民が勤しむようになるでしょう」
稲と聞いて、士会は故郷の風景を思い出していた。士会の家の近くには、田園風景が広がっている。稲穂を刈り取ったあとの乾いた田んぼは、子供の頃の遊び場にうってつけだった。よく鬼ごっこやちゃんばら、野球などいろいろな遊びに精を出したものだ。
「こっちでも、収穫が終わった後の田んぼで、子供が遊んだりするのかな?」
「うーん、どうでしょう……。あまり遊んでいるのを見たことはないですね。水を含んでぐちゃぐちゃですし、もっと遊びやすい場所がいくらでもありますから」
「あれ、収穫後も田んぼに水が残ってるのか?」
「もちろんそうですよ。崑霊郷ではそうではないのですか」
「ああ。バッチリ乾燥して空き地みたいになる」
「ほう、それは興味深いですね。何故水を抜いてしまうのでしょうか。翌年また水を貯めるというのに」
「そういえば、確かに……。単にほったらかしにしたら乾いちゃうだけじゃないのかな。うーん、それが当たり前で、考えたこともなかった」
士会もロードライトも、何の気なしに口元がほころんでいた。小さく笑い声も漏れる。
「なんだか不思議だな。昨日は殺し合いをしていたのに、今日はのんびり世間話なんて」
「はは、軍人とはそんなものですよ。この年になると、戦もまた日常です」
また二人は、しばらく会話を止めて景色を眺めていた。
山の中から兵が一人、転げ落ちるように出てくる。
次に口火を切ったのは、ロードライトだった。
「先に一つ、申し上げておきましょうか」
ここまで柔和な表情だったロードライトが、突如顔を険しくさせた。その様子に、士会は言葉を返せなかった。
ロードライトは大きく息を吸い、続いて一気にまくし立てる。
「――いいですか! 最後の騎鴕隊との一戦、あれは明らかに余計です! 士会殿は依然として、ご自身がいかに重要視されているかご存知ない! 今回は上手くいったから良かったものの、もしあなたが命を落とされたり、捕虜になられたりしていれば、それが鷺に与える打撃は私の比ではありません。あなたと亮殿は我々にとって、幾人の命を踏み台にしてでも生きてもらわねばならないのです。ゆめゆめ、忘れることのなきようお願いします」
「は、はい……ごめんなさい」
今まで穏やかに話していただけに、急に怒鳴られて士会は仰天した。同時に噴出した軍人としての威厳に、圧も感じる。尻すぼみな謝罪が口からこぼれ出た。
しかしロードライトは、すぐに顔から固さを消して、笑みを浮かべた。
「……とまあ、これは一応言っておかなければならないことです。しかし戦人として見れば、あの時のあの判断は、実に英断であられたと、私は思います」
「え……?」
「良くも悪くも、兵とは将についてくるものですからね。総指揮が逃げて補佐の私が残りを指揮するより、総指揮である士会殿ご自身が先頭に立ち、自ら指揮を取るほうが、ずっと良い結果を見込めます。たとえ、指揮が拙くとも。あのお姿を見て、正直なところを申せば、胸が熱くなりましたよ、私は」
正直褒められるとは思っていなかったため、士会は最初、面食らって反応が遅れた。少し遅れて、ほのかに温かい気持ちと、鈍い痛みが心の隅に生まれる。――そうか、自分はそんな風に、外から見えていたのか。今の士会にとって、ロードライトの、士会自身を肯定するような言葉は、何よりも嬉しく、同時に罪深く感じるものだった。
黙ったままであったことに気づき、士会は慌てて礼を言う。
「ありがとう。……けど、多くの犠牲が出たのも俺自身のせいだ。今回は戦の理由も戦の指揮も、全て俺だったんだから」
同時にようやく、胸に澱のように溜まっていたものが口から出てきた。そこからは、堰を切ったように言葉が、涙が溢れてくる。
「俺の身分なんて――そんなことのために死ぬなんて、あまりにも報われない。死んだ人は、二度と立ち上がらない、笑わない、動かない! 今のままじゃ、死んでいった人たちにも、その家族にも顔向けできない。一体俺は、何千人もの命をどう償えばいいんだ。どうすれば許してもらえる。どうすれば――」
「償えもしませんし、許してもらうこともできないでしょうね」
士会の慟哭を、吐き出される叫びを、ロードライトが涼しい口調で遮った。その顔に感情はほとんど浮かんでいないが、瞳がわずかに寂しさをたたえている。
「指揮官とは、そういうものです。率いる兵、全ての命を預かります。倒した敵も、死なせた味方も、全て自らの肩に背負います。それをおくびにも出さずに兵たちを束ね、自らの手足のように動かします。そう考えると酷い職業ですね、軍人というものは。確かに、自責の念に駆られ、潰れてしまう人も中にはいます」
士会は涙のにじむ顔を、さらに絶望で歪めた。ぎり、と歯ぎしりの音が高い城壁の上に響く。
ロードライトはその角ばった手を士会の背に乗せた。人の温かみが、背中を通して士会に伝わる。
「けれど、それでも前を向いて、主君のために戦うのです。それが戦場で指揮をするということですから。人の死に心を動かさないわけではありません。ただ、顔に出さずに――そう、孤独に戦う。それが指揮官です。補佐ですら、なかなか将の孤独をともにすることは出来ません。一番上と二番目というのは、近しいようで遠いのです」
そう言い終えて、ロードライトは士会の背から手を離し、静かに下ろした。さらに小さくため息もついていたが、士会はそれどころではなく、その耳には届かなかった。
ああ、今にしてようやく分かった。自分には覚悟が全く足りていなかったのだ。人を殺す覚悟などという次元の問題ではない。万を超える人間の命を使うという、傲慢とすら思えるような、そんな覚悟。
涙が止めどなく腕を濡らす。自分が生き残ればそれでいい――なんと薄っぺらな気持ちで、自分は一万三千人の上に立っていたのだろう。吐き気すらしてくる。
それでも、受け止めなければならないのだ。それが指揮官として、戦場に踏み入れた者の義務なのだから。いくら傀儡だったからといって、そんな生易しい言い訳はきかない。
そっと士会は腕組みを解き、片手を胸にやる。するとちょうど、シュシュから返してもらった首飾りに、手が触れた。思わず、握り締める。
そもそも士会が剣を取ったのは、愛する人を、フィナを守るためだ。そしてこの国の将軍になるということは、これからも主君――士会にとってはフィナのために剣を振るうということにほかならない。それは、士会の望むところでもある。
そのために必要なことというなら、どうして耐えられないことがあろうか。きっと、時間はかかるだろう。それでも、ここで折れるわけにはない。
首飾りから手を離し、士会は顔を上げ、ロードライトの目を正面から見据えた。光る涙はまだ頬を伝い流れ落ちているが、その勢いは止まっている。
腹は決まった。
そして決意を表す言葉を、ロードライトに伝える。
「一つ、頼みがある」