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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第二部 戦場への回帰
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暗江原の戦い4

 士会は必死で鴕鳥にしがみついていた。気を抜くと振り落とされそうになる。


 側には亮がいて、二人の周りを百騎が固めている。しかしその奥は、無秩序な混乱がひたすらに広がっていた。


 誰も彼も、敵に背を向け全力で逃げている。それを追うのは、勝ち馬に乗った袖軍だ。


 右翼が崩れた衝撃は、素早く中軍に、続いて左翼に伝播(でんぱ)した。それでも中軍はなんとか持ちこたえていたが、練度の低い左翼はあっさりと潰走。取り残され、最高指揮官も退いた中軍は、殿(しんがり)としてなおも耐えようとしたが、少し時間を稼いだ程度で袖兵の波に飲み込まれた。


 士会たちは、右翼が崩壊した段階でロードライトとともに後ろに下げられ、そのまま戦場から離脱を図っていた。ロードライトは士会たちの前で、麾下を先導している。


 既に潰走した兵がまばらに散っており、騎鴕の速度を十全には活かせていなかった。誰も彼も、逃げるのに必死なのだ。


 それは、自分も同じだった。とにかく、走らなければ。一歩でも間違えれば、命を落とすことになる。


 ああ、思い出した。死がすぐそこにある恐怖。全身の肌に冷気が沈み込んでくるような、心の臓が底知れぬ奈落に落下していくような、暗い感覚。


 一ヶ月という時間は、士会の想像以上に大きなものだった。忘れるにも忘れられないと思っていた死への恐怖でさえ、時間とともに風化している。


 士会の乗る戦鴕が大きく跳ねた。合わせて士会の体も上下に振られ、手綱を握り締める手が軋む。


「士会! 大丈夫か!」

「おう! なんとかセーフだ! 死んでたまるか!」


 巻き上がってくる怖れや不安を払うように、やけくそ気味に士会は叫んだ。


 しばらく走ると、街道に乗った。下が均された地面になり、走行が少し安定する。士会は小さく息を吐いた。


 暗江原の終わりも近い。今、百騎の先頭を走るロードライトは、山間に入ればまだなんとかなるとだけ言い残していた。寸暇も惜しい状況で、どうしてそこまで逃げればいいのかは聞けなかったが、とにかく目的地が近いのは嬉しい。


「士会、後ろ!」


 反射的に背後を見た。自軍の兵の向こうに、ちらちらと猛追してくる騎鴕隊が見える。翻るのは袖の旗に、「瑚」の旗。速い。まだ距離はあるが、すぐに追いつかれそうだ。


「あ……」


 だが。今まで自分のことで精一杯で、周りにほとんど目を向けていなかった士会にとって、追撃軍など些細なことに思えるくらい、衝撃的な光景が広がっていた。


 逃げる鷺兵が、次々と背中から討たれている。ある者は剣で首を斬られ、ある者は槍で腹を貫かれ、またある者は倒れたところを騎鴕に轢かれている。目を覆いたくなるような、凄惨な情景だった。


 戦の犠牲の大半は、追撃戦によって生み出される。知る由はなかったものの、その言葉を士会は身をもって理解させられていた。


 何より士会の心を苛んだのは、今死にゆく鷺兵は自分のためにこの戦に来た、という事実だった。この戦の発端は、自分の格付け騒動によるものだ。そんな、個人のくだらない事情のために、今幾人もの人間が死んでいる。


 しかも自分は、曲りなりにもこの軍の総指揮なのだ。兵力では上回っていた。おそらく並以上の指揮官なら、勝てる戦だったに違いない。


 自分が、兵を死地に追い込んだ。しかも戦中に自分が考えていたのは、いかに自分が生き残るかだ。死に晒されていると感じたのも、潰走が始まってからで、それまではたくさんの兵に囲まれ、どこか安心している節すらあった。自分勝手にも程がある。


 結局全体で一体何人が死んだ? 百? 千? 皆、自分が適当な気持ちで戦に臨んだせいで命を落とした。自分が殺したようなものだ。


 なんとなく、流されていた。その結果が、これだった。


 考えている間にも、敵の騎鴕隊は近づいてきていた。既に彼我の距離はわずかであり、麾下の百騎の最後尾に、その刃がかかりかけている。


 ああ、まだまだ多くの兵が自分を守るために死んでいくのだろう。なんで自分はこんなところにいるんだろう。どうしてこんなところまで来てしまったんだろう。なぜ――


 不意に、前方から土煙が上がった。


 敵の新手に挟まれたか。士会も亮も肝を冷やしたが、ロードライトは構わず走り続ける。怪訝に思ったのも束の間、その軍は士会のいる一団を素通りし、そのまま士会を追う騎鴕隊に斬りかかっていく。


 白かった。


「………………」


 通り過ぎて行ったのは、四百騎ほどの騎鴕隊だ。そのうち先頭の五十騎ほどは、具足が白一色に統一されている。さらにその先頭を行く一騎は、戦鴕から手にした剣まで輝かんばかりの真っ白だった。


 顔は見えなかったが、間違いない。アルバストだ。


 士会の口が、知らぬ間に少しほころんだ。あの奇怪な格好を、部下にも押し付けているらしい。


 アルバストは、本当に絶妙な時を見計らって介入してきた。ちょうど、「瑚」の旗を掲げた騎鴕隊が士会を追い、速度を上げて隊列が乱れかけたところに、突っ込んだのだ。おかげで、敵の騎鴕隊は容易く乱れた。崩れるまではしていないが、士会を追う余裕はない。


 アルバストは、一撃入れてすぐに離脱した。士会とは別の方向だ。地元だからこそ、よく知る道があるのだろう。


 平原を抜けた。街道をそのまま逃げる兵もいれば、山の中に逃げ込む兵もいる。街道中の兵の密度は濃くなり、自然と士会たちの速度は落ちた。


 ああ、そうだ。今自分を責めても仕方がない。現在進行形で味方は討たれ続けているのだ。ならば今考えなければならないのは――償うことではなく、防ぐこと。


 背後に、またも敵影が現れた。今度は先程よりもずっと少ない、おそらく向こうも百騎ほどだろう。「禅」の旗を掲げている。


 遮る味方は――いない。アルバストの奇襲をも、上手く抜けてきたらしい。


「士会殿! あとは街道を走り抜け、まっすぐハクロまで向かってください! 私は今ここにいる百騎を率い、敵を食い止め――」


 ロードライトが下がってきて、士会たちを送り出そうとした。しかし、士会がそれを押しとどめる。


 それではダメだ。何も変わらない。やるなら、ここだ。この時を、逃してはならない。


「――反転!」


 士会は手を振り上げて合図を出した。体を起こして鴕鳥を止め、迎え撃つ姿勢を見せながら逆を向く。少しよろめいたものの、士会の乗る戦鴕は思うように動いてくれた。そして、士会は、突き刺すような鋭い視線で、近付く敵を見据えた。


 士会の指示に麾下の兵たちは一瞬戸惑ったものの、守るべき者を置いていくわけにもいかない。全員が反転する結果となった。他の反転は一瞬遅れたので、自然と士会が先頭に躍り出た。


「士会殿!? 何をしてるんですか、早くこの場を!」

「士会! 言われた通り、行かないと」

「すまん! けど俺は、ここで剣を取らないと、二度と立ち上がれない気がするんだ――突撃!」


 副官二人の制止を振り切り、士会は剣を抜いて宣言してから、まっすぐ敵へと突っ込んだ。慌ててロードライトも亮も兵たちも、全員がそれに追随する。


 敵の指揮官も前に出ていた。急速に彼我の距離が狭まる。


「柳礫の候が一人、姓を禅、名を項と申します! 僭越ながら、使者殿をお迎えに参りました!」


 敵将――禅項が叫ぶように名乗り、修辞を含みつつ宣戦した。士会もそれに合わせ、間髪を入れず応じる。


「姓は武宮、名は士会! 丁重にお断りします!」


 接敵。


 士会には、相手の一挙手一投足が見えていた。敵が上段から剣を振り下ろしてくる。それを防ぎ、弾き返しながら士会は戦鴕を駆けさせた。馳せ違う。


 敵兵の攻撃を剣で受けながら、士会はそのまま走り、すれ違ったところで折り返す。さすがにウィングローがつけてくれた選りすぐりの麾下だけのことはあり、急な方向転換にもあっさりと付いて来る。


 行ける。バリアレスとの立ち合いに比べれば、重さも鋭さも段違いに小さい。動きも単調だ。


 反転した時に、ロードライトと一瞬目が合った。


「ここまで来たら、見せてもらいますよ。使者殿の実力を!」


 士会は無言で頷き、再度突撃した。相手もこちらへと向かってきている。


 戦鴕が走るのに合わせ、体が大きく揺れる。大事なのは逆らわないことだ。揺れも利用し、合わせるように動けば、大きな力を使わなくても剣を振れる。


 今度は、敵の指揮官の剣を弾き飛ばした。体勢も大きく崩れる。しかし落鴕とまではいかず、敵兵の中に埋もれていった。


 ちらりとそれを確認しながら、士会は敵兵の相手をしつつ、駆け抜ける。


 だが、まだ向こうもやるつもりらしい。敵の騎鴕隊が、渦を巻くようにして方向を変えている。自分の首は総大将の首なのだ、こだわるのも道理だろう。


 士会は決死の覚悟で騎鴕隊を指揮していた。微細な指示など自分では出せない。判断もできない。やろうとするだけ、意識と時間の無駄だ。合図もいらない。自分が敵に向かって走り出せば突撃、敵に背を向けて逃げ出せば退避、そう割り切った。


 反転。


 駆け出しながら、後ろにいるはずのロードライトに声をかける。


「なあ! 敵の指揮官倒したら、そのまま勝てるか!?」

「ええ、そのままあの隊を、潰走まで持っていけるかと思われます! 敵の援兵が来るとも限りませんし、さっさと決めたほうがいいでしょう!」

「そうか。よし」


 ロードライトの声は、やけくそ気味に聞こえた。不敵に笑みを漏らし、士会は威勢良く剣を振り上げる。


 先程武器を飛ばされたからか、警戒して敵の指揮官は兵の中に入っていた。しかしそのためか、勢いが少し落ちている。


 今度はすれ違おうとせず、まともにぶつかった。勢いに任せて突き進み、邪魔な敵兵は無理やり剣で払いのける。


 断ち割るように、士会は敵の騎鴕隊の中へ突っ込んでいった。


 もとより互いにそう兵力は多くない。すぐに敵の中心へと到達する。


「覚悟おおおおおおおお!」


 敵の指揮官に向かって剣を振り下ろす。一撃目は、部下からもらったのか、再び持ち直していた剣で防がれた。しかし勢いよく下段へと振り下ろされた士会の剣で、敵の姿勢は大きく崩れる。


 隙だらけだ。やれる。


 すれ違う直前、ためらいなく振るった士会の剣は、振り返っていた敵将の顎ごと喉をかき斬った。鮮血が吹き上げ、剣と士会自身に返る。


 一瞬、士会の体が硬直した。久しいのは死の恐怖を味わうことだけではない。自らが人を殺すことに対する嫌悪感も、時と共に薄れていた。


 だが、自分は決めたのだ。多くの命の上に立った自分の命、容易く失うわけにはいかない。だから、強くなろう、と。


 戦場で自分を殺そうとする相手に、容赦をするほうがおかしい。こんなことで手を止めるわけにはいかないのだ。


「油断しないっ! まだ敵中ですよ!」


 士会に迫る敵の槍を、ロードライトが自身の剣で弾いていた。さらに返しに、その持ち主の首を斬り飛ばす。


「ありがとう!」


 指揮官を失った敵は、既に平静を欠いていた。ほとんどは暗江原へと逃げ帰ろうとしている。しかしまだ、向かってくる者もいた。


 鴕上で上体を動かし、突き出された槍を避ける。出来た隙を逃すことなく、士会は接近し、剣を突き出した。具足の下側、腹部に深々と剣が刺さる。衝撃か痛みかで、敵兵は槍を放していた。


 今度は手を中心に、士会の全身に返り血が飛んだ。生暖かく、少し粘性のある血液の感触が、露出した手から直に伝わる。


 また、戻しそうになる嫌悪感がこみ上がってくる。それでも士会はそれを必死に押さえ付けた。


 剣が抜けない。即死ではなかったらしく、敵兵が叫び声を上げながら死に物狂いで暴れる。具足の兜や胴に拳骨が当たる。


 士会は足で敵兵を押し付け、剣を力ずくで抜いた。そのまま敵兵は地面に落ちる。一瞬まだ助かるのでは、という考えがよぎったが、すぐに士会は頭を振った。ここは戦場だ、情けをかけるような場ではない。


 今ので最後だったようだ。残りの敵は他の兵が始末したか、既に逃走していた。


「おおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 士会は剣を振り上げ、雄叫びを上げた。麾下の兵がそれに応じ、轟くような(とき)の声が上がる。


 一通り終わってから、士会は自分が荒い息を吐いていることに気が付いた。鮮血に染まる全身は小刻みに震え、鈍色の剣は紅を滴らせている。


「士会殿、ひとまず引き上げましょう。まだ追撃が来る可能性もあります」

「……ああ」


 覚悟をもって剣を振るったのだ。いつまでも引きずっているんじゃない。


 そう自分に言い聞かせ、士会は再び鴕首を街道の先へ向け、駆け出した。


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