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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第二部 戦場への回帰
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亀裂

 その夜。士会はフィナからの呼び出しを受けた。こちらにも話したいことがあるので、ちょうどいい機会だった。こんなに早いとは思っていなかったが、夜に一対一なら、願ってもない状況だろう。


 天には月が煌々と輝いている。満月の一歩手前、といったところか。街の灯りも現代に比べれば無きに等しいので、月明かりにも負けず星がよく見える。


 向かう場所は天守閣の隣、フィナの住まう宮殿だ。天守閣にも皇族専用の空間はあるが、主に生活しているのは宮殿の方らしい。


 今の立場では私が入るのははばかられるので、と言われ、シュシュとはその建物の入口で別れた。代わりに、フィナの寄越した侍従が付いてくれて、案内を受ける。

 先導されながら、左右に明かりが灯された廊下を歩いていく。足元が怪しくならないよう、絶妙な間隔で配されていた。


 途中、少し外も見えた。広大な庭が、夜の静寂にたたずんでいる。奇岩に縁どられた池に、丸い月が映っていた。その上に、朱塗りの橋がかかっている。


「こちらです」


 やがて、奥まった一室に着いた。侍従がとんとんと扉を叩き、フィナの返事を待ってから開ける。


「士会様をお連れしました」

「こんばんは、会君。入って入って」


 一礼して、侍従が立ち去った。それを見送りながら、士会は部屋に立ち入る。

 そして、絶句した。


「……ん? 会君、なんで立ち止まってるの?」


 部屋は一人で使いきれそうにないほど広い。こんなところに放り込まれたら、不安になって眠れなくなりそうだ。天蓋のついた巨大な寝台を始めとして、箪笥、机など、家具調度の全てが一級品であることが、素人目にも良く分かる。何から何まで、華美な装飾に彩られている部屋は、ウィングローの邸宅で見た質素な優美さとは対極にあった。なんだか、指紋をつけることすらはばかられる。


 しかし、士会が驚いたのは、部屋の豪華さではなかった。そちらはいい加減、慣れてきている。


 フィナは寝台の上に腰掛けていた。それはまあ、いい。


 問題はフィナの服装だ。彼女は寝間着と思わしきものを着ているが、これがものすごく生地が薄い。半分透けている。その下に何も来ていないことがわかる程度には、見えてしまう。


「いや、その……なんでそんな格好なんだ」


 直視できず、また近寄ることもできず、士会は片手を引き戸にかけたまま、顔を明後日の方向へそらしていた。それでもつい、フィナの挙措に目が行ってしまう。部屋に明かりはあるが、薄暗く、その中でのフィナの手の動きや身動ぎは、士会にとって魅惑的なものだった。


「……女の子に、そんなこと言わせないでよ」


 昨日に続き、またなのか。そういえば昨夜、シュシュもフィナがどうとか言っていた。あの時は気にする余裕がなかったが、よくよく思い出せばこの展開は予測できたかもしれない。迂闊だった。


「いや、そういうのは、俺たちまだ早いんじゃないかと」

「えー、むしろ遅すぎるぐらいだよ」


 確かに、六年来の付き合いではある。しかし、あまりの急展開に士会はついていけていなかった。


「それはないだろ。俺たち、まだ十代だぜ」


 第一まだ付き合ってもいない。好意を持ちつ持たれつなのはわかりきっているが、それでも順序がおかしい。


「違うよ。私、もう十八だよ……? 同年代なら、大体は結婚してる歳だもん」

「え」


 そんなわけがないと思う反面、士会には思い当たる節もあった。こちらに来てよくよく思い知らされたことであるが、自分たちの住んでいた世界とこちら側の世界とでは文化にかなりの差がある。結婚の年齢にしても、そうなのか。フィナの焦りが、一段と増して感じられた。


 会話の食い違いに気づいた士会だったが、だからといって受け入れるわけにはいかない。急すぎるというのも大きいが、それ以上の問題もある。


「けど……それでも、早すぎる。そういうのは、俺たちには……順序を踏まえた後にすることだ、と、思う」


 動揺が言葉尻に現れており、たどたどしく士会は言った。


「そんな……ねえ、会君、私のこと……好きで、いてくれてるんだよね?」


 フィナの顔は、信じたくない、というような不安げな色を移していた。絶望の感情すら差している。多分フィナは、士会がこんな反応をするとは夢にも思っていなかったのだろう。士会もまた、沈痛な面持ちでフィナの瞳を見つめていた。


 この六年間、フィナはこちらの文化にも随分慣れたと思っていたが、この数日で一気にその認識は変わった。フィナにとって、鏡の向こうは画面の向こう、物語の世界のような感覚なのだ。向こうは向こう、こちらはこちらと、意識せずとも区分しているのだろう。


 そして、フィナに言われて始めて気づく。自分は一度でも、自分からフィナに、好きだと気持ちを伝えただろうか。態度には示していたつもりだが、フィナの好意に甘えて、自分の気持ちを言葉でしっかり伝えることを疎かにしていなかったか。


「もちろん、好きだよ。大好きだ」


 士会は力強く答えた。フィナの顔がほころび、「なら……」と希望に満ちた声が漏れる。


 ああ。ここで言葉を止められていれば、どんなに良かったか。


 しかしこんな状況では、続きを口にしなければならない。気持ちの上では、蛇足だとしても。


「だけどそれは、別問題だ。今、そんな行為に及ぶわけにはいかないよ……なんと言われようとも」


 フィナの顔が再び絶望に歪む。言葉も途切れ途切れになったままだ。目が潤み、涙がこぼれかけた酷い様相で、フィナは士会に駆け寄り、必死に訴えかけてくる。胸が、痛んだ。


「そんな……ねえ、会君……会君はどうしたら、私を受け入れてくれるの?」


 駄目だ、やはり納得してもらえない。もっと時を見計らって言いたかったが、仕方ないだろう、やむを得ない。


 士会はすがりついていたフィナを手で押しとどめ、その頭に手を置いた。


「なあ、聞いてくれ、フィナ。俺はこっちにずっといるか、まだわからない……決められていない。言っただろ、向こうに、元いた世界に戻ることも、十分考えられるんだ。フィナのことも大事だけど、向こうに残してきた親に、友達、みんなもそれぞれ大事だから。そんな宙ぶらりんな状態で、関係を持つわけにはいかない。誰とも……、フィナ、お前とも」


 言って、唇を噛み締める。いつかは言わなければならないと思っていたが、こんな最悪の、追い討ちをかけるような言い方になってしまった。現にフィナの涙は、今や堰を切ったように溢れ出てきている。


 崩れ落ちるように士会の足にすがりながらも、なおもフィナは食い下がった。


「ひうっ……でも、会君、向こうに戻っても、こっちに帰ってくるって……!」


 言いながら、自分で気がついたのだろう。フィナが言葉を途切れさせた。


 そう、戦の終わりに気を失ってから目覚めたときの会話で、士会は一度戻ると言った。しかしその後、帰ってくるとは決して言わなかった。思えばあの時、曖昧な言葉で濁してしまったつけが、ここに来ている。


 あの頃の幸せだった気分が夢のようだ。今はひたすらに胸が痛い、苦しい。


「ねえ、お願い……ずっとこっちにいるって言って? 私の前からいなくならないで……」


 士会の胸に手を当て、必死に懇願するフィナ。心が揺らぎそうになるが、士会としても退くわけにはいかない。


「頼む、納得してくれ。戻っても今までどおり、首飾り越しに会話は出来るだろ。いなくなったりはしないから……」


 分からない、分からない。なんと言えばフィナは納得してくれるのか。必死に頭を回しても、答えは全く浮かんでこない。そのことが次第に、士会を苛立たせてきていた。


「それじゃもう我慢できないよ……。お願い、私と一緒にいて? ゲームも漫画もないけど……私がいるこの街も、ううん、私の国も、とってもいいところだから。だからお願い、そんなこと……」


 多分、フィナは、言わないで、と言いたかったのだろう。


 しかし胸の痛み、わかってもらえない悲しみ、苛立ちと複雑な感情がないまぜになっていた士会は、頭に血が昇ってしまっていた。こんな嫌な会話を止めたいという思いが、彼をより悪い方向へと走らせてしまう。


「いいところって……フィナ、本当にそう思えているのか? 俺は、残念だけど、そうは思えない。貧しい人々は年々増えているそうじゃないか。処刑は本当にされるべき人だったのか? 偉い人が通ればみんな頭を下げて、本当の街の姿すら覆い隠されて! それが本当にいい街なのか!?」


 俺は何を言っているんだろう、と士会は思った。まるで、別物になった自分を、外から眺めているかのようだ。止まらない。止まれない。確かに、この話ができればいいと思った。しかし、こんな形でするつもりは、全くなかったのだ。フィナを良い方向へ導くつもりだった。実際は、追い詰め、傷つけるための刃物のような言葉になってしまっている。


 フィナは唖然として士会を見上げていた。涙すら止まり、信じられないといった面持ちでいる。


「なあフィナ、お前のこと、みんながなんて言ってるか知っているのか? 皇の器じゃないだなんて――お前はそれでいいと思ってるのか!? なあ!」


 違う。こんなことを言いたいんじゃない、こんなことを思っていたわけじゃない。フィナの側にも理由はあるし、こんな責められるような言い方をされるほど、彼女に落ち度があるのか、士会にはまだわかっていないのだ。


 そんなことは百も承知のはずだったが――それでも、吐いてしまった言葉は取り返しがつかない。そして、ただでさえ限界に達していたフィナの心も、最早完全に振り切れていた。


「出てって……出てってえっ!」


 押し飛ばされ、拒絶される。しかし士会は、何も言えなかった。繕う言葉を言う資格などないし、悪いことはしたが、間違ったことも言っていない。謝ることすらできない。


 結局何も言葉を返すことなく、言われた通り士会は部屋を出た。後ろ手で扉を閉める。


 少し歩いて出た庭の、涼しげに水面に映る月の傍で、士会は獣のような叫び声を上げた。


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