巨鳥の雛
「ちっきしょ……容赦なくぶん殴りやがって」
士会たちがたしなめたものの、ウィングローの鉄拳制裁は止まらなかった。逆に身分についてひとしきりいさめ返される始末だ。
それでも彼は士会達の前では敬語を使っていない。こりないやつだと思ったが、士会にとってはありがたくもあった。肝が据わっている、と言ってもいいのかもしれない。
「まあ……うん。さっきのは仕方ない」
熱くなり過ぎて、兵の前でもバリアレスは平気でため口だった。士会も途中から気づいていたのだが、言い出す雰囲気でもなかったので、結局黙っていたのだ。
一行は場所を移動し、牧場で鴕鳥を見ていた。
バリアレスが自分の戦鴕を呼び、背を撫でている。ハルパゴルナという名らしい。以前はウィングローが乗っており、歴戦をくぐり抜けてきたそうだ。
ちなみに今年で二十五歳。まさかの年上だった。
「そうだな……ちょっと乗ってみるか?」
「え? いいの?」
乗馬体験でもあるまいし、乗せてもらえるとは思っていなかった。
「おう。お前なら、こいつも喜んで乗せるだろ。じゃ、ちっと鞍の準備してくるから待ってな」
言い置いて、バリアレスはハルパゴルナにまたがり、駆け去った。
さすがに手慣れている。鞍がなくとも乗れるらしい。
しばらく亮や従者たちとたわむれていると、バリアレスが戻ってきた。颯爽と駆け寄ってきて、ハルパゴルナから飛び降りる。
「ほい」
そして手で鞍の上をぽんぽん叩いた。乗れ、ということらしい。
「ええっと……」
しかし乗り方がよく分からない。困惑しながらも近寄ると、鞍に輪っかになった足場が付いているのがわかった。ここに足を掛けて登ればいいのか。
おそるおそる鞍の両端に手を置き、士会はハルパゴルナの上に這い上がった。
「おお」
思ったよりも視点が高い。素晴らしい見晴らしだ。前回は前にバリアレスが座っていた上、意識が朦朧としていて気づかなかった。
「気持ちいいな、これ……」
「だろ?」
バリアレスが得意げに笑った。
――そこまでは、よかったのだが。
「走るともっと気持ちいいぜ――さあ、行けえ!」
「えっちょっ乗り方とか教わってなうおう!」
誰の止める間もなく、バリアレスが戦鴕の尾の付け根を叩き、走り出させてしまった。
「うおっおわっのあああああああああ!」
速い。しかも滅茶苦茶揺れる。
こんなに揺れるものだっただろうか。というかなぜ自分は前回平然と乗っていたのだろうか。何もかもわからなくなる。
意味のない自問を繰り返しながらも、士会は必死で揺れに耐えていた。放り出されないようつかまるものを探すが、拠り所になるものはほとんどない。仕方なく手綱をつかみ、背をかがめて重心を下げる。
――加速した。
「いいいいやあああああああだあああれええかあとおめえてえええええええええ!」
「し、士会様!」
予期せぬ主人の窮地にシュシュが走り出そうとするが、ミルメルが止める。彼女が行ったところで、どうにもならない。
「ちょっとやべえか……? 行けると思ったんだけどなあ」
「いやー、訓練もなしに乗鴕初体験じゃさすがに……」
「え!? あいつ鴕鳥乗ったことないのか!?」
「うん、もちろん」
「そりゃまずい……止めて来る!」
数分後。
「ぜぇ……ぜぇ……死ぬかと思った……」
士会は草原に突っ伏して、荒い息をついていた。
四肢で、顔で、いや全身で、大地を感じる。
地に足がついている。ただそれだけのことが、この上なく素晴らしいものに感じられた。
「いや、すまん。まさか乗ったことがないとは思わなくてな。後ろに乗せたときは平気そうだったし」
「ああ、まあ、大丈夫……五体満足に生きてるし。それと、あの時の俺は別人みたいなもんだと思ってくれ」
多分、こっちの人、少なくとも兵士は、乗ることができて当たり前なのだろう。戦場で大立ち回りも演じたのだし、バリアレスが勘違いするのも無理はない。
「ま、ぼちぼち練習していくしかねえか。今日はどうする?」
「きょ、今日は……パスで」
既に肉体的にも精神的にも、あまりに疲弊し過ぎていた。
「了解、ならお詫びも兼ねて、ちょっと面白いところに連れてってやるよ。ちょうどそろそろだっつってたしな」
そう言って連れて来られたのは、牧場の近くの建物だった。
中に入ると、小学校の飼育小屋のものを最大限強くしたような臭気が襲ってきた。動物特有のあの臭いだ。
「ここは……養殖場?」
亮が聞くと、バリアレスはうなずいた。
「ああ。戦に出れば戦鴕も死ぬからな。もちろん老衰でも死ぬし、そもそも老いた戦鴕は使い物にならないし。勝てば敵の戦鴕を鹵獲出来ることもあるが、役に立たん駄鴕のこともしばしばだ。買うばっかりじゃ金がかかりすぎるし、自給体制は必要なんだよ」
確かに言われてみると、臭いだけでなく雰囲気も養鶏場のそれだった。
「でけえな……」
左右には柵の中で多数の鴕鳥がうろついているのだが、既に士会の背丈近くになっている。
「少し先にはまだ小さめの奴もいるが、いかんせんもう繁殖期を過ぎてるからな。これから見に行くのは特例だ。……あ、こっちにいるやつは、もう牧に出されるな」
会話しながら、一行は建物の中を進む。
最奥に設えられた扉を開けると、むわっとした熱気があふれてきた。
これまでは大きめの窓があり、光や空気が入ってきていたが、この部屋はほとんど密室だ。壁も石造りになっており、堅牢な様子を感じさせる。外光の代わりに、灯火が室内を照らしていた。
「おお、バリアレス殿。素晴らしい折に来られましたな。もう、間もなくですぞ」
中にいる初老の男性が顔を上げ、バリアレスの姿を認めると、嬉しそうに目を細めた。
「ご苦労、カメロ。そうか、ちょうど良かった」
「そちらの方々は?」
カメロと呼ばれた男性の目が、士会達に向いた。
「こい――こちらは、士会殿に亮殿。いくらお前でも話くらいは聞いているだろう。崑霊郷からの使者殿だ。で、後ろはその従者」
「ああ、そういえばそんな話を耳にした気も……。カメロ・ストリオと申します、お見知りおきを。さて、それはともかく」
士会も亮も挨拶を返そうとしたのだが、カメロは興味なさげに一瞬で話題を変えてしまった。
面食らう二人に、バリアレスが囁きかける。
「すまんな、ちょっと変わった爺さんなんだ。鴕鳥のこと以外はとんと興味を示さなくてな。悪気はないんで気にしないで欲しい」
「了解」
バリアレスの敬語は一瞬しか持っていない。この爺さんなら大丈夫だろう、という判断か、もしくは忘れているのか。
おそらくこちらのやり取りは聞こえているだろうが、気にせずカメロは言葉を続けた。
「既に穴が開いて久しい。大分広がってきましたし、もう間もなく出てくるでしょう。さあ、皆さんも私の後ろに」
言われるがまま、カメロの背後に回る。ちょうど入口からは角度的に見えなかったカメロの眼前には、巨大な卵が干し草の上に鎮座していた。
とにかく大きい。一抱えとまではいかないが、それに近い大きさはありそうだ。外観は鳥の卵だが、あまりにも大きすぎる。見慣れた鶏卵の比ではない。
「これ……鴕鳥の卵か」
士会より先に回答にたどり着いた亮だったが、これはやんわりと否定された。
「いや、少し違うかもしれませんな――そちらのお嬢さんがたもこちらに」
「いえ、私たちは従者ですし、ここでお待ちして」
そう来るだろうと思った士会は、既に亮と目配せを終えていた。
ちょっと気が進まないが、いちいち言い争うのも不毛というものだ。
「別に見るくらいいいだろ。二人とも、来なさい」
手招きしながら命令する。亮もこくりとうなずいた。……なんとなく、来いとは言えなかった。
顔を見合わせたシュシュとミルメルが、とことこっとこちらに駆け寄ってくれる。きちんとこちらの意を汲んでくれたようだ。
二人が、しゃがんだ士会と亮の後ろからのぞきこむ。
「わぁー」
シュシュが目を輝かせ、ミルメルも興味津々とばかりに卵を見つめた。思った通りの反応に、士会は満足した。
卵の一部には既に楕円形の大穴が開いており、中の雛の姿をのぞかせていたのだ。
見ているうちにもまた一つ、欠片が殻から剥がれ干し草の上に落ちる。
本当に生まれる寸前のようだ。これ以上ないくらい良い時を見計らって、バリアレスはここに連れてきてくれたらしい。
「先程の話ですが、これは降聖島に生息する、より大型の鴕鳥の卵なのです。通常の鴕鳥なら、卵の大きさもせいぜいこのくらいですな」
そう言って、カメロが手で大きさを示す。水晶玉よりも少し小さいくらいだろうか、確かに目の前のものよりは小さいが、それでも卵としては十分すぎるほど大きく感じる。
降聖島といえば、士会たちが呼び寄せられた時にいた島の名前だ。あの時は文字通り右も左もわからないままに船に乗せられたため、さっぱり気づかなかったが、そんな化け物のような鳥が住んでいるらしい。
「ちなみに肉食です」
早めに島を出られてよかった。
「それ、鴕鳥っていうの……?」
隣で亮が首を傾げている。鴕鳥は本来、種子などを食べる草食らしい。
「あの島自体、研究が始まるまではほとんど人が入ってなかったからな。鳥の呼び方も、まだ決まったものがねえんだよ」
「そういえばそうだっけ。フィナが始めたんだよね」
「ああ。殿下が研究班を作り、島の研究を始めたんだ。不敬だとかで反対も大きかったが、全部抑えきって強行してらしたな。あの時はいろいろ大変だった」
どうやらフィナはかなりの無理を押して自分たちを招いてくれたらしい。そこまでして自分に会いたいと思ってくれたのかと、士会はちょっと胸が熱くなる。……ただ、その無理押しがかなりの危険をもたらしてしまったのも確かだが。
どうやらこの卵は、フィナが島にいる時に、降聖島の研究班が船に載せて送ってくれたそうだ。ギリギリ、自分たちが遭った嵐をかわしてここに着いたらしい。
「へえ……お」
孵化が最終局面に入ったらしい。中の雛が嘴でつついたり足で蹴ったりするのを止め、全身を伸ばし始めた。少しずつ穴を広げるのではなく、体で殻を押しのけて出てくるつもりのようだ。大きく開いた空洞から、筋のような羽毛がはっきりと見える。
やがて殻の耐久も限界に達し、亀裂が一周して、蓋を開けたように雛が出てきた。
「おおっ、可愛い!」
ここで、士会は一つ失敗を犯した。
思わず身を乗り出してしまったのだが、彼の力はこちらの一般基準よりも強い。
ただでさえしゃがみこみ、体勢を崩しやすかったカメロを押しのけ、前に出てしまった。
そして雛と目が合う。
「………………」
しばらく見つめ合っていると、とことこと雛が寄ってきた。地面についた手を軽くつつかれる。仕草は可愛いのだが、いきなり懐いている。
「インプリンティングかねえ……鴕鳥にもあるのかな」
「ある程度は。そこまで強いものではありませんがね。この子がどうなのかはわかりませんが……」
言われて士会も気づいた。
種類にもよるが、鳥の雛が生まれて初めて見たものを親と認識することを、刷り込みと呼ぶ。
試しに立ち上がって歩いてみると、少し危なげな歩き方ではあるが、ついてきていた。
「確か早成性――生まれてすぐ動けるタイプのものに、多く見られるんだっけ。こいつも見るからにそうだよね」
生まれてほんの数秒で、直立して歩いている。おそらく自然界では、孵化の直後に巣を離れるのだろう。
「しまったな……どうしよう」
これからの生活がどうなるかわからないが、この子を飼うような余裕があるのかわからない。うっかりとはいえ刷り込まれてしまった以上、自分で飼うべきなのだろうが……。
「鴕鳥の場合、刷り込みが終わったあとでも給餌は出来ますから、問題ないのですがね。この子でも出来るか、試してみましょうか。そうすればこちらで育てることも出来ますし」
「いや、別にその必要はないだろ」
バリアレスがカメロの提案を一蹴した。
「士会、いずれ戦場に出ることもあるだろ? なら、気心の知れた戦鴕はいた方がいい。こいつを一から育てれば、自分の思い通りに動いてくれる良い戦鴕になるはずだ」
「ええっと、今のお屋敷にも鴕屋はあるので、飼うことは十分可能ですよ」
バリアレスに続き、シュシュも援護射撃をしてくる。
正直、飼ってみたい。自分についてきたり、甘えてくる仕草はたまらなく可愛い。何より、自分を親と思ってくれる雛を、自分から引き離すのは少々非道に思えた。
「よし、俺が飼う」
そこまで考えて、士会は巨鳥の子を引き取ることに決めた。