猛進
振り下ろされた剣を、手にした剣で受け止めた。むき出しの敵意と刃を直接向けられただけで、肌に粟が立ち、背筋が凍る思いがする。しかし、それで固まっているわけにはいかない。ここは戦場なのだ。士会は自身を叱咤しながら、受け止めた剣を相手の腕ごと跳ね上げた。
がら空きの体。隙だらけ。止まりかける腕を無理やり動かし、士会は剣を一閃させた。
喉笛をかき切り、血が噴き出る。敵の死体は、イアルの骸に折り重なるように倒れた。
心臓が縮こまるような自分に、大丈夫だと言い聞かせる。特段血が苦手というわけではないが、自らの手で敵を殺すというのは、精神的な摩耗があった。しかし、ここで立ち止まっては、何のために剣を取ったかわからない。戦い続けなければ、敵を突破しなければ、フィナを守れないのだ。
三人、敵が並んで向かってきた。士会の隣からも、隊長の死から立ち直った近衛兵が出てくる。
敵の剣をかわし、士会は具足の間から敵の腹に剣を突き入れた。生温かく、粘性のある血の感触。剣が抜けず、士会はそのまま敵を蹴っ飛ばした。
すぐに落ちていた剣を拾った。少し短いが、不思議と手に馴染む剣だった。
さすが近衛の勇士なだけあって、左右の二人も瞬く間に敵を突き倒していた。
士会は剣を振り上げ、叫んだ。
「おおおおおおおおおお!」
言葉にもならない、絶叫。しかしそれは、間違いなく味方を鼓舞していた。応えるように、近衛たちも叫び声を上げる。
敵も、イアルの死で活気づいていた。次から次へと斬りかかってくる。剣を力ずくで外にそらし、そのまま体ごとぶつかって敵を吹っ飛ばす。次。また、次。間近に敵意と死を感じつつも、あしらった。
大丈夫だ。敵の動きまで、きちんと見えている。対処もできる。
士会の右側の近衛が、つんのめって後ろに取り残された。好機とばかりに、今度は二人、敵が士会に向かってくる。対応しようと身構えたところで、士会の左から人影が飛び出した。拾い上げた剣を敵方の内の一人に叩きつけ、受けに出された敵の剣を力で弾き飛ばす。
「亮!」
呼びかけつつもう一人の足を払い、体勢が崩れたところを斬り払った。
亮は、返事をする余裕もないようだった。徒手になった敵が後ずさりするのを、震える手で見ている。
「大丈夫か!」
「……ああ。次こそは」
亮も、自分と同じように、血への拒否反応と戦っているのだろう。自分が特別弱いわけではない、という事実は、士会を少し安心させた。
士会は剣の柄を握り締め、駆けた。後ろから、味方もついてくる。進むんだ。進み、フィナの活路を開く。
接近した敵の剣を叩き落とし、そこから振り上げて敵兵の腕を斬り落とした。悲鳴を上げながら、敵兵は道脇に転がろうとする。しかし、隣の近衛兵が止めを刺していた。
亮も何人か敵を倒していた。ただ、多分とどめは刺せていない。武器を落とし、道脇に蹴り出しただけだった。それを、後ろから続く近衛が苦も無く仕留めていた。
「亮! 出過ぎるな!」
「わかってる!」
遂に亮が、士会を追い越して前に出た。そして接近した敵の首を横薙ぎに刈り取る。
血が、舞うように噴き上がった。
士会の前の背中が、急に低くなった。膝をついたのだ。様子がおかしい。
「危ない、下がれ!」
寄せてきていた敵を、士会は前に出て斬り倒した。さらにそのまま先頭で敵に突っ込んでいき、立て続けに三人の首をはねる。
亮はこれ以上、剣を振れないようだった。多分、それが正常なのだろう。士会は、気づけばためらいなく剣を動かし続けられるようになっていた。そちらの方が、多分どこか壊れている。
別に壊れていて、構わなかった。フィナを窮地から逃すためなら、いくらでも壊れてくれる。
息が切れてきた。だが、まだまだ体は動く。
「進め! 押し進めえええええ!」
士会は再び叫び声を上げながら、ひたすら前に突き進んだ。
既に士会は、実質的な近衛隊の指揮官になっていた。鬼気迫る戦い振りに、一度崩れかけた士気も回復を見せている。鬨の声を上げ、近衛兵たちが前線を押し上げる。
士会は敵の攻撃を、全て皮一枚のところでかわしていた。誰に教わるわけでもなく、自然と体がそう動く。そして出来た隙を突いて、敵の急所を斬る。
つづら折りの山道を折り返し、まるで旗を持っているように、士会は一団を先導した。
血の味。軋む手足。心が先立つように前を向き、体がそれに無理やりついてきている。脳裏に浮かぶのは、イアルの死に様だった。あの壮絶な死に方を見て、こんなところで止まれるか。
まだ、敵の海は途切れることがない。気にしなかった。絶望もない。この足が動く限り、前に進む。それだけだ。
敵が、少し違う動きをした。少し引き気味に待って、イアルの時と同じように、槍を一斉に投げてくる。
「士会殿!」
払わなければ。そう思った瞬間、左右から味方の近衛兵たちが飛び出して、槍を払っていた。一本飛んできたのは、士会が余裕を持って払った。
「すみません、払い損ねました」
「いいや、ありがとう」
次を投げる準備を、敵がしているのが見えた。距離を取っていると、同じ手を使われる。
怯ませようと思い、士会は足元に落ちていた剣を拾い、思い切り投げつけた。おや、と思うくらい、その感触はしっくりきた。
もう一本、拾ってみる。イアルの背中を、思い出した。
「行くぞ!」
再び、槍が投げつけられてくる。走りながら、士会たちは全て払い落とした。
剣は、見かけよりも軽く、二本持っても十分扱えた。敵の剣を片方で叩き落とし、もう片方で首を刈る。次の敵は、頭から両断する。愚直な使い方だが、確かにこちらの方が戦いやすかった。
いつしか、血反吐が出そうな苦しさも、四肢の痛みも消えていた。そのことに、士会は気づいていなかった。ただ一つの思い、フィナを守るということだけを胸に抱いて、腕を振る。足を前に出す。
見える世界も、知らない内に広がっていた。敵の一挙手一投足がわかる。敵の隊長が、慌てて後方に下がっている。道の両側から現れた敵を、他の近衛が応戦している。少し上では、殿が後方からの敵を決死の覚悟で食い止めている。
獣のような雄叫びを上げながら、士会は敵に突進していった。隣の近衛たちも、声にならない叫びとともに士会と肩を並べる。近衛たちも、既に何人もやられて、後ろと入れ替わっていた。
守る。進む。活路を開く。単純化された思考は、しかしやるべきことを明確に示していた。
三人を立て続けに斬り倒し、山道の曲がりに降り立った。さらに、隙を見せた敵を道脇に蹴り飛ばす。そこは小さな崖になっており、袖兵が転げ落ちていった。
その時士会は、鋭敏になった感覚で、わずかな活路を感じ取っていた。歩兵のものとは違う、怒涛のような足音。かすかにだが、それを聞いた気がした。
士会はさらに速度を上げた。剣が絶え間なく動き、敵を討ち果たしている。近衛兵たちは、士会を左右から押し上げていた。
多分、限界などとうの昔に越えている。それでも体は動き続ける。
自分は、安寧の中で生きてきた、ただの高校生だ。受験に喘ぐくらいしか、辛いことも厳しいことも経験していない。
それでも自分は、フィナを守ると決めたのだ。
普通の人間が、それを果たすには。
限界を越えるしか、ないではないか。
後ろから、皆が続いてきているのを感じる。自分が剣で斬り開いた道を、押し広げ、全員でなぞっている。シュシュやミルメル、エルシディアですら、武器を取っている。少しずつ減ってきて、最初の頃からすると目も当てられないような状態だろう。今も、削れるように減っている。それでも、前に進んでいる。
まるで隕石だ、と士会は思った。自らをすり減らしながら、燃えていく。このまま消えれば、流れ星だ。死んで星になる、ということに、どこか士会はおかしさを感じた。
光を求め、士会は血の海をかき分け続ける。意識の全てが戦いに向き、ただフィナを守り、ここから連れ出すという使命が体を突き動かしていた。
体が軽い。敵が遅く見える。剣が手の延長のように感じる。
敵が少し、強くなった気がした。それでも、構わず進む。具足の間から急所を切り裂き、また一人、首が飛んだ。次の一人は、戟を握る手を肩から斬り落とす。槍。かわす。かすったが、具足の上だ。すれ違いざま、首を斬り飛ばした。切断面から血が吹き上がる。
見えた。敵の指揮官。慌てふためいている。その先。光明。
「はああああああああああ!」
果て無き深淵から手を伸ばし、士会はその光へと手を伸ばした。怯えて道脇に逃げようとした敵の指揮官、彼の心の臓を背中から正確に刺し貫いた。深々と、たった今死体と成り果てた体に鈍色の刃が飲み込まれる。士会は返り血を全身で浴びた。
その先には。
戦鴕に騎乗した若き将校が、背後に鷺の灰旗を靡かせ走り込んできていた。
たどり着いた―――――――――。