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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第一部 異国からの脱出
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決断

 金属を打ち鳴らす音が、少し離れて響いてきていた。


 士会はフィナ、亮とともに、従者たちに囲まれ、さらにその外側を近衛兵が固めている。そのまま一つの獣のように、街道へつながる坂道を降りていた。


 獣の頭は、一人で先陣を駆けるイアルだ。二つの牙を縦横に振り回し、遮る敵を余さず斬り裂いていた。一人でどこまでも行ってしまうのではないか、というくらいの勢いだ。それに数拍遅れて、近衛兵たちが進んでいる。士会の方が坂の上に位置しているので、少し距離があってもよく見えた。


 士会は、具足を着ていた。近衛兵のものらしい。フィナと亮も同じように着せられている。飾りがついていようと、どこか無骨な武具は、戦場を嫌でも感じさせた。


 侍従たちの手には、剣が持たされていた。本来彼らは非戦闘員であり、武器も持っていない。近衛兵は槍の他に、剣も脇に差して持っており、それを渡されたのだ。ただ、侍従たちの顔には、士会の目にもはっきりと見える恐怖があった。


 当たり前のことだ。死ぬのは怖い。敵とはいえ、人を殺すのも怖い。今ここにいる自分も、その気持ちは同じだ。皆に囲まれ、最も安全な場所に居ながら、足が震えるのを止められない。


 イアルの猛進のおかげで、かなり降りてきているが、彼だけが戦っているわけではない。近衛兵も死に物狂いで活路を開いており、また犠牲も出ていた。もう、百人を割っているかもしれない。近衛というだけあって精鋭が揃っているのだが、波のように次々と寄せてくる敵に、少しずつ削られているのだ。圧倒的な兵力差でもなんとか持っているのは、兵の質に分があるのもあるが、何よりイアルの存在があった。彼の八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍は、兵の心を奮い立たせている。


 士会は、フィナの方をちらりと見た。


 全体としてはゆっくり動いているが、それでもフィナは辛そうだった。あまり運動に慣れてはいないのだろう。切り抜けるのはほぼ無理だという、精神的な打撃もあるかもしれない。


「フィナ」

「会君……怖いよ。私、どうしたら」


 上にいた時の余裕そうな表情が、嘘のようなしおらしさだ。顔からは色が消え、全身が震えている。動いているところでなければ、抱きしめて、励ましたい。


「フィナ。俺も、怖いけど……だけど、俺たちは見ているべきだと思う。俺たちを守って、死んでいく人がいるところを」


 そう言い聞かせてみたが、フィナは顔を上げなかった。


 士会自身も、まだ怖さを拭いきれてはいない。命のやり取りをしているのだ、怖い方が自然かもしれない。だが、目をそらさないようにはしていた。むしろ、イアルや近衛兵たちが戦うところを、目に焼き付けるように見つめている。


 イアルに頼んで、戦場を間近で見てから、士会はずっと考え続けていた。


 それなりの覚悟をして、城壁の上に登ったが、それでも戦の光景は、士会に大きな衝撃を与えたのだ。

 幾人もの人が城壁に向かってくる。門を破ろうとする者、城壁を越えようとする者。多くは上から槍で突き殺され、石に当たって頭を割られ、死体の山が出来るようだった。それでも死体を踏み越えて、中に入ろうと襲ってくる。時には城壁の上の兵を引きずり込み、逆に無残に討ち果たす。怒声と悲鳴が入り混じり、目を覆うような惨状を呈していた。


 なぜ、こいつらは向かってくるのか。死ぬのが怖くはないのか。意味のない死に方に、納得しているのか。


 兵役がある、というのは聞いた。だから、家族から誰かを出さなければならない。それに、兵になれば、貧しくとも生きていけるほどの物をもらえる。しかし、軍の中では、命令は絶対であるし、反抗も脱走も許されない。


 生きていく、というのは、これほど厳しいことだったのか。家族を守るため、ここまでする必要があるのか。身を震わせるような衝撃は、飢えも渇きもしない世界で生きてきた士会に、今まではただ漫然と過ごしてきたに過ぎない、という思いを抱かせた。


 その上で、自分はどうすればいいのか。

 数え切れない程の自問。

 自分のすべきことは何か。自分は、何をしたいのか。


 多分、心の奥ではわかっているのだ。しかし、恐怖がそれを覆い隠している。槍が突き立った兵の(むくろ)が、頭の中から離れようとしない。

 ここで、死ぬのだろうか。自分も、動かないただの物と化すのだろうか。危機を感じているのに、実感が湧かない。今までの自分の人生と、あまりにかけ離れすぎているのだ。


 士会はもう一度、フィナを盗み見た。フィナは、やはり最前線から目を背けて、うつむいている。


 イアルの進撃は、まだ止まっていなかった。それどころか、まるで命を燃やしているかのように、激しく、荒々しく、剣を振るっている。士会たちに対する時の丁寧な物腰からは、全く想像がつかない姿だった。


 たった一人の人間が、この集団を支えている。その事実に、士会は何か、心震えるものを感じていた。


「なあ、亮」


 溢れるように、言葉が滑り落ちた。


「……何?」


 聞き返してきた亮の声も、明らかに硬さがあった。いつも表情に余裕がある彼も、さすがにこの状況では平静でいられないのだろう。その事実はむしろ、士会を安心させた。

 イアルの肩に、槍が突き立った。それでも、一歩も退かない。言葉にならない雄叫びを上げ、汗と血を振り撒き、戦い続ける。


「もし負けたら、どうなると思う?」


 一瞬、亮は黙った。虚を突かれたか、それとも言うのをためらったのか、士会にはわからなかったが、少し考えてから、亮は口を開いた。


「そうだね……。僕もこっちの文化とかわかってないから、想像でしかないけど。身分のよくわからない僕らはあっさり斬殺。でもって、姫であるフィナは、多分捕虜、かな。国に対する人質だよ。身柄と引き換えに、いくらでも言うことを聞かされるだろうね。その間、多分幽閉の身になる。さらに、もしも国がその取引を断る、つまりフィナを見捨てた場合……。言いたかないけど殺されるか、慰みものにされるか、どっちかかな」


 亮の言葉は、ただひたすらに単調だった。


「……そうか」


 慰みもの、という単語で一瞬頭に血が上りそうになったが、考えてみれば当たり前のことだ。殺されるか、死ぬより辛い目に遭わされる。聞くまでもなく、そんなことは自分もわかっていた。


 フィナを、自分の最愛の人を、そんな状況に置くわけにはいかない。そんなことは、絶対に許せない。

 足が止まった。つまり、イアルが苦戦している、ということだ。


「フィナ」

「え。――ふぇ? え? え?」


 士会は、そばにいたフィナの体を、思い切り抱きしめた。急な士会の行動に、フィナは戸惑っているが、構わない。大切な人がここにいるということを、全身で感じている。

 フィナはすぐに、士会を受け入れ、抱きしめ返してきた。腕が、腰に回される。士会も、さらに強く、力を込めた。


 どれくらい、そうしていただろうか。士会は自然に、最初から決まっていたかのように、フィナの背に回した腕をほどいた。多分、一瞬に過ぎなかったのだろう。今、こんなことを長くしている時間はない。それでも、士会の胸に残る暖かさは、いつまでもそこに有り続けていそうなくらい大きかった。


「それじゃ、フィナ。俺も、出るよ」

「出る? どこへ」


 フィナの問いに、士会は答えなかった。

 自分の大切なものを確認した。それで、士会は腹を決めていた。

 踵を返す。抱きしめている間に、フィナは落ち着き始めていたが、これではまた困惑しているかもしれない。しかし、今その顔を確認することはできない。振り向くことができるのは、全てが終わった後だ。


 決意に満ちた目に、満身創痍(まんしんそうい)のイアルの姿が映った。これ以上は、もたない。そう、直感的に悟った。


「イアル! 戻れ! もう無理だ!」


 しかし、イアルは止まらなかった。声が届かなかったのか、と士会は一瞬思ったが、すぐにその考えを捨てた。


 イアルは、生き切ろうとしているのだ。


 そのことをイアルの背中から、何か大きく、重いものとして、士会は感じていた。それはその場にいた近衛兵たちも同じで、必死で敵を押しのけながらも、イアルに注意を向けていた。


 そのイアルの背から、突如槍の穂先が飛び出した。斬り返し、相討ちにしつつも、イアルは地面に崩れ落ちる。持っていた二振りの剣が、別のもののように地に落ちた。イアルの死相は、憑き物が落ちたように晴れやかだった。一瞬、死ぬのならあんな顔をして死にたいと、士会は思った。


 戦場が水を打ったように静まる。そして敵方から歓声が上がり、味方から絶望の息が漏れた。


 まずい。崩れる。


 目を閉じて刹那の黙祷をし、歯軋(はぎし)りを一つしてから、再び目を開けた。何をしなければならないかは、わかっている。イアルがその身をもって教えてくれた。


 ありがとう。士会は無意識に、そう呟いていた。


「行ってくる」


 今の自分に、フィナの顔を見ることはできない。士会は振り返らず、走り出した。


「借りる!」


 追い抜きざま、途上にいた兵が帯びている剣を引き抜き、得物とした。そのまま脇目も振らず、前線へと駆ける。


 ただ、守られているだけなのは嫌だ。何より、俺も、俺自身の手で、フィナを守りたい。


 そうだ。


「望む未来は自分の手で、勝ち取るんだ」


                     ※


「お、お待ちください!」


 駆け去る士会を、一拍遅れて近衛兵達は止めようとした。当たり前だ、護衛対象が前線に出るのを止めない近衛はいないだろう。ここで士会があっさり討たれたら、例えこの場を切り抜けたところで、結局彼らの使命は果たせない。完全に前に意識が向いており、さらに指揮官が討たれ絶望しかけていたからこそ士会に出し抜かれたが、本来は剣を盗られるようなへまもしなかったはずだ。


 とはいえ、ここで士会が連れ戻されてしまうのは、亮としては本意ではなかった。こんな世界だ、自分たちもいつまでたっても人任せではいられない。多分、士会も同じ考えに至ったからこそ、前へと突っ走っていったのだ。それに、遠目にでも見ていて気づいたのだが、勝算もなくはない。自分と士会は、間違いなく戦力になる。ただただ無謀な突撃だったら、亮も無駄死にするだけだと士会を止めていた。


 とっさの行動で、士会を止めに行きかけた近衛兵たちに、亮は声をかけた。


「ちょっと待った。君らの役目はあくまで姫の護衛、僕らは二の次だろう? フィナを向こうに取られたらその時点で負け確定だし、こんな抜き差しならない状況で、こっちがあたふたしてたらあっという間に崩れるよ。それに、君らが今ここで何しようと全滅したら一緒だし、生き残った後フィナが理不尽なことを言うようなら、僕と士会で止めるから」


 矢継ぎ早に長々と言い放つやいなや、亮は悠々と歩いて前線に向かった。


「亮様」


 後ろから、自身の従者に呼びかけられた。


「ミルメル。僕は行くよ。そうしないと、男としてダメになってしまう」

「止められない、のですね。ですがどうか、命だけは落とさないよう、ご自愛を」


 無理に止める気は、ないようだった。肯定を返して、亮はそのまま前線へ歩いていった。


 余裕に満ちた顔を浮かべつつも、実際のところ亮は必死だった。足は(すく)み、今にも取って返して庇護(ひご)の中に戻りたがる。手にした剣は鈍く輝き、その重みは彼を苛んだ。


 今まで、絶対に負けられないというような場所に立ったことはなかった。命懸け、という意味ではない。自分は、どこか一歩引いた場所で、余裕を持って事に臨むのが常だった。もう後がない、と思うような場面に遭遇したことがなかったのだ。だからこそ、初めて立った崖っぷちは、亮を必要以上に追い詰めていた。


 それでも、進まなければならない。自分と、そして親友の、今と、将来の展望の為にも。


 ありがとう、士会。君が前を走ってくれたから、僕も一歩を踏み出すことができたよ。


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