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異世剣聖  作者: 鷹武手譲介
第一部 異国からの脱出
12/113

近衛隊長の煌き

 砦を出る準備は、ほぼ整っていた。貴人たちに確認を取りに行ってから、十分ほどしか経っていない。それでも、いつ守備が決壊し、敵がなだれ込んでくるか、気が気でなかった。

 部下たちが、なんとか踏ん張ってくれたのだ。


 既に、残った兵の半数ほどが、正門前に集まっている。そう長い戦闘ではなかったのに、誰も彼も、身にまとった具足は薄汚れていた。


 兵たちの真中に、士会とフィリムレーナ、従者たちが固まっていた。姫の従者は、本来非戦闘員ではあるが、今は武器を持たせている。なりふり構っていられる状況ではないし、そんなことに気を配るつもりもない。


 亮は、自分の隣にいた。


「イアル、大丈夫なのかい?」

「大丈夫ではありませんね。先程も申し上げました通り、街道に出て、さらに逃げ切れる確率は、非常に低いです。この策が上手くいけば、多少はましになるかもしれませんが」

「いや、そうじゃなくて。さっき、フィナに面と向かって非があるって言ったから」

「ああ、そのことですか。大丈夫ですよ。今はお二人がいさめてくれるでしょうし、何より私がここを生きて出られるとは、思っていません」


「それは」

「何も、言わないでください。私がそう考えているだけです」

「……わかった。だけど僕は、みんなで切り抜けられればいいと、思っているよ」

「私もですよ。――裏で戦っている者たちに、退却の伝令を」


 亮はまだ何か言いたそうだったが、イアルは強引に会話を打ち切った。


 こちらが退却のために正面の敵に突撃しても、裏にいた袖軍に上から攻められると、挟み撃ちになり瞬く間に全滅する。それを阻止するため、裏で戦っている近衛はそのまま殿軍になるのだ。もちろん、いつまでも止められるものではない。この殿軍は、こちらの突破の成否に関わらず、文字通り殲滅されるだろう。


 それは、こちらもあまり変わらない。街道まで突っ切れなければ、敵中で孤立する。

 それでも、申し訳ないとは思う。皇室に尽くす、というのは、近衛の宿命のようなものだが、これは死んでくれと言っているようなものなのだ。自分の生き方に、巻き込んでしまったような気がしていた。


 しかし、生き延びるためには、突破するか、降伏するしかない。皇太子を放り出して、降伏するなど有り得ない以上、突破に賭けるしかないのだ。


 まだ荷物を載せていた荷車が三台、城門の前に用意された。他の二台は石の運搬に使ってしまって、積み荷を降ろしている。載せ直している時間はない。

 積み荷から油を取り出し、荷車全体に行き渡るようぶっかけた。部下が手早く火打ち石で火を起こし、荷車に点火する。

 油を伝い、あっという間に荷車は燃え盛る炎に包まれた。


 兵が、その後ろに付き、丸太で押す準備をした。


「出せ」


 イアルが、手を上げた。それに応じ、車止めが外される。続いて、門も開けられた。袖兵が殺到してきそうになるが、その前に荷車が押し出される。門も、坂の途中にあるのだ。荷車の勢いはすぐについた。三台とも、次々と打ち出されていく。


 荷車は炎を撒き散らしながら、三台続いて坂道を転げ落ちていった。かなりの人を、巻き込んだだろう。ただ、道の端へと難を逃れた袖兵も多かった。茫然(ぼうぜん)として、炎が駆けた坂の下を見ている。


 砦の中からは、歓声が上がった。反撃の狼煙としては、上々だろう。


「行くぞ。ここからが、正念場だ」


 少し、清々した心持ちになったが、気を引き締め直した。亮の策で多少の袖兵を散らせたが、その先の道のりはまだまだ遠い。


 イアルは騎乗していた。今残っているのは、六羽の鴕鳥だけだ。それも戦鴕ではなく、農耕用の鴕鳥である。それでも、騎鴕隊は騎鴕隊だ。

 イアルが先頭になり、さっぱりと開いた道を駆け下った。途中に残っている兵を、騎鴕で突き崩していく。元より、ただ立っている兵ばかりで、容易く蹴散らせた。

 その後を、近衛に囲まれた貴人たちがついてくる。


 荷車は、一台目は脇にずれ、途中で止まっていたが、幸い後続の邪魔はしていなかった。残りは道の曲がりまで駆け抜けてから、全て山の中に突っ込み、くすぶった火を上げている。山火事になるかもしれないが、今構っている暇はない。


 道の曲がりより先は、損害もなく袖軍が残っている。それは、仕方がない。亮の献策がなければ、坂の一番上から同じように突破するつもりだったのだ。荷車を転がしただけで、相当楽に距離を稼ぐことができた。


 六騎で坂を下り、その勢いを保ったまま、群がる敵に突っ込んだ。荷車が与えた衝撃で混乱していたのか、はたまたこんなところまで敵が来るとは思っていなかったのか、初めから隊伍が乱れていた。槍の穂先のような隊形で、道の真中から容易く敵を両断していく。討つほどのものでもなく、敵は背を向けて道を開けた。


 少し下ったところで、鴕首を返し、坂を登り返した。まだ、本隊が追いついていない。この騎鴕隊は、あくまで本隊の道をこじ開けるためのものだ。行き過ぎて分断されては、意味がない。


 再び折り返し、短く敵へと突進する。それを繰り返し、岩をのみで穿つように、少しずつ崩していった。

 味方が追いついてきた。まだ、一騎も欠けてはいない。


「よし」


 確認した瞬間、イアルは今までより強く、敵中に突っ込んだ。今度は、後続も歩兵として突っ込んできている。今度は追い散らすだけでなく、両手で剣を使い、何人か斬った。イアルは、手綱も(くら)もなくても、鴕鳥に乗ることができる。体重移動や脚を使って、鴕鳥に意思を伝えるのだ。しかしこの鴕鳥は農耕用で、戦鴕と比べると少し食い違うところがあった。


 袖軍の抵抗も、強くなってきた。戟を横から突き出され、一騎が欠ける。イアルにも向かってきたが、剣で全て弾いた。


 また一騎、鴕鳥から落ちた。構わず、さらに進む。前へ、ひたすら前へ。


 鍛え上げた近衛たちはともかく、貴人たちや従者たちは、ついてくるのがかなり辛いだろう。しかし、この窮地を脱するまでは、耐えてもらうしかない。


 こちらを阻もうとした兵を、鴕鳥が踏み荒らした。さらに一人、肩から斬り下げる。隣で部下も、一人を斬っていた。

 イアルは、騎鴕の速度を緩めなかった。袖兵の海を割り、進み続ける。気づけば、三騎に減っていた。


 イアルの両側の二騎が、立て続けに倒れた。人ではなく、鴕鳥が倒されたらしい。自分は、最後の一騎だ。単騎。もう、騎鴕隊ではない。束の間、そんなことを考えた。


 戟。足元。かわせ、と足に力をこめたが、鴕鳥は上手く動いてくれなかった。良質な戦鴕なら、かわせたはずだ。足を刈られ、イアルの鴕鳥も倒れる。人と同じ二足の鴕鳥は、足を狙われるのに弱い。

 地面に投げ出される。そう思ったが、イアルは無意識に空中で体勢を整えていた。むしろ、勢いを利用して敵中に飛び込み、そのまま二人を両断する。


「おおおおおおおおおおおおおお!」


 イアルは、雄叫びを上げた。同時に、何かを取り戻した気がした。


 袖兵たちが、少し怯んだのが分かる。イアルは、剣を軽く振った。宙を裂く、鋭い音が鳴る。敵が、後ずさった。


 弾かれたように、イアルは動いた。正面に、二人。目を見開いている。駆け抜けるように、斬り捨てた。突き出された槍を弾き、そのまま敵の胸を貫いた。


 息が上がってきている。それは、鴕上にいた時からだ。体が、きしむような悲鳴をあげている。


 体を回し、回転に乗せて剣を繰り出す。一人、首を飛ばし、一人、腕を斬り落とした。

 剣は止まらない。斬った剣はそのまま次の動きへとつながり、その度にどこか斬っていく。晴天剣が煌く輝きを、嵐天剣が鈍い光を放ち、舞うように弧を描く。


 イアルの立っているところだけ、ぽっかりと空間ができていた。後ろからの歩兵も、続いてきている。


 動き続ける。二つの剣が、時に回り、時に曲がり、時に突き、次々と敵を倒していく。

 口の中は、鉄の味でいっぱいだった。止まれ、止めろと体が叫んでいる。それを押し殺し、ひたすら剣を振るう。


 まだだ。まだ、限界ではない。見えている限界の先に、もう一つの地平がある。


 敵。剣。ここだ、と思い、剣を合わせた。何かを、通り過ぎた。


 剣と具足ごと、袖兵を叩き斬っていた。


 入った。そう、思った。


 体の上げる悲鳴が止まる。容易く、より鋭く、動くようになる。何か、別の生き物になったような気分だ。


 駆ける。一合と打ち合わず、一人を斬った。戟が二つ、突き出されてくる。剣を一閃、刃を斬り落とした。驚いた袖兵の首を、駆け抜けざまに斬り飛ばす。


 行こう。今なら、どこまでも行ける。そんな気になった。袖軍の壁など、何ほどのこともない。


 近衛たちが、後ろから来るのを感じる。まだ、追いついてはいない。殿下の通る、道を作っているのだ。誰も追いつけないに決まっていた。


 嵐天剣の鈍色の刃が、袖兵の喉を突いた。浴びるように血を受ける中、晴天剣の白刃が敵の剣を払う。そのまま回り、二人を斬った。


「隊長!」


 後ろから、兵が呼びかけてきていた。それを遮るように、イアルはまた、雄叫びを上げた。

 気づかない内に、無数の浅傷を受けている。しかし、動きを妨げるような、大きな傷は一つも負っていない。体が勝手に反応して、避けているのだ。


 左右から、近衛隊の兵たちが出てきて、押し始めた。しかし構わず、イアルは突出して袖兵の中に斬りこんでいた。


 そうだ、自分はずっと、軍というものに憧れていたのだ。近衛隊の指揮など、本当は柄ではない。一兵卒として、戦場の真中で剣を振るいたかった。ずっと宮中にいようとも、煌びやかな見かけだけの軍装に身を包んでいても、これは軍だと思おうとしてきたが、やはり違う。


 二人の兵が、立て続けに突き倒された。それでも、イアルは振り向きもせずに剣を振る。斬る。倒す。その姿を見て、兵たちはためらうことなく袖の軍へと進んでいく。


 近衛の役目は、皇とその一族を守ることだ。近衛の出番があるということは、国を揺るがす事態が起きていることと同義であり、イアルの長い隊歴の中でも数える程しかない。実戦の機会がない近衛隊は、選りすぐられた勇士で構成されていても、多くの場合見掛け倒しの弱兵になる。


 そうではないのだ。自分は、生死の境を行くような、厳しい戦場の中に身を置きたかった。ぬるま湯の中に浸かるのが嫌で、だから常に限界を試すかのような調練を兵に課していた。皇を守るためという名分を掲げて。


 かわし損ね、脇に剣を受けた。鋭い痛みが走り、鮮血が飛び散る。だが、まだ動くことはできる。まだ、戦える。命の火が尽きない限り、剣を振り続けられる。一人を斬り倒し、一人を突き殺した。突いたまま袖兵の骸をぶつけ、さらに一人が地に伏す。


 槍。剣ではね上げた。しかし、そこに二本目が突き出されてくる。かわそうとしたが、斬られた脇腹が痛み、右肩に突き立った。それでも怒声を張り上げながら、イアルはその袖兵を両断する。二人、三人、斬り倒し続ける。敵はその姿を見て、一歩後ずさった。


 そうだ。ここにいるのが誰だと思っている。鷺国一の勇士と(うた)われた、イアル・リオレイドだぞ。弱兵などに、膝を屈しはしない。


 離れたところから、一斉に槍が投げられてくる。鷺の近衛兵たちが必死で止めようとしているが、それでも十以上飛んできた。左で四つ、叩き落とす。怪我を負った右でも、三つは弾いた。何本かは、元から外れている。しかし一本、足に突き刺さった。


 構わなかった。次の槍を用意される前に、丸腰の兵を四人、イアルはまとめて斬った。さらに一人、腕を斬り落とす。足がやられ、動きは悪い。それでも、体は動くのだ。


「イアル! 戻れ! もう無理だ!」


 後ろから、命令が飛んできた。士会か、それとも亮の方か、聞き慣れていないのでわからない。それに、今更止まるつもりもなかった。こんな状態で戻っても、移動する足を引っ張るだけだ。


 また一人、斬ったところで、槍に胸を突き刺された。深々と体に入っており、自分の背中から穂先が突き出ているのを感じる。口から血が、溢れ出た。自分の命が、急速に失われていくのがわかった。


 それでも、最後に残った一滴で、胸を貫いた槍の持ち主を両断する。その勢いで、自分の体が前に傾いていった。


 気づけば、口に血と土の味を感じていた。体の力が消え、温度も抜けていく。これが、死ぬということなのか。周りでせわしなく鳴る足音が、妙に際立って聞こえた。

 もう、老い先長くはない。退役など、冗談ではないと思っていたのだ。大恩を受けた皇室の次代の担い手、フィリムレーナを守って剣を振り、滅多にない厳しい戦場で死ねる。これ以上望むべくもない、幸せな逝き方ではないか。


 誰かが、声をかけてくれた気がした。なんと言ったのか、わからない。しかし、確かに何かを聞いた。


 音が、遠のいていった。


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