戦後の清算
バングルは本拠アルディアの城内で、反乱軍の主だった者たちと向き合っていた。
誰も彼も、その表情は暗い。それは、当然だろう。鷺の首都、フェロン近郊の休竜原で先日行われた決戦で、反乱軍は大敗を喫したのだ。その傷跡は深く、今アルディアに集まっている兵は決戦前の半数近くにまで落ちていた。
もっとも、減った兵の全てが戦の中で討たれたわけではないだろう。バングルが率いていた軍は崩壊したものの、ひたすらにまとまろうとする兵を崩すだけの追撃だったと、戻った指揮官から聞いた。班陽の軍とヴァルチャーの軍も追撃を受けたものの、そこまで徹底した攻撃ではなかった。
つまり、既に反乱軍を見限った者たちが、かなりの数に上るのだ。連勝の熱狂から覚めたのだろう。勢いに任せた反乱など、一度負ければこんなものなのだ。
「反乱軍は解散する」
きっぱりとバングルが言い切ると、会議の場は大きく荒れた。一番多いのは、まだ戦える、完全に負けたわけではない、という声だ。賛成の声もあるが、あくまで一部だった。
「理由を伺っても」
ペリアスが聞いてきた。今は冷静さを取り戻したようだが、一時は魂が抜けたような状態になっていたという。
他にも、反乱に加わったまま一戦もしていない者もいる。いきなり解散と言われても、うなずけないのも仕方なかった。
バングルは卓に強く手をつき、音で皆を黙らせた。
「これ以上やっても、勝てる見込みがないからだ」
また、ざわざわとうるさくなってくる。構わず、バングルは続けた。
「確かに、手元に兵力は残っている。兵糧も武器もある程度はあるし、しばらく抗戦することは可能だろう。だが、それだけだ。既に反乱軍は、勢いを失ったと見られている。一度の敗北で、戦死した以上に離脱した兵が多いのが証拠だ。垓軍も既に撤退し、鷺は全軍を反乱鎮圧に投入できる。一方こちらは、もう増える当てはない。これ以上続けても、死者が増え、土地を荒廃させるだけだ」
垓軍は、ウィングローに押し返され、占領した街も放棄して撤退していた。ちょうど鷺軍と反乱軍の決戦が行われている頃のことだ。
「そんなもの、やってみなければわからないだろう」
「もう一度勝てば、まだ勢いを取り戻すことはできるはずだ」
口々に反論が飛んできた。具体性のないものが多いが、バングルは真摯に答えた。
「それでも、もう短期決戦はできない。そうなると、自前で兵糧や武器を調達するのが難しい我らは大きく不利だ。まさか、我らが民から絞り上げるわけにもいくまい」
「一時の痛みです。そこは、我慢してもらわざるを」
「馬鹿者。そんなことを繰り返して、この国は腐っていったのだぞ。何にせよ、希望的観測だけで兵を動かすわけにはいかない。戦いを挑むのなら、どのように勝つかという像を明確に描いておくべきだ」
叩きつけるようにバングルが言い放つと、場はしばらくしんとなった。バングルと同じように、この場の誰も現状を打開する案は持っていないようだ。
「……そうですね。これ以上は、ただの意地です。そんなもののために、多くの命を犠牲にするわけにはいかない」
ペリアスが、自分に言い聞かせるように言った。彼も、彼の中で心の整理をつけようとしているのかもしれない。
しかし、その隣にいたヴァルチャーが、両手をわなわなと震わせて絞り出すように声を上げた。
「ならば、これからも民は物言わぬ蟻のように働かざるを得ないのですか。民にも力があると、示し続けるべきではないのですか」
それは、反乱軍の存在意義そのものに関する訴えだった。確かに、民も侮れない力を持っているということを政府に知らせることが出来れば、一定の配慮を引き出せる可能性もある。そういう意味で、限界まで戦い続け、拠点を失っても山野を砦に抵抗を続けることも無駄ではない、とも取れる。
だがそれも、希望的な見方でしかなかった。
「ヴァルチャー、それは、鷺の治安を悪化させるということだ。鷺に――軍に力がないと示されれば、賊の数も増える。その時、割を食うのは民だろう。それと」
ちら、と班陽に視線を送ると、班陽はバングルの言葉を引き継いでくれた。
「最近、鷺西部でも神子教の宣教師が目につきます。長引かせれば、白蘭が後ろを突いてくることも考えられますね。ある程度民を抱き込んで支持を得た後、軍を送り込んで併合する。白蘭の常套手段です」
白蘭は、鷺の西方に位置する宗教国家だ。まだ成立して日は浅いが、天下西部に多数存在していた小国を短期間でまとめて併呑したという前歴を持つ。白蘭の長を信仰する宗教を民の間に流布し、次々に国を乗っ取っていったようだ。鷺の民も暮らし向きが悪い分、新たな信仰にすがる者もかなりの数が出ていた。
「それでも、鷺の支配よりは」
「白蘭の版図にも、神子教を信奉していない民もいる。しかし、そういった者も神の子とやらへの信仰を強制され、逆らえば場合によっては処刑もあり得る、それが白蘭という国だ。信じれば救われる、報われると甘言で民を惑わし、信仰を支配に利用する。自分が信じる神も選べない国の支配も、鷺と大差はない」
食い下がるヴァルチャーに、班陽は整然と論を返した。それでもヴァルチャーは、納得いかないとばかりに言い返す。
「班陽、お前は祖国の仇だから、そこまで白蘭を敵視するんだろう」
「何を。ヴァルチャー、お前はあの国の悪辣さを知らない。大体――」
「話が脱線しているぞ。白蘭は脅威だが、それ以上でもそれ以下でもない。今の議題は、我らの進退だ」
個人への攻撃に発展してきたのを見かねて、バングルは二人の言い争いを止めた。多分、二人とも心がささくれ立っているのだろう。何か、他のことで気を紛らわしたい気持ちは、何となくわかる。
「それで、バングル殿。戦いを経て、何かつかんだものがあったのではありませんか? だからこそ、大人しく引き下がろうというのでは」
「その通りだ、ペリアス。私は敵の総大将、士会と話をしてきた。どうやら、鷺姫と接近し、良き方向へ導くことを目論んでいるらしい。上手くいけば、次代の鷺は変わる」
当然のことだが、士会を疑う声が上がった。どうせ口だけだ、裏では何をしているかわからない。反乱に与する者たちが、政府の中枢に食い込んでいる者を信じられないのも無理はなかった。
「胡散臭いと思うのも仕方ない。しかし私は、彼と実際に剣を交え、話もした。その剣筋も目も、少年の純粋さを保っていた。民を殺したくないと大した追撃も行わなかったし、私も包囲された二百も見逃された。さらに言えば、開戦前に鷺姫に罵声を浴びせたが――あれも、効果があったと士会は言っていた。私は――士会に、期待しても良いと思っている」
いまだ、考え込んでいる者も多くいた。反乱を止めるべきか、続けるべきか、続けて意味があるのか、算段をつけているのだろう。何とか彼らを、止める方向に持っていかなければならない。
「頼む。これ以上反乱を続けることは、民に痛みを伴わせる。既に中央に反乱の衝撃は伝わった。民の怒りを、姫に知らせることもできた。反乱を起こした意味はあったのだ。後を血で汚すことはない」
まとめるようにバングルが言うと、血相を変えたヴァルチャーに詰め寄られた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! バングル殿、本気なのか!? 一度反乱を始めれば、途中で降りるという選択肢はないだろう! 止めたところで、いつか捕縛され、処刑されるだけだ!」
「ここで反乱を止めるならば、今回の反乱に関わったとしても罪に問わない。そう、士会が言っていた」
「また、そいつですか! そんなわけないでしょう、馬鹿馬鹿しい!」
ヴァルチャーが座っていた椅子を蹴り飛ばして、吐き捨てた。ヴァルチャーは古くからの同志だ。何とか説得して、引き下がらせたい。血の運命が待っているとわかっていて、見過ごすことはできない。
「ヴァルチャー、頼む。士会を信じるに足る人物だと見た、俺の目を信じてくれ」
「くどい! バングル殿ともあろう方が、何甘いこと言ってるんですか! 俺たちの希望を、夢を、打ち砕いた張本人ですよ!? 信じられるわけないでしょう! そんなだから、半数の敵に負けるんです!」
夢、と聞いて、ペリアスがあるかなきかの反応を見せていた。他は、様々だ。ヴァルチャーに賛同する声もあれば、バングル殿が言うならば、と矛を収めてくれる者もいる。その言い方はあまりに酷いと、ヴァルチャーをたしなめる声もある。
なんとか、全員を説き伏せてこの場を収めたい。しかし、ヴァルチャーを始めとする継戦派はどこまでも頑なだった。理を持って必死に諭しても、感情的な反発を招いてしまう。いや、バングルの話も感情的な部分が多いから、説得することにはどうしても無理があった。
結局ヴァルチャーは継戦派を引き連れ、部屋を飛び出してしまった。その足で、同調する兵を集めに行くつもりらしい。こちらも、兵を引き止めるために急いで出向かなければならない。
残った者で、反乱軍を解散することに反対する者はいなかった。細かい話はあとで詰めることにして、バングルたちも兵に今後について話に向かう。それから、武器倉と兵糧倉の管理にも何人か人を割いた。ヴァルチャーたちにも兵糧を分けることになるだろうが、量は人数に応じてだ。兵を辞めて田舎に帰る者にも、いくばくかのものは渡さなければならない。好き勝手に持ち出されるわけにはいかなかった。
「円満に解決、というわけにはいきませんね」
付いてきていたペリアスが、話しかけてきた。
「集まった者たちからしてみれば、寝耳に水なことだろうからな。むしろ、この程度の反発で済んで良かったと思うべきだろう」
「いくらかは、同調する者も出るでしょうね。それをどれだけ抑えられるかが、勝負です」
そう言うペリアスに、本心を隠している様子は微塵も見られない。バングルはどうしても気になって、真っ向から尋ねてみた。
「ペリアス、君は反乱を続けたいのではないのか?」
彼がこちらの肩を持ってくれるとは思っていなかった。継戦派か、旗幟を鮮明にしないかのどちらかだろうと思っていたのだ。
「純粋に続けたいかどうか聞かれたら、そりゃ続けたいですよ。でも、状況がそれを許さないのも理解しています。おっしゃる通り、勝ち目どころか得るものすらない戦いは、すべきではありません。最初にきっぱり解散すると告げられて、俺もハッとしました」
「……すまないな。大兵を擁しながら、私が負けたばかりに」
「負けたのは、指揮下にいた俺も同じです。俺たちが当たったのは、鷺軍の最精鋭。代わりに誰が指揮していても、勝てたかどうかわかりません。いや、バングル殿で駄目だったのですから、誰でも厳しいでしょう」
ペリアスは少しうつむいてから、言葉を続けた。
「それにですね、俺は心のどこかで、敵将の士会を信じたがっているようなのですよ。尊敬していたピオレスタ殿やベルゼル殿を説き伏せた士会のことを。バングル殿も、彼を信用したのでしょう?」
「そうだな。交わした言葉に、偽りは感じられなかった。本当に、この国を変えるつもりなのだろう」
「俺個人としては、半信半疑なんです。戦場でも、わずかに一回剣を交えただけで、ほぼ会ったこともありませんし。でも、俺の尊敬する人たちをことごとく変えた。その部分は、信用できると思っています。以前の自分なら、そんな風に考えるようになるなんて思いもしなかったでしょうが」
そう言って、ペリアスは笑って見せた。その笑みは、どこか寂しげだった。
「フレムラギアが、戻りませんね」
「ああ。敵に打ち倒されたのを見た者がいる。死んだか、捕らえられたか」
「あいつは、負けた自分を許せる人間ではありません。どの道、死を選びそうです」
「彼の突撃を見ていると、負けるわけがないと思えたものだ。そんな騎鴕隊を擁してさえ、私は負けた」
「バングル殿。失礼ながら、先達からのありがたい忠告です。負けたことを悔いても、大して得るものはありません。負けの上に立って、前を向くことです」
ペリアスは、ビュートライドで挫折し、そこから立ち直ってこの戦に臨んだのだ。確かに、バングルからしてみれば先達だった。
「負けを踏み越える、か。そうできるよう、努力しよう」
仲間と語らい、力を合わせ、形作った夢が終わった。喪失感は大きい。自分の芯のようなものが、すっぽりと抜け落ちてしまったような気分だ。しかし、同時に、この国の行く末を見届けてやろうという気持ちも持ち上がっていた。
夢は失ったが、希望は残った。バングルは目を閉じ、自分にそう言い含めた。