休竜原の戦い 終戦
中央の戦場の趨勢を見て、左右の戦線も鷺軍側に傾いていった。
そこに士会軍が側面を突く構えを見せると、どちらの軍も潰走した。士会は将軍たちに追撃であまり敵兵を討たないよう命じて、自分の軍を退かせた。そうは言っても、追撃で戦功を稼ごうという思惑は防げないだろう。かと言って、追撃を自分の軍で独占するのも不満が出る。ある程度反乱軍に余計な犠牲が出るのは、仕方がなかった。
「士会殿、少し話が」
追撃の指揮を終えたピオレスタが、士会の下にやって来た。
「ああ、報告か。聞かせてくれ」
「いえ、そうではなく……いや、先にきちんと役目を果たすのが筋ですね。士会殿の指示通り、とにかく散らせることに注力しました。追撃でのこちらの犠牲はなし。敵は逃げずに徹底して抵抗する者のみ首を取っています。百を超えないくらいですね」
「よし、ご苦労だった。多分、今日はもう俺たちの出番はないだろう。ゆっくり休んでくれ」
「待ってください。士会殿に聞いておいていただきたい話があります」
ピオレスタの目は、果てしなく真剣だった。戦勝の開放感とは、真逆の方向性だ。何の用だろうと、士会は疑問に思った。
「話? まあ、いいけど」
「追撃に入る前のことです。ペリアスの首を目前にして、私は自分の意思で見逃しました。この責めを、私は負わなければなりません。死して、償おうと思います。申し訳ありませんが、この国を変える助けになるという約束は、ベルゼルに託すことにします」
「ええ? いや、待て、その……」
生真面目なピオレスタの斜め上過ぎる主張に、士会はついていけていなかった。どうしてそれで自決することになるんだ? え、これが普通なの?
「ありがとうございました」
「……いやいや、待て、待ってくれ。そんなあっさり死ぬなというか」
「あっさり、ではありません。これが、私なりのけじめです」
「その、そんなことで死なれると俺の立場がないというか……」
「立場……ですか?」
士会はバングルとのやり取りについて、ピオレスタに事細かく説明した。話を聞き進むにつれ、ピオレスタの目が驚きに見開かれる。
「バングルと一騎討ちした上に、二百人ともども見逃した……?」
「うん……その……はい……」
そうなのだ。ピオレスタの基準をそのまま士会に適用すると、一体何回死ななければならなくなるかわからない。ピオレスタという優秀な人材を失いたくないという意味でも、士会の立つ瀬がなくなるという意味でも、絶対に見過ごすわけにはいかなかった。
「そ、それは……いや、しかし……」
「というか、出来る限り犠牲を出さずに、反乱を終わらせるのが俺の目標だったからな。それにも合ってるし、むしろナイス判断」
「いえ、その時はまだ追撃を始める前だったんで、士会殿の方針は聞いていませんでしたよ」
「知らず知らずのうちに俺の意向を汲んでたってことで、納得してくれ」
「はあ……」
ピオレスタの顔は困惑したり、ちょっと笑ってみたり、なんだか忙しい。自分の覚悟が空振りしたことで、どういう顔をしたらいいのかわからないのかもしれない。
「それで、ペリアスの様子はどうだった? まだまだやれる感じの雰囲気だった?」
「……いえ。最後には、夢を諦めた。そんな風に見えました」
ピオレスタの回答には、少し間があった。その表情には、どこか切なさを感じた。
「そうか。バングルの言うことに従って、剣を置いてくれるといいんだが」
「バングルのこと、そこまで信頼しているのですね。いや、そうでないとこんな処置はできませんが」
「直接戦って、大丈夫だと見極めた……つもり。戦う前にフィナに声を届けるのも、ちゃんとやってくれたしな」
「実際に剣を交えた上でのことなら、何も言いますまい。本気のぶつかり合いの中では、当人たちにしかわからないつながりが生まれたりしますしね」
ピオレスタの表情は、まだぎこちなさが残っていた。それでも、前を向いていることはわかる。ピオレスタを失うことにならなくてよかったと、士会は思っていた。
※
バリアレスは、自分の騎鴕隊を兵営に返さず、戦場となった平地で幕営していた。名目上は残党がいないか見張るためだが、それ以外に目的があってのことだ。
起きた、との知らせを聞いて、バリアレスは大きめの天幕に急いだ。
天幕の中には、世話と監視を務めていた兵が入口のところに立っていて、手を縛られた男が一人、地面に座っていた。
「おい、戦は終わったんだろ。粥は腹にたまらん。もうちょっといいものは出ないのか」
開口一番、赤髪の男にそう言われ、バリアレスは面食らった。何から話そうかと考えていたのに、まさか飯の話から始めることになるとは。
「まだ、幕営中なんでな。悪いが大したものは出せんよ、フレムラギア。ただ、これは用意した」
「ふむ、酒か」
フレムラギアは興味のなさそうな目つきで、酒瓶を見ていた。
「あまり嬉しそうじゃないな」
「……まあ、隠すことでもないか。酒は苦手なんだ」
苦々しそうな口調で、フレムラギアは言った。
「何? あれだけ戦場で大立ち回りを演じておいてか」
「お前も腕っぷしが強ければ酒も飲めると思っている口か。一発殴らせろ」
「おう、いいだろう。縄を解いてやる」
バリアレスはフレムラギアの後ろに回り、フレムラギアの両手を縛る縄に手をかけた。
「お前、本気にするな。冗談だ」
「何、どの道こうするつもりだったさ」
フレムラギアが抵抗するのも構わず、縄を切る。一応身構えたが、フレムラギアは殴ってはこなかった。
「どういうつもりだ」
「なあ、お前、うちに来ないか?」
「何?」
バリアレスは、至極直接的にフレムラギアを勧誘した。色々考えてみたものの、やはりまどろっこしいことは苦手だった。
バリアレスがフレムラギアを殺さずに打ち倒したのは、ピオレスタやベルゼルのようになんとか味方につけられないかと考えたからだった。捕虜として連れ帰ったことが露見すれば、晒し首にしろと騒がしい横槍が入るだろう。だから兵営に帰らず、戦場に留まったまま口説くことにした。
「あんたの騎鴕隊は惚れ惚れするほど速く、強かった。その力がここで消えるのは惜しい。若造の指揮を受けるのが嫌なら、俺の父、ウィングローに口も利いてやる。お前なら、あの軍でも問題なくやっていけるだろう」
「何を馬鹿なことを。俺に裏切り者になれというのか」
「頼むよ。あんた、ここで死んでいい人じゃないだろう。どうしても鷺の下に付くのが嫌なら、バングルと同じように放してやるよ。だから、考えてみるだけでも、頼む」
「ちょっと待て。バングル殿が放された?」
フレムラギアはまさか、という顔をしていた。
「ああ。士会と一騎討ちのあと、反乱軍を解散させることを約束して、解放したぜ」
「無茶苦茶だ。そのまま反乱を続けたら」
「やっても、勝てない。それは、バングルもわかってるはずだ」
「……それは、そうだが。本当に、バングル殿を解放したのか」
「しつこいな。嘘なんざつくかよ」
「そうか……」
それきり、フレムラギアは座ったまま地面を見つめ、黙りこくった。それは悪い沈黙ではないとバリアレスも思い、何も言わずに待っていた。
やがて、フレムラギアは、ぽつぽつと語り始めた。バリアレスは、フレムラギアの対面に腰を下ろした。
「俺は、戦鴕を育てる牧で生まれた。赤子の時から鴕鳥に囲まれて育った。親父は鴕鳥飼いで、俺が二つ足で立つ前から俺を戦鴕に乗せようとした」
フレムラギアの目には、どこか懐かしそうな色が浮かんでいた。
「俺と鴕鳥は、家族だった。一緒に育ち、並んで駆けて、いつしか乗せてもらうようになった。最初から、鞍も手綱もなくても、意思を伝えられた」
そんな生い立ちならば、戦鴕を扱う腕で負けるのも無理はない。バリアレスは納得していた。
「牧に、一際大きな戦鴕がいた。羽は純白で美しく、走れば何者も寄せ付けない。俺はそいつと、特に心が通じ合っていた。よく、街境まで駆けに行ったもんだ。どれだけ駆けても、速度が落ちることはなかった。まあ、その頃そう感じたってだけだから、いささか誇張が入っているとは思うが」
「子供の足で戦鴕に乗ると、どこまでも行けそうな気になるよな」
「ああ、そうだ。その感覚だ。……俺が十の時、近くの街の将官が、その戦鴕を見つけてな。安く売れ、と親父に言ったんだ。買い叩かれるような戦鴕じゃないのだから、当然断る。するとその将官は、軍に逆らったらどうなるか思い知らせてやる、と言い放って、後日兵を率いて戻ってきた」
「……脅してきたのか」
「いや。不正に入手した戦鴕を売りさばいているとして、親父は罪に問われた。その真偽はわからん。ただ、あの誰にも、鴕鳥にも優しかった親父が、人から鴕鳥を盗むような真似をするとは到底思えない」
「………………」
「親父はその場で罪状を言い渡され、止める間もなく斬首された。俺は牧にいた鴕鳥を全部逃がそうとしたが、兵に追われた。散々に逃げ回って、結局逃がせた鴕鳥はほとんどいなかった」
「お前と仲が良かった、その戦鴕は」
「死んだ。逃げる時、いくつか矢を受けてな。その傷が元で、病気になって死んだ。あんなことがなかったら、歴史に名を残すような名鴕になったかもしれないのに」
フレムラギアは、足を組み替えて座り直した。
「今にして思えば、あの将官はうちの戦鴕なんてさほど欲しくなかったんだろう。それなりに稼いでいた牧一つを、気まぐれで潰した、ただそれだけだ。親父が死んだのも、運が悪かったからに過ぎない。こんな話、世の中どこにでも転がってる」
「そんな世を変えるために、反乱を?」
「そうっちゃそうだが、名目だな。俺は単に、復讐したかっただけだ。名前も覚えていない、親父と鴕鳥たちの仇に。だからまあ、バングル殿がそれっぽい理由を付けてくれただけで、俺は好き放題暴れたに過ぎない。それでも」
そこでフレムラギアは、バリアレスの目をじっと見つめた。強い、意志の力を感じる。気を抜くと、気迫だけで後ずさってしまいそうだ。
「俺にも、誇りというものがある。官軍に魂を売るのは死んでも御免だし――それ以上に、見逃されるのはもってのほかだ。バングル殿と違い、俺は背負うもののない、純粋な軍人。戦場に生き、戦場で死ぬ。生き延びるとしたら、勝ち続けた時だけだ。負けて生き残る、なんて選択肢はない」
「……どうしても、か」
「ああ。お前が俺を解き放ったとしても、迷わず俺は自刃する。……だが」
バリアレスをにらむように見つめたまま、フレムラギアは一度言葉を切った。その瞳に迷いや澱みは微塵もなく、ひたすら強い輝きを放っている。負けないよう、バリアレスは全身に力を込めた。
「叶うなら、俺は俺を負かした奴の手で終わりたい」
バリアレスは無言で立ち上がり、ふう、と息を吐いた。
「……わかったよ。そんな気はしてたんだ」
そう言うと、フレムラギアは初めて笑顔を見せた。
「おう、わかってくれたか。じゃあ、サクッとやってくれ」
「そう、死にたがるなよ。お前の率いていた騎鴕隊の兵を、いくらか捕らえてある。最後に話したいこととか、ないか?」
「……いや、ないな。会ったら変に里心を出すかもしれんし。というか、会ってどうする? 反乱の罪は死刑だろう」
「今回は特例。捕虜も全部解き放つし、極力討たないってことに総大将の士会が決めた。もちろん、元の生活に戻らず、反乱を続けようとする奴は討伐の対象だけどな」
「太っ腹だな。だが、少し安心できた。会うつもりはないが、できればあいつらのことを頼みたい。あいつらは生粋の軍人として俺が育てたんだ。今更農作業になんて戻れないかもしれない。希望する奴には、俺に持ち掛けたように、軍に入れてやってくれないか」
「あれほど精強な兵なら、願ったり叶ったりだな。そう、取り計らおう」
「助かる」
「ついでに、聞いてもいいか? あんな速くて強い騎鴕隊、どうやって育てたんだ」
「まあ、そうだな……」
少し考えこむように、フレムラギアは上を向いた。軽くゆらゆらと首を揺らす。これから死ぬ人間とは思えないくらい、のんきな姿だ。
「色々あるが、一つだけ言うなら、そうだな。ある程度までなら、しっかり調練を積めば強くなるのが人間だ。だが、中には特に辛抱強かったり要領が良かったりする奴がいて、それなりの調練を施してもまだ余裕があったりする。そういう奴をひとまとめにして、限界ギリギリまで鍛えたのが、俺が率いていた百騎の騎鴕隊だ。お前の言う速くて強いっていうのは、あいつらのことだろ?」
「ああ。俺も厳しい調練を兵に課していたつもりだったが、あの騎鴕隊には衝撃を受けた。なるほど、選りすぐりの奴らを集めていたのか」
「人だけじゃなく、戦鴕もそうだぞ。それなりに質の高い戦鴕を揃えていても、その中にはある程度ばらつきがある。その上澄みだけを見極めて、集めるんだ。これをやるためには、俺みたいに戦鴕を見る目がある奴が必要だ」
「一応、心当たりはあるな。そいつに頼んでみるか。ありがとよ」
「何、俺の兵を助命してくれる礼だ。さて、無駄話はこれくらいにして、そろそろ頼む」
「わかった」
バリアレスは、持ってきた剣を鞘から抜いた。暗い天幕の中、刃が鈍い光を放っている。
「ほう。良い剣だな」
「嵐天剣という。士会から借りてきた。それより前は、イアルという人が使っていた剣だ」
こんなことになるような気はしていたのだ。それで、相応しい剣をと思い、士会に無理を言って借りた。
「神の使者に、剣聖の持ち物だった剣か。なるほど、これは光栄だな」
「ああ、その前に」
バリアレスは、持ってきたお猪口に酒を注いだ。自分の分と、フレムラギアの分。フレムラギアのものは、気を利かせて少なめにした。
「最後くらい、飲めよ」
「仕方ないか。いや、実を言うと、酒を酌み交わすという行為には憧れていた。ありがたくやらせてもらうとしよう」
フレムラギアは、お猪口を掲げた。
「俺の首に」
「ひでえ口上」
こん、とお猪口同士を合わせてから、バリアレスとフレムラギアはぐいっと一気に飲み干した。
「はあ。やっぱりまずい」
「おいおい。結構良い奴なんだぞ」
「知るか。――まあ、でも良い経験になった」
お猪口を地面に置いて、フレムラギアはにっと笑みを浮かべた。
バリアレスもお猪口を置き、剣を持ってフレムラギアの後ろに立った。フレムラギアはあぐらのまま、膝の上に手を置いている。
「上手くやってくれよ? 痛いのは嫌いなんだ」
「おうよ。死んだことに気づかないまま死なせてやるぜ」
「頼もしいな」
少し距離を取り、嵐天剣を大きく振りかぶる。名残惜しくなって、バリアレスは今一度フレムラギアに声をかけた。
「何か、言い残すことは?」
「そうだな。糞みたいな世の中だったが――ともに戦う仲間ができて、激しく戦える敵がいた。悪くない、人生だった」
フレムラギアが笑った気がした。笑顔のまま、逝かせてやりたい。そう思い、バリアレスは心に踏ん切りをつけた。
「あばよ、好敵手」
踏み込む。流れるように剣を振り下ろし、首に当たる手前で引くように斬った。すっと刃が肌に入り、そのまま抵抗なく振り切れる。さすがの名剣、うなるほどの切れ味だった。
大量の血が噴き出て、バリアレスは真っ赤に染まった。戦場でのフレムラギアの雄姿を思い出す。赤い槍が放つ圧力、風を追い越すその速度、勝てたのが不思議なくらい――いや、あくまで勝てたのは連携あってのことだ。一人では、勝てなかった。
バリアレスは目を閉じ、静かに黙祷した。