休竜原の戦い 会心の一撃
早朝から始まった戦は、午後になっても続いていた。
少し風が強くなったことに、バリアレスは駆けながら気づいた。顔に当たる風圧が、朝よりきつく感じるのだ。
戦域は徐々に広がっていた。双方の指揮官の意図が一致しており、三つの大きな戦場が互いに遠ざかっているのだ。士会は四万という大軍を動かした経験がないことから、左右二つの軍の指揮をそれぞれの将軍に丸投げしており、敵は多分中央の戦場での数的有利を手放したくないのだろう。
それぞれの戦場で激戦が繰り広げられているが、一番押されていたのは士会だ。フレムラギアの騎鴕隊に急襲され、首も取られかけていた。それに関しては、フレムラギアを自由にしてしまった自分に責任がある。とはいえ、今は何とか立て直していた。
数で優位に立っているエルヴィス軍は、あまり有利に戦を進めているとは言えなかった。軍学通りに何度も包囲を試みているようだが、その度にするりと逃げられている。エルヴィスが対面する敵は、かなり守備的に動いているようで、多分その戦線での勝ちは捨てている。余裕があるなら少しでも士会軍の援護に兵を出せよと思うが、エルヴィスも士会もその点について何も行動していなかった。まあ、エルヴィスから兵を引き抜いた結果、エルヴィスが崩されでもしたらまずいと士会は考えているのかもしれない。
ペンタラグア軍は、敵と互角の勝負を繰り広げていた。真っ向からのぶつかり合いがかなりの時間続いており、兵の損耗も激しい。多分死人が一番多いのはこの戦線だろう。士会軍もかなり犠牲を出しているが、互いに敵将の首を狙っているせいか、戦闘の激烈さに比べればマシな範疇である。
優勢が期待された水軍は、まだ手こずっているようだった。精鋭が揃っており、まず負けることはないはずだが、速攻はできなかったようだ。
そしてバリアレスは、フレムラギアの騎鴕隊とひたすら削り合いをしていた。駆けて駆けて、その合間に戦鴕を少しでも休ませることを、互いに続けている。戦鴕の体力にも限界があり、全力で駆けられる時間はそう長くはない。だから、疾駆させた後はなんとか時機を見計らって歩かせなければならない。
とはいえ、あまりゆっくりはさせてやれない。だましだまし乗っている、というのが正直なところだ。お互い、限界は近い。
赤髪の将、フレムラギアがブラムストリアの三百に向かっていた。それを妨害しようとバリアレスも方向を変える。そこでフレムラギアが進路を変え、標的をバリアレスに切り替えてきた。動きが本当に目まぐるしい。
バリアレスは愛鴕、ハルパゴルナを駆り、フレムラギアとすれ違うようにぶつかった。棒と赤い槍が一度だけ打ち合わされる。
そして渦を巻くように互いに相手の中腹に食らいついた。相手の攻撃を避けるために隊が伸びる。渦の中心でもう一度バリアレスは、フレムラギアと会敵した。
「若造! そろそろ沈めぇ!」
「うるせえおっさん! てめえが落ちろ!」
突き出された槍を力ずくで弾き、棒で突いたが体さばきでかわされた。
今度は並走しながら、ほとんど立ち合いのようなやり取りになった。耳の側を槍がすり抜け、敵の頭髪を棒がかすめる。肌がひりつく感覚。一瞬でも気を抜けば、命ごと消し飛ぶ。
切り上げたのはフレムラギアからだった。少し方向を変え、離れていく。ブラムストリアが別方向から回り込んでいたのを見て、避けたのだ。今度はベルゼルの方に向かうようだ。
ベルゼルは今のやり取りの間に、残りの三百騎とぶつかり合っていた。敵の騎鴕隊は戦闘開始から百騎ほど減って、フレムラギアの側近も含めて四百騎ほどになっている。フレムラギアがこちらを出し抜いて士会を襲ったことがあったが、その間残りの四百騎はベルゼル、ブラムストリアの合計六百騎と戦い、かなり数を減らした。フレムラギアとしては、その場で士会の首を取り、決着に持ち込むつもりだったのだろう。その後も互いに削り合いを続け、今の数になっている。ただ、恐ろしいことに、フレムラギアの率いる中核の百騎はほとんど減らせていない。速い上に、一騎一騎が驚くべき精強さなのだ。
フレムラギアを追いかける。歩兵の戦場が近づいてきた。士会のいる中央の戦場だ。見た限り、敵味方入り乱れたかなりの混戦になっている。
急にフレムラギアが方向を変えた。歩兵に向かうつもりか。いや、誘いかもしれない。
ブラムストリアが少し遅れて付いてきているのを確認して、バリアレスはさらにフレムラギアを追った。
フレムラギアがまた急に進路を変え、今度はブラムストリアに標的を変えた。というより、目くらましを何度も挟むことで本当の狙いを読ませないようにしているのだろう。方向転換の合間にも、細かい動きでこちらを惑わしてくる。
たった百の騎鴕隊に、二隊が振り回されていた。歩兵の援護に隊を割きたいが、一隊だけでフレムラギアの相手をするのは難しい。
いや、待て。歩兵の援護。士会なら、近づいてきた騎鴕戦場の様子をしっかり見ているだろう。今の位置関係なら、可能かもしれない。
フレムラギアがブラムストリアに襲い掛かった。ブラムストリアは逃げず、真正面から受けている。自分と挟撃の形を作りたいのだろう。
しかし、フレムラギアは留まらず、ブラムストリア隊とすれ違うようにして駆け抜けた。これを好機と見て、ブラムストリアと合流する。
「すみません、バリアレス殿。引き止められませんでした」
「構わん。それより、このまま駆けるぞ。歩兵を使う。ちょっと遅れてついて来い」
「襲う、じゃなくて使う、ですか。なるほど」
それだけで、ブラムストリアはバリアレスの意図をなんとなく察したようだ。
ひとまず向かう先は、敵歩兵が固まっている辺りだ。ちらと後ろを確認すれば、フレムラギアはこちらを追ってきている。悔しいが奴の方が速いので、このままでは追いつかれるだろう。
どのくらい歩兵との距離を縮められるかが、作戦の成否を握っている。バリアレスはハルパゴルナの腹を蹴り、先を急がせた。
※
敵の小隊長と思しき指揮官を見つけ、士会は迷わず突っ込んだ。
さっと開夜を寄せ、一息に首を取る。周囲の敵兵が浮足立つのがわかった。味方が押すと、部分的に潰走した。
息をつく暇もなく、次の敵に当たる。今の潰走を見ていた敵にも、動揺が走っている。この勢いでできるだけ敵を減らしたい。
もっとも、こちらが押しているとは言い難い状況だった。何せ敵の一端を潰走させている間に、こちらの一端が包囲されて大打撃を受けている。助けを出したかったが、遮る敵が多くて、間に合わない。他を崩すことで、間接的に助けることを狙うしかなかった。
戦況は混沌としていた。敵味方の境が曖昧になり、方々で戦闘が起こっている。今どこに味方がいるのか把握するのも大変だ。
ビーフックが、駆け付けてきた。伝令を出しておいたのだ。騎鴕隊の活躍で、この場の戦果をさらに大きなものにしたい。
指示を出した場所に、ビーフックが突っ込んでいった。慌てふためく敵兵を、騎鴕隊が蹂躙していく。
しかしばらけた兵が、一塊の敵を核にして再びまとまっていく。中心にいるのは――多分、ペリアスだ。先ほどピオレスタと情報交換した時、顔を見たと言っていた。ビュートライドで戦った時と比べ、慎重さと堅実さが増しているという。端的に言えば、成長しているそうだ。
あの核を崩したい、と思った時、士会より先に突っかかっていく者がいた。ピオレスタだ。指揮下の兵を連れ、先頭に立って道を斬り開いていく。
ここはピオレスタに任せよう――そう思ったところで、気づいた。
バリアレスとフレムラギアの戦場が、かなり近づいてきている。追って追われて、激しくぶつかり合いながら、歩兵との距離を縮めている。いや、バリアレスの方が押され気味か。猛禽旗が激しくなびいている。
……ん?
バリアレスの動きに、違和感があった。目の前の敵より、歩兵戦場に近づくことを優先しているような。
それは何とも、バリアレスらしくない――いや、待て。そうか。
バリアレスの意図を察した士会は、周囲の兵を固めた。どういう形でかはわからないが、バリアレスは歩兵の支援を求めている。柔軟に動ける準備は、しておいた方が良い。
三百強の中にいるバリアレスが、敵の百騎に追い立てられている。敵の先頭は赤い。フレムラギアだろう。向かってくる先は、ここだ。その後ろから、遅れて味方の三百が追ってくる。
逃げるバリアレス。追うフレムラギア。このままだと、バリアレスは味方歩兵に行く手を遮られる。
早く来い。士会はそう、念じていた。フレムラギアは、バリアレスが歩兵を避けると考えているだろう。バリアレスは伝令を授受する余裕もなく、歩兵と綿密な連携を取るとは考えにくいからだ。
でも、俺たちなら――できる!
砂煙を上げ、バリアレスが駆け付けてきた。走る。走る。走って――士会の隊の中に飛び込んだ。
鮮やかに隊が割れ、騎鴕隊が入る場所を空ける。その中で、バリアレスは反転した。反転は大きな隙だから、追われている立場で行うのは簡単ではない。しかし味方に囲まれた状況なら、話は別だ。
フレムラギアが慌てて反転している。しかしその後ろから、追ってきていた残り三百――この距離なら見える、ブラムストリアだ――が襲いかかった。
バリアレスとブラムストリアの挟撃が綺麗に決まった。反転中で速度が落ちたフレムラギアの騎鴕隊を包囲する。いかに極まった速度を誇る騎鴕隊でも、こうなると脆い。次々と戦鴕から敵兵が突き落とされていく。
最後まで抵抗を続けていた赤髪の将を、バリアレスが打ち倒した。加減した殴り方だ。確認はできないが、死んでいない、はず。
ブラムストリアが残った敵騎鴕隊の撃破に向かい、バリアレスはそのまま敵歩兵を攻撃し始めた。ブラムストリアとベルゼル、合わせて六百近くがいれば、残りの騎鴕隊を潰走させるのは容易だろう。
バリアレスが開けた風穴を、早速士会は広げにかかった。既に崩れかけている敵を、もう一押しして崩し切る。
戦いの終わりが近い。そのことを、士会は肌で感じていた。