1
「大変! もう時間になっちゃう!」
キャベツの千切りを皿に乗せ、さっきまで炒めてい生姜焼きも一緒に盛り付ける。時計で時間を確認するともう六時になるところだ。
窓の外は薄暗くなり、テレビからは今日のニュースが流れている。
「んー、食欲をそそられる良い匂い。これは間違いなくごはんが進むやつだわ……ごはん足りるかしら」
最近よく通っているお肉屋さんで豚ロースを買ってきたのだが、そこの奥さんが話し好きでいつものように引き留められてしまったため時間が大分ロスしてしまった。豚ロースを安く売ってくれたので有り難かったが、旦那さんの愚痴や昨夜見たドラマの話やら旦那さんがもうやめろと言うまで奥さんの口が止まることはなかった。
急いで帰って来て夕食を作り始めたのだが、やはり時間ぎりぎりになってしまった。玉ねぎの味噌汁を温め、副菜のポテトサラダを冷蔵庫から取り出した時にトントンと壁を叩く音が聞こえた。
「ぎりぎり間に合った。はいはい、ちょっと待っててね」
ポテトサラダも皿に盛り付け、大きなお茶碗に大盛ごはんをよそい、温めた玉ねぎの味噌汁もまとめてお盆に乗せて壁際に置いた小さめなテーブルに運んで並べていく。
何の変哲もない壁に手を伸ばし触れると壁が一部消えてしまった。
ちょうど料理を並べたテーブルくらいの穴だ。最初はもちろんとても驚いたが、毎回こうなるのでもう驚くことはない。人間の順応性の高さとでも言えばいいのか……
「お待たせ、ルーク君。今日は生姜焼きだよ」
消えた壁の向こうには金色の髪をした少年がいた。紫色の瞳に、健康的に焼けた小麦色の肌。華奢な身体つきで、少女のように可愛らしい顔で笑っているがルーク君は間違いなく少年だ。
彼はルーク君といい、騎士学校に通う学生らしい。
テーブルを穴に押し込んでいると向こう側からいつものように「こんばんは、ゆいさん」と挨拶がある。テーブルを掴んで持ってくれたおかげでちょうど向こうに半分、こちらに半分テーブルがある状態にすぐセットすることが出来た。
「すごい良い匂い。お腹減った」
「ごはんのおかわりあるからね」
「はいっ!」
リモコンでテレビの電源を切ってから私も自分の分の食事も運ぶ。
昼食の時間が遅かったのであまりお腹が空いていない。そのため私の分は全体的に量を少なめにしてある。
瞳を輝かせて料理を見ているルーク君のお腹がぐーぐー鳴っているのが聞こえた。どうやら私が戻ってくるのを待っていてくれたらしい。
「お待たせ。じゃあ食べようか」
「はいっ!」
「「いただきます」」
両手を合わせて食事の挨拶をしてから、ハムスターみたいに口いっぱいごはんと生姜焼きを頬張ってもぐもぐしているルーク君。華奢な身体からは想像出来ないくらい大食いのルーク君は幸せそうな顔をしており、私はこの表情を見るとこの上ない喜びを感じる。
「ごはん、おかわりいる?」
「お願いします! ゆいさんのご飯はいつも美味しいです。この肉にかかっているタレ? すごくごはんに合う」
「ありがとう。ポテトサラダ……お肉の横に盛り付けてるその白いやつも美味しいから食べてみて。それもまだ残ってるから食べれるようならおかわり持ってくるよ」
ルーク君からお茶碗を受け取り、キッチンに戻って炊飯器からごはんをよそい始める。「どれくらい食べられるかな?」とキッチンからは見えないルーク君に声をかけると「大盛りでお願いします」と返事が聞こえた。
よく食べるなぁと笑いながら最初と同じくらいの量のごはんをお茶碗によそっていると「ポテトサラダ美味っ!」とルーク君の驚いた声も聞こえた。ポテトサラダのおかわりも必要かしらと冷蔵庫からポテトサラダの入った容器も一緒に持ってルーク君の所へ戻る。
「さぁ、どうぞ。いっぱい食べてね」
「ありがとうございます」
お茶碗を受け取ったルーク君にポテトサラダの入った容器も渡す。
キラキラと瞳を輝かせてお礼を言うルーク君は本当に可愛らしい笑みを浮かべており、それだけで私も幸せな気分になれる。もぐもぐと食事をするルーク君を見ながら私も食事を続けた。生姜焼きは大成功。明日の晩御飯は何を作ろうかな。
私の名前は工藤ゆい。私とルーク君の不思議な出会いからもう三週間が経とうとしている。
六年間働いていた会社を辞めたその日に出会ったのだ。所謂ブラック企業と呼ばれる会社で残業や休日出勤は当たり前。そのうえ上司からのパワハラも酷くて職場には鬱やノイローゼを発症した同僚が複数おり、三年以上勤めている人間が極端に少なく、大半は一年ももたずに辞めてしまう……そんな職場だった。
それでも私が会社を辞められなかったのは次へ進む勇気が持てなかったからだ。
母子家庭で育った私は高校を卒業してブラック企業に入社した。そんなこと知らずに内定が決まったことを喜んでくれた母は私が卒業する前に病気で亡くなってしまい、他に家族がいなかった私は一人ぼっちになってしまった。
一生懸命働いて生きていくと母の墓前で誓い、どんなに辛くとも馬鹿みたいに会社にしがみついて生活していくと心も身体も疲弊していく。まだ若いんだから全然平気と自分を騙しながら無理して毎日を生きてきた。
そんな私が会社を辞めようと思ったきっかけは社長の息子が上司として私の部署にやってきたことだ。
その息子が本当に嫌な男で、仕事が出来ないくせに気分で社員を大声で罵倒する。何をしても社長の息子の自分は許されると思っている男で、そんな男に私は目をつけられたのだ。毎日のように言い掛かりをつけられては深夜まで帰れないように仕事を割り振られ、最後には「俺のことが好きなんだろう?」と会社で押し倒された。襲ってきた男を置物で殴り、事無きを得たがその翌日から地獄が始まった。
男の奥さんが会社に乗り込み、私が男を誑かして怪我をさせたと喚き散らして大騒動を起こしたのだ。男との関係を面白おかしく噂され、それが会社中に広がり絶望した。もう駄目かも……そう思った時に奇跡が起きた。
「……うそでしょ、10億円? え?」
深夜まで働き帰宅した後、食欲も眠気もなくぼんやり部屋の掃除をしていた。掃除といっても深夜なので大きな音を出すわけにもいかず、引き出しの中を整理するくらいしか出来ない。引き出しの中はすでに綺麗に片付けられていたが、手を動かしていないと不安で落ち着かないのだ。
一つずつ手に取り確認しながら引き出しの中身を確認していく。その中に宝くじの封筒が入っていた。去年の年末宝くじだ。
記憶を辿り、そういえば人生で初めて宝くじを買ったことを思い出した。買ったことすら忘れてもう五ヶ月以上たっている。一応確認してからゴミに捨てようとスマホを持ってきて検索をかけた手が震え出した。
宝くじとスマホの画面を何度も繰り返し確認し、一つずつ数字を読み上げながら指で数字を追う。
「……一等、前後賞を合わせて10億円?」
頭が真っ白になってしまった。
思考が戻った私はそのまま退職届を書き、一睡もしないまま翌日出社して珈琲を飲んでいる上司の顔面に退職届を叩きつけてやった。