界を結ぶ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ん? どうした、こーらくん。
――目の前に、卒塔婆のようなものが立っている?
あらら、本当だね、縁起でもない……いや、こいつはまさかとは思うけど。
こーらくん、確認したいことがある。右手へ数十メートル動いてくれ。そこに同じものがないかどうかを見たいんだ。
……げ、あったのか。残念だが遠回りをすることにしよう。
これは先生の地元で伝わっている、通行禁止のマーク。いや、君の琴線に触れる言葉でいえば、「結界が張られている」という奴かな。
――ん? 現実世界にそんなもんがあるとは思えない?
はっはー、現実と空想はまったく別もんだと言いたいのか。
だが、空想を作っているのはいつも、現実に存在する私たちだということ、忘れちゃいかんよ。火のないところに、煙は立たないってね。
迂回する間で、先生の結界に関する話、聞いてみないかい。
むかしむかし。
旧暦にして、すでに夏場にさしかかっていたある日のこと。寒の戻りというにはちょっと遅い、雪が降る時があったんだ。幸い、民の生活にさしたる被害は出なかったけれど、政府の高官たちにとっては、大きな問題だった。
天変地異も、悪政がもたらした結果として、認識されることが珍しくないご時世。それらに対する策を講じなくては、政を担う者としての力が疑われてしまう。
季節外れの雪景色の中、神殿に集められた領内の有識者たち。彼らの数時間に渡る会議が行われている間、その周囲を警護する者たちも気を張っていた。
入り口に加え、外周の四つ角を抑える場所に、直立不動の番兵がひとりずつ立っていることに気がついていただろう。彼らは抜き身の剣を持ち、その切っ先を足下の地面へ軽く突き刺して、柄頭に両手を添えている。
ちらつき続ける雪や、人の往来する様に目もくれず、じっと正面を見つめ続ける彼らは、まるで石像のよう。それがなんとも近寄りがたい雰囲気を醸していたそうだ。
会議は二刻(約4時間)あまり続き、日はすでに傾きかけ、寒さはいよいよ厳しくなってきた。
にも関わらず、四つ角に立つ彼らは身じろぎひとつしない。すでにその肩や袖が長い時間の降雪を受けて、しとどに濡れてしまっているというのに。
やがて神殿から政府の高官たちが出てきて、順に門をくぐって自分の屋敷へと戻っていく。その顔へ、不機嫌さを露わにしながら。
やがて、しんがりを務める僧が門扉から顔を出した。上質な僧衣に身を包み、禿頭と白い豊かなあごひげ。整然とした身なりの彼らは、門の前、および敷地の四隅へ自らの足を運び、ひとりひとりにねぎらいの言葉をかけていった。
それを受けて、ようやく彼らは不動の構えを解く。僧の後に付き従う彼らは、やがて彼らが所属する寺へと帰還。本堂へと集められた。
「今日は寒い中、長時間の警護、まことに大儀。だが申し訳ないことに、皆にはもうひと仕事をお願いせねばいかん」
僧は、今日の会議で決まったことを、かいつまんで伝える。
数時間に渡るその内容は、ほとんどが堂々巡り。最終的にはこの異常な寒さを、一刻も早く止めるという、当初からの意見で決着を迎えた。
この状況が長引くこと、それに対する民の政治への悪評を懸念してのことだが、まだ異常な気象も一日目。性急さを咎める僧たち、少数の意見は押しつぶされてしまったんだ。
「領主様が代わり、新しい体制へ移ってから、まだ日が浅い。早々と世へ悪影響をもたらしては、今後の治世に暗雲が立ちこめる……と、あの場に居合わせたほとんどの者が思っていたそうじゃ。
だが、わしにはまだ判断がつきかねる。この気象が偶然か、それとも何かを意味しているのか。それを探ってみるまでの間、皆にはこの土地を守ってもらう。界を結ぶことでな」
その日の夜半まで、僧による皆への指示と説明は続いた。
そして明朝より、かつて会議の場の四隅を守っていた者たちは馬を駆り、十数人の供を引き連れて、四方へと散っていったんだ。
寒さは、いまだ衰えない。その中でも彼らは馬を走らせ続け、目標の地点へ到達する。そこは険しい崖に囲まれた小道。
四方を山で囲まれたこの領地へ入るためには、彼らが抑えたいずれかの道を通ることが主流。険しい山々を越えての越境もできないことはないが、それなりの心得がある者でなければ、野垂れ死ぬ恐れが大きかった。
「指示した場所へついたら、簡単なものでいい。柵を作り、通行に制限をかけよ。
太刀についても、出発前に十分に清めて携えていけ。いつもやっているように、地面へしっかりと突き立ててな」
彼らは言われた通りに、細い小道を塞ぐように柵を作った。その上であの時、寺院の四隅を守った姿勢を再現し、時を待ち続けた。
その間、小道を通ろうとする者はいなかったが、彼らが陣取る崖の上を、何度か通り過ぎるものの気配があった。
しかし、肝心の姿が見えない。目がいい者でも、崖の上に茂る木々の枝が揺れるのを見るのがやっと。それらが順番にきしんでいく様子から、枝を飛び移っているであろうことは察することができたが。
「たとえ、頭上を越していく者を見かけたとしても、捨て置け。それらは、すべてが誘いだ。決して持ち場を離れてはならぬ」
予め、僧が指示していた厳命。彼らは視線だけを向け、姿勢を崩さずにいた。
彼らが柵を設けてから、十日が過ぎる。
北の一方から、数頭の牛によって引っ張られる牛車が、彼らの待つ小道へと入り込んできた。領主の息子との縁談をまとめるために参った、他国の使いだという。車の脇を固めるのは、直垂と薙刀で武装している。
守り手たちは頑として、通すわけにはいかないという一点張り。しかし、牛車を率いる者たちも引かない。
「この婚姻がまとまらねば、長く両家の不和の種。争いごとを招くやもしれませぬぞ。それによって失われるものの責任、お主らにとることができますかな?」
牛車を率いる、先頭の従者らしき男が口を開く。
「政のことなど、知らぬ。そちらが国の命運を握るとおっしゃるのであれば、我らもまたここの守護を仰せつかっているもの。主の命以外で引くわけには参りませぬぞ」
「……よくぞ申した。ならば」
牛車の脇へ控えていた従者たちが、薙刀を一斉に構えた。ざっと百名ほどはいるだろう。
崖に挟まれた地形故に、囲まれることはないが、数はおよそこちらの十倍。押されればとても太刀打ちできない。
「我が方もここまできて、おめおめと帰るわけには参らぬ。力尽くでも押し通らせてもらいますぞ。この身を砕いても」
獰猛な笑みを浮かべる従者。ここで他国の者と刃傷沙汰を起こしたとすれば、それこそ両国に対しての争いの火種となるというのに。
――こやつら、話に出た国の者ではないな。それを騙り、混乱を招こうとする賊。
「かかれ!」と、従者の声と共に、牛車の周りの兵たちが襲いかかってきた。
太刀を地面へ突き立てたままにしておけ。
主たる僧の指示に従い、彼らは武器として振るえば、相応の威力を持つであろう太刀は扱わず、腰に差した大型の脇差を持って、渡り合う。だが、その賊は想像以上に気味の悪い手合いだった。
狭い道いっぱいに広がり、なおかつ薙刀を大きく振り回すものだから、敵よりもむしろ味方を傷つける。服が避けて、血が飛び散り、ついには彼らの身体の一部さえ、自分たちの刃にかかって宙を飛んだ。
だが、彼らに苦悶のうめきはない。しかも、隙さえあれば地面へ刺した太刀らを、引き抜かんとする動きを見せるんだ。
武器として扱おう、という顔じゃなかった。一刻も早く、邪魔なものをとりのけたい、そんな思いがにじんでいたという。
どれほどの時間が経っただろうか。その場に居合わせたほとんどの者が傷つき、動けなくなりかけた頃。
馬のひづめの音と共に、読経の声が領内から近づいてきた。それを聞き、牛車の一団はぴたりと動きを止める。
「いかん、退け!」
指示を出した従者が背を向け、他の者たちも、倒れた連中を置き去りにきびすを返し出す。その姿が見えなくなってしまうのと、馬に乗ったかの僧が姿を見せるのは、ほぼ同時だったという。
「皆、よく守り抜いてくれたな。まことに大儀。だが、まずは」
僧は差した刀たちを、手ずから一本ずつ引き抜いていく。とたん、彼らの足下を冷たい風がかすめた。
巻き上がる砂利によって、その歩みを明らかにする風たちが、倒れ伏す牛車の従者たちだった者たちの身体を、順番になでていく。
するとどうだ。薙刀も直垂も、その図体さえも、皮がめくれ上がるように、風に乗って浮き上がる。それがいくらも飛ばないうちに、すっかり空へ溶けて消えていってしまった。
そこに残ったのは、彼らが垂れ流したと思しき血。先ほどまでの赤黒さを失い、人のそれとは似つかない、緑色のシミとなって残っていたとのことだ。
僧は語る。様々な占いの末、あの雪がちらつく、季節外れの異常な天候は、凶兆ではなかった。むしろ僧がにらんでいた通り、良い兆しだったという。
「『暖かき地にしか住めぬ、怪しき者。今、この地へ手を伸ばす。土地神、こぞって冷たい息吹で包み、土地を守らん。その冷気、ゆめゆめ逃がすなかれ』。このはっきりした天声を伝えるに、時間がかかった。済まなかったな」
低地に陣取り、太刀を刺して通行を制限したのは、冷気を逃がさぬためだという。
ぬるくなりかけた風呂に入った時、水面付近は熱く、底の付近は冷たくなるように、冷気は低地に溜まり、動くもの。それを逃がさぬための方策だったと。
「おぬしらの働きによって、この土地は守られた。見よ、この市街に転々と残る血痕を。
いずれも暖かき空からここへ入り込もうとし、低きに溜まった冷気に触れた、怪しきものの末路よ」
僧が指さしていく道々には、確かに奴らが風によって吹き飛んだ時と同じ、緑色のシミが残っていたという。