大人はソレを教えてくれない
夢子、12歳、悩む。大いに悩んでいる。
ところでさ、作文の書きはじめって悩むよね。こうやって原稿用紙とにらめっこしているだけで、時間はどんどん過ぎてゆくんだ。これでも、頭は使ってるつもりなんだけどな。だからこそ、全然本題と関係ない事ばかり、妄想しちゃうわけ。だからと言って、やりたくないわけじゃないんだよ。むしろ、やりたいの。だって、これは大事なことだから。マジで。
でもさ、大事な事って言っても、人生で大事なことなんか沢山あるじゃない? それが何かって言われると、すぐには出てこないわけだけど。そう、直ぐに出てこないから、こんなにも私は困っているわけなのです。
すぐには出てこないと言えば、今まさにシャーペンの芯が出てこないわけ。これ多分、ペン先で芯が折れちゃってるんだけど、こういう時ってみんなどうしてる? とりあえずペン先を外してさ、新しい芯を用意したら、針孔に糸を通すように、慎重に、ペン先に詰まった芯を押し出して取るじゃない? でも、慎重にって思えば思うほど、シャーペンの芯って折れるよね。なんなの?
そう言えば、2045年問題って知ってる? その年にはさ、人工知能が人間の知能を追い抜いて、人間が機械に使われる時代が来るかも知れないんだって。でもさ、シャーペンがこの世に生み出されてから既に200年も経つわけ。でも、未だに芯詰まってるし。200年だよ? 想像できる? 江戸時代なんだよ。なら、そろそろ芯が「絶対」に詰まらないシャーペンが開発されてもよくない!? でも、この世界に「絶対」はないんだよね。
「絶対」はないから、思い悩んでしまう。でも、パパもママも先生も、みんな同じ事を言う。「そんなに深く考えるな」って。それなら、最初からこんなこと、やらせないでよ。深く考える必要がないなら、何も考えずに、のほほんと生きていけばいいじゃない。なのに、提出しなければしないで、「もっとちゃんと考えなさい」だって。これって、「矛盾」って言うんだよね。知ってる、習ったから、「矛盾」。
最強の矛と、最強の盾で戦ったら、どちらが勝つでしょう? というお話。とは言っても、どうせ最強装備なんて、アプデが来たら入れ替わっちゃうんでしょう? どちらが勝つかに興味を持ったところで、運営はユーザーにガチャを回させる事しか考えてないんだから、どちらもオイシイ事がなければ、炎上しちゃうもん。矛が勝つときもあれば、盾が勝つときだってあるんだよ。
『ウサギとカメ』の話だってそうだよ。ウサギは足が速いけど、それをいいことに、途中でさぼっちゃったから、足の遅いカメに負けちゃうんだ。このお話の教訓はね、出来損ないでも、コツコツサボらずに頑張ればいい結果が出る事もあるよ。という事と、才能があってもサボっていては出来損ないにも負けてしまうよ。という2つの教訓があるわけ。読み手が感情移入できる先を選べる方式。優秀。でも、第3の選択肢も、あると思うの。
もし、ウサギとカメが対決をする事になったら、まず読者は「どちらが勝つか」に興味を持つわけでしょう? でもさ、ウサギとカメは最初から結託している可能性だってあると思わない? 八百長問題ってやつ。だって、カメばかり勝ち続けたら、ウサギのフォロワーから文句が出るじゃない? だから、読者を飽きさせない勝負を、彼らは毎回やらなきゃいけないの。
そのうち、その勝負を楽しみにする人達が集まって、その人達は、やがて「観客」になる。エンターテイメントの図式が出来上がれば、後はそれを商業化するだけ。ウサギが勝つか、カメが勝つか。さあ、どちらの方に賭ける? けど、それだけ言われても、どちらが勝つかなんか運次第。だから、ウサギとカメは勝負の前に、「今日はウサギの体調があまり良くないらしい」と書かれたプリントを配るの。「らしい」っていうのがポイントね。これで観客には、運以外の悩み事が出来るわけ。
でも、毎回本人達がそんな事をしていたら、怪しいじゃない? 「あいつら、グルなんじゃないか」って思われてもおかしくない。だからね、外部の人間を雇うわけ。ウサギとカメの今日のコンディションを示したプリントにはさ、「関係者が言うには」ってコメントを付け加えて、リスか何かに配らせるわけ。
ま、そんなわけで。第三の選択肢というのは、ウサギになってもカメになっても、損をしない人間を目指しないよっていう、教訓。だって、そうじゃない? 生きていれば、ウサギになるときだって、カメになるときだってあると思うの。どちらかが一つが正しい。そう思えば思うほど、出もしないガチャを天井まで回す事なっちゃうの。運営の思うつぼ。
そして私も、運営の思うつぼ。だって、しょうがないじゃん。自分で自分を運営できる年齢じゃないし。だから、こんなのパパでもママでも先生でも、今の私の運営が、好き勝手に書いてくれればいいんだよ。きっと、今の私に何が出来て何が出来ないかなんて、大人の方がよくわかってるでしょう? 「何になりたいか」なんて言われるから、こんなに困るんだ。「何になれるのか」って書いてほしい。今の、12歳の私の能力は、どんな評価に結び付くんだろう。それを、提示してほしい。その方が、安心してパラメータを伸ばせるじゃない? それを繰り返せば、「大学」を出る頃には、可能性が収束して、選択肢も選びやすくなるよ。
「大学」だって。私、大学に行くのかな? いや、行けるのかな? 結局そのカギを握っているのは、今のところ私じゃない。私の親だ。うちのパパは普通のサラリーマン。ママは今専業主婦をしているけれど、私の未来が少しずつ見えてくれば、アルバイトを始めたりなんか、するのかもしれない。私は、その苦労に見合った対価を、親に返すことが出来るのかな? 自信ないな。
でもさ、最近の社会問題になってるじゃない? 夢のために奨学金を借りたのに、奨学金を返すために目指した夢を諦める事になってしまった。みたいな話。 この問題が起きないようにするためには、奨学金を借りる時点で、将来の所得を確定させている事が前提なわけだけど、その通りに上手く物事が進む人たちって、どれだけいるのかな?
みんな、がんばってるって言うけど、漠然としてるよね。どれだけ何をがんばれば、理想的な結果が出るのか、大人はそれを教えてくれない。きっと、そこには答えなんてないんだとおもう。自分達も、それを探しているのかもしれない。
そんな事を考えているうちに、また眠くなってきた。今日も書けなかったよ。お花に囲まれた楽しげなフォントで踊る、私を悩ませる課題の作文。『将来の夢』。