63話 使徒の残したもの
「この場所はラタトスクが作りだした空間。もう消えて、君の精神は体に戻る」
「ああ、今回は助かった」
さっきの言葉を聞いたばかりだ、少しばかり心が動かされた、いや、不安視していた元に戻った、と言うべきだろうか。
「いいぞ。君は私を警戒し続けろ。そして私の心変わりを感じたなら、君は私を拒絶すればいい。ただそれだけで私は君に干渉できなくなる」
「ああ。レームが言っていた。悪魔は二枚舌だとな。適当な距離を保たせてもらおう」
「それでいい。しかし、面と向かって言われると、くるものがあるなぁ!ハッハッハッ!」
魔王は大声で笑う。その声が、体に響く。それは鋭い痛みになった。動くたびに全身の骨と筋肉が軋むように痛い。
「ああそうだ!君のその体にある力。その力は確かに君の者になった。源は君にある。だが発動には龍の巫女を介して使ったほうがいい。何より、それは体に悪い毒だからね。君だけでこの負荷には耐えられない」
大事なことを言っているのは、わかる。だがそれを聞けないほど、体の痛みが強い。
「体が痛い…」
「だろうね。でも心配いらない。この空間は隔絶されている。現実に戻れば痛みは無くなる」
頭に冷たい指が触れる。
「もう帰りたまえ」
頭に一瞬、痺れを感じる。すると急に眠くなる。まどろみに耐えることは不可能なほど、疲れ切っているのか?
ああ、地面が柔らかな寝床のように感じる。
「はぁ…」
あくびが止まらない。
視線を魔王に向けると、魔力の門に帰っていく後ろ姿が目に入る。
次、目をつぶるともう開けることはできなかった。
「!」
時間は本当に経っていない。変わらず時期違いの雨が降っている。
「アルヴィ!」
「俺の血に、使徒の力が混ざったせいで、おかしくなっていたみたいだ」
「ヴェルフから奪った使徒の力は、私の元で制御していたんだけど…」
ニオはばつの悪そうな表情をしている。
「まあ、それもどうにかなった。さあ、もう帰ろう」
体の痛みはないが、疲れていることは変わらない。ニオも疲れていたみたいで、鱗に戻ってしまった。
「ええ。王に報告に戻りましょう」
「そうだ。アル殿、これを見つけたぞ」
手渡されたのは形は悪いが、綺麗に輝く、透明に澄んだ水晶。
「これが、あいつの落とし物か」
手に取ると、微妙に振動しているのがわかる。不思議な石だ。
「そうみたいだ。また学院で調べてもらおう」
「そうだな」
あくびが溢れる。
「アルヴィ様、こちらにお乗りください」
兵士がラクダを引いてくる。蠍の使徒が、いなくなったおかげで、動物も動けるようになったみたいだ。
「負傷兵を乗せてやれ。俺は大丈夫だ」
兵士達は負傷者がかなり出てる。治療士五人がラクダに乗って、救助にきたようだが、全然追いついていない。
痛みを訴える兵士の一人に、手間取っている、手つきがぎこちない若い治療士が目に入る。
「何か手伝えるか?」
「え、ああ、彼がすごく痛がるもので、どうしたらいいか」
見た感じ、右足の関節が外れてしまって、それを戻そうとしているが、痛がってできないという状況みたいだ。
「まずは呼吸を整えろ。鼻から吸って、口から吐く。繰り返せ」
痛がる兵士は言葉の通りに、呼吸を行う。
「そうだ、そのまま続けて」
兵士の足の側に回る。
「だ、大丈夫なんですか?」
「ああ、一気にやるぞ」
外れた関節を素早く戻す。
「ううっ!!あっ!」
兵士はその痛みを紛らわすように立ち上がり、ぎこちない足並みで歩く。
「こういうのは、もたもたしたら余計痛くなる」
「す、すみません」
「た、助かった。ふぅ。痛かった…」
歩き回っていた兵士が目の前に座り、水筒から水を飲み。治療士が治療の魔術をかけている。
「よかった。痛みは一瞬だっただろ?」
「あんた、いい腕だ。足が外れたらまた頼むよ」
「体を柔軟にするために、運動をしっかりしてください」
「最近は立ってばっかりで、かなりなまってたからな。ふぅ…イテテ」
魔術で傷も治ったようだ。術師は、震える手でポーションを飲んでいる。
「慣れてないのか?」
「ええ、今回が初めてで。もともと父が治療をしていたんですが、怪我をしてしまって」
「そうか。慣れないかもしれないが、助けてやってくれ。俺も手伝うぞ」
「アル殿…疲れているだろ。大丈夫なのか?」
「みんな同じようなもんだ、もうひと頑張りってことで」
「分かった。なら私にも手伝わせてくれ」
ルルはやれやれと言った様子だが、いつも通り手伝ってくれる。
そのあと、数十人の治療を手伝い、彼らが帰還する姿を最後まで見届けた。彼らは口々に俺たちの戦いぶりを褒めていて、ヴェルフにも指揮官として復帰してほしいと言っていた。だが、ヴェルフはそれを聞いても、苦い顔をするだけだ。
そして今も、腕を組みながら暗い顔をして、雨に濡れたまま佇んでいる。
「ヴェルフ、最後のやつが帰った。俺らも濡れ鼠だ、寒くなってきたし帰ろう」
「……」
「どうした?」
「私は兵士を殺めてしまった。なのに彼らは私に戻ってきてほしいと言っていたでしょう」
彼の心は罪の意識に苛まれている。俺にも理解できるし、そうなってしまった奴を過去にも見てきた。
「俺も、使徒になりそうになってな。あの一瞬気を失った時に」
「そうだったんですか?」
「あれを体験して分かった。奴らは心の弱みに付け込んで、精神を支配する。俺は、冷静さが残っていて戻ってこれたが、もし誰かを死なせた後とかにあれを味わったら、きっと戻ってこれなかった」
「私は自分すら律せなかった」
「まあ、時間はある。でもこの地でお前以上の上官はいないって、兵士は口を揃えて言っていた。やり直す機会はあるだろう」
「兵達と話してきます」
「ああ、それがいいだろうな」
彼の悲痛は理解できた、だからこそ思う。これは、どれもこれも使徒が生まれたせいだ。




