121話 海魔
抜け出す方法を考えないと。しかし焦ってはいけない。最悪飲み込まれたとしても今の自分ならなんとかなるという、この窮地にどこから湧いてくるのかわからない自信がある。
もう腰まで飲み込まれた。仕方ない。黙って飲み込まれてやろう。
目を瞑る。
マーリン学長。奴が使徒を作っていた。この街付近に現れた使徒が奴によって作られたのだとしたら。蟷螂、蜂。それとあの大樹か。奴をこのまま逃がしてしまってはこれからもどんどん数が増えてしまうだろう。
それに一緒にここに来た仲間も気がかりだ。全員やわじゃないことは知っているが、無事かどうかがわからない。
「うっ……ひどい匂いだ」
食道を滑り落ちながら、喉に火を溜める。食道を滑り落ちる感覚と悪臭からくる吐き気のおかげで、簡単に喉に熱を溜められる。
胃袋まで滑り落ちたか?
ここが行き止まり?俺を食った化け物は、どうやら横たわっているのか、自分の体も横になっている。そのせいで体の半分が胃液に触れて、最悪の気分だ。
手を置いた場所に硬い物。持ち上げると溶けた髑髏。肉がまだ残っている。最近食べたばかりか?他にも骨が残っている。人間、牛、これは?トロール?家畜から人間、魔物までなんでも飲み込んでやがる。実験の廃棄物を食わせているようだな。
食い物として丸呑みされて胃袋で溶かされるから、冗談でも胃袋の中に入ってみるもんじゃない。早いこと抜け出さないと、龍であろうと溶かされてしまう。
「うぷっ…悪いな」
喉の熱を口を解放する。
感覚は完全に飲みすぎて吐き出すゲロ。あれとまったく同じだ。ドラゴンはこんなのを偉そうにやってやがるのか?ただのゲロじゃないか。
目の前の赤い肉を焼き払う。レーザー手術みたいに簡単に穴が空いた。
空いた穴に向けて、逆流するように胃の内容物が溢れでる。それが自分を溺れさせて外に押し流す。
「クソ!最悪だ!」
身体中がゲロまみれだ…だがここは水中か?汚濁のような汚い水だ。
息を止めて、目を開く。
熱を吐くときに目に覆い被さる膜のおかげか、いつもより鮮明に視界を保てる。というより、息を止める必要もないようだ。尻尾のおかげか、水中での推進力も得やすい。水中でもなんなく動き回れるぞ。龍ってのはすごいな。どこでも生きられるとはね。
まず俺を飲み込んだ奴の姿を確認しないとな。
テカテカと輝く黒緑の鱗。蛇?俺を飲み込んだ化け物は穴が空いた胃袋の痛みに、悶絶してのたうち回り中身を撒き散らす。
多頭の蛇か、七つも頭がありやがる。
どんな怪物か見当もつかない。ハイドラの仲間か?海蛇竜の仲間か?
「まあいい。こいつは放っておくぞ。さっさとあのクソ学長を追いかけないと」
方向を切り返し水上に向かおうとしたその時。後方の脅威に、いつも以上に研ぎ澄まされた感覚が危険信号を全身に送る。
大きく尻尾を動かして回避する。
振り回された尻尾が生む水流に飲み込まれて、より深い場所に引き摺り込まれる。
「クソ。ふざけるな!」
溺れたような感覚に陥るが、瞬時に冷静さを取り戻す。
逆方向に熱線を吐き推進力を生む。勢いよく水表に向かっていく。
だが奴はそれを見破っていたかのように、この体を飲み込まんと大口を開ける。
飲み込まれまいと、体を逆の方向に向ける。
しかしそうではなかった。
「ゴボッ…」
吐き出された吐瀉物は、溶けた鉄のような温度を持っていた。吐き出されたドロドロの液体は、ねばつき身体中に張り付いて、触れた鱗を赤熱化させる。しかし一切痛みも熱さも何も感じない自分に驚く。
全身の感覚を感じる権利が自分にあること自体が初めてだ。だがそのおかげでこの肉体が人間ではないことを痛感した。だったらあの別の何かが、自分の体を乗っ取っているような感覚の方が良かったのかもしれない。
戦闘に必要のない考えはやめよう。無駄なことを考えている場合じゃない。
熱を振り払い、蛇の首に熱線を放つ。
水に遮られることもなく、熱線は蛇の太い首を簡単に切り落とす。まるでレーザー兵器みたいだ。戦車を溶断するところを見たことがあるが、それと同じような光景だ。竜の鱗は盾に使われるくらい頑丈な素材だ。それをバターを熱したナイフで切るように断ってしまった。
大蛇は首を切られて、水中で暴れ回る。蛇の尾が振り回されて生まれる水流が吐き出された胃の内容物やら、底に溜まった汚物を巻き上げて水がより濁る。
視界が悪くなったせいで、切り落とされた頭が、下方から噛みつこうと近づいてくることに気づくことが出来なかった。
腰を噛まれる。
「クソっ…」
もがくと、牙が鱗に食い込み血が溢れる。それに興奮したのか噛む力が強くなり、水中を振り回される。みしみしと鱗が砕ける。
片腕をなんとか引き抜いて、蜂の毒針を突き刺す。
「口を緩めろ」
蜘蛛の牙と違い、痺れさせるわけではなく、眠らせる。麻痺させると暴れ回るから、力を緩めさせたい場合はこっちの方が有効だ。あと硬い物に突き立てる場合は、尖った硬い針の方が差しやすい。
麻酔にやられた蛇の頭が水中に沈んだ。これでひとつ無力化したぞ。
「あと六つか」
六つの蛇の頭と睨み合う。獲物としか見ていないようだな。でも俺は蛙ではない。逃げられないのなら一つ一つ叩き潰して、先を行けばいい。デカブツであろうと生き物だ。
「あれ?」
一つ、二つ、三つ、四つ…八つ首がある。増えた……