112話 捨てられた実験
あの後、戻ってきた蜂の大群を炎と煙で追払い、遺跡の安全を確保した。そうしているうちに、助けを呼んでいたケビンと共に、救助がやってきた。その中には調査隊の長、ゲオルグ、レームや大勢の魔術師も助けに来ていた。
地面一帯に転がっている蜂。五、六千はいたはずだ。黒い塊となって宙から襲いかかってきた。その群れとなって動く姿は一つの生き物の様だった。
火炎を巻き上がる風で舞い上がらせて、空中を焼き払った。それでも果敢に何度も挑んできた。
だが、たち起こる煙に当てられて、群れはどんどん数を減らしていき、劣勢になってどこかに逃げていった。
逃げた蜂は放っておいてもいいだろう。親玉は使徒だったが、他のはただの蜂だ、人里に行くことも考えられない。
「嫌な予感がしておった、だがもう終わった様じゃな。お主ら、よくやったのぉ!感心感心。でもこれはなんじゃろうか?」
レームが地面に転がる蜂をつまみあげる。
「地蜂かの?えらい数おるようじゃ」
「奥に女王蜂がいた。そいつが使徒化していた。ずいぶん前から巣作りしていたみたいだぞ」
「ぬぅ。ここを空けていた時に入り込んだんじゃな。生き物は目敏いのぉ」
「それとあの木、焼き切っといた方がいいぞ。龍脈から魔力を吸い上げて、それを樹液にしてる。ほっといたら巨大化した虫がまた出てくるぞ」
「ええ。それは知っています。ああ、私は学院の植物学者、カーネル・ネーゲリ。私はあの木を調べていましてね」
白い髭を生やして、白髪頭をきっちり整えた初老紳士風の男だ。
「よく調べたのか?あの木。もっと何か隠されてる気がするぞ」
「そうです。分かっていますとも!ですが…その予算と言うのがありましてな?まあ、端的に言えば、金が無くて、調べに入るたい、でもそれが出来んのですわ。本当は私も毎日ここにきて、あの木を調べ上げたい!でもそれをやるには、物も人も足りんのです」
「世知辛いな…」
まあ、遺跡調査も全く出来ない状況だ。安全を確保して調査、これを日にちを分けてやるのは限度があるか。
「ですが今日はいい機会です。血気はやる学者たちを集めてきました。これから始めますよ」
そう言って、四、五人の学者と、大きな荷物を背負って、大樹に向けて駆けていった。
「うーむ。調べといえば、使徒のこともじゃな」
「ああ。これだ。いまだに毒液を流してる」
瓶の代わりに、ランタンにしまっていた。
取り出すと、ずっしりと重たい。毒針から垂れるこの毒で、ランタンが満たされている。普通なら触れることも躊躇われる。だが俺には蜘蛛の牙の呪いがある。毒は効かない。それでも触る手が痺れてくる。
「これか…わしは触ってはならぬな」
「女王蜂がケツにこんなもん持っていやがった。これで体の大きさが察せるだろう?それと…まあ奥にいけばわかる。正直見るに耐えんが」
レーム、ゲオルグ、その他の護衛を引き連れて遺跡の奥に向かう。
それとどうしてもと言うので、アンドレアスもついてきた。しかし、他の蜂に変えられていた奴らと違って、ずいぶん元気だな。
「ここだ。この横穴、その中を見ろ…」
黒い繭が横穴にぎっちり詰まっている。その口は開いていて、それを押しのけて開ける。
中から腐臭が匂い立つ。
「ぬぅ…ひどい匂いじゃ……なんとも…」
「こういうことだ。クソ…最悪の光景だ」
ドロドロに溶けた人。指や耳といった突起物がなくなって、骨格を失った様にドロドロになった肉の塊。その隣の繭には、体の一部が外骨格に覆われ、顔の半分が蜂となった、人間のはずだった物も転がる。
こうやって溶けて、再形成されてあの蜂の姿になっているんだろうか。だとしてもこれはあまりに気持ちが悪い。
そして一番気分が悪くなったのは、まだこいつらが生きていることだ。触ればわかる。微かな動きと呼吸がある。でも衰弱はもう相当のものだ。使徒の不完全な力で生かされているのだろう。
「なんという悪趣味。外道め。これは禁忌!許されぬぞ!!なんと残酷なことか!」
いつも朗らかなレームが、今までに無いほどに怒りをあらわにする。
「いかぬな。怒ってはならぬ。しかしこれは…恐ろしい所業」
「レイレイが実験場って言ってたが、その通りな気がしてきた。身体に手術痕がある、傷がまだ新しいから最近の傷だろう」
顔の半分が蜂になった人間を、裏返し背中を向けると、首から脊椎にかけて、針が刺されていた様な跡がいくつも残っている。
「何かを注入されたようだ。霊薬、呪物、そういった類の液体を体に注入する術を知っておる。あとは検死せねばな。いや、まだ死んでおらぬか…」
「こいつらは元に戻せないのか?」
「変容術は失敗したら戻せないんじゃ。成功するか、最初の段階で失敗して諦めるか。はじまった変容は完成するまで止めることはできん。この者らは失敗した状態じゃが、いまだ変容は進んでおる。救うには、もう殺すほかあるまいて」
他の連中は呪いを解除することで、元に戻った。でもかかった後の呪いを解除することはできても、かけられている最中の呪いは、術者本人にやめさせなければ、解除することはできない。
それが今回のは、液体を注入することで呪われた。これを解除するには、髄液を入れ替える。そういう高度な医術が必要になる。俺のいた世界なら可能性があるが、この世界の医術では到底不可能だろう。
呪われた、その結果使徒となったのなら、なぜヴェルフは元に戻った?ヴェルフが元に戻ったのなら、こいつらも?
『使徒になった者は、因果を切られると死ぬ。使徒の力が体内にあるからね。でもあの戦士はまだ力が、宙に浮いてた。呪われてるけど、受け入れていなかった。この人たちも呪われているし、それを受け入れてないけど、力の元が体の内にある。私が手を加えたら、死んじゃうだけ』
「そうか。ならもう…」
「介錯はわしがやろう…そなたらは出ていくのじゃ」
「本当に?」
「うむ。同じ術師、後輩の不始末はわしがつけよう」
クソ…こうするしかないのか。