9.草取りは基本
草取り、それは農業において基礎の基礎である。
専門的な知識や技術を必要とせず、端的に言ってしまえば猿でもできる。
レイルはなんだか拍子抜けだった。ベージナが挑戦的な態度だったのでどれだけ難しい仕事を要求されるかと思いきや、草取り。
なんだ簡単じゃん。
「あ、でもまだ暗くてよく見えないから草取り出来ないと思うんですけど……」
「それなら心配いらないよ、まぁ見てな」
ベージナは少し明るくなり始めた星空に手をかざし、大きな声で言い放つ。
「スモール・サンシャイン!」
その声が周囲にこだましたと同時に、ベージナの頭上に小さな光球が現れた。
その球体は小さいながら眩いほどの光を周囲に放ち、畑全体を照らし出す。
「ベージナさん、魔法が使えるんですか!?」
「何も驚くほどのことでもないだろう? 人類の8割は魔法が使えるっていうんだから、私が使えたって不思議じゃないさ」
レイルが驚いたのは、厳密に言うとベージナが魔法を使ったことではなかった。
ベージナの魔法は、一見小さな炎の球体を出現させるだけの魔法に見えるが、ただの炎の球体がそんなに光り輝くわけがない。
つまり、炎魔法に光の強化系魔法を重ねがけしているというわけである。それも、杖を使わずに。
Sランクパーティにいたからこそレイルにはわかった、ベージナはどうやら只者ではないらしい。
「なんだお? ただの炎魔法に驚くなんてレイル君らしくないお」
「え、いや、まぁな……」
ウーガスはこれの凄さに気づいていないらしい。確かに、一般的に見れば大した魔法には見えないだろう。
「とにかく、これで農園全体を照らせたってわけさ。さ、早いとこ草をむしらないと日が昇っちまうよ!」
「は、はい」
レイルは手袋をはめ、まずは足元の草をむしり始めた。座り込むのは土がつくので、中腰で作業をする。
その様子をベージナとウーガスは見つめている。
「未経験者があんな格好、10年早いね」
「レイル君は経理とはいえSランクパーティの一員だったんだお。遠征とかも頻繁に行ってたし、そう早く音を上げるとは思えないけど」
「冒険者ってのはなまじ腕っ節が強いから他の肉体労働を下に見てるがね、その実農業をやらせりゃ3日と持たないやつも少なくないんだよ。さ、レイルはいつへたばるかねぇ」
レイルは夢中で草をむしり続けていた。
こういう単純作業は慣れっこである。植えてあるプリプカとかいう黄色い野菜をかいくぐり草のみを排除する。
草を引っこ抜くコツも掴み始めなんだか楽しくなってきた。
「こりゃ、朝日が昇る前に終わらせるのは楽勝だな」
レイルの表情は余裕で満ち溢れていた。
さっさと終わらせてベージナを驚かせてやろう。
しばらく時が経ち、彼はだんだんと足腰が重くなっていくのを感じていた。
瞬間的な運動量は大したことないにもかかわらず息遣いは荒くなり、表情からは余裕が消えていた。
「はぁはぁ……足が石みたいに動かない……」
それでも、彼は根性で中腰を保ちながら草を抜く手を緩めなかった。
こんなところでへたっていては、農業など務まるはずもない。
「あと、もうちょっと……」
レイルが少し前方の草に手をかけたその時、彼の足は限界に達し膝から崩れ落ちた。着ている作業着がいっきに汚れる。
これがインドア派である彼の足腰の限界値である。
「やっとへたばったね、案外根性あるじゃないか。レイルより強そうな冒険者たちはこの半分もしないうちに音を上げちまうよ」
「俺なら絶対無理だお、さすがレイル君だお」
ベージナとウーガスはレイルに近づき、よくやったというような顔でレイルを見た。
しかし、レイルは未だに地面のみを見つめ、座り込みながら草取りを続行する。
「おいおい、無理するんじゃないよ」
「いや、まだ朝日は昇ってないので」
レイルはそう言って草取りに向き合う。
ベージナは驚愕したような顔をした後に、高らかに笑った。
「はっはっは! 体はもうとっくに悲鳴をあげてるってのに、気力はむしろ大きくなってくってわけかい! 気に入ったよ、さすがSランクパーティの経理を務めた男だ!」
ベージナはレイルの背中を小気味よくバシバシと叩いた。
「い、痛い痛い! 何ですか妨害ですか!?」
「いやいや、私は面白いことがあるとついその対象を叩いてしまう癖があってね」
「なんて迷惑な癖なんだ! 朝日が昇るまでは邪魔しないでください!」
「良いよ、その意気だ! 気が済むまでやんな!」
レイルは朝日が昇るまでの間、結局1度も手を休めることなく草取りを続けた。集中力と気力においては熟練の農家すら凌ぐほどのものがあった。
朝日が昇り、ベージナの魔法の光がかき消される。
「はい! そこまで!」
「あー! まだ最後まで終わってないのに!」
「生意気言うんじゃないよ! この広さの畑の草をこの時間内に手作業で処理するには10年は必要さ!」
レイルはそれを聞いてなお納得いかない様子だった。
それを見てベージナは感心したような顔をする。
「その向上心があれば5年、いや1年で出来るようになるだろうさ。全く恐れ入ったよ」
「1年もかかるんですか……」
「いちいち生意気だねあんたは!」
その後、レイルとベージナは残りの草を取りきった。レイルが疲弊していたとはいえ、ベージナは倍近くの速さで草をむしっていった。
それを見て、農家のことを少し下に見ていたことをレイルは恥じた。
「レイル君ベージナさん、頑張ってー」
「結局お前は終始見てるだけかよ!」
そんなこんなで、レイルの初めての農業体験が終了した。
「さぁ、終わったね! 言っておくが、これを収穫まで毎日やるんだよ! プリプカの収穫は10日後、それまで毎日草取り、これが農家さ!」
どうだ大変だろうと言わんばかりのベージナを見て、レイルは首を傾げた。
「え、今日収穫するんじゃないんですか?」
「まだプリプカが育ちきってないのは見ればわかるだろ?」
「でも、ベージナさんは魔法が使えるんですよね」
「ん? どういうことだい?」
レイルは畑の中央に立ち、地面に向けて手をかざした。
「ライフ・コントロール!」
レイルがそう言い放った瞬間、畑に生えていた全てのプリプカが一瞬にして大きくなった。
厳密に言えば、一瞬で成長したのである。
ベージナは口をあんぐりと開けて立ち尽くした。
「あ、あんた一体何を……」
「何って、生命魔法ですよ。使わないんですか?」
レイル・ティルフ、Sランクパーティの元経理担当者。
パーティ内では下から2番目の強さだったが、その実、人類の0.1%にも満たないと言われる大魔導士である。