8.農家生活は未明から始まる
寝ぼけ眼を擦りながらレイルはベージナに渡された作業服に袖を通す。
「あの、これって見学ですよね?」
「見学って、ただ見るだけが見学だと思ってるんじゃないだろうね。作業を実際に体験してこその見学だろう、ほら早く着る着る!」
レイルはあの野菜の育てかたや製法を知りたいとは思っていたが、作業をする心の準備はあまりできていなかった。
生まれてこのかた室内での作業を生業としてきた生粋のインドア派であるレイルにとって、時には汚れることもある農業には多少抵抗がある。
「それに、ちょっと人手も足りないしさ」
「どっちかっていうとそれがメインの理由ですよね……」
レイルは作業着に袖を通し終わる。つなぎを着るのは初めてだった。
「よし着たね! じゃあウーガスを起こしに行くよ!」
レイルはウーガスより先に起こされたことを少し不服な思いつつ、ベージナの後についてウーガスの部屋に入った。
「おい! 早く起きな! 朝だよウーガス! ほら、レイルもコイツになんか言ってやりな」
「え、俺ですか? えっと、早く起きろよウーガス! もう朝だぞ! いや本当はまだ朝じゃないけど、早く起きろ!」
ウーガスは気持ち良さそうにいびきをかきながら、レイルたちの声に反応してだらしなく服から飛び出たお腹をポリポリとかく。
しかし、多少の反応は見せたものの起きる気配はない。
「もっと強い口調で言わないとダメだよ!」
「つ、強い口調ですか? 早く起きろこの野郎!」
「いいよ、その調子だ!」
ベージナに乗せられてレイルは少し勢いづく。寝起きで判断力が低下しているせいもあるだろう。
「おい! いいから早く起きろって言ってんだよ!」
「もっと強く!」
「早く起きろ! この……ぽっちゃり野郎!」
レイルがその言葉を言い放った刹那、ある意味巨体なウーガスが途轍もない速さでレイルに迫り、思い切り体当たりをする。
「俺をぽっちゃりって言うな!」
先程までスヤスヤと寝ていた様子とは打って変わってウーガスは猛獣のごとく吠えた。
彼は商人としてはシビアだが、それでもかなり温和な性格である。
自分の体型を貶されることさえなければ。
「おや、ウーガスが外見を罵倒されると豹変するって知らなかったのかい?」
「いや、知ってたんですけど、俺も寝起きだったもので……」
レイルも滅多なことでもない限りそんな言葉は言わない。
寝起きで判断能力が低下していたのか、危ない危ない。ぽっちゃりだから体当たりで済んだが、デブとか言ってたらマジで殺されかねない。
「さて、でもウーガスが起きて結果オーライだね!」
「結構体当たり痛かったんで俺的には結果プラマイゼロですけどね……」
プラマイゼロというかマイナスな気がする。そんな風にレイルは思った。
「あれ、なんでレイルとベージナさんが俺の部屋に?」
「覚えてないのかよ、狼男じゃないんだから……」
ウーガスは豹変した時の記憶がないようで、レイルたちを見て首を傾げた。
さっきのは寝ぼけていただけだったらしい。
「昨日言っただろ? 早く畑に行くよ!」
「え!? まだ夜だお! こんなに暗いうちから行くの!?」
「当たり前だろ! つべこべ言わずに作業着を着な!」
ウーガスは渋々作業着に着替え始めた。
ベージナは見た目はただの緑色の髪の少女だが、なんだか逆らえない感じがある。
サイラが優しいママならば、ベージナは肝っ玉母ちゃんといった感じだ。
「ちょ、このつなぎちょっとキツいお」
「それ以上のサイズはないよ、いいからとっとと着な!」
ウーガスはつなぎに無理やり体を押し入れる。
ビリッ
『あ』
3人の声が重なったと同時に、つなぎは真っ二つに引き裂かれた。
口に出してしまうとまた体当たりされるかもしれないのでレイルは心の中で呟いた。
ウーガス、さすがに少しは痩せた方が良い。
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レイルたちは館の玄関の前にいた。
「さぁ、行くよ!」
ベージナの声がまだ薄暗い野外にこだまする。
一行は農園に向けて歩き始めた。
「あの、俺は作業着がないけど行かなきゃダメなのかお?」
「ウーガスはつなぎを破った罰として見学!」
「ええ!? もはやそれに何の意味が!?」
ベージナの農園はさほど遠いということはなく、そのような他愛ないやり取りをしている間にすぐについた。
ベージナは立ち止まり指差す。
「これが私自慢の農園だよ!」
薄暗いのでハッキリとは見えないが、なんとなく大きさはわかった。
その農園は、農園というにはこじんまりとした広さで、畑という表現の方が似つかわしく感じた。
「なんだい、2人して特に反応もなしかい?」
「いや、なんていうか、思ったより小さいなぁというか……」
「失礼なやつだね! これだけの広さだけでもどれだけ管理が大変だと思ってるんだい! それに、広けりゃ良いって話じゃないだろ」
この程度の広さならある程度組織的にやれば楽にいくだろうに、レイルはそう思った。
その考えがベージナに看破されたようで、ベージナはレイルに言う。
「どれだけ大変か教えてあげるよ。レイル、今から言うことを朝日が昇る前にやってみな」
朝日が昇るまでにはまだ時間がある、レイルは少し余裕な表情をした。
「一体なんですか?」
「今から、草取りをやってもらうよ!」
レイルの農業生活は、草取りから始まった。