第四章 ハナタレの火
おっちゃんと、孫と猫のお話。
ハナタレ少年が放った火の因縁を、ツルの手羽先でメデタシメデタシと導きます。
おっちゃんは、自分のパンツがどこにあるのか知らなかった。フロに入る時間になると、奥さんがサッと用意してくれた。ハラがへる頃には、昔ながらのウマいメシが並べられ、ハラ八分目に食ったら、お茶が出されて一息つけた。寝る時間になれば、ふとんがフカフカにあったまっていた。
おっちゃんは、100%おっちゃんであった。おっちゃんは、おっちゃんであればよかった。きちんと仕事に行って、面倒見のいい奥さんを確保して、家を建て、子供を作り、養った。生まれた国、町、仕事、家庭、手の届くモノを確実に手にし、人間社会の枠の中で、人生を全うしようとしていた。人並みに社会と時間に乗って生き、不幸にブン殴られても、鼻血を拭いて踏ん張った。ここにある世界がおっちゃんのすべてであり、何があっても、逃げるつもりはなかった。
ある日曜日のおっちゃんは、自宅前の道の向かいにわさわさ繁る雑草が気になった。雑草を引っこ抜いてみて、線路に沿ってカワイイ花がちらほら並び咲いているのに気がついた。そして雑草は、ゴミ袋をパンパンに膨らまして道に並んだ。おっちゃんは100%体を使って、草もゴミも、片ッ端から追放した。自生していた青い花だけでは、涼しそうで気の毒だった。土をならし、坂の上のホームセンターに売っていた花々をわんさと買い占め、植えはじめた。
おっちゃんが直接触れられ、感じられる、目の前の世界。その手をかければかけるほど、花は根を張り、育っていく。季節を映し出し、自然のリズムに移り変わる心地好さ。おっちゃんは、花道に夢中になった。
三十年が経っていた。その月日は、奥さんが毎日毎日、自らの指に針を刺すようにして数え上げていた。その日から何日経ったか忘れなければ、いつかその日が戻ると信じてでもいるように。
佐藤のおっちゃんと奥さんには、息子がいた。その下に娘もいた。六歳になった息子は、落ち着きのない子供だった。奥さんは、時々悲鳴を上げたくなったが、子供だからと、もう少し大きくなれば落ち着くはずと、おっちゃんもあまり気にせず、100%の仕事に励んでいた。
その時は来てしまった。奥さんは叫び、おっちゃんは歯を食いしばった。息子スグルは、家の近くの踏切りで遊んでいて、大好きな電車がいかに危険か、よく理解しないままぶつかって、死んでしまった。おっちゃんとその家族には、何があってもその道がすべてだ。そして、花道が出来上がった。
今では、当時を知る近所の人もいなくなり、おっちゃんは、100%に花をプラスして、地域の空気をいつのまにか一新していた。まだ暗かった夜道でひったくりに精を出すクソガキなど、ネガティブ要因がすっかり寄り付かなくなったのは、おっちゃんがコツコツ働いた結果であった。
駅の向こうの交番に勤めるおまわりのおっちゃんには、その関係がくっきりはっきり見て取れた。折しも時代は、どうでもいいことだろうが何だろうが何でも記録して私見を公表するのが全世界的趣味になっていたので、キュートな花道はちょっとした話題になっていた。おまわりのおっちゃんもその波に乗り、花のおっちゃんへ感謝状を授与するべく運動を開始した。
おっちゃん同士のコミュニケーションは、けっこうガタガタとして始まり、互いの真意を知るまでは、ちょいゴタゴタもしていたものだ。花のおっちゃんは、おまわりにイチャモンつけられるイワレはないとし、おまわりのおっちゃんは、このヒトちょっとイカれてる?と思ったりもしたが、時間が解決したと見えて、感謝状授与式は、奥さんが堂々出席することとなった。その感謝状と、にっこり称え合う奥さんとおまわりのおっちゃんの写真は、今も居間に、息子の位牌と共に飾られている。奥さんは毎日ホコリを払い、花を供え、そっけなくも愛情深い夫に感謝している。
おっちゃんの100%プラス花の因縁は、表面上は以上のようなモロモロの事情だったが、その根っこの螺旋状のこんがらがりには、おっちゃんの手に負えない、でっちあげ駆動の因果関係が働いていた。
それは、キノコから始まった。
そこにキノコがわんさとあると知るからには、ぜひともハラいっぱい食わねばならない。イガグリ頭のハナタレ少年は、その狭い想像力で総力を上げ、キノコがわんさとある様を想像した。まちがいない。そんな時期だし、さぞかしウマイに違いない。
ハナタレは、独自のルートで手に入れたサカナを持参し、ガサゴソ山に分け入った。地主所有の山は、私有地につき立ち入り禁止と、地主の家系が滅びる寸前に放置され、ほとんど人の手が入っていなかった。すなわち、お宝食材がザックザクであるに違いなかった。ハナタレは、イガグリ頭をポリポリと掻きながら、ハラいっぱいの近未来をわくわくと待ち望んだ。
ハナタレは、メルヘンなキノコの山をブタのように嗅ぎ回り、次々キノコを掘り当てては、勝利の雄叫びを上げていた。空っぽのハラには、イカが宿るというものだ。
これまた独自のルートで手に入れたマッチを取り出したハナタレは、枯れ木に火をつけ、サカナを串刺しに突っ立てた。エキサイティング・ハナタレは、子供らしからぬニヤケ顔で火に向かって縮こまり、あったまって焼き上がりをじりじりと待っていた。キノコにも枝を串刺し、さっと火であぶっては、至福の一口をいただいた。
おお、五臓六腑に染み渡る、山と海の恵みよ!この舌を、歯を、鼻を、この瞬間のために与え給うた自然のカよ!火を用いて焼き、調理し、アツアツを食う秘技を教え給うた喜びよ!
これがいかに身に余る光栄か知るよしもないハナタレは、その知能の低さに相応しいがっつきで、ウマウマと至福の叡智を味わった。息をするのも忘れ、全力で食った。なんもなんも、食えるだけ食っとこうと必死だった。その点においてのみならば、ハナタレは、生きるものとして合格点を得られたに違いない。しかし、人間であるからには、それだけでは許されるはずがないのである。
ハナタレが食いまくる間に、当然焚き火はパチパチと燃えていた。よく乾いた枯れ木だった。そこら中には、よく乾いた枯れ葉がてんこ盛りだった。
風が吹いた。キノコに火が燃え移り、ハナタレは慌ててフーフー言って、ちょっと焦げたキノコも平らげた。フーフーした火は、向こうの枯れ葉まで飛んで行った。ハナタレが次の獲物に取り掛かっている間に、火は大きく広がった。
ハナタレはとにかく忙しかった。手と口が全力で回転し、他は全く使い物にならない。集めたキノコとサカナを食い尽くすまで、その危機的状況を、愚鈍な目がただ眺めていた。すっとこどっこいのハナタレは、最後の一口をいただいて飲み込むにあたり、ようやくやっちまったことに気がついた。足で踏み消そうとしたりも、一応してみた。火の恐ろしさ、ハナタレはそれをはじめて垣間見た。丈夫な足は、すたこらさっさと逃げ出した。
…ああウマかった、ハラが苦しい、でもやっちまった!でもでも、オイラがやったと誰が気づく?
それはその通りではあった。
山は三日三晩燃え続け、哀れな地主の所有地の大部分をあぶって、ようやく鎮火された。山は丸焼けになっていた。ハナタレの家は元々だが、地域一帯が極貧状態に叩き付けられた。
空きッ腹だらけになった地には、悪いことが重ね重ね起こるものだ。ハゲ山に雨が降り、降り続けて崖が崩れ、再生の望みがあった土は流され、土砂は村を襲い、冬の記録的寒さに加え、人間社会のでっちあげ駆動に派生したこんがらがりは、国同士の大きな戦争を呼ぶに至った。
極貧のうちに年齢に達したハナタレもめでたく招集され、南の島での悲惨な戦いに正面からブチ当たることとなった。戦いで名誉の死を遂げるのではなく、補給もなく、イモを育てようとした努力も空しく、餓死するハメになったのである。
ハナタレが自らのハラを満たそうと行動したこと、危険を前にしてなおも食い、あるだけ全部食ったこと、そしてその逃げ足は、軟体動物から進化せんとする段階の魂には合格点をつけてやってもいい。
しかしハナタレは、既に人間であった。残念ながら、これでは環境破壊にいそしんだテロリストでしかないだろう。
太古の昔、植物として地上に進出し、森林形成に尽力した功績によりツルとなったホージーには、このハナタレのテロ行為は許しがたく、安定のパツキンファイヤーに見えて、特別にオカンムリであった。ひたすら酸素を出し、二酸化炭素を吸収してばかりいて、おっとりとツルになるには出遅れたホージーなのだ。その怒りは全地球規模にフツフツ(しかしおっとりと)燃え上がった。
山一つを丸ハゲにしただけでなく、地域まるごと土砂で埋まって川も何も沼地としてドロドロにし、生態系を皆無とし、回復の見込みに数世紀となれば当然なのだが、そんな魂でも、滅ぼすことは何者にもできないのだ。何世代に渡っても教育し改心させる、それがいのちを導くのツルの仕事なのである。
ホージーの采配により、ハナタレテロリストの手では、どんな生きものも育てることはできないものとされた。補給船も沈められ、イモを枯らして苦しみ学べと、死を与えられたのだった。
ハナタレの魂は海の底へ流され、チビイカからやり直しの人生だが、残された子孫には、別のつぐないをしてもらうこととした。人間としての社会性を身に付け、苦難の人生にあっても草花を育て、失ったいのちのキラキラを取り戻すのだ。
おっちゃんは、ハナタレの子孫として、初めて合格点をつけられそうな人間だった。DNAにこんがらがった記憶と使命を感じ取り、行動できたのだ。このようなでっちあげ駆動の因果によっておっちゃんは不幸を知り、立ち直る勇気を得た。これはいのちのキラキラをつなげる者として、尊敬すべき行いだろう。つぐないの第一歩として、今後も努力を続けてもらいたい。
おっちゃんの娘は、最近実家に出戻っていた。子供の頃の不幸により、素直なお育ちをされなかった娘は、面倒見のいい母の教育で、100%娘として、食えるだけ与えられ、何もしない中年女性に成長していた。
時々自分でも驚くようなトコロに肉やら脂肪やらがついた娘は、両親の魂の奥底に潜む男尊女卑の観念を悪用し、女だから学歴なんていらないでしょと、学び舎をほどほどに通り過ぎ、寝っころがったままでできる色々なコトを極めていた。
この娘が、生涯に一度だけ、その足で行動を起こした奇蹟があった。おっちゃんに、孫ができたのである。
この生物学上の勝利は、人間社会の上では、災いの渦を巻き起こしもした。先祖のこんがらがりを抱える者としては、社会において大きな役割を果たすことがなくとも、子を成し、次世代へいのちを繋げることで、自らの魂救済への希望を辛くも残すことができるのだ。つぐないは達成できないが、後は頼んだと、息子を養う役割を両親に託してしまったとしてもである。
この娘にも救いあれ。…今生では不可能であろうが。
こうしておっちゃんは、六歳の孫と対峙することとなった。孫は母親には似ず、それなりの父親に似たようで、これからの教育次第でどうにかなるかもしれないのだ。おっちゃんの無意識下のこんがらがり使命感に、ずっしり重くプレッシャーがのしかかった。
孫の機嫌を取るべきなのか、しかし随分おとなしい子供である。食生活も、老夫婦の好みとはまるで違うと見える。母親が余り面倒を見なくて済むよう、一人遊びの道具はたんと持たされている。それだけあれば別に平気なようでもあった。しかし孫は笑わない。これはいかがなものか。
そして、外には出たがらないのである。そんな習慣がないからだ。事故に遭う心配はないにしても、おっちゃんの仕事は是非とも見てもらいたかった。おっちゃんの奥さんは、食い物で釣って無理にでも散歩に連れ出そうと心に決めた。
孫・ユウキは、祖母に手を取られ、電車にはそれなりに興味を示した。口をぽかんとさせつつも、長時間、行き来する電車を見るようになった。おっちゃんの花仕事には、残念ながら興味はないようだ。男の子が花が好きでも妙なことになるだろうと、おっちゃんは孫との絆を諦めがちになっていた。
ある日の散歩は、奥さんの策略により、おっちゃんに一任された。おっちゃんは建築と電車に詳しかったので、右から左を覚悟の上で、この車両がどこから来てどこへ行くのか、どこで作られたか、何人の人間を乗せ、いつからここを走っているのか、子供向きでないことだろうが淡々と説明を続けた。もっと色々な電車を見たいだろうと孫に問うと、それはぜひ見たいとの様子だったので、博物館に連れて行く約束をし、おっちゃんは少しだけ孫とつながりはじめたのだった。
花道を孫の手を引きながら、この花の色がどの路線の電車の色で、これはこの路線でと、これとこれがどこでつながって、また別の路線が始まってと、今まで特に誰にも話したことはなかったが、花の色ひとつひとつやその配置にも密かに意味を込めていたおっちゃんだったので、話すことは尽きなかった。
この線路を走る路線色の花がゴソゴソ動き、例の大体の所で白っぽいネコ、ポスティが顔を出した。すっかり美容室の看板ネコとして地域に受け入れられていたボスティは、宝石でPOSTYと書かれたドハデピンクの首輪をつけて、威風堂々と界隈を歩き回っていた。時々おっちゃんの奥さんに会いに来るので、おっちゃんとの関係もまんずまんずで、ウマいサカナをお土産にくれたりするおっちゃんの顔を見ると、ポスティはまっすぐに寄って行った。
「ネコ!ネコ!おじいちゃん、ネコだよ!」
孫はきゃっきゃと声を上げ、おっちゃんの足にスリスリするポスティを撫で回した。
「ポスティって名前のネコだよ。」
おっちゃんが言うと、ポスティはニャーと返した。おっちゃん、サカナは?との意味である。
ポスティは、孫のDNAの奥底に眠る記憶を一部、呼び覚ますことに成功した。人間が哺乳類として、かつて退化に失ったフカフカの毛皮を取り戻したい、懐かしいしあったかいし超カワイくて羨ましい、自分には生やせなくても、フカフカになでなでスリスリ触っていたい、という気持ちである。
おっちゃんに、優しく撫でないとひっかかれるぞと注意されながらも、孫はポスティにらぶらぶだった。ポスティもまんざらではないので、シッポに触られても我慢してやっていた。ポスティは人間達を導くように、おっちゃんちまで、ちっこい肉球でフリフリと歩いて行った。別宅に帰るように、ちょっと図々しくもスルッと奥さんに挨拶し、おやつをもらって、そのままおっちゃんちの居間で孫にいじられるまにしてやった。
ネコと孫がじゃれ合う姿は、大変絵になる可愛らしい光景だった。奥さんはたまらず歓喜し、激写し、シオナに連絡し、こっちでゴハンも出すから店を閉めてから迎えに来るよう話をつけた。おっちゃんも、ずっと見ていたいかもと思ったくらいで、愛玩動物の力に恐れ入ったものであった。
お父さん、ウチも何か飼いましょうよ…
奥さんは思わずそう口にした。昔々にも思ったことがあるものの、子供に先立たれて慟哭したことのある夫婦には、確実に先立つペットに愛情を注ぐのも後がつらいに違いないと、その一言は飲み込んでトイレに流してしまったのだった。
折しも春が来て、おっちゃんちの庭の桜は満開を迎え、花吹雪にネコと孫、というテーマで激写していた奥さんは、ポスティの変化に気が付いた。
→アラ、ポスティ、ちょっと太ったんじゃない?
→アラッ!オメデタ?
→じゃあ、ウチで貰おうかしらね、お父さん!
シオナは首をひねったが、事実には変わりなかった。自立したネコであるポスティは、好機を逃さず、人手を借りずに無事に出産した。
コロコロとしてグニャグニャして生あったかい縞模様の子ネコが、色違いで三匹生まれた。ママ・ポスティは、騒ぎ立てる者どもにはたっぷりと観察させてやりながら、しっかりマイペースに子育てを終え、寛大にしてサラッと、三匹をおっちゃんちに送り出した。何が何でも三匹ともウチの家族に迎えたいと、奥さんは握り拳に譲らなかった。子ネコのカワイさ爆発に孫も大賛成したので、おっちゃんの負けが決まった。自由に外に出さないことを条件に、認めるしかなかったのだ。
その命名権を巡っては、一悶着嵐が起こった。おっちゃんは、
梅・桜・椿
にしたかった。他には、
柳・楓・ツツジ、
また、おそ松・から松・とど松、
ポカ・スカ・トカ、
ミルキー・ブラウニー・ブラッキー、
寝たい・食べたい・遊びたい、
ラッキー・ハッピー・ポッキー、
サンデイ・マンデイ・チューズデイ、
弥生・卯月・皐月、
などなど、関係者から続々アイデアが寄せられたが、協議の上、
キキ・ララ・リリ
に決定した。これは、乙女ちっくから寄せられたものだった。どのコがどの名前だかという問題については、まとめてキラリちゃんたち、とされることが多く、なおも混乱が続いている。
本人たちも別に気にせず、毎日元気に、おっちゃんと孫と、時々やって来る母と、モリモリ、メシを食っている。
メデタシ、メデタシなツルの名采配であった。