元アイドルの女
俺は人を信じられなくなっていた。
どれだけ人に親切にされようが、裏を読んでしまう。
俺を親切にしたら、何があるというのか。
以前までの記憶のない今、どんな恩恵を受けたって、俺からは何も出てこないんだぞ、と知らしめておかなければ。
ずぶ濡れの俺を、名前も顔も知らない女子高生が、子犬を見つけたかのような反応をして、タオルで体を拭いてくれる。礼も言わぬまま、タオルを返して新幹線の改札口に向かった。始発の時間だ。
俺は恰幅の良い男からグリーン車を譲られたが、断って自由席に座った。
だが、発車直前になって、離席し、新幹線から降りた。
パニック障害か?
眩暈がした。
地下鉄なら大丈夫かと、恐る恐る乗った。
うん、大丈夫そうだ。
目をつぶると、昨日の光景がよみがえってくる。
雨の中、老婆の笑顔が、いつの間にか口裂け女に変わる。
気分が悪くなってきた。
俺は、降りては乗ってを繰り返していた。
一週間後、ようやく九州に上陸した。
またしても気分の悪くなった俺は、夜風に当たることにした。
川沿いを歩くと、夜桜がきれいにライトアップされていた。
カップルがちらほら歩いている。
ベンチも大抵カップルがせ占めていたが、あるベンチに、女の子が一人、ベンチに座って静かに本を読んでいた。また変なことに巻き込まれたくないと思いつつ、なんだか俺は無性にその女の子のことが気になった。
「こんな時間に一人で本読んでるなんて、危なくない?」
話しかけてしまった。俺は自分に負けてしまった。
「お兄さん、私が見えるの?」
そして俺は、話しかけてしまったことを後悔した。
「見えるけど、もしかして、皆には見えないってやつ?」
「だいたいね。一部の人以外は見えないの。お兄さんなんだか疲れてるね、ここで休んでいきなよ。邪魔しないから」
「そう言ってくれて悪い気はしないけど、急いでるんだ」
通り過ぎるカップルたちが、変な目で俺を見ていく。
俺はひとまずベンチに座ることにした。
「急いでるんじゃないの?」
「いや、そうなんだけど、体が決断したというか、その」
俺は小声で弁明する。
「ふふっ面白い人。福岡の人?」
「いや、違う。鹿児島の人だ」
「ふうん。どこに行く途中なの?」
「鹿児島。君はずっとここにいるの?」
「まさか。私、さっき死んだばかりだもの」
「それはそれは・・・・・・ご愁傷様」
二人の間に気まずい空気が流れる。
「実は、俺も記憶喪失だったんだ」
自分も重大な秘密を明かさねばならない気がして、つい言ってしまった。
「そうなんだ。私も記憶喪失だったら、死ななくてすんだかもしれないわね」
「自殺だったの?」
「うん。メンバーとうまくいかなくってさ。私、アイドルだったの」
まじまじと見ると、確かに肩幅は狭く、色白で顔が小さく目が大きかった。
「アイドルだけ辞めれば良かったのに、何も死ぬことはないだろ」
「死んで私をいじめたことを後悔させてやりたかったの。いじめた相手が死んだら、一生忘れないでしょうし、死ぬまで十字架を背負い続けることになるでしょう?」
彼女の粘着質な性格が垣間見れる。
「今引いたわね? ふふっいいの。だからあなたは死なずに生きてるんでしょうから」
「じゃあ、そろそろ行くわ」
「ちょっと待って」
俺が腰を上げると、幽霊の女は引き留めてきた。
「一つ、あなたにお願いがあるんだけど」
神様、聞かなきゃダメですか?