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穴の中の福男  作者: つぼっち
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旅立ち

 海の幸でとれる魚で、ホタルの作る手料理は、俺の口からそろそろ旅立つという台詞を奪った。

 ホタルは毎日夜遅くまで仕事をしているのにも関わらず、家に帰ってから俺の為にご飯を作ってくれていた。そんな姿に何も思わないわけもなく、俺はホタルに惹かれていった。


「だいぶ体調も良くなったし、今度の日曜日、デートでもしないか」


 俺はイカの刺身に手を伸ばしながら、勇気を出して誘ってみた。

 ここに来て二週間、家から一歩も出ていない。日の光を浴びたいのもあった。

 ホタルはきょとんとして俺を見ていたので、光合成がしたくてさぁ、と、取り繕う。


「デートねえ、そうよねえ」


 俺としては意外な反応だった。根拠はないが、ホタルなら明るくノッてくれると思っていた。


「ほら、外に出たら何か思い出すかもしれないしさぁ」


 なんとかしてデートの方向にもっていきたい俺は、粘った。


「ううん、ちょっと考えてみる」


 まさかの保留にされ、俺の胸に不安が広がっていた。

 これまでの二週間で、少なからず俺に対する好意を感じていた。

 本命の相手でもいるのだろうか?

 それとも、島という狭い世界で、デート中に生徒に目撃されるのを恐れているのか?


 デートがうまくいけば、告白ということも考えていた俺にとって、雲行きが怪しくなった。


 土曜日の夜、ストレッチをしていると、アイロンをかけていたホタルが唐突に明日のことについて切り出してきた。


「行ってもいいよ」


 ぽそっと言ったその言葉は、ホタルの照れ隠しだと受け取った。


「ありがとう! 島の外に出る?」


 少しでもホタルの不安材料を取るべく、提案すると、そうしようか、といつもの調子で言われたので、俺は一安心した。


 俺がリードしたいところだったが、記憶喪失の立場なので、道案内はホタルに任せた。

 その夜、俺たちは初めて同じ布団で眠りについた。


「私の三歩前を歩いて」


 よほど警戒しているのか、ホタルは島を出るまで隣で歩いてはくれなかった。

 島は噂が回るのが早いのだと聞かされてはいたが、島を出たら絶対に手を繋ぐぞ、と心に決めていた。


 船乗り場に着くまで歩いて十分程のもんだったが、すれ違う老人たちは、「ホタルちゃん、ホタルちゃん」と話しかけてきた。船に乗るころには、ホタルの両手は、取れたての野菜で山盛りになっていた。


「帰り道だといいんだけど、困ったね」


 ホタルは爽やかに笑った。


「半分持つよ」


 そういうと、


「全部持ってよ」


 と、嫌みなく笑った。


 俺の胸が、トクンと音を立てる。


 十分ほどで、船が港に着いた。

 そこからすぐにまた電車に乗り、市内の中心部まで行った。手に抱えている野菜が浮いている。


「早く思い出せるといいね」


「何のこと?」


「とぼけないでよ、忘れてるもの、全部」


「ああ」


 ホタルに恋をして、自分が記憶喪失だということも忘れていた。

 常に安心感に浸っているため、俺には危機感がなかった。


「あなた」


 目の前に座っている、若い妊婦が、俺を見て驚いていた。

 俺のことを知っている人なのか、と思い、警戒する。

 咄嗟のことに、声が出ない。身ごもっている女がホタルといる自分を見て、あなたと言っているのは、好ましい状況とは言い難い。


 ところが、その妊婦は、席を立って、俺に譲ってきた。


 拍子抜けした俺は、声が裏返りながらも、妊婦に席に戻るよう促した。


「世の中捨てたもんじゃないな」


 野菜を抱えていたとはいえ、珍しい出来事に、電車から降りた後、思わずホタルにそう言っていた。


「もう思いきって捨てちゃおう。それより、靴がボロボロだから、はじめに靴屋さんに行かなきゃね」


 俺が履いていたスニーカーは、靴ベラが取れかかっていた。


「冗談じゃない、女に買ってもらうなんて恰好がつかないだろう?」


 全力で拒否したのにも関わらず、俺は野菜を手放した後、靴屋に連行された。

 靴屋に入ると、ホタルによって店員の前に突き出された俺は、歩きやすい靴を探してて、と半ば強引に言わされた。すると、店員が目の色を変えて、俺の要望に合う靴を揃えて、一つひとつ履かせてくれた。

 俺は王様気分で座っているだけでよかった。

 最近のサービスはここまで来ているのか、と店員の勢いに圧倒されると共に、後には引けない怖さを感じた。


 柔らかい布の素材で、横幅に余裕のある靴があったので、それとなく値段を聞くと、「プレゼント致します」と言ってくれた。


 どういうことか、とホタルを見ても、笑顔で頷くだけだった。

 俺はすぐに靴を履き替え、おニューのスニーカーで、やはりクレープ屋でただでもらったクレープを頬張りながら歩いていると、何人かから指をさされることがあった。


「俺、芸能人だったのかな?」


「そうなの? 少なくとも私は知らないけど」


 どこにいても注目を浴びているような気がして、俺は疲れてしまった。


「マッサージに行こうか?」


 口数の少なくなった俺に気遣ってか、ホタルが提案した。


 マッサージも、顔パスだった。

 一体俺は何者なんだ?

 しかも、俺の顔を見て、マッサージ師が、中年のおっさんから、綺麗な若いお姉さんに変わった。


 マッサージを受けるうちに、いつの間にか眠りについてしまったようだ。

 お姉さんも、隣でマッサージを受けていたホタルの姿もなかった。


 隣から、話し声が聞こえてくる。ヒソヒソ話だったが、耳を澄ませば内容が聞き取れた。

 どうやら、ホタルと最初の中年のおっさんが話し込んでいるようだ。


 絶対に逃がさない、近々売りにいく、人身売買のルート。


 そんな物騒な言葉が、ホタルの口から飛び出していた。

 それは、どう考えても俺のことだった。


 俺は恐怖で固まる体に信号を出す。ベッドの軋む音にも気を付けながら、物音を立てないように起き上がった。ベッドの下から靴を取り出し、履く。

 あたりを見回すと、ドアがあった。俺はそこから外に出ることに成功した。


 ハア、ハア、ハア。


 全力疾走で、わけも分からず走った。時々足がもつれながらも、走り続ける。


 俺は、これからどうすればいいのだろう。

 人気のない道を選びながら、無我夢中で、足を動かした。

 


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