過去
殺伐とした空気が流れる中、ミーがコーヒーを淹れる。
「敵と会ったことがあるのか?」
「仲間がね。でも、殺されてしまった」
「見たのか?」
「ええ。あれはひどい有様だったわ」
十字架に張りつけになった仲間が、獣に嚙みつかれて死んだという。
「俺たちが感じる奴らは、人間じゃないのか」
「いいえ、そうじゃないわ。人間が獣を差し向けたのよ」
二人分のコーヒーを淹れ、ミーはそのうち一つに口をつけた。
「あなたは現場を見てないからそんなこと言ってられるのよ。まぁ、でも無理ないわね。あなたは見てないんだから。私たちも、目の当たりにするまでは、同じようなこと考えてたし」
ミーは自分を納得させるように、コーヒーをカップの中で転がしながら宙を見つめていた。
「どこに行くのよ」
「風呂に入るだけだよ」
一人になって、いろいろ考えたいタイミングが来たのだ。
「私も入る」
ミーと一緒に風呂に入ったことなどなかった。
なので、当然この発言には驚いた。
「こういう雰囲気で一緒に入るもんじゃないと思うぞ」
「あなたがのぼせるまでに話し終える自信があったから。あなたも聞きたいでしょ? あなたが来るまでの話」
「どこからその自信が来るんだか」
「一度話したことがあるから。ジンに」
俺が脱衣する前に、ミーは全裸になっていた。
顔を赤らめることなく、ミーは俺を置いて先に入浴する。
俺は後から追いかける形で風呂場に入った。
一枚ずつ脱ぐ服が、濡れた大量のワカメのように重かった。
「遅いじゃない。逃げたかと思った」
いちいち俺を挑発する言葉は、俺を試しているのだろうか?
肩までかかる髪を結って湯につかるミーの隣で湯をもらった。
「汗が頬から落ちる前に終わらせてくれよ」
ミーは、ふん、と鼻で笑った。
「家がね、火事になったの。奇跡に助かった私とレンは、目が覚めると、自分のことも、互いのことも、全てを忘れていた。だから、家族を失ったと聞いても、他人事だった。病院の中では随分哀れみの目で見られたわ。親戚だという人が、代わる代わるお見舞いにおしかけてきて、我こそが二人を引き取るんだと、私たちの目の前で、奪い合いをしていた。私たちの気持ちなんて関係なしって感じ。だから、レンと二人で病院から逃げだしたの。レンとは姉弟だったみたいだけど、彼とも一から関係を築いたけど、本当の姉弟に戻るまで、時間はかからなかった。互いのこと以外信用しなかったけど、ある時同じ境遇の人と出会った。私たちはすぐに三人でマンションを借りて一緒に暮らし始めた。だけど、レンがそいつを私たちを親戚の元に連れ戻そうとしたスパイなんじゃないかと疑い始めたの。だから、私たちは試してみたの」
俺の額から汗がたらりと湯船に滴り落ちた。
こいつらの妄想のせいで、同志である仲間が死んでしまったのだ。
こいつと一緒にいることはできない。
俺は、バスタオルで全身の水分をふき取る。
下着をポロシャツの上から着ていることを、ミーに笑いながら指摘された。
「安心して。だから、その時の反省を踏まえて、私たちは仲間を信用することにしたの。あなたを取って食うことはしない」
「俺はもう、無理だ」
「まだジンとの出会いの話をしてないんだけど」
「また今度、病院で会った時に続きを聞くよ」
荷物をまとめて、玄関に向かう。
ミーは裸のまま、着いてきた。
「そんな恰好で見送ってくれなくていいよ」
「病院には戻らないから」
君はいつか精神科に行くことになるだろう。
その言葉をのみ込んで、いつも髪をドライヤーで乾かしてくれていた手に、キスを落とした。
ミーの手はまだ濡れていたが、彼女が俺を見下ろす目は、乾ききっていた。
その目は絶望に慣れきっていた。
住み慣れた家を出て、俺はデパートのショーウィンドーの前で足を止めた。
うっすらと映る自分を見て、俺はまだ生きているだろうか、と確認をしたくなった。
その時、アイツの気配が俺の背中を襲ってきた。
来てる。間違いなくアイツが来ている。
いつもなら逃げていた足を止め、振り向いた。
出て来いよ。もう追いかけっこは終わりにしようぜ。
俺はソイツに、はっきりとそう言ってやった。