到着
金髪の名前は里田、黒ぶちメガネの名前は長谷部というらしい。俺はクロとハセと呼ぶことにした。
どうやら熊本城から出入りしているらしいことがばれ、クロとハセの家を交互に行ったり来たりして、セミが鳴くころまで稽古を積んだ。
一回戦は小さな劇場だが、俺は帽子にマスク、サングラスをかけて舞台に立った。クロもハセも俺の格好に不満を抱いていたが、どうしてもそうせねばならない事情があるのだと説得し、自分のスタンスを崩さなかった。
俺が与えたインパクトがデカかったのか、一回戦、二回線とするする突破し、三回戦も客層に恵まれ、準決勝に進出することができた。
「これを突破すると、テレビが入るんだよな?」
「はい。脚光を浴びるチャンスですよ」
クロとハセは情熱を燃やしている姿を見て、俺は複雑だった。
メディアに出ると、正体不明の新星の素顔を暴こうとするのではないか、週刊誌に記憶喪失のことを嗅ぎつけられると厄介だ。自分が今しようとしていることが阻まれる危険を感じた。
俺は、色々考えた上での準決勝で手を抜くことにした。
彼らがこの大会にすべてをかけていることは分かっていたが、俺にとってはこの大会での成功は、命取りだ。
司会者が俺たちのコンビ名を紹介している。
その時、クロが俺に言った。
「サブローさん、今までありがとうございました」
それは、これから俺が手を抜くのを分かっているような言葉だった。
そのまま舞台に出る。
熊本城を攻めるボケの最中、俺は、これが渾身のボケになるよう、せめてもの思いでタイミングを見計らって舞台から飛び降り、会場を飛び出した。
「どこまでいくねーん」
というハセのツッコミがかろうじで聞こえてきた。
悪いな、あとはうまくやれよ。
俺は引き返すことなく、自分が消えたことがいいインパクトになるよう願いながら電車に飛び乗り、鹿児島に向かった。
今はどうしても表舞台に立つわけにはいかない。
目的地に辿り着くまでは。
浅い眠りを繰り返し、鹿児島県のK村にたどり着いた。
バスが1日に一本しか通らないような、時間がゆっくりと流れる町の景色は、忘れたものを思い出させてくれるような、不思議なパワーを秘めていた。この町にしかない輝きを吸い込み、全身が浄化されていく。
ただいま。
犬の散歩をしている見知らぬ人にも、声をかけそうになる。
今までは声をかけられる側の人間だったというのに、気づけば自分からそちら側の立場にノックしていた。
同じ青い空を仰ぎ見て、同じ空気を吸っているはずなのに、昨日までとは違う自分に体の中から変わっていく気がした。
この空気を、俺は吸ったことがある。
体の中の細胞が、俺にそう訴える。
素敵な思いに浸りながらも、この場所の特定を急ぐ。
手押し車を押した老婆が前から歩いてきたので、写真を見せる。
「知ってるような、知らないような・・・」
なんとか思い出してくれ、と願いながら、せめてもの思いで老婆の靴紐を結び直す。
「なにをする! この泥棒猫が」
何を勘違いしたのか、怒られてしまった。
そんな老婆の状態を見て、これは無理そうだなと思っていると、思いがけないことを提案してくれた。
「うちの孫なら分かるかもしれん。着いてくるか?」
二つ返事で着いていく。お互いの自己紹介もそこそこに、孫のことを聞き出す。
孫の顔や体型を想像しているうちに、スキップしていた。
屋敷のような広い民家のドアをガラガラ開ける。田舎特有で鍵をしていないようだ。
ひょっとしたら、この泥棒猫が! という台詞は、使い古されたものなのかもしれない。
奥からスレンダーな女性が急須を抱えてやってきた。
「おばあちゃん、また誰か拾ってきたの?」
女性は俺の顔を見た瞬間、老婆をしかりつけた。
「ダメじゃない、福男を拾ってきたら! 返してきなさい」
「お姉さん、俺のこと知ってるの?」
俺に話しかけられた女性は、ハッとしたように我にかえり、罰の悪そうな顔をした。
「ごめんなさい、今の忘れてくださる?」
「俺、自分の記憶がなくなっちゃって困ってるんだ。よかったら教えてくれない?」
「それはできない」
「どうして?」
「とにかく、帰ってください」
女性は老婆を家の中に引っ張り込み、俺を追い出した。
俺を親切に扱わない人間もいるのか。
俺は少し安心した。
冷たくあしらわれるのに、なぜか体温を一番感じる。
また振り出しか。そう思っていると、駄菓子の袋を持った幼い女の子が、母親と手を繋いで歩いていた。
「それ、どこで買ったの?」
母親に子供を俺から引き離される前に、居場所を聞き出すことが出来た。