2 武具の名店
足音を立てずに歩けるようになったのは何時からだったか。
広いが薄暗い通路を歩きながら敵の気配を探る。
ここらの奴らは音に敏感だ。
曲がり角からそっと覗くと大きな二本足で立っている牛が見えた。
この世界はファンタジーの世界である。
牛といっても筋肉隆々で巨大な斧を持っているので可愛げなど皆無。
いわゆるミノタウロスと呼ばれる魔物だ。
その恐るべき膂力は素手であっても鉄の鎧を紙のように貫き、筋肉の鎧は半端な剣では切れない。
迷宮と呼ばれるここの70階辺りで多くの探索者を葬っている事は有名であり、奴の足元には同業者の成れての果てが転がっていた。
俺は奴の背後から近づいた。
そのまま気づかれる事無く右手の剣を一閃。
ズルリとミノタウロスの首が落ち、切り口から血が噴出してゆっくり体が倒れた。
俺は止めていた息を吐き出した。
気づかれなければ割と簡単である。
倒れたミノタウロスの体が空気に溶けるように消え、後には大きな結晶が残ったのでそれをバックパックに放りこんだ。
さて、俺の時間感覚からしておそらくまだ昼過ぎ。
だからもう少し進む事にして歩き始めた。
ここは地下ではあるが壁や天井などが薄っすらと明るいため明かりを用意する必要がない。
どこかから反響した戦いの音が聞こえる。
悲鳴が混じっている所を考えると恐らくピンチ。
だが気にする事無く歩を進めていた。
迷宮では全てが自己責任である。
そもそも走ったところで入り組んだ場所などでは間に合わない。
しばらくすると静かになったのでどっちにしろ終わったのだろう。
そのまま進み、広けた場所を覗き込むとミノタウロスが3体。
その1体と目が合った。
これは少しまずいかもしれない。
「これ買取りお願いします」
「はい、お疲れ様でした。ヒロさん」
探索者。
人呼んで命を投げ捨てる馬鹿共。
迷宮と言われる何時、誰が作ったのか分からない、地下に広がる迷路。
そこには、はるか昔から魔物と呼ばれ恐れられる物達が存在している。
どういう理屈か、そいつらは迷宮から出てこれない。
ならば放っておけば良いのだが、こいつらは倒すと魔力結晶という魔力の塊となる。
この世界には魔力によって動く道具が存在する。
動かすためには魔力を送れば良いのだが、魔法使いと呼ばれる連中以外では魔力を操るのは難しい。
そこで魔力結晶。
通称結晶である。
様々な魔力によって動く道具は日常において既に無くてはならない物である以上、結晶は必要であり、人はこれを作る事は出来なくないが、魔法使いが1日必死になって頑張ったところで割に合わない。
基本、結晶は使い捨てであり、大掛かりな物を動かすにはは多くの魔力が必要である。
そして迷宮は奥に行けば行くほど魔物は強くなり、結晶も力を持ったものになる。
結晶が良いものになれば当然値段が跳ね上がる。
Fクラスの魔石20個ではEクラス1個にも及ばない。
内包する魔力も値段も。
俺を含めてこの街にいる探索者は、魔物を倒して結晶を取ってくる事が仕事なのだ。
「これはCクラスの結晶ですね。それが10個。それとミノタウロスの斧ですか。良いものを拾いましたね」
「ああ、そいつが重くて帰って来たんです」
魔物は倒すと結晶になるがたまに使っていた武器などが残る時がある。
それは魔力の篭った物が多く、そのまま使っても良し、溶かして他に転用するも良し。
今回は斧なので売ることにした。
「全部合わせて、120万カナですね」
「お? そんなにするんですか?」
駆け出しの探索者が泊まる、食事無しの宿の値段が1泊300カナ。
一般家庭は3万カナあれば1月を少し贅沢して生活できる。
「はい。この斧は最近なかなか出回らないので」
ここに来てからずっと世話になっている受付嬢トリアーネさん
通称トリーさん。
長い金髪の美人と言うより可愛いと言った方がしっくりとくる人だ。
年の頃は20そこそこだと思う。
「今日はもう潜りませんよね? 用事有りませんよね? 実は美味しいと評判の店が有りまして。魚料理が美味しいらしいです、どうですか?」
そのトリーさんが顔を近づけてこっそりそんな事を言ってきた。
これはつまりお誘いである。
「ちょっと剣の調整があるので、また今度」
「そんなのすぐに済むでしょ? ね、夕食に行きましょう?」
きっぱりと断ったがトリーさんはグイグイと来る。
だが俺は騙されない。
トリーさんの目に日本で言うなら\マーク、この世界での通貨であるカナのマークが見える。
俺を誘いつつ、目線は受付窓口に置かれた俺の120万カナに向いていた。
「で、今度はいくら負けたんですか? 前は5千でしたね」
「うぐっ、ちょっとだけよ。そう、ちょっと4千くらい」
この人は弱いくせに賭け事をする。
ある程度の限度は弁えているが、給料前のこの時期になると大体苦しんでいる。
借金などは決してしないらしいが、ならそもそもやるなと言いたい。
そしてトリーさんのお腹がぐぅと鳴り顔が赤くなる。
「ああ、もう。分かりました、分かりましたよ。仕事が終わる頃に来ますから」
「本当? 約束よ! 絶対に来てね!」
「はい、はい。では夕方に」
俺は金を受け取って周囲の生暖かい視線を感じながら外へと歩き出した。
探索者を纏め、結晶などを買い取ってくれるギルドと呼ばれるこの場所。
受付は全て女性であるためか、そう言った話は驚きの情報網で恐るべき速さ伝わる。
俺とトリーさんに関しては最初の頃は冷やかしや興味だったが、最近ではまたかの方が強いのである。
「絶対に来てよ! 来なかったらこっちから行くからね!」
「トリー君、ちょっとこっちに座りなさい」
「え? 違うんですよ所長」
何やらピンチになっているトリーさんの言い訳を背にギルドを後にする。
目的地はトリーさんにも言った武器屋である。
まだ昼すぎなため通りに人も多い。
俺と同じような探索者は迷宮に潜っている時間のため少ない。
この世界は剣と魔法の世界だ。
そして何と言ったら良いのか難しいが、色々とひどい。
その理由もひどい。
露店で買ったりんごに似た果物をかじりながら歩いていると目的の場所にたどり着いた。
大通りに面した店の前には大きな看板が有り、大きく隠れた武具の名店と書かれている。
もはや慣れ親しんだ店内に入り、一直線に奥のカウンターへ行き、居眠りしている店員の耳元に息を吹きかけた。
「うおっ! 何事!?」
「お客さんが来店だ」
だらしなく涎の後を付けているのはこの店の主の息子。
大抵店番をしている少年リードである。
「ヒロさんじゃないですか。びっくりさせないで下さいよ」
「偉そうだなお前。店番が寝てんじゃねえよ。ジークさんは?」
「おう、呼んだか」
店の奥から現れたのは身長2メートルはある厳つい大男。
いつも不機嫌そうな顔をしているが不機嫌ではなく地顔と言う、このふざけた名前の店の店主ジークさん。
俺が腰に下げている剣を1本渡すと鞘から抜き、しばらく眺めてポツリとつぶやいた。
「少し刃が歪んでるな。何を受けた?」
「ミノタウロスの斧を少し」
「少し待ってろ」
そう言うとジークさんは剣を持って奥へと戻っていった。
迷宮で目が合ってしまったミノタウロス3匹と戦闘になった。
その時から少しおかしな感じがしていたので持って来たのだ。
あの剣は特別な金属をジークさんに渡して打ってもらい、さらにジンさんが魔力強化出来るように特別な魔法を刻みこんだのでそこらの物とは格が違う。
それがもう1本俺の腰の辺りに予備としてぶら下がっている。
「ヒロさん、その剣見せてださいよ」
「あん? こいつは駄目だ」
「どうしてですか? 調整だっているでしょう?」
リードの言っているのは俺が背負っている大きな剣の事だ。
こいつは俺がこの世界に来て最初に見つけた剣。
「こいつは駄目だ」
何を斬ろうと刃こぼれしない。
どんなに振るっても曲がらない。
続けて斬っても切れ味が鈍らない。
他にも色々ある普通では無い剣。
「こいつの事はいいんだよ。ああそうだ。今日ミノタウロスの斧をギルドに売ってきた。最近出回らないって聞いたが、どうなんだ?」
「ああ、そうなんです。2年程前まではたまに持って帰ってくるパーティーがいたんですが、その人達はみんな80階層を超えた辺りで消息を絶ってます。最近は70階層を越える人達の話も聞かなくなりました。ヒロさんの他は最近名前が売れ出したエグレスって人のパーティーくらいですね」
「へえ、何かあるって事か」
つまり今日聞いたあの悲鳴はそいつらの物だろう。
だとしたらあの階層を探索するのは俺だけになった事になる。
丁度良いからその辺の事を今夜トリーさんい聞いてみよう。
「おう、待たせたな」
リードとどうでもいい様な話をしているとジークさんが戻って来た。
剣を受け取って軽く振ってみると違和感が無くなっていた。
「流石。いくらですか?」
「5万だ」
壁に飾られている新品の剣が5万2千。
しかしそれだけの価値がある。
「じゃあまた来ます」
「おう、死ぬなよ」