六
学生だった頃の倉田は学業だけでなくアルバイトや友人と遊びに出かけるのに忙しく、あまり家に居つかなかった。ひとり息子に手がかからなくなってさびしかったのだろうか。近所で生まれた子猫を母親がもらってきた。明るい色合いのサバ白のふわふわは愛らしく、両親はめろめろになった。ゲイルの名は外国の女優にちなんだと倉田は聞いている。両親が若い頃ともに観た映画にそんな名前の女優が出ていたのだろうか。
今となってはそれを確かめるすべはない。その後しばらくして急に病を得て母が、しょんぼりと元気を失った父もまた後を追うように持病を拗らせて亡くなった。当時社会人一年目だった倉田はもう大人と認められる年齢だったが、
――ご両親も安心なさったのねえ。
などと葬儀にやってきた面識のない老婦人にいわれ、倉田は戸惑った。父にも、母にももっと長生きしてもらいたかった。自分が子どもだったら、幼かったらふたりはもっと生に執着してくれたのだろうか。くだんの弔問客のことばに悪意も他意もなかった。しかし痛みと喪失と疲労とで戸惑いはふくれあがり、
――ああ、自分は置いていかれたのか。
ねじれた悲しみとなった。
喪失によって生じた虚ろは容易に埋まらない。忌引で休みを取っている間もその後も、虚ろはじくじくと疼き存在を主張した。どうしてこうなった、どうすればこうならなかった、何をしていれば――思えば思うほど傷に傷を重ねることになる。
痛みに似た悲しみで疲弊した倉田を救ったのは時間の経過と忙しさだった。毎朝決まった時間に起きる。出勤し、仕事をして帰る。仕事をしている間はぼんやりと手を止めているわけに行かず、自然気持ちがそちらに集中する。家に帰れば飼い猫のゲイルが待っている。ゲイルに餌と水をやり、ブラッシングをし、日中長時間一匹で過ごすゲイルのために部屋を整える。生きものとの暮らしは日々多くの作業を必要としていた。
はじめの頃はただ以前のままの生活を機械的になぞるだけだった。何も感じず、心を動かされず、ただ決まったことを決まったように。しばらくして機械的に日々を過ごすことがだるく感じられるなってきた。朝決まった時間に起きるのが億劫になり、ゲイルの餌皿に計量せずざばり、と目見当で餌を入れた。食事をとるのも面倒になった。会社から帰っても必要最低限のことの他に何もする気にならなかった。
ある日、倉田は帰宅して習慣のようにゲイルの餌をやろうとしていつもの場所に袋がないことに気づいた。棚から新しい袋を取り出し封を切ったとき、ゲイルがやってきて足にそっと触れた。素肌を撫でるやわらかなものの感触が倉田の心を現実に引き戻した。
――疲れている。気づかなかった。
両親が亡くなって以降、ただただ時間を過ごすことに腐心して封じていた感覚がひらかれる。真っ暗な部屋、淀んで冷たい空気、頬を伝いぼたぼたと顎から膝へ垂れる涙、足下に座るゲイルのぬくもり。
その夜を経て倉田は喪失と向き合うようになった。カメオのチャームを買ったのはその頃だ。外国製のシェルカメオだというそれは茶色の地に女性の横顔が掘られているものだった。変わった図柄でもないし高価でもない。そのチャームはロケットになっていた。倉田は中に両親の写真をはめ込み、革のチョーカーにつけた。
はじめの頃、ゲイルは両親の猫だった。今は倉田の愛猫だ。手のかかる妹のようであり、つらいときは黙ってそばにいてくれる姉のようでもあった。時を重ねて老いてもゲイルは美しく、少し臆病でやさしい猫だった。
公園のベンチで女は愛猫の話に耳を傾けつづけた。
「これが、その」
「ええ、うちの猫の首輪なんです」
倉田はスマートフォンにつけた革のチョーカーとチャームを見せた。隣に座った女が細い指でカメオの表面をす、と撫でた。
日が落ちて街灯に明かりが点る。港に近いからだろう、潮がにおう。風がなく地面からもったりと積み上がるように靄が立ち込めていた。