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 待ちわびた休日、倉田は昼過ぎに約束の場所へ向かった。いつも夜、ごく短いひとときをともにするだけだった女とようやくまとまった時間を過ごせる。しかしあいにくの空模様だ。どんよりとして寒々しい。街を抜け、港へ近づくと(もや)が濃くなってきた。もはや靄というより霧だ。頼りない日光と濃い霧で石造りの家々がぼんやりとかすむ。女が橋の上で(たたず)んでいた。


「お待たせしました」

「いいえ」


 微笑む女の鼻の先が寒さで赤く染まっている。



 東京であれば「どこへ行こうか」「何を観ようか」と迷うくらい選択肢がある。それが癖になっていてS市にいくつ映画館があるかなど、考えもしなかった。川沿いの道から街へ戻ったところで運良く出くわした映画館でかかっていたのは少々変わったアクションムービーだった。


「『ニンジャVSおばあちゃん』……」

「『解散の危機に瀕したお庭番衆におばあちゃんたちの魔の手が迫る』って……」


 映画館の前で倉田は困っている。女との最初のデートだ。ずばっと相手の好みとまでいかなくとも無難な内容にしたい。――つまり多少退屈でも恋愛ものにしておきたかった。大抵の女性は恋愛映画を好むから。次善の策としてはホラーだ。倉田はホラー映画が好きだからだ。しかしこれは自棄(やけ)を起こして相手の好みなど度外視するパターン、次のデートは望めない場合のチョイスだ。これならばデート中の会話が弾まなくても問題ない。もし相手がホラー好きならむしろ次の機会もありで挽回できたことになる。だから倉田は初デートで映画を選ぶときは恋愛ものかホラー、必ずどちらかにする。

 それなのによりによって「ニンジャVSおばあちゃん」って何だ。ニンジャとおばあちゃんに恋愛要素などない。絶対許さないとはいわないがターゲットエリアの狭小なロマンスだといえよう。ホラーの可能性は――「おばあちゃんの魔の手」あたりに期待できるか。いや、どうだろう。それよりS市に他の映画館があるだろうか。温泉宿だったらいくらでもあるが映画館は他にないような気がする。つまるところ映画デートをしたければ「ニンジャVSおばあちゃん」を観るほかないということだ。


「観ます……よね」


 女がちょいちょい、と袖を引く。


「ええっと、『ニンジャVSおばあちゃん』でいいんですか?」

「はい」


 女は微笑んだ。頬が紅潮して笑顔があどけない。



 エキセントリックな()し物が原因であることは火を見るより明らかだ。休日の午後であるにもかかわらず映画館はがらんがらんに空いていた。映画は期待していたより幾分楽しめたが、どちらかというとあまりこうした場に慣れていないという女のリアクションのほうがおもしろかった。女は場内がすうっと暗くなるのに驚き、ばあああん、とニンジャたちの前に敵が立ちはだかったといっては驚き、戦闘シーンになれば必ず驚いて身を(すく)めた。今までの恋人がどちらかというとこういうシーンでも堂々としていたので、繊細に驚く女のふるまいは倉田の目に新鮮に映った。


「た、楽しかった……んですけどもびっくりしちゃって」


 映画館を出て(そぞ)ろ歩く。隣の女の薄い肩がしょんぼり丸まった。


「ちょっと近づきすぎちゃった。すみません」

「いや、ウェルカムですし、かわいいなって――」

「はい?」


 いい年をした大人なのに自分は何をしているんだ。また女を困らせてしまった。倉田の頬が熱くなる。何か話さないと間が()たない、何か話さないと――。


「うちに猫がいまして」


 倉田は愛猫の話をした。



 ゲイルは付き合いのよい猫だ。家でDVDを観ていると必ず隣にやってきて寝そべる。ゲイルは倉田の好むホラー映画が得意でないのか、盛り上がってすばばばあああん、どしゃあああ、と大きな音が出るたびにぴゃっ、と飛び上がって驚いた。倉田が撫でてやると「全然怖くありませんから、気にしてませんから」と言いたげにぷい、とそっぽを向く。しかし無関心を装っていてもびくりびくりと緊張しているのが傍から見ると丸わかりだった。


――怖いのなら観なきゃいいのにな。


 ゲイルはぴゃっ、と飛び上がるたびにできあがった隙間を埋めるように身を寄せてきた。くっつくようでくっつかない、しかしお互いの体温が感じられる距離が心地よかった。


――ああ、しまった。

「すみません。つい――」

「はい?」


 女がきょとんと首をかしげた。


「猫の話をしてしまって」

「いけないんですか?」

「いけないというか、なんというか」


 倉田のまわりの女性は猫の話を聞きたがらなかった。恋人が独り暮らしの倉田のマンションを訪れた際も、隠れて出てこようとしないゲイルをある者は「嫌われた」と仲良くなることを諦め、ある者はしつこく追いかけ嫌がられた。だいたいは


――猫の話はちょっと……。


 やんわりと拒むがひとり、


――あんたの猫はさ、なんか嫌なんだよね。


 きっぱりと言い切った恋人がいた。猫嫌いだったのだろう。こういうことが続き、女性の前で愛猫の話はタブーとなった。恋人を自宅に連れ帰ることもしなくなった。


「うーん」


 女は細い指を唇にあて首をかしげた。


「私は気にならない、かな」

「ほんとに?」

「ええ。どっちかというと嬉しい」

――嬉しい?


 微かな違和感は、愛猫の話をねだられほわほわと舞い上がったテンションにはねのけられた。


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