秀英のプリンス
「なにこれぇ!?」
流石に抑えきれず、私の口からは素っ頓狂な声が上がった。
その反応に満足したのか、坂宮さんは「昨日偶然見かけちゃったんだぁ~」と得意気に説明する。
写真の中の私は制服姿だった。学校帰り、そのまま大学に遊びに行ったからだろう。
深さんは青いストライプのシャツを、凄くお洒落に着こなしてる。
並んで歩く私と深さんはとても楽しげで…。それを見ながら私の胸は、何故かずきんと鈍い痛みを覚えた。
『おい、説明させろっ。なんで風花ちゃんがプリンスと一緒にいるんだよっ』
純一郎が何か言ってるけど、相手する余裕がない。
やっぱり私は昨日ちゃんと深さんと会ったんだ。そして、それから…。
――やだどうして思い出せないの?!
「あんたのネタ掴んでおいてよかったよー。おかげでプリンスのお相手調べる手間が省けたし!残念だったねー。風花ちゃん、お手つきでした」
坂宮さんが私の手からカメラをさっと奪って行く。それでやっと我に返った。
「それじゃぁ、また放課後部室でねぇ~~」
呆然とする私を置いて、坂宮さんは軽快な足取りで去っていった。
◆
その後一時間目の開始ぎりぎりに席に着いた私は、もう授業どころではなかった。
数学らしいが教科書は閉じたまま、ノートだけ開いて、そこに走り書きする。
“秀英のプリンスってなに?”
読んでと目で訴えると、純一郎も気付いてノートを覗き込んだ。
『…卒業生のアダ名だよ。坂本深っていってさ。全国模試でいい点とったとかテニス部の県大会で何位だったとか、なんか色々武勇伝があるヤツみたいよ。学園祭のミスター秀英コンテストで3年連続ミスターに選ばれて、プリンスに昇格したらしい』
……聞いて無い。
そんな話全然聞いて無い!!!
深さん自分ではモテないって言ってたのに…!
『坂宮良子は怖い女だからねー。あいつ校内新聞とは別に勝手に裏新聞発行してんだよ。誰と誰が付き合ってるとか破局したとか下世話な話題ばっかのを、一枚50円とかで。俺は買わないけど、結構売れるらしくてさ。そこでプリンスネタをとりあげると食い付きがいいんだと』
純一郎はやれやれと肩を竦める。私はまた急いでペンを走らせた。
“あの女の子は、プリンスのお相手なの?”
ちょっと白々しいけど、そんな訊き方をしてみる。
『風花ちゃん?まだそうと決まったわけじゃないでしょ』
純一郎は意外とあっけらかんとそう言った。
……いや、そうと決まってて欲しいんだけど…。
“なんでこの女の子の名前まで知ってるの?”
坂宮さんに感謝だ。流れで一番気になっていたことを訊くことが出来る。
『風花ちゃんってのは、例のかわいこちゃんだよ。栄大付属の俺のお気に入り。
仲良くなろうと思って頑張ってたんだけど、俺が最近毎朝遅いからって良子が後を尾けたらしくてさ。危なく裏新聞のネタにされるとこだった』
――やめてぇぇぇ!!!
と、思わず書きそうになって、なんとか思いとどまった。
坂宮さん、…ほんとに怖い人だ!!
血の気が引くのを感じながら、恐る恐る問い掛ける。
”ネタにされずにすんだの?”
『…まぁ、結局俺が風花ちゃんの写真とプロフィールを買い取るってことで話がついたから。
あいつがめついから、えらい散財させられた』
…プロフィール…。
あぁそうか。だから純一郎は私の名前を知ってたんだ。
っていうか調べたの本人じゃなくて坂宮さんだったんだ。それは流石に気付かないよ。女の子につけ回されるなんて警戒もしてないし…。――っていうか!個人情報売買しないで欲しいんだけど!犯罪じゃないのか、それは!
心底呆れつつ、私は頭を抱えてため息をついた。
そしてぼんやりとまた、今朝見たばかりの写真を思い起こす。
私、楽しそうだったな…。
胸がずきんとまた痛む。
それはきっと、大事な記憶を失くしてしまっていることが、悲しいからだよね。
改めて思う。
怖いけど、でもやっぱり記憶は取り戻さないといけないんだ。
今の状況を、解決するためにも。
そのための手掛かりが、今はあの坂宮さんにしかないとしたら…。
意を決し、私はまたノートに文字を綴る。
”放課後、部室に行くの?”
坂宮さんが確か放課後に部室で会おうと言っていた筈。
私の書いたものを読んで、純一郎は『いやいいよ行かなくて』と返した。
『金曜日は一応集まることになってるけど、要のことがあるから俺はどうせ途中退場するし。良子も知ってるから、不思議にも思われないよ』
今日は金曜日。
”面白そうだから、行ってみようかな”
そう書いて見せれば、流石に純一郎は訝しげな顔になる。でも構ってられない。
この手掛かり、逃してなるものか!
「――加瀬!」
よく通る先生の声が、不意に教室に響き渡った。
皆の視線がバッと私に集中したことで、それが自分を呼ぶ声だということに気付く。
あぁやばい!授業を聞いてないのがバレた?!
瞬時に青くなった私に、ちょっと怖そうな男の先生がぺらっと一枚紙を差し出して言った。
「ほい、取りに来い」
言われるがまま腰を上げると、周りがおぉ~!と謎の感嘆を洩らす。
え、なに…?
『テストだよ。あの先生、点数順に返すって方針でさ。点数悪いと公開処刑』
あぁ…数学のテストか……。点数順というところはあえて聞き流し、私は教壇に向かう。先生の手からテストを受け取って直ぐ、二つ折りにした。
純一郎の点数とか興味無いしね。
「一位、95点!」
また教室がどよめく中、純一郎は不思議そうに私の手元を覗き込む。
『あれ?俺どこ間違った??』
瞬間、私は手の中で答案をぐしゃりと握り潰していた。
◆
「純一郎!」
一時間目を終えて休み時間に入った瞬間、一息つく間もなく隣の席から声が掛かった。
短髪をツンツンに立ちあげた男子生徒が、こちらに身を乗り出すようにして話掛けてくる。
「なぁ観た??昨日のテレビ!」
「あ、テ、テレビ…」
知らない男の人だ…。それだけで引いてしまう私に、反対側から新たな人影が立ちはだかる。
「おい純一郎、これトモから借りたやつ。次お前が見るんだっけ??」
今度は髪が長めのひょろっとした男子。
差し出された本を反射的に手にとった私は、その表紙を見て凍りついた。
そこには水着姿のアイドルの写真がでっかくプリントされている。
しかも――下しか着てない!!
「すっげー、エロいよ!」
『おぉ-!』
背後に純一郎の歓声を聞きながら、私の脳は機能を停止した。
次の瞬間には本を机に放り出し、逃げるように教室を飛び出していた。
『え、おい!』
純一郎の慌てた声も耳に入らない。
やだっ!
やだやだやだやだ、気持ち悪い!!!!
『ちょ、何処に…!ってこら!!』
逃げ場を求めて駆け込んだ先で、女の子達が数人、目を丸くして固まっていた。
『ここ女子トイレだろ!!』
――あっ。
「きゃー!!加瀬ヘンタイ!!」
廻れ右して出て行く私の背中に、容赦の無い女子の罵倒が浴びせられる。
ショックを受けているらしい純一郎を無視して、私は隣の男子トイレに改めて逃げ込んだ。
個室に入って一人になって、やっと体の力が抜ける。
崩れるように便座の蓋の上に腰掛けると、海より深く嘆息した。
「…………もうヤダ」
『俺の台詞だよ…』
純一郎の声が、蹲る私の上からぽつりと落ちて来た。
結局その日は休み時間という休み時間を全て、トイレの個室で過ごした。
誰が知り合いか分からないから、どこへ逃げるのも不安で、そこしか居場所が無かった。
休み時間になると、話掛けられる前に教室を飛び出す。そして授業開始ぎりぎりまで篭る。
だって無理だもん。
あんな本、学校に持ってきて喜んでるような人達と一緒にわいわいなんて、絶対無理…!
『……きみさ…。まさか成仏するまでこの手で乗り切ろうなんて思ってないよね…?』
耳を塞いでも聞こえてくるその声が恨めしい。
「………死んでないもん」
願望にも近い反論に、純一郎はげんなりとした顔になった。
『勘弁してよ…』
早く放課後になれ。
頭の中にはただその思いしか無かった。