男になっちゃった!?
現状を理解するのに、どれだけ時間を要したか分からない。
狼狽しつつ自分の体をペタペタと触ったり、手をグッパーしたりする私を、加瀬純一郎も暫く眉をひそめて見守っていた。
胸が無い。
体が固い。
そして……なにコレ。
『どこ触ってんの…』
ひえっ!
私はビクンと肩を跳ねせると、万歳の格好になった。
「さ、触ってないです、なにもっ…!」
掠れて漏れた私の声は、男みたいに低かった。思わず自分の喉に手をやる。
しばし間を置き、やがて加瀬純一郎は胡坐をほどいて正座した。そして真っ直ぐ私と向き合い、恐る恐るという様子で問い掛けてくる。
『あのさ…。自分が誰か分かる?』
「誰…誰かって…」
………言いにくいんですけど。
迷う私の様子を“分からない”と解釈したらしく、純一郎はがっくりと項垂れて盛大なため息をついた。
『分からないか…。あぁ~…、面倒なパターンだ…』
「え…?あの…」
意外な言葉に驚きつつ、私は身を乗り出した。
「こういう現象に、心当たりがあるんですか??」
耳慣れない低い声が口から漏れる。どうやら私は男になってしまっている。それだけはやっと理解できたけど…。
『う~ん…言いにくいんだけどさぁ~』
純一郎は少し視線を彷徨わせたが、やがて意を決したように口を開いた。
『あんた、死んじゃったんだと思うんだ』
「――はぁぁぁ?!?!」
あまりの衝撃発言に声が裏返る。
目を見開いて固まる私に構わず、純一郎は『自覚ないんだなぁ~』と困ったように呟いた。
『なんか俺、昔からよくそういう人呼んじゃう体質なんだよね…。
霊感が人より強いというか…。見たくも無いもの見えるし、声も聞こえるし、結果的に懐かれるっていう…。憑りつかれたこともあるっちゃあるけど、こんなの初めてだなぁ~。まさか俺(本人)が追い出されるとは…』
何を言っているんだろう、このひとは。まったく頭の理解が追いつかない。
『でもまぁ、解決の仕方は分かってるから。――ねっ!迷い無く成仏しよ!』
頼むよって感じで、純一郎が両手を合わせた。
私は呆然としつつも、ぶんぶんと慌てて首を振った。
「いえいえいえいえいえいえ…」
『何が心残りだか覚えてるかなぁ?それすっきりさせれば、お空に行ってもらえるはずなんだよね』
「いえいえいえいえ!!」
他のことは言えないのかってくらい、私の口からは同じ言葉しか出ない。
だって、突然何を言うかと思えば…。死ぬような理由、なんもないって!
「私、死んだ覚えないですっ」
『……きみ、女の子?』
純一郎の突然の問いかけに一瞬固まる。ためらいつつ、こっくりと頷いた。
『名前は?』
…だからそれは言いにくい。
しまった。女だって言わないほうがよかったのかな、この人相手には。
私が色々考えを巡らせていると、純一郎はその沈黙を勝手に理解してまた唸った。
『名前も覚えてないのかぁ。参ったな…』
「あの…あなたは…」
念のため問いかけると、純一郎はさらりと名乗る。
『俺?俺は、加瀬純一郎。高校2年生だけど』
その答えに内心、やっぱりそうだよねと思った。うっすらしてるけど、色も不鮮明だけど、そのチャラい印象はそのままだし。
乗っ取られたとか嘆いていた。
つまり、今の私は…。
私は躊躇いつつ視線を巡らせ、鏡を見付けた。恐る恐る近寄れば、見たくも無い男の顔がこちらに迫って――。
「――ひぇっ…」
予想していても変な声が出る。鏡の中の私は確かにオレンジ色の頭の、あの男だった。
◆
『とりあえず、きみのことは後で考えるから、学校行く準備して』
純一郎にそう言われ、私はわけもわからず着替えることになった。
指図されるのは癪だけど、他にどうしようもない。この異常事態は、慣れてるらしい純一郎に解決してもらうしかないみたいだし…。私の正体がバレる前に逃げたいから、可及的速やかに!
充電器にセットされた携帯に表示されている日付けを見て、深さんとのデートの日から一夜明けていることを知る。私はまた愕然とした。
デートだけ飛ばして朝になるなんて。
しかも起きたらこの世で一番会いたくない男に変身してるなんて。
なんという悪夢だろう。
『なにしてんの!はい、着替える!』
クローゼットから出した制服を手に固まる私を、純一郎が急かす。
「ちょっと…、出て行ってよ」
じろじろ見られてて着替えなんてできるはずもない。しかも相手はあの加瀬純一郎だし!
『はぁ??あんたバカ?!
そっちは女の子気分かもしんねーけど、体は俺だっつーの!
見られて恥ずかしいのは俺だっつーの!
いいからさっさと着替えろよっ!』
――はぁぁぁ???
なにこいつ、なにこいつ、なにこいつ!!!
まるで別人じゃん!毎朝見てたあの変な愛想笑いは、どこいった!
これが本性かと思うと、全然騙されてなかったけど、騙されなくてよかったとしみじみ思った。
『急げっつーの!時間ねーの!』
悔しい気持ちを抑えつつ、なるべく自分自身を見ないようにして、私は服を脱ぎ始めた。
男の子の体なんてご縁が無い。はっきり言って、見たくない!
派手な柄のトランクスが嫌でも目に入って、慌てて目をつぶる。
その瞬間、朝の冷たい空気にさらされた体がぶるっと震えた。
トイレ…いきたいかも…。
――って、いやいやいやいやいやいやいやいや!!!!!!
冗談じゃない!!私は頭によぎった思いを必死で打ち消した。
けれどもちょっと尿意を自覚しちゃった体は、否応なしに盛り上がってしまう。
いやいや。だめだめ。ナイ、ナイ。考えちゃダメだ。忘れろ、忘れろ…!
『…トイレなら出て右』
純一郎がぽつりと言った。
「トイレじゃないもんっ!!!」
『なにムキになってんの?モジモジしてるくせに』
完全にバレてる。
でも嫌だぁ!!絶対嫌ぁぁぁ!!!
『早く行けって!俺の体、膀胱炎にする気か?!』
――誰か助けて~~~!!!!
◆
流水音が響くトイレから出てきた私を、幽体の純一郎が出迎えた。
「洗面所どこ…?」
悲壮感露わな声で訊いた私に、純一郎は下を指差す。
『一階』
私は一目散に、階段を駆け下りて行った。
洗面所に飛びついた私は、一心不乱に手を洗った。石鹸を使って何度も何度も、死ぬほど洗う私に、純一郎は呆れた呟きを洩らす。
『いつまで洗ってんだか…』
やだやだやだやだ、気持ち悪いよぉぉぉーーー!!!
こんな手、削れて消えてしまえっ!
『きみってあれだね。相当男に縁が無いタイプの子だね、きっと』
「うるさぁい!あんたにだけは言われたくない!!!!」
「…は?」
思わず叫び返した私に、純一郎はきょとん顔になる。
リビングの方から「じゅーん、朝ごはん早く食べちゃってー!」という誰かの声が聞こえて来た。