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失われた記憶の行方

 一歩外に出たら、私の目からは涙が溢れだした。

 止められず、嗚咽も漏れる。

 振り切るように走り出せば、後ろからはお約束の声が追って来た。


『待て待て!!!こら、待てぇ!!!』


 私は足を緩めながらも、両手で必死に流れてくる涙をぬぐった。

 純一郎が私の顔を覗き込む。

 何か言おうとしたようだが、泣いてるのに気付いて怯んだらしい。うっと詰まり、当惑した顔で訊いた。


『………どした?』


 答える余裕なんて無かった。ひたすらにしゃくりあげる。純一郎は困ったように『こっち来な。人目つかないとこ行こ。とりあえず』と私を導く。

 私はひっくひっくと泣きながら、純一郎の透けた背中を追って歩いた。


 ◆


 公園のベンチに座って泣き続ける私に、純一郎は『見てらんねぇ~』と苦笑した。

 確かに今私は純一郎なわけで。そんな自分が号泣してるわけで。見てられないかもしれないけど、止まらない。


『どうしたんだよ…』

「思い出したの…」

『え?』


 私の言葉に純一郎が驚きの声を上げる。

 私は顔を覆ったまま、繰り返して言った。


「思い出したの。忘れたかったこと…全部思い出した」


 そうなの。思い出したの。あの日のこと。


 あの日私は、一世一代の告白をしたんだよ――。


――――――

―――


「…ごめん」


 大学を見学させてもらって、食事を奢ってもらって、夜の公園を少し散歩して…。

 ドキドキのデートの最後、ムード満点の夜景を前に、死ぬほど勇気を振り絞って伝えた気持ちに、深さんのくれた答えはそれだった。

 初めて2人きりで過ごせて、深さんはずっと優しくて…。

 ストーカーに狙われているかもなんていう話にも、すごく親身になってくれて。どんどん膨らんでいった私の期待は、その時哀しいほどあっさりと潰されちゃったんだ。


「それは…だめってこと…ですか…?」


 言葉の意味は分かってるくせに、確認してしまう。

 深さんは困ったように頭をかいて「うん…ごめん…」ともう一度言った。


「…好きな子がいるんだ」


 深さんが恥ずかしそうに語る。そんな表情は今まで見てきた大人な彼とは違って、…なんだか似合わなかった。


「うちの隣に住んでる子で、幼馴染なんだけどね…。俺はけっこう前から、好きなんだよ。でもなかなか伝えられない。やっぱり歳が離れてるし、下手に伝えて気まずくなったらどうしようとか色々考えちゃってさ…。なにより、あっちに全然、その気が無いし…」


 胸の痛みとともに激しい違和感も湧いて来る。

 私の知ってる深さんは、大人で知的でいつも落ち着いていて…。

 そんな風に照れて頭をかいたり、うじうじ悩んだり、そういう人じゃないのに。


 似合わない、似合わない。

 そんな顔、似合わない…。


「深さん、分かってたんじゃないですか…?」


 私は彼から目をそむけると、そう問いかけた。深さんが「え?」と聞き返す。


「私が今日告白する気だって、分かってたんじゃないですか?」


 まるで責めるような私の問いに、深さんはとっさに何も答えなかった。

 図星なんだと思った。彼は私の気持ちに、とっくに気付いてたんだ。

 なるべく傷つけないように優しくしないといけない。そんな風に今日一日ずっと気を使われていたんだと思ったら、ひどく惨めな気分だった。


「分かってたなら、半端に優しくしないでほしかったです!今日のことも、断ってほしかったです!好きな子がいるなら、もっと早く言ってくれればよかったんです!!ぎりぎりまで傷つけないようにして逃げるなんて、かえって卑怯です!!!」


 想いが通じなかった悲しみを、見当違いな方向にぶつけて、私はあの日深さんを置いてその場を去った。

 泣きながら走って、走って、走って…。

 信号も見ずに、車道に飛び出してしまったんだ…。


―――

――――――


 泣きながら伝えた私の話を、純一郎はただ黙って聞いていた。

 相手が深さんであること以外、全部懺悔するように告白した。

 いつの間にか純一郎はベンチに座る私の目の前でしゃがんでる。見てられないと言っていたけど、その目はじっと私を見てた。泣き続ける私を。


「好きな人にあんなひどいこと言って…。その後悔で成仏できないんだ、私…」

『そぉかぁ…?』


 私の言葉に純一郎が不思議そうに呟く。


『これから振るぞって相手と無駄に夜景とか見て盛り上げといて叩き落すって、確かにひでーじゃん。別にそんくらい言ってもいいと思うけど?』


 純一郎の言葉がなんだか優しく胸に響く。少し救われた気持ちで、私は顔を上げた。


『すげー顔』

「あんたの顔でしょ…」


 純一郎が苦笑する。それにつられるように、わたしもちょっと笑った。


「本当に一番ショックだったのは、振られたことじゃないんだ」


 私の言葉に純一郎が“へぇ”というように眉を上げる。私は涙をふきつつ「純一郎の言うとおりかもしれないなぁ…」と自嘲気味に呟いた。


「好きな子のこと話してる彼が、全然違う人に見えたの。私、その人の一番近くにいるつもりになってて、すごいその人のこと分かってるつもりになってたのに、実は全然知らなかったって思い知らされたの。……結局頭の中で作り上げた妄想に、恋してたんだよね…」

『…いいじゃん、別に。それが恋とかいうものだ』


 ――それが、恋…。


「そうかな…?」

『そうでしょ。俺いつもそうだもん』

「自分で認めちゃった!」


 泣きながらも、私は思わず笑ってしまった。

 また零れた涙を拭いて、顔を上げる。そうしたら、私を見上げる純一郎と、真っ直ぐに視線が合った。


「…ダメだよ、純一郎。そんなんだと、ちょっと可愛いだけの子に騙されるよ…?よく知ってみたら、すごい我儘だったり自己中だったり、変に潔癖で面倒臭かったり…するんだから…」

『誰のことだ!』

「…誰だろね…」


 あははっと純一郎が笑う。でもすぐに笑いをおさめて、また私を振り仰いだ。

  

『…いいんじゃない?それはそれで。…我儘で自己中で潔癖で面倒くさい子だなーと思っても、よく知ってみたら案外不器用なだけで、それが可愛く見えてきたりもするし。…何が起こるか、分かんないよ?』


 今まで見たことも無いような優しい微笑みに、きゅぅって胸が痛んだ。


「……誰のことなの…」

『誰だろね』


 不覚にも胸が震えて、さっきまでとは違う涙が、またぶりかえしてしまった。

 

 なんだよもぉ……人が反省してるのに……。こんな時だけ、甘やかさないでよ…。

 

 恥ずかしくて、情けなくて、私はまた顔を覆って暗闇に逃げ込んだ。

 

 私と純一郎は、似た者同士だったんだ。

 それに気付かずに、ちょっと外見気に入られたくらいで優位に立った気になって、はなから見下して…。私はとんだ勘違い子ちゃんだった。

 実際は己を知ってる純一郎のほうが、ずっと大人だったのに。

 だってほら。今だって、私から一番迷惑を被ったはずの純一郎が、沈み切った私の心を慰めてくれる。自己嫌悪で潰れそうな私を、救ってくれる。

 そんな義理も無いのにね…。

 

 ひとしきり泣いた私は、やがてまた顔を上げた。

 服の袖で涙を拭いて、はぁっと大きく吐息を洩らす。


「……ねぇ…」

『…ん?』

「私が好きだったあの人も……エロ本見てるのかな…?」


 私の唐突な問いに、純一郎は目を丸くして、吹き出した。


『当たり前じゃん。見まくってるよ』

「やだ幻滅…!」


 冗談まじりの負け惜しみを吐くと、純一郎と一緒に笑う。

 その笑い声が不意に遠ざかる感覚に、私の中に予感のようなものが芽生えた。


「純一郎…」

『なに?』

「……成仏、するかもしんない」


 ふわりふわりと視界が霞む。でも不快感ではない。意識がゆっくり遠ざかる感じ。きっと今私、ここを出ようとしている。

 純一郎の体を――。


『…名前、なんていうの?』

「…え?」

『名前、教えてよ。…実物に会ってみたかった』

「…すごいブスかもしれないよ?」

『いいよ別に。期待してないし』


 思わず笑ってしまう。らしくないよ、その台詞。

 でも……嬉しかった。

 

 ありがとね。純一郎。


 ――バイバイ…。



 完全に意識を手離す瞬間開いた目に、見慣れたオレンジ色の髪が、映って…消えた。

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