昼食
彼女――高島咲耶を瞬時に気絶させた俺は、腕を天井に伸ばして息を吐く。
別に大したことはしていない。立ち上がって構えなおしたから、憐れみを込めて顎に蹴りの風圧を当てただけだ。
無謀と勇敢は全然違うんだよなと思いながらサヨ子さんへ視線を向けると、「申し訳ございませんね、つとむさん。こんなことをしてもらって」と申し訳なさそうに言われた。
「あの子はどうも美夏にべったりなところがありまして。貴方が来たことが気に食わなかったのでしょう。気配を察知されたりしているにもかかわらず、実力が分からないのか敵愾心を露にしたままなので直接手解きさせて体で理解させようと」
「まぁそうだと思いましたが……」
「あら、分かっていたんですか?」
「視線に含まれている感情ぐらい推測できますし、何より雰囲気が丸わかりでしたよ。それに」
「まだ何か?」
「客人として来ているのにここの案内は些か不自然でしたよ」
一般論としての反論をしてみたところ、彼女は口に手を当てて笑いながら「確かにその通りですが、貴方に関して言えば問題ないのでは?」と言われた。
「そうですかね?」
「って、それより御婆様! 咲耶を手当てしなくてよろしいのですか!?」
のんびりとした会話に耐えられなかったのか美夏が詰め寄るが、サヨ子さんは「外傷も何もないのですから手当のしようがありませんよ」と断言した。
まぁ確かに蹴りの風圧だけで顎に衝撃を与えてシャットダウンさせたから外傷はないだろうが……。
トラウマ抱えられてもどうしようもないんだがと思っていると、「では、美夏。久し振りに稽古をしましょう」と俺そっちのけで話が変わった。
流石の美夏もこの話題転換にはついていけないようで「……何をおっしゃられているのですか?」と困惑しながらも少々苛立ちを隠さずに返事をする。
確かに何の脈絡もないし、何なら身内が怪我してるかどうか判断不能で気絶しているのだからその苛立ちは正しい。
だというのにサヨ子さんは微笑みながら「ユエさん、咲耶を脇に運ぶついでに脈などを調べて頂戴」と指示を出す。
「分かりました」というやいなや、彼女は咲耶のもとに近寄って脈などを測ってから彼女を持ち上げてそのまま道場の端へ移動する。
見た目とは反した力強さに感心しながら俺もそのまま端へ移動したところ、ゴーン、と鐘が響いた。
反射的に腕時計で時間を確認したところ、十二時になっていた。
「あらお昼ですか。ならば稽古は食事後にしましょう。咲耶はそうですね……部屋に運んでもらいますか」
サヨ子さんがそう言ったら、ユエさんがいつの間にかベルを鳴らし、スーツ姿の女性たちが入口拭きに現れた。音も気配も普通に聞こえるし分かる程度のレベルってことは、滅茶苦茶低すぎるな。
「咲耶を自室へ」
『はっ』
どうやって運ぶんだろうかと少し見ていると、担架を持ってきたらしく二人がかりで載せて四人で運び出した。
えぇ……流石に弱すぎないか……? 篠宮家のSP達の方がまだSP感あったぞ。
見送りながらそんな感想を抱いていると、「では、食堂の方へまいりましょう」と促されたので素直に応じることにした。
俺、今日中に帰れるか?
道場を出て本館へ戻ってきた俺は、なぜか一人玄関に置き去りにされた。サヨ子さんがそのまま美夏を連れ去ってしまったので、勝手に移動するのもどうかと思った結果見事に誰もいない。気配はするんだが。
「何したもんか」
三階に五人。一階に十人ほど。一階は一か所に集まっているので昼食の準備なのだろう。三階は……さっき美夏が連れていかれたし、咲耶ってやつも身内らしいから運ばれたからいるんだろう……と考えたところで何したものかと思案する。
こんなところで瞑想なんてもってのほかだし、かといって軽く運動するのも馬鹿馬鹿しい。
「俺はどうしたらいいんだ……?」
いつきの家だったら勝手知ったるなんとやらでふらふらと家の中を散歩しているし、何ならSP達が世間話(という名の稽古)をしに来るので存外暇にはならないしそれほど問題にならない。
と、ここで食堂側から気配が動いた。二人ほど。こちらに向かってくるようだ。
とりあえず来るまで待つかと思った俺は、立っているのもあれなので階段に座る。土足で行動できるのであまりお行儀の良いことではないのだろうが、まぁ立っているだけってのも変だしな。
少しだけ待っていると、廊下から声が聞こえた。
「なんでそこで待っておるんじゃ、八神君」
「急に案内役がいなくなったから動かなかったんだ」
「……妙なところで常識に縛られているのう」
妙なところなのだろうかと内心で首を傾げると、「なら、迎えに来て正解だったか。一緒に食堂に行こうではないか」と誘われたので、三階から動かない気配を感じた俺は「分かりました」と了承した。
面倒だが歩幅を合わせて食堂まで歩き、中に入って示された席に座る。座った場所は対面一人きり。
なんだこれ、新手の面接か? そう思わずにはいられないがとりあえず席に座る。
俺が座ったことを確認してから座った当主が「すまんの、八神君」と謝ってきた。
「何がでしょうか?」
「機嫌が良くなったサヨ子が、恐らく美夏を着替えさせるのにつれて行ってしまったのだろう」
「そうなんですか?」
三階まで行って動かないなぁと思ったが。しかしなぜ?
意味が分からなかったので内心で首を傾げると、それを察したのかどうかわからないが説明してくれた。
「機嫌が良くなるとな、服装を自分好みにしてしまうんだ。あれは何だろうなぁ……儂にもよく分からん」
「それはまた……難儀ですね」
「そうだな……さて、まだ向こうも時間がかかるだろうし、こちらは先に食べてしまおうか。後の予定もあることだしな」
俺に予定自体はないから正直関係ないのだが、彼らの方が忙しいのだからまぁ従っておこうと思いながら料理を眺める。
昼食だからか、それとも俺がいるからかコース料理ではないようだ。多分。かといってバイキングというわけでもなさそうだ。出された料理が肉料理とライスなのだから。スープもあるか。
肉料理はステーキなのだが、量はそれほどない。ソースがキレイにかかっているのを見ると、料理人の仕事って感じがする。俺はこんな作業する気にもならない。
まぁいいや。さっさと食べてしまおう。
「いただきます」
「空気お構いなしなのは相変わらずだな、全く」
「まぁ、らしいわい」
感心されたがもう無視して食べ続けるが……やっぱり
「うまいな……素材がいいからか下味は最低限だし、かかっているソースも肉の味を引き立てるだけで目立ってない」
「……味の感想を的確に言えるなんて、味覚が繊細なんですね」
「恐らくじゃが、そんな殊勝な感覚を持ち合わせておらんと思うぞ」
「お義父さん、私達も食べましょう」
「……そうじゃな」
「「「いただきます」」」
どうやら食べ始めるらしい。もう俺食べ終わるけど。
まだ時間かかっているのかと思いながらナイフとフォークを一旦置いた時、上の気配が動き出したのを感じた。どうやら着替えが終わったらしい。
「そろそろ来るみたいですね……ご馳走様でした」
「足りぬじゃろ、それでは」
「いつもこれぐらいですから問題はないですよ」
実際家での食事は一般家庭ぐらいだ。食べないで生活する、自分で見つけたものしか食べられないなんて普通にあったからな。
だというのに、周りから感じる視線の中身は『猜疑』。質量保存の法則に当てはまらないとでもいうのだろうか。
だけど証明する手段もないしな……と思っていると、「こちらお代わりでございます」と頼んでもいないのに同じ料理が目の前に置かれた。
……これは待った方が良いのだろうか。
そんな一瞬の思考の間に、「遠慮せずともよい。孫が迷惑をかけた詫びとして素直に食べてくれんか」と言われたので反射的に顔を向ける。
向こうもちょっとは振り回されているんだろうかと考えるが、それを逆手にとってこうして俺の存在を確認しているんだからどっこいどっこいじゃないだろうか。
……そういや今更ながら、この爺さんだけ名前知らないな? ぶっちゃけ俗世に疎すぎるせいかもしれんが。いつきに巻き込まれた時だって、早々に消えたし事前情報聞いてないからな。
まぁ聞いたところでおいそれと名を出せるわけじゃないから訊かなくても良いが。
優雅に食べている様子を見ながらそんなことを思っていた俺は、出された料理を残す理由が無いのでもう一度ナイフとフォークを持つ。
が、別に急いで食べても二の舞になりそうだなよなぁ。大人しく待った方がよさそうか。
ゆっくりとこちらに向かってくる気配を感じながら、俺はただ天井を眺めることにした。




