勉強会(2)
「……あ、れ……? ここは…?」
「十時過ぎたんだが、お前は自分で自分の首を絞めるためだけに来たのか?」
「ひゃっ、あ、つ、つとむさん!? す、すみませんすみません!!」
目を覚ました光がソファで体を起こして状況を把握しようとしたので、椅子に座っている俺は要点だけ伝える。久し振りに引っ張ってきた参考書で勉強したノートの類を眺めながら。
謝ってくるのが鬱陶しいので「さっさと勉強するぞ。そのために来たんじゃないのか?」と言っておく。
「は、はいそうでした! すみません!!」
「つとむったらそういう言い方しない。まったく、相変わらず口が悪い」
「うっせ」
お袋の声を一蹴する。光は俺の正面に座り、持ってきたカバンからノートと冊子と筆箱を取り出す。
「よ、よろしくお願いします!」
「緊張して頭に入ってませんでしたとか言うなよ」
「うっ」
こうして俺達は勉強会を始めた。お袋が俺の隣で新聞を眺めているが。
……で。光が静かに勉強をしていたのは五分も持たなかった。
「つ、つとむさ~ん」
「どこが分からないんだよ?」
「ここです、ここ。この文章の言っている意味が分かりにくくて……」
「あ? そこ別に引っかけじゃねぇだろ。素直に受け止めろよ。明らかに違うのを選べばいいんだから」
「え……あ、本当です! ありがとうございます!!」
その一問を皮切りに三問に一問のペースで訊いてくるので、流石に鬱陶しく思った俺は「お前な。少しは考えろよ。俺に台本訊いてきたときだってそうだろが」と注意する。
「うっ、す、すみません……」
「『アイドル』に選ばれたのなら自分に自信を持てよ。俺の意見に自信を持つな」
「少し厳しすぎるんじゃない、つとむ?」
「自分の仕事を他人に任せてプロだなんて言えないだろうがお袋」
「……プロ」
シャーペンの動きを止めて呟く光。それを見た俺は「そんなことは今片隅に置いとけよ。まずは目の前の課題。勉強に集中しろ」と片肘を突き、顎を乗せて呟く。一教科だけなので退屈になったから。
そんな姿を見たからか、彼女はあきれた。
「……お願いした側なのであまり強く言えないんですが、早過ぎません?」
「俺の場合憶えてるかどうかの話だし。そもそも国語の勉強なんてほぼ暗記だろ。テストだと」
「え、え~~、そんなこと言うんですか?」
「テストの場合は、って言ってるだろ。現実だと正解のない言葉の裏をどこまで考えられるかが必要になるから、暗記で覚えてたら役に立たないだろうけど」
「まさかの発言全否定!? こ、混乱させないでくださいよ!」
抗議するようにテーブルをたたいて反論してきたので、そこまでややこしくいってるわけじゃないんだがと思いながらため息をつき、仕方がないので説明することにした。
「一つ一つ整理しながら言葉を紡げよ……俺は最初『テスト勉強における国語は』暗記で十分だって言ったんだよ。別に問題文をよく読んでいれば、正解の選択肢なんて簡単に見つかる」
「なら、どうしてそれを否定したんですか」
「現実社会――ドラマとか議論とか交渉とか――で必要とされる国語は暗記に頼れないんだよ。お前だってドラマやってると分かるだろ。監督のイメージと自分の演技が合っていなくて修正受けることが。そういうことだよ。現実じゃぁ、他人の気持ちは移ろいやすく、読もうとしなければあまり考えない。だから度々事件とか喧嘩が起こる」
「…………」
真剣な表情で訊いてる彼女に勉強しろと言ったら空気が読めないよな流石に。
本来の目的忘れてないかと自分で逸らしてるのに思いながら、続ける。
「テストでの勉強を暗記で済ますのは意味がないんだよ。それを現実でも活用したいのならな。俺が言いたいのはそういうことだ」
言い終わったので水を飲むために席を立つ。自分にも言えることだが、正直現状の光にとっては一番言われるときつい言葉ではないだろうか。一生懸命やっているのは理解できるが、ステップアップする頑張りかどうかで今後の評価などに響くだろうし。
まぁこの程度でやる気をなくすならその程度ってことかと水を飲みながら思った俺が席に戻ると、真剣に問題集とノートに視線を向けている光がいた。其の真剣な表情になんでもっと早くできなかったのだろうと思いはしたが、半分ほど俺が愚痴ったせいもあるだろうし何も言わずに席に座り、見守る。
それから一時間ぐらい彼女は集中してノートと向き合っていたのだが、躓いた問題があるのかそこでペンが止まり、唸りながら頭を抱えていた。
時間がもったいないと思ったので、「どこが分からねぇんだよ?」と声をかける。
「え?」
「え、って。そもそもお前、俺に勉強教えてって泣きついたんだろ? 確かに俺は自分で考えろって突き放したが、それだったら追い出してるだろ」
「……そんな酷いこと流石にしないわよ、つとむは」
「口挟むなお袋……はぁ。何度も言ってるだろうが。考えて分からなかったら訊きに来い、って。何でもかんでもすぐに持ってくるなって言ってるんだよ」
「うっ……本当にすみません」
そこまで強く言ってないのにとても落ち込んでしまった。これでも優しめの表現を使っているはずなのにどうしてだろうか。
人に教えることなんて限りなくゼロに近かったからなぁと振り返って思っていると、「……ここ、教えていただけませんか?」と静かに問題を指さしたのでのぞき込む。
「……なぁ」
「はい……」
示された問題を見て俺は思わず言いたくなった。
「漢字ぐらいは辞書で調べたりとか携帯で調べろよ……人の手借りずにできるだろ」
「…………はい」
こいつは天然でやってるのかと疑いたくなるような感じに思わず「お前、中学のテストこれでよく大丈夫だったな」と漏らす。
「え、そ、それは勿論大丈夫でしたよ!? 仕事そんなにありませんでしたし……」
「仕事を言い訳にすんなよ……」
「つとむ。あんた、いじめ過ぎよ」
「だから割り込むなよお袋」
「あんたにその気はないでしょうが、他人のこと追い詰める口調になってるわよ。割といつも」
「…………」
何も言えないので黙る。というか、こんな風になった理由の一端に注意されてなんか腹立たしいんだが。
静かに葛藤していると、お袋は光に話しかけた。
「えっと、光ちゃんよね。テレビに出ている」
「は、はい! 知っていただき有難うございます!!」
「ふふっ。茜がファンだから一緒に見てるのよ」
「あ、ありがとうございます!」
お袋は立ち上がって頭を下げる光に対し「そこまで低姿勢じゃなくていいわよ」と言ってから「こいつったら本当にごめんね。昔っから口が悪くて」と俺を指さしながら言う。
対し彼女は「い、いえ! むしろ私が迷惑かけてばかりです!!」と否定する。
そんな社会人でありそうな光景を見ていた俺は、蚊帳の外なので黙って復習することにした。
それでもなお話は続く。
「あらそう? でもこんな傍若無人によく頼んだわね。私だったら絶対無理ね」
「そんなことは、ありますけど。でも、つとむさんはなんだかんだで面倒見いいのでこうして頼っています」
「そう……? まぁ確かに、足蹴にしながらもなんだかんだで手伝っている気がするけど」
「はい! 台本について考えてくれたり、自信のつけ方を教えてくれたりと大変お世話になっています!」
「へぇ~そうなの~」
ニヤニヤとし始めた様子のお袋。視線が俺に向いているのが分かったが、何も言うことはない。勉強の時間が無くなるだけだから。
しばらく受け続けていたが、俺が反応を示さないことに諦めたのか「それじゃ、勉強頑張ってね。私はちょっと外出て来るから」と立ち上がる。
「え、あの」
「そう緊張しなくていいわよ。勉強頑張ってね、長谷川さん」
「は、はい」
「あんたももう少し優しく教えなさいよ」
「はっ」
鼻で笑ったら割と加減なしに頭をはたかれた。避けようと試みたが、蹴りを放とうとしている準備が見えたので大人しく受ける。
ゴン! なんて音を家の中に響かせる。それに反応して光は驚いたようだ。俺はというと……。
「って」
「また頑丈になったんじゃない? こっちの手が痛いんだけど?」
「俺だっていてぇよ」
「まったく。最後のあれは余計だったでしょうに……それじゃ、あとよろしく」
「おう」
「……あ、つとむさん。この問題教えてください」
「……おう」
こうして途中昼を挟みながら時間まで勉強を教えた。
まぁ持ってきた課題の半分終われば上出来だろう。あの時間で。




