8-16 本番木曜日--1
木曜日(六月二十三日)。梅雨ということもあって雨は降り続いている。
「今日で撮影終わるといいね」
「終わらせないと駄目だろ。予定通り」
朝食を食べながら今日のことについて自然と話していると、「そういえば、今日の撮影って昨日の続きで如月君との一騎打ちからだよね」と確認してきたので「そうだな」と答える。
「……ふふっ」
「? どうしたんだよいつき」
「な、なんでもないって!!」
? いつも通り食事しながら確認していただけなのに何をそんなに慌てる必要があるのだろうか。しかも親はにやにやして茜は不機嫌そうだし。
そんな朝の一幕もあったが、今日で予定では撮影終了する日である。
雨が降っているが、昨日よりは小降りである。撮影するのに影響は少ない。
いつも通り自転車をこぎながらそんなことを考えている俺は現場へ向かう。昨日の洋司の態度も思い返しながら。
流石にあいつらは特効薬として効果覿面だったか……逆効果になる可能性もあったから諸刃の剣だったが良かった。
「……あー」
不意に夏休みにまで延びた約束を思い出し、俺はげんなりする。
まぁ例年通りやればいいはずだが……嫌な予感がするなぁ本当。
そんなことを考えていたら、何事もなく撮影場所へ到着した。
「お」
自転車を止めた俺はそのまま土手を降りて橋の下に運び、時計を確認する。
撮影時刻があと三十分ぐらいなのでそろそろ来てないとおかしいんだよなぁ……と思いながら待っているといつきから電話があった。
『もしもしつとむ? 撮影場所校庭になったんだけど』
「………………あぁ?」
『早く来てね』
そういうとすぐさま電話が切れたので、俺は黙って電話をカバンの中に入れ、自転車を持ち上げて土手を上ってから全力で自転車を無言で漕ぎ出した。
いつもなら三十分ぐらいで到着するところを全力出して十五分にまで縮めた。
心臓の鼓動が速いがそこまで息切れを起こしてない俺は、雨が降っているというのにタイヤの焦げた匂いのする駐輪場を無表情で後にして校舎へ向かう。
撮影場所の変更は昨日時点ではなかった。となると今日の出席確認の時に決まったのだろう。だから彼女が電話をかけてきた。これ以外に考えられないな。
非常にイライラする気持ちを必死に抑え込みながら、何かにストレスをぶつけないように自生しながら合羽の水滴を落として校舎の中に入った俺は、なぜか美夏と遭遇した。
「あらつとむ君。おはようございます。遅刻ですか?」
「…………」
「……大丈夫ですか?」
俺が返事をしないのか心配そうな表情をする美夏。それとも、俺の雰囲気に怯えているのだろうか。
まぁどっちでもいいか。そう結論付けた俺は「大丈夫だ」と答えて他に言われる前に教室へ向かった。
「悪い」
「いえ、私の方こそごめんなさい。撮影場所を急遽変更してしまって」
「気にするな」
委員長の謝罪に俺は本音を抑えぶっきらぼうに返す。もう子供ではないのだし、そもそも撮影場所の変更なんてよくある話だろうから、文句を言ったところでどうすることもできない。
というより加減がきちんとできるのかが今更不安になってきた。苛立ちはどこへやら。そんなことを考えたら俺は急に気持ちが沈んだ。
さっきまで全力出してきたからそのまま体がトップギアに入ってそうだな……リラックスしたり深呼吸して体を落ち着かせないと撮影できるかどうか。
もう本番だから適度に加減できないと下手な失敗よりきついぞ……と自分を追い込んでいると、委員長が「頑張りましょう」とエールを送ってくれたのが聞こえたので、大きく息を吐いて覚悟を決めた。
人影のあまりない校庭。小降りの雨が降っている中、俺は仁王立ちで待っていた。
合羽も着てない学ラン。打ち付ける雨に体温を奪われながらも表情一つ変えずに校庭の真ん中にいると、傘を差しながら走ってきた洋司――伊藤翔也。
彼は俺に気が付くと段々と速度を緩め、呼吸を整えながら近づいてきた。
「おそかったな」
感情一つ見せない冷静な声が校庭内に響く。撮影班も様々な角度に散っている。
俺の言葉に対し如月は息を整えながら「黒井さんは……どこですか……!」と質問してきたので、まぁ理由としては妥当かなんて頭の中で評価しながら「それを知ってたとして、俺がそれを答えるわけないだろ」とはぐらかし、その話題を流すように「ところで、いじめてたやつらに男見せて勝ったんだったってな」と問いかける。
「……あなたこそ、それを聞いてどうしたいんですか?」
「別に。素直に感心しただけだ。よくこの短期間で勝てたな、と」
「鍛えましたから」
「そうか……で? 今度はその鍛えた力で答えない俺の口を割らせるってか。野蛮だな」
「どっちが!!」
「どっちもだろ。俺達は社会にあらがって暴力で支配してるし、お前だって今から俺に暴力をふるうんだろ? その黒井って知らない奴の場所を知ってるかどうか確認するために」
「……本当に知らないんですか?」
それに対し俺は肩をすくめてから「どっちがいい?」と煽る。実際は彼女がこの前でどうなったのか知らない。
それに対し彼は冷静になったようで「すみませんでした」と言って帰ろうとしたので、「まぁここまで来たのも何かの縁だ」と言葉を投げかける。
「なんですか?」
「俺はお前の学校のまとめ役だ。俺を倒せたなら他の奴等からいじめられることなく、平和に過ごせるしその黒井ってやつの目撃情報もすぐ出てくるだろ」
それに対し彼は警戒心むき出しで「野蛮だって非難したくせに、よくそんなことが言えますね」と傘を放り投げて振り向きながら言った。
「不良(俺達)の世界は暴力で決めるんだ。野蛮結構。ただお前が慣れてないことをするから言っただけだ」
そう言いながら腕を組み、俺は言った。
「俺が『駄目だ』と思うまで攻撃して来い。反撃も避けもしない。そのうえで俺に片膝をつかせたら負けでいい」
「……随分余裕ですね」
「そうか? もちろん、金的とか目潰ししようとしたらすぐさま反撃を加えるからな。お前は俺達と違うのならそのぐらいは当然だろ?」
「……分かりました」
そういうと彼は右足を少し後ろに開いて腰を落とし、短く呼吸してから「ハッ!!」と右の正拳突きを俺の腹部に繰り出す。
前回とは比べ物にならないほど力のこもった一撃だったが、それでも俺にダメージ的なものはない。せいぜい「お、少しはマシになったな」程度である。
「どうした? これで終わりか?」
どこかの魔王みたいなセリフを吐いてる自覚をしながら伊藤の反応を見てみると、少し呆けてから眼に再び闘志が宿り「まだまだ!」と叫びながら今度は左のストレートが繰り出され、すぐさま右、左……のラッシュへ移る。
しかしそれでもマッサージ程度かなと思える俺は段々と飽きてきたので、右足の蹴りを左手で受け止めて「お前の負けだ」と言いながら空いていた右手で拳を作り、滅茶苦茶手加減して腹部を殴る。
「がはっ」
もろに入った彼は段々と目を閉じながら右側へ倒れこんだので足を放すと、そのまま地面に到着したころには目を閉じていた。
カメラに映らないように脈の確認をした俺は生きていたことに内心で安堵しながら「――これで後は俺が負けるだけ。そういうシナリオか、おい」と後ろに確認する。
「そうだね」
「お前、絶対に振られるぞ」
「そこはほら、お兄ちゃんが気付かせないようにしてくれればいいじゃん」
「元だろうが。だいぶ調子のいい使い方しやがって」
「それじゃ、頑張ってね」
そういうと彼女は校門の方へ傘をさしてる状態で向かったので、俺は伊藤の傘と本人を回収して校門へ向かった。
「はいオッケーです!」
校門を出てから少しして声がかかる。洋司を肩に担ぎ片手で傘を持っているが、先程まで濡れていたから危うく滑らせそうになる。
もうこのまま現場行ったらこいつ起きそうだなと思いながら校舎の方へ戻る。普通に、ゆっくりと。……まぁそれでも人を担いでいるには速過ぎるんだろうが。
とりあえず昇降口の中に入った俺は傘をたたむために洋司を下ろして傘をたたむ。
「だいぶ濡れてるね。はい、タオル」
「サンキュー……準備良いな」
「ん? 委員長が用意したんだよ。『どうせ濡れるでしょうから』って」
「ふーん」
いつきから渡されたタオルで頭の水滴を拭き取る。一応顔も拭きたいが、メイクがしてあるのでタオルが汚れる。一度洗顔してからの方が良いのだろう。
洋司の方はというと、いつきが頬を叩いて起こしていた。
「う、うぅ……」
「あ、ちゃんと手加減できたんだ。いつもなら半日ぐらい何されても反応できないぐらいの手加減なのに」
「ま、人間やれば出来るんだろ」
首を回しながら答える。というか、俺の手加減の度合いをどうしてこいつは知っているのだろうか。目の前でやることなんてほとんどなかったはずなんだが。
……まぁいいか。考えても怖い想像しかできなかったのでやめ、体を起こした洋司を見て「前より力伝わってるじゃねぇか」と褒めておく。
「え、そう、そうかな?」
「最初なんて痛みを感じる以前の問題だったしな。軽すぎて」
「……」
黙ってしまったが本当のことだったので何も言わず「体拭けよ」と言ってから学ランを脱いで雑巾のように絞り、水気を切る。
「こんなもんか……って、どうしたいつき? 顔を背けて」
大体乾いたので次はワイシャツの方を乾かそうかと思ったところ、いつきが顔を赤らめて頬を染めて背けていたのが見えたのでつい聞いてみる。前はそんな反応なかった覚えがあるから。
見慣れてるなんて言い方はおかしいだろうが、そこまで恥ずかしいものだろうかなんて内心で首を傾げていると、「じゃ、じゃぁ僕は委員長に言ってくるから!」と言って逃げてしまった。
そんなに答えづらいものだったのかと思いながら、普通にワイシャツとTシャツを脱いで上半身裸で同じようにそれぞれの水気を飛ばす。
と、ここで洋司が呆けてみていたのに気付いたので「風邪ひくぞ」と注意すると「……すごい引き締まっているね八神君」と褒めてきたから「そりゃそうだろ」と言いながら乾いた服を着ていく。
替えがないからなぁと特注の制服について考えたところで、ようやく周囲の視線が気になった。女子からは歓喜当たりの、男子からは羨望の視線を。
なんでそんな視線を受けているのが理解できない俺は制服を拭いている洋司に「もう一着持って来いよ」と話を振る。
「あ、うんそうだね」
頷いた彼が拭き終わったのか教室へ向かおうとしたところ、彼女が来た。
「洋司! あんた大丈夫なの!?」
「水姫! 大丈夫だよこれぐらい!! それより、そっちもテストなんだから頑張ってよね」
「……生意気よ洋司のくせに」
「言ったじゃん。変わるって。あの言葉を実現してるだけさ。母さん達は驚いたけど喜んでくれたし」
以前のような気弱な態度は鳴りを潜め、男らしく反論されたことが予想外だったのか彼女は俺を睨んでから洋司に視線を戻し、「……そう」と寂しそうな口調で呟いてから「それなら頑張りなさいよ独りで」と彼にエールを送ってから踵を返してどこかへ行ってしまった。
……う~むこれは……。
現状の痴話喧嘩で理解できたことに関して頭を悩ましていると、そんな気も知らない彼は「あ、行ってきますね!」と言って教室へ戻った。
本人がいなくなったので俺は息を吐いた。
「……ったく。こりゃまた別な問題が発生したな」




