8-6 水曜日午前
撮影三日目(十五日水曜日)。
出席確認を電話で済ませた俺と如月は、昨日の続きの撮影を始めた。
「体力づくりはこっちでもできるが、こちらにできるのは対峙した時の恐怖を抑えつける精神力を鍛えるぐらいだな」
「え、ど、どうしてですか?」
どういう鍛え方をされるのか聞いた俺がそう言うと、首を傾げて質問してきたので「型の練習というのは一朝一夕で身につかないからだ」と断言する。
「さて。それについて詳しい話を聞きたければ道場で小僧を鍛える奴にでも聞け。さっさと始めるぞ」
「え、あ、ああはい」
「まずは体力をつけるためにこれを腰につけて走れ」
「え、この紐をですか」
「ああ」
茂みの中に隠されて見えないがタイヤが二つくっついているひもを如月は言われた通り腰に結び走ろうとするが、ゆっくり体を動かして一歩一歩足を踏み出すだけ。
頭たちに鍛えられてなければこれすらも厳しかったんじゃなかろうかと思いながら「橋の手前まで行ったらこっちまで戻ってきて一往復。それを五往復だ」と指示を出す。
「……は、はい…!」
それを十分かけて終わらせ、肩で息をしている如月に対し、俺は非情にも「次だ」と言う。
「……え」
「インターバルは一分だ。それ以上は次の練習の間で何とかしろ」
「それはっ」
「だったらもう来るな」
「……っ」
魔法の言葉を言われた彼は歯を食いしばったかと思うと、なんとか足腰に力を入れて背筋を伸ばす。呼吸が荒いままだが。
「ふん。最初からそうしてろ」
鼻で笑って吐き捨てた俺は、立っているのがやっとの様子の彼に対し「体を竦ませるな。目を開けてきちんと相手の動作を見ろ。これからは、精神力を鍛える」と言ってボクシングの構えをする。
「……え……それって……」
「見ないで殴られるのと見ながら殴られるのだとだいぶ違う。怖くても見ろ。攻撃してくる奴の動きを。脳が嫌がっても、理性が拒絶反応を起こしても、それを抑えつけろ。そうでもしないと、鍛えた力も意味がないからな」
そう言い切ると、如月の肩が震えていた。顔が怯えていた。足が固まっていた。
余程トラウマなのだろうかと思いながら、「遠慮はしない。情けない避け方をしたと判断したら容赦はしない」と言って寸止めの右ジャブを放つ。
「ひっ!」
如月が反射的に顔を背けてしゃがんだので、俺は「甘えるな」と言ってしゃがんだところを蹴り飛ばす。
「がっ!」
腕ごと蹴られた彼はそのまま背中から倒れこんだ。
それを見下ろしながら俺は言い放つ。
「言ったよな? 情けない避け方をしたら容赦をしない、と」
「……ハァ…ハァ……は、い……」
「続けるぞ」
そういって俺は如月を立ち上がらせ、同じようにパンチを繰り出す。
何度も。何度も。何度も何度も。
そして二十回に到達しそうになった時、彼は初めてジャブの寸止めに目をそらさずに避けた。
「やれば出来るな……だが、いささか手間取り過ぎだ。今日はもう終わりにしよう」
「……」
返事がない。至る所を蹴られたり殴られたりした彼に応答する気力も残っていないようだ。
「さっさと帰れ。事故に遭うなよ」
「…………ありが、とう……ございました」
振り絞る声で礼を言った如月はフラフラとした足取りで河川敷を後にしたので、黙って見送った俺は「明日も来るかあいつは?」と漏らした。
「OKです!!」
張りつめていた空気がほどける。俺は大きく息を吐き、かなりボロボロになった如月は「疲れたー」とぼやいている。
「お前ジャブで二十回とか遅すぎ。せめて半分以内に収めろよ。そうしないとストレートとかアッパーとか繋げられなかっただろ」
「う、ご、ごめん。だけどつい反射的に、ね……」
「お前もそろそろ卒業しろよ。ビビりは役だけにしとけ」
「うっ。本当に痛いところついてくるね……」
「事実だからな」
「……テストでは頑張るよ」
「おう」
そんな雑談をしていると、「じゃぁ時間もないし、今日ですべて撮りたいから如月君巻いていこう!」と撮影班が言ってきたので「えっ」と如月は肩を落とした。




