7-6 俺が?
前回が短いと今回が長くなるのはもはやおなじみになってきました
用事などで練習は六時ぐらいまで続いた。進行的に言うと前日よりは良くなっているぐらいだろうか。台本なしでやろうとすると全然だめだが。
ここに演技まで加わるというのにテスト本番大丈夫だろうかと思いながらバイトへ向かうために自転車にまたがると、いつきが「バイトかい?」と訊いてきたので「そうだよ」と返しておく。
「少しでも稼がないとな」
「ふ~ん。頑張ってね」
「おう」
なんで含みのある感じだったかわからなかったが、俺はそのままにして自転車をこぎだした。
その、少し後。
現在俺の目の前に黒塗りの高級車が止まっている。自転車を急に止めたのでタイヤの焦げる匂いがそれなりにする。
マジでなんだ自転車壊れたらどうする気なんだと思いながら不機嫌を前面に出して自転車を降りたところ、車の方からも人が下りてきた。
見覚えがあり過ぎるその人物に俺は思わず驚いた。
「え、柊哉さん!? どうしてここに?」
「やぁつとむ君久し振り。娘は元気かい?」
穏やかな笑みを浮かべている身長百六十後半、中肉中背で人がよさそうな顔立ちのスーツを着こなしている男の人――本宮柊哉。日本における現代貴族筆頭である本宮家の現当主で、うちの親父とは高校の頃からの親友。今でも極稀に親父と一緒に飲みに行くらしい。
しかし今家の中いないはずなのにどうして戻ってきたんだろうかと思いながら「いつきは元気ですよ」と答える。
世界各地を飛び回り、会社の会議やなんだで忙殺されているこの人は、それでもたまにこうしてこっちに戻ってくる。そして時間があればうちに来る。
そんな人だから俺に直接来たということは時間がない中なんだろうなと推測していると、「これからバイトかい?」と訊かれたので頷く。
「時間ありませんがね」
「なら一緒に帰ろうか。自転車ならそのまま詰め込め……って、その自転車特注だったね確か」
「はい」
そう。俺の自転車はフレームからブレーキまですべて特注で出来ているので重いのだ。軽トラなら難なく乗せられるが、乗用車では難しい。
なんで重いかというと、俺の力に耐えうる部品を作った結果。一般に売られているものだとペダルを踏んだ瞬間に折れたり、フレームが割れたり、ハンドルが壊れたりするのだ。ついつい力を入れてしまって。
どうしてもここだけは加減ができないのでもう特注を商店街の自転車屋さんの知り合いに頼んで作ってもらった。費用はなぜか払う必要なかったが(彼は実験台にされたことを知らない)。
とまぁそんなわけでこの非常に重い自転車を車に乗せていくわけにはいかないのだ。
「それならSPの一人にこがせればいいかな。多分、大丈夫だろうね」
すると徐に隣に立っていたSPが俺の自転車に乗りペダルをこいで確認したのか「問題ありません」と言った。
ペダルだけで十キロあったっけ? なんて思いながらゆっくり進んでいる姿を確認した俺は、携帯を取り出してマスターに電話を掛ける。
『もしもし?』
「マスター?」
『どうした? こっちはお前がいないから閑古鳥だよ』
「ああーそれはすまん。けど、今日は無理だわ」
『あっそ。明日はちゃんと来いよな』
「確約はできん」
そういって電話を切る。
そして自転車に四苦八苦してるらしいSPを見ている柊哉さんに「帰りましょうか」と提案した。
「それで、最近娘の様子はどうですか?」
後部座席に隣同士で座った俺達の開口一番の話題はやはり、いつきのことだった。
「俺よりクラスに馴染んでいますし、元気にやってますよ」
「そうですか。ところで、最近女っぽくなりました?」
いきなりそんな質問をされたので俺は二の句が継げなかった。
……いやまぁ、事故の後の発言から段々とフィルターが外れていって女子としては見れるようになったが、長年の関係性がそのまま引き継がれてしまったのでどうとも言えない。
「……まぁ」
「そうですか。私から見ても静歌さんに似てきて嬉しいですよ」
どこか切なそうな、それでも親として嬉しいのか複雑な表情をしながら返してくる。
静歌さん、というのはいつきの母親であり本宮家の一人娘だった。
だったというのは、亡くなっているから。確か、病気で。いつきが幼い頃に。
それ以上のことは柊哉さんにも聞いていないし、親父も教えてくれなかった。俺が聞いてないというのもある。
どことなくしんみりとした雰囲気の中で、「あ、」と柊哉さんが話題を変えるように言葉を漏らした。
「そういえば、ありがとうねあの件」
「あの件、ですか」
「そう。この町にちょっかい掛けてきた人の件」
「ああ……」
「娘は知りませんよ。この件は知らなくていいものですからね」
そういって息を吐く。その姿を見て修哉さんも色々なところに突っ込んでるんだなぁと察し、やっぱりいつきに喋らなくていいやと思い直した。
再び静まり返る車内。
そこに話題をぶち込んできたのは、やっぱり柊哉さんだった。
「ねぇつとむ君」
「何ですか?」
「君ってさ、怖がりだよね?」
「はい?」
……怖がり?
一度も言われたことのない、一番遠い言葉を言われ、俺は返答に困る。
「本当は前から言おうと思っていたんだけど、君に話しかけることがなかったからさ」
「そうっすか……で、怖がりとは?」
「自分のせいで誰かが傷つくことが嫌なんだろ? だから君は人を寄せ付けようとする気がない」
「……」
「最初から自分で距離を取って誰とも親しくならなければ悲しむ人なんて少なくて済む……そんな思考かな? そんな考えの時点で、ずいぶん臆病者だと思うけどね?」
反論ができない。そういう考え方に沿うと、心当たりがあり過ぎて。
なんでいきなりそんな話題から入ったのか分からないが、何も言い返せない俺が黙っていると「……すすむもね、あいつも、だいぶ危ない目に遭っていたんだよ。僕からしたらね」と語りだした。
「まぁ本人は全然気にしてなかったみたいだけど。死なねぇよこんなんじゃって笑ってたからね」
「へぇ」
親父の場合嬉々として向かっていくだろうからな……なんて想像しながら返事すると、「一度ね、死ぬのが怖くないのかって訊いたことがあるんだ」と言ってきた。
俺は親父にそんな質問をしたことがない。する気がなかったとも言える。
俺は親父がどういう育ちをしてきたのか考えたことがない。自分のことで手いっぱいだったから。
「答えは『こんなんじゃ死なないよ』だってさ。確かにあいつが死ぬような場面、想像できないけどさ」
「まぁそうですね」
「君だって死にたくないって思っているんだろ? だったら人を引き離すような態度はやめた方がいいんじゃない?」
……そう、なんだろうか。
言われた言葉が、自分の心が、まるで急に理解が出来なくなった。
俺が守ろうとしている自分の気持ちっていうのは、一体……。
ずぶずぶと思考回路が嵌っていくのが分かるが、こういうのは人間の性なのか止められなくなってしまう。
そのまま長考に陥ってしまったことに気付いたらしい柊哉さんは「あ、あくまでアドバイス程度だからそれほど真剣にまだ考えてもらわなくていいんだよ?」と言い出した。
「人っていうのは存外他人の言葉に影響を受けやすいからね。自分の考えって、ある程度は必要になるんだよ。向こうの思惑通りの結論になって気がつけば後の祭り、なんて世界じゃ多々あるからね……」
そんな自身の経験を語ってくれたので俺もこの思考をいったん止め、「難しいですね……」と返答する。
「柊哉様。そろそろ到着いたします。それと、これから一時間後にはイタリア行きの飛行機に乗らなくてはなりません」
「そういうことだからごめんね、つとむ君。娘をよろしく。それと、話を聞いてくれてありがとう」
「……いえ、こちらこそ」
そう、お礼を言って俺は車から出る。
自転車はいつも通りに置かれており、後ろでは車が発進した音が聞こえた。どうやら時間がないらしい。
だが、今の俺にとってそんなことは非常にどうでもよかったため、ふらふらと家の中に入ることにした。
「お帰りお兄ちゃん! ……元気がないけど、どうしたの?」
「そうか? それなら、学校の件が色々あるからな。そのせいだろう」
あながち嘘でもないが大本は言わずに靴を脱ぎ、そのまま自分の部屋へ向かう。
そしてベッドにカバンを放り投げてジャージ姿に着替え、そのまま下に降りてリビングへ向かう。
「親父」
「何だつとむ?」
見ると親父は夕飯を食べている最中だった。みると、俺の分も用意されている。
自分の席について夕飯を食べ始めることにした俺は、「久し振りに喧嘩しようぜ」と切り出す。
その瞬間、この空間の空気が凍った。
「……いいんだな?」
「ああ」
即答すると親父は静かに息を吐いてから食事を再開する。茜は「どうして『喧嘩』するの?」と訊いてきたので「色々あってな」と誤魔化すことにした。多分、親父とお袋は気付いているだろう。いつきはどうか知らないが。
まぁとりあえず了承はもらったので俺も食事を続けることにした。




