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Cubic Loop

作者: マッケン

 世界の人口は2200年を迎えた時点ですでに200億を越えていた。21世紀初頭から数多の戦争が起きたが、それでも尚、人口は減ることは無かった。その理由の最たる例が俗に言う魔法と呼ばれる技術の台頭にある。

 ダークマター、ダークエネルギーと呼ばれる未知の法則の解析が進んだことにより新たに生み出された技術。それらは一見すると物理の法則を無視するかのような働きをするため、畏怖と尊敬の念を込めて魔法と呼ばれているのだ。

 その魔法の普及により人の生存率は格段に増加した。その結果、人口が増加したのは想像に難しくない結果だった。だが、その増えた人口を支えるだけのキャパシティが地球という星には無い。単純に面積が足りないのだ。そのため人は人の数を、生を、死を完全に管理する術を模索することとなったのだ。

 そして、これから描かれるのはその試みの一風景。実験の中に生じるどうしようもない人の心の問題と限界だ。














 完全なる無明が揺らぐのを彼は感じた。それを感じた時から彼の新しい一日が始まる。

 一度強く閉じられた瞼が震えながら開く。刺激を感じさせない空が彼のその色素の薄い瞳に映る。彼が全力で跳躍しても拳一つ分届かない微妙に高い空が。

 微睡みから醒めた彼は何の感慨も抱くこともなく、瞳を動かさずに凝りを解すように首だけを左右に動かした。

 大股で三歩歩けば端から端まで辿り着ける空間がそこには広がっている。その空間全てが空と同じ色で染められている。

 そこは彼にとっての世界で、彼が生まれ育った全てだった。その世界には他に何もない。ただ生きていく為だけの場所。

 ここでは喉が乾けば水分が、空腹を感じれば栄養となる物質が適量口腔内を満たす。温度の変化は無く、汗をかくこともなければ鳥肌が立つこともない。決して不自由することの無い世界。適温以外の温度を知らない彼には例えることの出来ない例えをするならば、ぬるま湯のような世界だ。

 その世界が時を刻んでいると感じるのは自分自身の体に変化が訪れる時のみ。それ以外には動きの全く無い静寂が支配する世界だ。

 有を変化率、変動の触れ幅であるとするならば、ここは限りなく無に近い場所。ただし、その事を彼は不思議に思うことはない。彼にとってその世界と自分以外に知っている事は何もないからだ。

 そんな虚無の中にあって、彼は最近変化を感じていた。触覚も味覚も嗅覚も視覚も聴覚も何も感知するものは無い。だが、確かに胸騒ぎがあった。予感があった。そしてその第六感が告げている事があった。それは今日、それが訪れるという事だ。

 それは絶望か終焉か破壊か混沌か、いずれにせよ彼のこの世界が今の形を保つことはない。それだけは不思議と確信があった。

 どうも落ち着かない。焦燥にも似たざわめきが彼の心に小波を起てる。無意味に立ち上がったり、二歩進んでは二歩戻ったり、軟らかさの変わる地面に寝転んでみたり。時間と言うものを空腹などの体調の変化以外に感じたのは何時以来だろうか、と彼は確かめようの無い事を考える。そうすると余計に時間は長く感じた。

 はた、と彼は背中に滑る感覚に跳び跳ねるように上体を起こした。

 汗だ。汗がじんわりと肌を濡らしているのだ。それは彼がこれまで体験した事の無い、この世界では起きようの無い現象だった。

 世界はすぐさま彼の体調の変化を覚知して世界の温度を気持ち下げた。だが、彼はそれを心地良いとは思わなかった。彼が知らない事象であるが決して暑い訳では無いのだ。無いのだが、汗は止まらなかった。知る人がその現象を診断したならばこう言うだろう。冷や汗、と。

 そう。彼はついに触覚で予感を感じ取ったのだ。迫り来る予感――未来――を。

 次いで彼はこれまでなった事の無い息苦しさを味わう。体の中から響く鼓動が大きく木霊する。心臓が早鐘を打つ。興奮する。

 その興奮を察知して世界はまた温度を下げる。彼の口の中に溺れない程度に水分が現れ、喉を犯すように体内に吸収される。それでもなお、彼の鼓動はそのリズムを加速させる。

 いよいよ彼は、ただじっとしている事が出来なくなる。三歩で辿り着く世界の果てまで迫ると手を当ててどんどんと音を立てる。響き渡る音がより彼を昂らせる。

 この時、彼は初めて痛みを知った。

 手が赤く染まり、そこから流れ出る液体を初めて見た――――血だ。

 自分と世界以外に色を知らない彼には未知の存在感が自分の痛みの中から現れた。それを見て彼は戦慄する。

 これが予感の答えだったのかと。だとすればそれはどんなに期待外れだったのだと。

 自分を侵す熱が急速に抜けるような錯覚が彼の身を縛る。

 曖昧な好奇心に踊らされていたと知り、身動きがとれなくなりそうになったその時、彼の聴覚がこの世界で初めて異音を捉える。自分が奏でるリズムとは違うビートを。その波動が世界の果ての更に奥底から伝って鼓膜を震わせたのを確かに感じた。

 その響きは彼を再び高鳴らす。気付けば彼は未知の来訪に歓喜の雄叫びをあげる。その激情が再び世界の果てを揺らす。

 ここにいる。そっちは何だ。と世界の果てからその先へと向けて手を叩き付ける。それに返事をするようにまだ見ぬ彼方から同じ様な音が響く

 それを繰り返す都度、ばらばらだったリズムは共振を始め、徐々に、だが確実に重なりあう。そして音は吸い寄せられるように接近する。それが在るべき形だと言うように。

 世界の果ては止まない振動に悲鳴をあげる。いや、それは産声だ。何故ならばここはただ止まっていただけで、まだ始まってすらいなかったのだから。

 嘗てこれ程まで世界が音に満ちた事はない。360度余すこと無く響く讃歌は誕生の祝詞だ。

 そしてその時は刻一刻と近付く。そして世界は割れた。

 これまでと全く違う音が鳴る。それはさながら夜明けを告げる鐘のように。

 世界に罅が入る。さあ、誕生だ、と徐々に押し広げられ、世界の果てから異世界が姿を表す。その異世界を見れば彼のこれまでいた世界のように三歩分の広さしかない。同じ様な場所だった。

 そして生じた亀裂の先からは彼と同じ色と形をしたモノが姿を覗かせていた。それを見て彼は不思議な高揚を感じた。さっきまでとは違う、血のうずきではなく血の導きを。

 本能のまま彼は手を伸ばす。つられて異世界の彼も手を伸ばすと、柔らかな温もりに触れた。

 楽園が終焉を迎えた時、それが彼が人の温もりを知った初めての日だった。







 以上が失敗に終わった実験の顛末である。

 人と人の繋がりを断ち、欲を枯れさせ、無知を強制して閉じ込める。完全な管理実験であったが、それは本能という人間が元来備えているものを前に余りに無力だった。彼らは惹かれあい、壁を壊し、出会ってしまった。人と人の関わりが憎しみや争いを生むことになるから隔離していたというのに。

 だが、それも致し方ないことなのかもしれない。結局のところ人は一人では繁栄出来ない。そんな機能不全に陥れば当然ながら問題を解決しようと動くのは至極自然なことである。

 今後、人口を減少させる以外に手段が見付からなかった場合、人間はどのような結末に至るのかは想像出来ない。だが、彼らが見せた表情。人と人との繋がりに本心から喜ぶ姿は、実験の失敗とは裏腹に未来に希望を抱くに足るものだった。


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