盛夏戦編 第01章 第09話 澪VS小幡
今回使用するのは、演習授業と同じように、演習場と同じ空間を再現したフィールドだ。
個人練習の延長と言う名目で借りているためと言う理由もあるが、主たる理由はフィールドによる優劣をなくすためだ。
「窒素の鎧!オラぁ!」
先手を切ったのは、小幡だ。気合一発、掛け声とともに猛然と突っ込んでくる。
《補助器》の武器化は行わず、単なる《能力》発動の補助として使用したらしい。
声を出して《能力》を使う。一見無駄に思える行為だがきちんと意味はある。
《補助器》を使用して《能力》を使う場合、イメージを《補助器》に伝えなければならない。
声に出す事で、自分自身が使用しようとしている力を正確にイメージし、脳内のイメージだけではなく、音声でも補助器にデータを送る事によって、《能力》の高速発動を実現しているのだ。
もちろん、単純な《能力》であれば、音声入力なしで実行する事もできるし、もっといえば《補助器》を使用せず、《能力》を使用する事も可能だが、それは《能力保持者》の技量に完全に依存する。
あえて、音声入力込みで《能力》を発動させる事で、気合をいれる人間もいるし、最初の方は、実力を隠蔽するために音声入力を使用する事もある。
能力発動も、その後の攻撃も先をとったのは小幡だったが、別段、澪の《能力》発動速度が小幡より劣っているわけではない。
単純に彼女の戦闘スタイルが、後の先を取るタイプだからだ。例え始めて戦う相手であっても、それは変わらない。ある意味では、どんな攻撃でもダメージを受ける事がないと言う自信に裏付けされた悪癖とも言える。
彼女が唯一脅威とみなす、ただ一人の兄を除いては……だが。
どう言う能力かはわからないが、常人離れした速度で踊りかかってくる小幡。
しかし、澪にとってはそれだけである。
ただ早いだけの、見え見えのテレフォンパンチだ。躱すのは、訳もなし。
(ぎりぎりで避けてカウンターで沈めてしまうのは簡単だけど、それで実力を見せた事になるのかしらね?)
と胸中でつぶやきながら、早いだけのテレフォンパンチだと揶揄したそれをかわそうとした——
「窒素の檻!」
澪が動く前に、小幡の能力が発動した。
何かの攻撃をしかけられたが、ぱっと見には何も起こっていないように見える。前提知識なしに見た場合、外から見ている彼女の兄たちには何が起こったかは分からないだろう。
この場にいる面々で正確に事態が飲み込めているのは、攻撃を受けた澪と《能力》の発動者だ。
どう言う事態なのか、一切体を動かすことが出来ない。
眉をひそめる澪に、観戦者も事態を把握する。
「この試合に、リタイアは無いぜ!戦闘不能になるまでぶん殴ってやるよ!」
そして、小幡の拳が澪の顔へと突き刺さった。
「ぎゃああ!」
無防備に直立している澪に、不条理な一撃を加えたかのようにみえたが、果たして無様な悲鳴をあげる事になったのは、小幡の方だった。
小幡の拳が澪に突き刺さった瞬間、澪の姿が炎へと変わったのだ。
炎が立ち上ったのは、数秒にも満たない時間だったが、炎が収まった後には脂汗を浮かべた小幡の姿があった。
「なるほど。気体操作……ニトロゲンと言う名前から察するに、窒素限定の《能力》と言ったところかしら。窒素の鎧と言う技は身体に窒素をまとい、防御力と突撃力を得る技。窒素の檻と言う技は、周りの窒素の分子運動を止めて動きを封じる技と言ったところかしら?」
見当違いの場所から、一度見ただけの《能力》を解説する声に、小幡はヤケドの痛みを忘れ、驚愕に表情を塗り替える。
「察するに、その窒素の鎧も衝撃は防げても熱を防ぐ事はできないようですね。操作系であれば、伊織のように熱の伝道を遮る事で実行可能でしょうが、移動する対象の周りを覆い続ける必要があるため、演算領域が足りないのかしらね」
つまらなさそうに、澪が告げた。
完全に外部から隔離されたモニタルームに、小幡以外の内定者と、文弥の姿があった。
「何が起こったか一切分からない」などと言う者はさすがにこの場にはいなかった。
もともと、内定者である小幡の能力を知っているものがほとんどだったため、実際に実物を見たのは初めてでも、何となく推測がつくだろう。
それでも、『澪がテレフォンパンチを躱す事ができず、仕方なく本体だと思わせていた操り人形を燃やしたのだ』と気がつけた人間は何人いただろうか。
文弥自身も、躱す事ができなかったと気がつくまでは、小幡の能力には気がつく事ができなかった。
窒素は、映像に映らないので、仕方がない事ではあるのだが。
「ほう、一度見ただけで、あそこまで分かるとは思った以上だな」
鏡子が面白くて仕方がないと言った様子でごちる。
「俺たちの仲間うちに、気体制御の《能力保持者》がいるからな。見たところ、、窒素に能力が限定される事によって、演算に余裕があるみたいだな。澪はああ言ったが、あの窒素の檻を併用しなければ、熱遮断の障壁くらいはれそうだ」
「こうして映像を見ただけで、そこまでわかるのか?」と言いたげな鏡子の視線は無視して、文弥は視線をモニタへと移した。
「ずいぶんベラベラと、他人の《能力》をしゃべってくれるもんだな……てめぇの方はわかりやすいな。ファイヤースターター。パイロキネシストか。どうやって瞬間移動したのかはわからねぇが、動きを止めてしまえば……」
そう言って、唐突に窒素の檻を発動する。
目に見えぬ檻に囚われたと思われた澪は、またもや炎に包まれ、またもや見当違いの場所へと姿を表した。
もちろん瞬間移動などではない。
大量に並べた、澪の人形を蜃気楼の原理で光を全反射させ隠し、攻撃を受けるとともに燃やして、新しい人形を見せているだけだ。
検知系の《能力》を使用したところで、精巧に作られた人形と本物の澪を見分ける事ができる知覚力を持つのは一握りだろう。
窒素を操るだけの能力者であれば、そのように高度な検知力を持つわけもない。
しかも、どうやら彼は澪の目論見通り、瞬間移動を行っていると勘違いしているようだ。
今モニタルームにいる内定者の中で、事実に気がついているのは何人いるだろうか?
思考は一瞬にも満たない時間。防がれるとは思っていなかった攻撃を防がれて呆然としている小幡へ、始めて攻撃を向ける。
「――|CREATE TINY《極小の》 FIRE」
澪のつぶやきと共に、小さな火球が生み出され、小幡の足元に着弾する。
見た目は、小さな火の玉といった形だったが、着弾した途端、焼夷弾のように炎を撒き散らした。
しかしながら、小幡はその炎の中心で不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「お前の言うとおり、動かなければ熱遮断障壁くらいはれるさ。それによ、炎ってのは、酸素がなけりゃ燃える事はできないんだろ?」
言うと同時に、小幡を焼き尽くそうとしつこく努力を続ける炎を、跡形もなく吹き飛ばした。
窒素の竜巻に炎を巻き込む事で、消火したのだろうと澪は推測した。
「なるほど。パイロキネシス系の能力者対策は完璧と言うわけだな。最初のは、油断だったのか」
「そもそも、彼女の能力が何であるかを知らないまま戦いに挑んでいるのだから、仕方が無いな」
と、観戦している生徒たちが口々に感想を口にする。
しかし、彼等の感想はただの表層にしか過ぎない。
モニタ越しであったとしても目敏い者は気付くだろう。
澪のそれは、文弥のクラウ・ソラスとは違い、熱で光を反射させるため注意深く見るとわずかな揺らぎが見える。
暗ければ例えBランク相当の《能力保持者》であったとしても、なかなか気がつくことは出来ないだろうが、演習場を模したフィールドは昼間の屋外と同等の明るさだ。落ち着いて観察すればCランククラスであったとしても景色の揺らぎを見付けることができるだろう。
人形の操作・作成、熱による光の全反射、そして先ほどの火球の三並列実行だ。
さらに言えば、小幡が窒素の竜巻を作った際、その影響で透明化が解けないよう、干渉をかけていた。
そこまで気がついている者は少ないが。
「ふむ。久城文弥、どう見る?」
そう訊ねてきた人物――鏡子はさすがにすべてを把握しているだろうと、文弥は何となく認識していた。
そして、分かった上での質問なのだと。
「澪は、補助器を使わない威力調節が苦手だからな。アレが、最も威力の弱い技なんだよ」
「ほう、音声入力を使用したと思ったが、《補助器》を使っていないのか……ブラフなのか?」
文弥は答える気は無いとばかりに、目をモニタに戻す。
《能力》の威力を上げるのは簡単だ。ただ、全力で《能力》を行使すればいい。人によって格差はあるものの、最大限の力を振るうことが出来るだろう。
ただ、それをコントロールしようと思うと途端に難易度が上がる。威力の調節を……効果範囲の調節を……と少しずつ制御する項目が増えると、それに比例して難易度が上がる。
普通の《能力保持者》であれば、三段階で調節できれば良い方だろう。
操作系でも十段階程度だ。事実、それ以上の細かい調節は必要ない。
特に具現化系能力は、威力の調整が難しく、強い、弱いの二段階調節しか出来ない者も多いくらいだ。
しかし澪は、百段階では足りず、千段階での威力調節が可能だ。それも、《補助器》なしで。
彼女は、原子力艦をその燃料ごと瞬間的に燃焼させることが出来る程の《能力保持者》だ。
威力を常人レベルまで抑える為に、やむを得ず身につけた制御能力と言える。
実は、操作系の中でも突出した才能を持つ、優羽、伊織、文寧の三人は澪以上に柔軟な操作が可能なのだが、系統が違えば得手不得手があるのは道理であるし、本筋とは関係ないためこれ以上は言及しない。
つまるところ、千分の一の力で小幡に全力とも言える防御を強いられたのだった。
「……ふむ、力が強すぎるというのも考え物なのかもな」
何やら考え込んだ後、鏡子はぽつりとつぶやいた。文弥は、それが何やらおかしい者に聞こえて、
「あんたが言うと、実感がこもって聞こえるな」
と、思わず皮肉った。
結論から言えば、澪は炎が防がれたこと自体何とも思っていなかった。
強がりでも何でも無く、防がれるつもりで放ったのだ、当たり前と言えば当たり前。
彼女は、この試合を正しく認識していたからだ。
そして、この茶番もすぐに終わる。
「――|CREATE TINY《極小の》 BLAZE」
ぽつりとつぶやくと、先ほどと同じく小さな火球が余裕の笑顔を浮かべている小幡の元へと飛ぶ。
ここで彼は判断を誤った。一度防いだからと言って、わざと受けて己の優位性をアピールしようなどという欲目を出さず、なんとしてでも避けるべきだったのだ。
先ほどと同じく、着弾し、焼夷弾のように炎を撒き散らし、小幡が窒素の鎧で防ぐ。ここまでは先ほどの焼き直し。
しかし、その後は違った。
其はすべてを焼き尽くす焔。
かつて、優羽の水を燃やし、文寧の電気を焼き尽くしたそれは、ただ固まっているだけの窒素などコークスと同じ、焔はどんどん強まり、鎧を侵食していく。熱を通さぬはずの彼の鎧は、熱に、焔に侵されその役割を果たさない。
何とか熱には耐えたものの、迫り来る焔の恐怖に負けた小幡は最悪の判断をした。
すなわち、先ほどの炎を消した、窒素の竜巻であろう事か焔を包み込んだのだ。
プロパンガス、一酸化炭素、気化したガソリン……何でもいい。身近にある気体燃料を想像してみて欲しい。それが酸素と共に竜巻となっている、そんなもので炎を包み込んだらどうなるか。
その答えが、彼等の目の前にあった。
小幡を中心に大規模な爆発と共に、爆炎が立ち上る。その温度はゆうに1200度を超え、単なる余波に過ぎないファイアストームが演習場を破壊する。
普通の人間であれば……いや、直撃であればいかに|スキル保持者であったとしても即死だろう。
そうすればしばらく病院送りになるだろうが、リタイアできた。しかしながら、幸いと言えるのか、不幸にもといえるのか、彼は脆弱ながらも窒素の鎧で体を守っていた。すでに鎧はないが、そのおかげで即死は免れた。
そして、さらに不幸なことに彼がそれなりの実力者であったことだ。
未だ渦中にいる小幡は、無意識に防御をしてしまっているため、生きながら炎に焼かれていた。
衣服はすでに消し飛び、皮膚はただれ、すでに感覚は無い。それでも、《能力保持者》としての才が彼を死なせない、気を保たせる。
普通であればリタイアすればいいだろう。しかし、彼が自分で言ったとおりこの試合にリタイアはない。どちらか一方が戦闘不能になるまで、戦いは続く。
いや、もしリタイアが有効であっても彼にリタイアは無理だっただろう。
呼吸によって、すでに喉はおろか肺までやられてしまっているのだから。
あまりの惨状に観戦者が目を覆い、未だファイアストームがフィールドを荒らしている中、澪は涼しげに焔を見つめているのだった。
モニタが、その持てる限りの調光機能をフル稼働し、観戦者達の目をしっかりと守った後、彼等が目にしたのは息を呑むような恐ろしい光景だった。
原始的な興奮と、原始的な恐怖を併せ持つ炎は、この場合恐怖を与えたらしい。
なまじ実力者が揃っていたためだろう。即死することも出来ず、無意識に張っている防御のおかげで徐々に死に近づいていくしか無い感覚が何となく分かるのかも知れない。
あれほどの、爆炎なのだ、フィールド全体が高温となっているはずで、その証拠にファイアストームが壁や床、そして天井をまんべんなく破壊している。
それなのにも拘わらず、澪は涼しげな顔で成り行きを見守っている。
ここの居るメンバーの中で、今すぐあのフィールドへ転移し、同じように涼しそうな顔で立っていられるのは数名だろう。
もちろん、必死で防御すれば問題なく立っていることは出来るが、『涼しそうな顔で』とはいかないだろう。
もちろん、これは能力特性上澪が恐ろしく熱に強いせいだとは、理論的にも感覚的にも理解できるが、それでも、超然として見える。
「いや、すさまじいな」
さすがの鏡子も目を丸くしている。
「さすがに、ここまでする気は無かっただろうが……相手が馬鹿すぎたな。もしくは単なる自殺志願かも知れないけどな」
澪が最初わざと消せるような炎を放ったのは、この伏線のためだ。普通の炎ではらちが明かない、ならば強力な焔を使ってもやむなしと言うわけだ。
開始した直後にこの焔を放っていれば、一瞬でかたを付けられるのはわかりきっていた。しかしながら、それをしなかったのは、他人の力を見極めるのが苦手な人間は少なからず居る為だった。
彼等は、一瞬でかたを付けてしまうと、結局実力が分からないと言うことになる。また、実力が分かるものには、オーバーキルに見えるだろう。《能力》の制御に難があるようにうつるかも知れない。人によっては性格を疑う者も居るかも知れないが。まさにきれいな花には棘があると言ったところだが、棘だけでは済まないのが彼女だ。
そのため、前半は比較対象である所の小幡に好きにやらせたのだ。
気がついていて、あえて指摘しなかった澪や文弥も大概だが、それを狙ってやったかの様に小幡が自白したのは良かった。
より一層、結局はオーバーキルとなった澪の一撃に対して、過剰攻撃だと言う人間は一人も居なかった。
一番異議を申し立てたいはずの小幡は、先ほど気絶したまま医務室へと転送されていったのだった。




