盛夏戦編 第01章 第05話 生徒会長
第三校舎裏。SP波測定装置が設置してある計測室や、特殊授業用の教室が集まっている棟。
いつもここで、強者として狩りを行っていた。
使用頻度が低い教室ばかり並んでいるせいか、人目につきにくいここは、彼にとって絶好の狩り場だったのだ。
悔し紛れに壁を殴る。ここは、演習場とは違い、壊れた壁が元に戻ることはない。
コンクリートの壁を少々殴ったところで、壊れたりはしないものだ。
さすがに、破壊するほど我を忘れて居るわけではない。
むしゃくしゃして、携帯端末を投げつけるときに、クッションを狙ってぶつけるような、そういった類いの冷静さではあるが、それでも壁はおろか、拳にも傷一つついていない。
それなりの勢いで殴りつけたので、普通であればすりむく程度のことはするだろうが、そういった気配は一切無い。
それが、彼の普通。
コンクリートの壁を殴っても、自身の拳には傷ひとつつかず、人に拳を向けたなら、易々と――文字通りの意味で殴り飛ばせることが出来る。
それが、今までで有り、彼の常識だ。
蹴り飛ばされ、みぞおちを踏みつけられ、苦しむことなど、本来なら有りはしない。
有りはしないことが起こった。
屈辱を受けた。
さらに、風紀委員がやってきた際、自分が弱い者いじめの被害者であると、そう認識された事実が、より一層彼の屈辱を煽っていた。
いじめの真犯人が自分だとばれずに、これ幸いとは思えなかった。
自分が処罰されることより、強者であるはずの自分が、弱者扱いされることに耐えられなかった。
気がつけば、その場を逃げ出し、こうして鬱憤を晴らすように壁を殴りつけていた。
殴れど殴れど、気は晴れない。
しかし、現状を理解できる程までの冷静さを取り戻すことが出来た。
ふと、携帯端末を取り出すと、そこには一通のメッセージが届いていた。
長文ではあったが、思わずすべて読んでしまう。
内容が、先ほど自分に屈辱を与えたあの男と、その妹に関する内容だったからだ。
最後まで読み切った彼の表情からは、悔しさは消えていた。代わりに、にやにやと嫌らしい笑みが張り付いていたのだった。
◇◆◇◆◇◇◆◇◆◇
結果から言えば、文弥に対する一切のお咎めはなしだった。
風紀委員が、保護対象だと指定した生徒が居なくなり、文弥の正当性を、(その方法はともかくとして)一年の一組のクラス委員であるところの、優羽達が必死に説いたからだ。
成績優秀者として、文弥自身も名前や人柄は知れ渡っているらしく、それも功を奏したらしい。
――表向きは。
此度の保護対象となった生徒が、裏で暴力や恐喝などのいじめ――ひいては犯罪行為を行っているという情報を掴んでいた為だった。
確たる証拠も無いため、出頭を命じるわけにも行かず、保護対象者として出頭させ話を聞くつもりだったと、そういう理由らしい。
結果的に見れば、必死に説得した優羽達のくたびれもうけと言うところかも知れないが、自分のために必死になってくれる友人が居るのは、ありがたいことだと、文弥は感謝し、皆に礼を述べた。
「友達として当然だ」とか「お世話係として当たり前のこと」だとか、「「兄妹ですから」」とか言いながらも、彼女達がそれぞれ顔を紅くしていたのは、こういったことを急に言われると、照れを覚える人は多いよなと、文弥は納得した。
そこまで、機微に気がついていながら、隠された他の感情には一切気がつかない。
そこも、文弥らしいと言えよう。
そんなやり取りを終えた後、通常通り午前中の授業が終了し、昼休みに突入した。
人の噂に戸は立てられないとは、奥村のセリフだったが、それが正に事実だと知る事になるのは、割と早いタイミングだった。
入学して、約二ヶ月。他のクラスメートより、一ヶ月遅いスタートだったものの、ほぼ毎日顔を合わせているクラスメート達だ。
寮が一緒ならば、丸一日どこかで顔を見る事になるため、文弥は既にクラス内においては、ほぼ全員とある程度親密な関係を築いていた。
隣のクラスであっても、演習授業で一緒になる生徒達とも、それなりにうまくやっていると思う。
秘密であるはずの、再試験について皆が知る事となり、その事で質問攻めになる程度には。
文弥は情報源を問いただす前に、あれやこれやと質問に答える羽目になり、気がつくと始業時間。
朝のSHR以降はずっと演習授業と、身体測定だ。
生徒達が詳しい情報を得ることが出来なかった代わりに、文弥も、ついぞ情報源について知る事はできなかった。
しかし、あれだけぞろぞろと集まって、生徒指導室の前であれこれ話をしてたら、情報源も何もないだろうと、思い直し、現実問題としてそれは事実であった。
恐らく誰かが見ていたのだろうと。
先述の通り、すべてを伝えられたわけではないが、噂の内容と、少ない時間で文弥から明かされた情報に、クラスメート達は、先ほど生徒指導室前に集まっていた連中と同じように憤り、そして、同じように残念がってくれた。
金鵄共同時代とは違う、ある意味で平和な仲間意識に、文弥はいたく感銘を受けたが、一時限目が始まる頃には確定しているであろう、せっかく得た自由な夏休みを手放すつもりもなかった。
――そう、昼休みまでは。
「久城文弥という生徒は、このクラスで間違いないか?」
昼休み開始と共に、ドアを勢い良く開けて入室して来た生徒が開口一番にそう言い放った。
髪をポニーテールにした、強気な双眸の女子生徒だ。
そのおかげで、ポニーテールというよりは、若干武士っぽいイメージを受ける。
胸元にある校章の色をみると、どうやら二個上の上級生らしい。
昼休み前の時限は身体測定であったため、順番待ちの生徒や、終わった生徒は自習となり、手が空いている一般課程の教諭が授業の監督をしていた。
基本的には自習であるため、チャイムが鳴った時点で、授業自体は終わっていたが、まだ担当教員は退室していない。
文弥に視線が集中する。
教師すらも、文弥に視線を向けていた。
《能力》を使用して、この場から早急に退散する事が一瞬頭によぎったが、この手のトラブルは、一度逃げてもズルズルとついて回るのが常だ。
観念して、立ち上がろうとしたが、それに先んじたのは、一誠だった。
「姉ちゃん!」
そう叫んで、ガタッと椅子を蹴って立ち上がる。
「ああ、一誠か。そういえば、ここはお前のクラスだったな。なら、ちょうど良い久城文弥というのは、どの生徒だ?」
(――なるほど、あれが噂の一誠の姉か)
文弥はそんな事を考えながら、ゆっくりと立ち上がると、
「俺が、久城文弥だ。生徒会長が、わざわざ俺に何の用だ?」
「おお、貴様が久城文弥か。流石になかなか良い面構えをしてるな。気に入った。ちょっと、私について来い」
「唐突だな、要件くらい述べたらどうだ?ここの生徒会長は、ただの礼儀知らずなのか?」
「まぁ、そう邪険にしないでくれ。ここだと話しにくい内容なんでな。悪いようにはしないから、ついて来てくれ」
「……文弥。あんな姉で済まんが、俺に免じていう事を聞いてやってくれ」
あれこれ世話になる事が多い友人にまで頭を下げられたのでは、断りにくい。
文弥は肩をすくめると、生徒会長と共に教室をあとにした。
教師が退室したのは、文弥と生徒会長が退室してからのことだった。




