盛夏戦編 第01章 第03話 エリサ
東京湾の半分。海に沿うようにある日本でも最大の学術研究都市。それが狡神市だ。
旧首都だった東京都の港湾部から、かつては貿易港として、異国情緒あふれる町並みであった、横浜あたりまでがその敷地となる。
そこに居を構える人のほとんどが、《能力》に何らかの関わりを持っている。例え、コンビニの店員であろうとも、その実は狡神市内にある学校の学生であったり、その家族であったりと言う具合である。
学研都市の在住者が外に出ることは多いが、その逆はまれだ。
先のコンビニ店員の例と矛盾するかもしれないが、学生の家族であったとしても、《能力保持者》でなければ、必要だと判断され無い限りは、学研都市に住むことはおろか、入ることすら出来ない。
学研都市に自由に出入りすることが出来るのは、日本国籍の《能力保持者》か、政府高官位だ。
円卓の騎士のメンバーであったとしても、日本支部の許可が無いとおいそれと立ち入ることは出来ない。
学研都市の人間は、金鵄教導を秘密主義であると揶揄するが、一般人から見た場合、学研都市も大して差はないのである。
その逆。つまりは、学研都市の人間が外に出ること。これは、別段制限を受けるものではない。
学研都市内で購入できない品物などを、外に買いに行くのは良くあること。普通のことなのだ。
金鵄教導があった小豆島は、フェリー以外の交通手段がなく、また絶えず《能力保持者》が海を見張っっている、非常に厳しい警戒の元立ち入りが制限されていたが、ここ、狡神市はそれと比べると幾分警戒度合いが落ちる。
街への入り口は、東西南北に一つずつ。
東の入り口は、船着き場であり、船以外で入ることは出来ないため、陸路は三つ。
ここは、ヨーロッパの国境警備程度の警戒網が敷かれており、現代日本基準に照らし合わせると、厳重と言っていい警戒具合だ。
ただ、入り口以外の境界がどうなっているかというと、壁と有刺鉄線。これだけである。
高さ3.6m程。奥行きは1m程、深さ地下4mと、割と強度と高さのある壁ではあるが、それだけだ。
壁を無理矢理越えたからと言って、射殺されると言うこともなく、地雷が埋まっているなどと言うこともない。
ただし、この壁を無理矢理越えると犯罪となる。
具体的には、外患誘致罪が適応される。無期、もしくは七年以上の懲役か、死刑である。《大いなる厄災》以前は、無期、もしくは二年以上の懲役、死刑であったが、第三次大戦を経て刑が重くなった。
少年法により減刑されることもない。
外国籍であれば、大方の割合で死刑となり、逮捕の際に抵抗を試みた場合、その場で処刑されることもある、内容の割に量刑が重すぎるのだ。
そういった事情があったとして、円卓の騎士でも高ランクメンバーである、彼は希望さえすればすぐに許可証の発行がなされる。
高ランクメンバーであると言うことは同時に、高い戦闘能力を保有していると言うこと。
有事の事を考えると、気楽に旅行と称して、東アジアの一番端である日本までわざわざ出向く事など出来はしないので、その権限を行使する機会など滅多にあることではなく、そんな機会があるのであれば、権限など無理して使わずとも許可が下りるだろう。
彼――スティーブンは、自身の優秀な部下と顔をつきあわせ、今後について話をしていた。
普通では必要の無い権限を使用して、狡神市にやってきたのはただの酔狂ではない。
ちゃんとした目的があっての事だ。
表向きは、盛夏戦の鑑賞。
毎年、この時期極東の地で行われるこのイベントには、各国支部から人を送り込むことになっている。
もともと、外部に公開されるこのイベント期間中は、学術研究都市への越境許可が下りやすくなる。
そのため、円卓の騎士の支部がないような国であったとしても、学研都市へ行くことが出来る。
何が起こるか分からないそのイベント期間中は、日本支部や日本軍の《能力保持者》が総力を挙げて警備に当たるが、それのお手伝いという名目で、各支部から十名から三十名程度の人数が派遣される。
有事の際、手を取り合って事に当たる事は、条約・条例によって定められているし、支部が分かれているとは言え、円卓の騎士は同じ組織だ、相互に《能力保持者》の行き来はある。盛夏戦の期間中警備の手伝いと称して少なくない《能力保持者》が入国できるのもそのためだ。
しかし、《能力》研究や、《能力》研究に関しては別だ。
未熟な《能力保持者》がどのように教育を受けているのか。
最新の《能力》研究はどうなっているのか。
各国が、お互いのそれを知る機会は滅多になく、この盛夏戦は、それを実際に見ることができる数少ない機会なのだ。
しかしながら、彼ほどの大物が盛夏戦の鑑賞に訪れることは、今までに無かったことだ。
興が乗ったから。と日本支部には答えておいた。納得しようが、しまいが、彼には関係ない事ではあるのだが。
「我が国からの、警備協力は、五十名ほどを予定しています。例年と比べても他国と比べても非常に多い人数となっています」
「フム。それについて、何か言ってきているカナ?」
ホテルの一室。
最高級と言う言葉に恥じないくらい、質のいい調度品が並んでいる部屋。
豪華さはなく、その作りの良さでもって、高級となしているような調度品だ。
その中で、革張りのソファーへ体重を預けながら、スティーブンは部下に質問を投げかけた。
「そうですね。スティーブン様の入国および、多大なる協力に関して感謝の意が届けられたのみで、別段何も言ってきてはおりません」
「まぁ、そうだろうネ。仮に、協力を断られたとしても、その場合は観光客として入国するだけだからネ。あちらも、こちらも無駄が省けて、いいことだよネ」
例年は、二十名から三十名程度の協力で、元々人数が多かったことも影響しているのだろうと、そんなことを考えながら、モーニングティーを傾ける。
「兵達の到着は、来週となっていますが、「宿舎の準備は整っているため、いつでも来てくれて大丈夫だ」とも言っていました。実際に早めるメリットなどはないので、この国で言う社交辞令と言うやつでしょう」
「僕達だけでも、とっとと宿舎に行けという副音声かもしれないけどね」
と、言って冗談めかして笑う。
「また、ご冗談を。彼等にそんなことを言う勇気があるとは思えません。そんなことより、例の件まずいことになりそうです」
「聞かせてもらえるカナ?」
「はい。どうやら、彼――久城 文弥の盛夏戦出場が危ぶまれているそうです。スティーブン様のおっしゃっていたとおり、楔は打っておきましたので、それが効いてくれるといいのですが」
「ふむ。そうだね。何があったのか推測するしか出来ないけれど、恐らくは久城文弥の方から辞退するような事になっているんだろうネェ。困ったことだネ。確かにそうなってくると、あれだけでは不安だネ。ちょっと手を打ってみようか。エリサ?頼めるカナ?」
「はい。すべてはスティーブン様の為に」
そう言って、エリサは恭しく礼をするのであった。




